火中の栗
防音と盗聴対策が万全な個室に案内された私は、敷かれた座布団に腰を下ろし、出されたお茶とお菓子をいただきながら、数分ほど待つ。
やがて政府の役人が側仕えに案内されて、緊張気味な表情で室内に入ってきた。
「お呼びでしょうか。稲荷様」
そう言って高齢の役人である幣原さんは、私の正面に敷かれた座布団に腰を下ろす。
彼は丁寧に挨拶した後、姿勢を正して黙して語らず、じっとこちらの発言を待っていた。
今から話すことは関係のない人には聞かせる内容ではないと考えた私は、案内役をしてくれた側仕えに、しばらく下がっているようにと伝える。
すると彼女は、二人分のお茶を改めて入れ直した後に、一礼して廊下に出て行った。
扉が閉められて静かになったところで、呼吸を整えてから口を開く
「今から貴方に、重要なことを伝えます」
「重要なこと、とは?」
温かいほうじ茶を片手に持ちながら、重大な案件を伝えるのだ。
個人的には割と緩い雰囲気だが、幣原さんは至って真面目な表情であった。
「大陸に、過度な干渉をしてはいけません」
「……は? あの、それは一体?」
彼が混乱するのもわかるし、正直上手く伝えられる気がしない。
あまりにも唐突過ぎる忠告だが、それは無視して私はさらに言葉を重ねる。
「何なら、戦勝国の権利を放棄しても、私は一向に構いません。
なので大陸の利権を得て、過度な干渉を行うのは止めなさい」
彼は唖然としたが、すぐにハッとした表情に変わって、慌てて口を開いた。
「しっ、しかし! それでは日本は何のために戦ったのですか!
散っていった多くの将兵の命を、軽視し過ぎでございまするぞ!」
確かに戦勝国の権利を放棄するのは、やり過ぎかも知れない。
第二次世界大戦では、日本が焼け野原になったわけではなく、他国の被害のほうが甚大だ。
それでも、亡くなった者は居る。
だがしかし、たとえ彼が正論を口にしたとしても、こちらも譲るつもりはない。
私は大きな溜息を吐いて、なだめるように幣原さんに語りかけた。
「自衛隊は専守防衛が主です。しかし、ソビエト連邦の最終目標は日本でした」
それが、日本が第二次大戦に介入せざるを得なかった理由だ。
海外派兵はできるが、自国を守ることが最優先なのは変わらない。
「散っていった者たちは軍人としての責務を立派に果たし、日本を守り抜いてくれました。
私も彼らには、言葉では言い表せないほど、感謝しています」
ライトニングフォックス作戦で主要都市を強襲したが、侵略が目的ではない。
あくまでも日本を守るために戦い、散っていったのだ。
そんな彼らの尊い犠牲のおかげで、第二次大戦は連合軍の勝利となった。
正史のように、日本が焼け野原になることは防がれたのだ。
だがそこで、幣原さんが声を荒らげて意見してくる。
「彼らは、大変立派な最期を遂げたことは、自分も良くわかっております!
しかし! それだけでは! 遺族は納得致しません!」
本当に、ああ言えばこう言うだ。
とにかく一旦、幣原さんも気持ちを落ち着かせるために、お茶を一口飲んだ。
しかし一休みしただけで、さらに追求は続く。
「敗戦国を支配して膨大な利権を吸い上げることで、国民はようやく戦争は日本の勝利で終わったと、実感を得られるのです。
戦没者の遺族も、彼らの死は無駄ではなかったと、心を慰められるのです」
ぐうの音も出ないほどの正論だった。
しかも、そう言って幣原さんは深々と頭を下げる。
「ですので稲荷様! どうか! ご納得いただきたく存じます!」
普段の私ならば、ここで仕方ないかと諦めていた。
だが今回だけは、言い負かされるわけにはいかない。
何故なら私は、前世の大陸がどれだけ混沌としているかを知っている。
もしここで利権を得るために支配や管理や搾取を行うことになったら、将来的に投資した以上の利益を失い、面倒事が次から次へと湧いてくるだろう。
別にそれらを全部解決すれば問題はなくなるし、今の日本や親日国が力を合わせれば可能かも知れない。
(でもそれって、私の平穏な暮らしが遠ざかるってことなんだよね)
大陸の管理運営が軌道に乗るまで何年かかるかわからないし、現状では投資したお金や資材を回収する目処もついていない。
しかも何か問題が起きるたびに引っ張り出されるのはほぼ確定で、何で他国の面倒を見るたびに馬車馬のように働かなければいけないのかだ。
つまり個人的には、どう考えても厄ネタにしかならない。
絶対に関わらせるわけにはいかなかった。
そして、平穏な暮らしを守るためならば、なりふり構わないのが私である。
なので覚悟を決めて、大きく深呼吸をする。
幣原さんに堂々と語りかけた。
「では、国家のために殉難した人の霊を祀る新たな神社を建てます。
名称は靖国神社にしましょうか」
二千年代には色々と話題になっていた神社だが、何故かこっちの東京には存在していなかった。
いつ、何のために建てられたかは知らないが、多分戦没者のためとかそんな感じだ。
良い機会なので、使わせてもらうことにした。
行き当たりばったりの提案だが、いつものことなので気にしない。
「良い案でございます。
稲荷様の意向によって建てられた神社でしたら、戦没者も遺族も喜ぶことでしょう」
乗り切ったと思わなくもないが、幣原さんの追求はまだ終わっていなかった。
東アジアの利権問題が残っているけど、彼を言いくるめられる気がしない。
なのでこちらはもう諦めて、脳筋ゴリ押しの、この手に限るで済ませることにした。
「幣原さんには、私の本心を打ち明けましょう」
ようは単刀直入に理屈抜きで、あっちはヤバいから手を出すなと告げるのだ。
だが彼は明らかに身を固くして、真面目な表情になる。
正直なところ、別に大したことを話すわけではない。
嘘が苦手なので、オブラートに包む以外はいつも本心だ。
だが幣原さんが気合の入れようが違い、緊張のあまりゴクリを生唾を飲む音を狐耳が捉えた。
「まず最初に言っておきますが、大陸は火中の栗です」
パッと思いついた言語なので、それが適切なのかはわからない。しかし、構わず説明していく。
「膨大な利権が得られると聞けば、誰もが飛びつきたくなります。
しかし迂闊に手を伸ばせば火傷をし、最悪日本まで燃え広がるでしょう」
衝撃発言だったのか、幣原さんは言葉を失う。
だがそれでも、彼は顎に手を当てて思案している。
流石は側仕えが呼んできただけはあって、頭の回転はとても速いようだ。
「そもそも新たに大陸を管理運営しようとしても、日本は人材が足りません」
幣原さんが、ならば属国として管理すればと言いかけた。
そこで私は、首を振って言葉を重ねる。
「餌をやって飼い慣らそうにも、嬉々として飼い主に噛みついてきます。
手だけで済めば良いほうで、間違いなく骨までしゃぶり尽くそうとするでしょう」
弱きを助け強きを挫くのではなく、弱い相手にはとことんまで強気に出る。
さらには一方的にマウントが取れるなら、これ幸いと内政干渉スレスレの行為を繰り返す。
それが私が生きていた前世の大陸であった。
(まあ何処の国も基本的には自国オンリーだけど、誠意に欠けるのは駄目だね)
信頼には信頼で答えるのが今の日本と親日国で、ヤバい国とは距離を取るに限る。
それに国際社会では、日本は大人だ。
非人道的な行為は行えないし、あくまでも紳士的に敗戦国を支援し、将来的に自国と仲良くするために世話を焼く。
だからこそ国際的に高い発言力があるし、これまで培ってきた信頼と実績を、無にすることはできない。
なので私は、最終通告を口に出した。
「大陸の利益が欲しければ、好きにしなさい。
ですがこの件に関して私を頼ることだけは、絶対に許しません」
言うべきことは全て言い終わった。
足りない頭を捻って頑張って説明したので、これ以上は何を言っても無駄だ。
「忠告はしましたよ。
もし手を出すのなら、貴方たちだけでやりなさい」
私は大きな溜息を吐いて、ゆっくり座布団から立ち上がった。
そして言い終わるや否や、幣原さんに背を向けて個室を出て行く。
もはや、後は野となれ山となれだ。
もし大陸の利権を手に入れようと動くのならば、私はたとえ土下座されたとしても、絶対に手伝わない。
結果がプラスになれば取り越し苦労で済むが、たとえマイナスになっても自業自得だ。
だが本当にこの判断が、日本の未来にとって正しいのかは、自分でもわからない。
一つ言えるのは、大陸に手を出すのは私の平穏な暮らしから遠ざかる行為だ。
今の環境保護や国際支援などの必要最低限の干渉で十分だし、それ以上は過剰なので全力で回避した。
とにかくこれで何が起きても、私にまで飛び火して来ない。
取りあえずの面倒を避けられれば、問題なしだ。
最終通告はしたので、稲荷大社の廊下を我が家に向かって歩いていく。
ホッと息を吐いて小さな胸を撫で下ろして、久しぶりの休暇に思いを馳せるのだった。




