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御心

幣原しではら外務大臣>

 いつまでも会議は踊るでは埒が明かない。

 私は進行役として、両手を叩いて静粛にと大声を出す。


「皆さんの気持ちはわかります。ええ、私もそうでした」


 幸い、自分は冷静に考える時間があった。

 なので、この件についての結論は既に出ている。


「私は、東アジア大陸の利権は放棄するべきだと考えています」


 当然反論が出てくる。

 だが私はにこやかな笑顔を崩さずに、静かに両手で制した。


「話は最後まで聞いていただきたい。反論があれば、その後でお願いします」


 そして私は、過去に稲荷神様が関わった事件の説明を始める。


「理由を遡れば、明治八年に稲荷神様が命じられた、半島との国交断絶にあります」


 かつて、日本の船が半島の要塞から砲撃を受けたり、西洋文化に感化されるのは恥だと罵られる事件があった。


 その時に、稲荷神様はこれ以上は付き合ってられないと、国交断絶を決断される。


「当時は、国交断絶は些かやり過ぎではないかと、困惑する者は少なくありませんでした」


 だが稲荷神様のご決断は、納得はできなくても甘んじて受け入れる。

 どのような無茶な命令であろうと、反論は決してしない。


 それが我々、日本国家だ。

 今回に関しても国民をどう説得するかは悩みどころだが、最終的には従うつもりだった。


「皆さんにお尋ねしますが、半島と国交断絶して、日本は何か変わりましたか?」


 すると政府関係者の一人が、顎に手を当てながら悩みながら返答した。


「急に聞かれても、すぐには思い浮かばない。

 だが逆に考えれば、変わったことはないと言えるか」


 それこそが我が意を得たりだ。

 私は待ってましたとばかり大声で叫ぶ。


「そうです! 国交断絶しても、日本は何も変わらなかったのです!」


 皆が驚いて、急に大声を出した私に注目する。

 ここぞとばかりに説明を続ける。


「稲荷神様が最高統治者として君臨して、実に数百年以上の月日が流れました!

 その間、日本の統治が乱れることは、ただの一度としてなかった!

 それこそが! 国民にとっての日常なのです!」


 なお現実には、国が乱れる要因は数多くある。

 しかし稲荷神様は、その全てを未然に防ぐ、もしくは芽が小さいうちに摘み取ってきた。


 だからこそ民衆は日々の暮らしを何ら不安を感じることなく、思う存分に平和を謳歌できているのだ。




 ここまで説明すれば、皆にも私が何が言いたいかを理解できたようだ。

 真面目な政府関係者たちの様子を見て、満足そうに頷く。


 そこで一人の大臣が挙手してから、興奮気味に口を出してきた。


幣原しではら外務大臣!

 しかし稲荷神様は、大陸と国交を断絶するようにとは、申しておりませんぞ!」


 確かに稲荷神様は、目先の利益に飛びつくなと釘を刺しただけだ。

 大陸との窓口は開いたままだし、最終的な決断は私たちに任せている。


 半島と同じように国交を断絶するようにとは、決して申されなかった。


 そして彼の反論に対しても、私は答える用意がある。

 軽く咳払いをしてから、答えを聞かせていく。


「稲荷神様が国交断絶を主張せずに、我々の判断に任せた理由。

 それは大陸の利権を獲得しても、日本の平穏は脅かされないからです」


 一瞬、部屋がしんとしたが、すぐに大臣の一人が慌てて大声を出す。


「おいィ!? 利権を手に入れても平穏が維持されるなら! 大陸と関わってもいいじゃないか!

 さっきの発言と矛盾しているぞ!?」


 稲荷神様は、決して多くは語らない。その思惑は、我々が推し量るしかない。

 なので私は、落ち着いてくださいとなだめながら、続きを話していく。


「確かに日本の平穏は揺るぎません。

 しかし、火中の栗を拾って火傷を負う者もいるのです」

「では、それは一体誰だと言うのだね!」


 皆は興味津々という表情になり、私の説明を待っている。

 ここで軽く咳払いしたあとに、堂々と発言した。


「日本政府です」

「「「……はっ?」」」


 再び会議の場が静まり返る。

 私は構わず、この場にいる者たちが聞きたくはなかった説明を続ける。


「大陸では、数多の民族や宗教が混在しています。

 文明も日本と比べれば遅れていますし、戦争によって広大な土地が焼け野原です。

 年単位の復興支援も必要でしょう」


 敗戦国に、自国だけで立て直す余裕はない。

 当然その殆どを、利権を得た国々が負担することになる。

 つまり日本は多額の予算や人材や時間を、将来の返済を見越し大陸に投資しなければいけない。


「それに、大陸は中華思想が深く根を張っています。

 彼の国は世界の覇権国家なのだと、敗戦した今でも信じているでしょう」


 大陸に点在する民族を一つにまとめるためには、仕方ない思想と言える。

 だがそれに巻き込まれる諸外国は、たまったものではない。


「負債の山と荒れ果てた土地、民族や宗教や思想などの根深い問題。

 それらの面倒を全て、日本政府が見なければいけません」


 誰もが苦虫を噛み潰したような顔をしているが、無理のない話だ。


「そしてどれだけ可愛がったり面倒を見ても、飼い犬は決して懐きません。

 必ず噛みついて飼い主を食い尽くそうと、虎視眈々と隙を伺っている。

 稲荷神様は、そのように申されておりました」


 利権に手を出すということは、可愛がったり面倒を見るだけで駄目だ。

 餌をあげたり住処を用意したりと、とにかく手間暇かかるのだ。


 けれど、相手が全く恩義を感じておらず、それどころか内心では飼い主を見下していて、事あるごとに噛みついてくる。

 思うように躾けられない凶暴な犬だとしたら、誰が飼いたいと思うものかだ。


「つまりは、我々政府が防波堤の役割を果たせば、国民の平穏は保証される。

 だからこそ稲荷神様は、国交断絶を命じることなく、忠告だけで済ませたと?」


 大臣の一人が引きつった表情で言葉を発したので、私は小さく頷いて肯定する。


「その通りです」


 彼女は日本の平和は全力で守るが、逆にそれ以外の優先順位はかなり下がる。

 なので政府機関が頻繁に代替わりしても、特に気にする様子はない。

 いつものことだと受け入れている。


 ゆえに、もし火中の栗を拾って大火傷を負い、内閣総理大臣が降ろされたとしても、稲荷神様は気にされないだろう。


 自身が面倒事に巻き込まれない限りは、森の奥に引き篭もったままなのだ。


 だからこそ数百年以上も最高統治者として君臨しながら、国民は何者にも縛られることなく、自由を謳歌できている。


 しかし間に入る日本政府はそうではなく、こう見えて色々気苦労も多いのだ。


「今回は、それが悪い方向に働いたと言えます」

「はぁ~、然もありなんだな」


 役人の一人が、きっとそうに違いないと古い言葉で漏らした。

 自分もその通りだと考えている。


 稲荷神様は、日本人が外国に行くのは認めているが、トラブルが起きても自己責任だと仰られていた。

 つまり大陸に派遣されて仕事をする日本人は、稲荷神様の庇護対象外なのだ。


「本当に、火中の栗なのだな」

「ええ、それに大陸に関しては、稲荷神様の御助力は得られません」


 今までは火の中の栗を掴もうと、手を入れる前に忠告をされる。

 さらに、稲荷神様がすぐに水をかけて消してくれていた。

 火傷をしても消毒したり包帯を巻いたりと、甲斐甲斐しく面倒を見てくれていたのだ。


 だが今回に限っては、彼女の助力をあてにすることはできない。


「事前に忠告をしてくれただけ、ありがたいと思うべきだろう」

「あの御方にとっては、我々は子孫の一人ですので」

「……そうだったな」


 見た目が十歳の少女なので、良く忘れそうになる。

 稲荷神様は、四百歳というご高齢だ。


 なので、時々孫を見るような視線を向けてくるし、森の奥の家にお邪魔した時にお茶やお菓子を出して、よく来ましたねと歓迎される。


 さらに帰り際に野菜や果物といったお土産を、山ほど持たせようとするのだ。




 それはともかくとして、二転三転した会議は時間はかかったが無事に終わった。


 決定したのは、利権の一切を放棄することだ。

 稲荷神様の意思に背くことなく、従う道を選んだ。


 だが、後悔は一切ない。

 国民には講和会議が終わった後に、稲荷神様の御心をわかりやすく懇切丁寧に伝えるつもりだ。


 ただし講和会議が始まる前にネタバラシをしては、連合国が火中の栗を拾ってくれなくなりそうなので、黙っておく。


 謁見の間に集まった者たちは、これから日本の代わりに面倒を被ってくる戦勝国を申し訳なく思いつつも、心の中で感謝するのだった。

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