劣勢
<ラヴレンチー・ベリヤ>
一体何処で間違えたのだろう。
リトルプリンセスを手中に収めたい。そのような考えを抱いた時からかも知れない。
私はそう、ぼんやりと考えていた。
「このままでは遅かれ早かれ、ソビエト連邦は負けますね」
執務室の椅子に深く座った私は、大きく溜息を吐く。
今は世界大戦中なので、皆の心を一つにして外敵に備えなければならない。
だと言うのに国内は、かつてないほどの粛清の嵐が吹き荒れていた。
私は同志スターリンの命令を受けて、逮捕や処刑を行っている。
だからソビエト連邦の現状は良くわかっていた。
そうしなければ共産主義を維持できず、国が割れてしまう。
裏切り者を始末するために、自ら手を汚してきたことに後悔はない。
だがしかし、貴重な人的資源や技術を失ったことには変わりなかった。
辛うじて兵の士気は維持できているものの、戦況的にはジリジリと押し込まれている。
「何もかも、リトルプリンセスのせいです。
彼女が欧州に参戦してから、ソビエト連邦は負け続きだ」
リトルプリンセスが参戦してからの欧州連合の勢いは、とにかく凄まじかった。
最初期こそソビエト連邦が優勢だったが、あっという間に形勢逆転されてしまう。
さらに工作員を潜り込ませて、共産主義を広める作戦も、成功したのは最初だけだ。
今では逆に稲荷主義に染められ、ソビエト連邦の情報は連合軍に筒抜けの有様だった。
「稲荷主義を赤く染めるのは、現状では不可能ですね」
それでも圧倒的な求心力を持つリトルプリンセスが、万が一でも最高統治者を退けば、稲荷主義はたちまち勢いを失う。
日本や親日国は、資本主義へと転向せざるを得なくなる。
下位互換になってしまえば、共産主義に染めることも可能だ。
しかし、彼女は未だに連合国の盟主をしている。
少なくとも第二次世界大戦が終結しないと、立場は動かないだろう。
さらに余程下手を打たない限りは、退位は不可能だ。
「諜報員の情報では、退位を望んでいる。
だが其の実、自らの権力を盤石にするための嘘でしょう。
それに民意は、彼女の退位を望んではいない」
今の日本の優位と繁栄は、彼女が神皇に就いているからこそ維持できている。
国際社会でも強い発言力を持っていた。
なので、もしリトルプリンセスが退位すれば、株価の暴落どころではない。
下手をすれば内乱が起き、国が割れかねない危機的状況に陥ってしまう。
「そして次に彼女を確保した国が、国際社会で大きな発言力を得て、覇権を握るか」
そこは否定したいが、どうやら世界は彼女を中心に回っているようだ。
そう錯覚してしまうほど、小公女の咄嗟の判断力と先見の明、さらに人心掌握術には舌を巻くばかりだった。
「本当に、今回の戦争で理解させられました。嫌と言うほどね」
まるで本物の女神の加護を得たかのように連合国の士気は高まり続け、ソビエト連邦は手痛い反撃を受けていた。
これは本当に恐ろしいことだ。
ソビエト連邦が敗北すれば共産主義の崩壊、そしてさらなる粛清が待っている。
なので、死ぬまで戦うしかない。
だが連合軍は、祖国や友人、またはリトルプリンセスを守るために誇りを持って戦いに臨んでいる。
戦場での死さえも不敵に笑い、甘んじて受け入れていた。
なお彼女は、絶対に死ぬなと厳命している。
そのため、負傷者は衛生狼が速やかに回収して後方に下がらせるのだ。
奴には銃弾も爆薬も効果がなく、ソビエト連邦の兵士でも重症者は飲み込み、強制的に撤退させる。
だがそうでなければ、文字通り死ぬまで戦っていただろう。
何にせよ双方が死を恐れずに戦えば、地力の勝るほうに天秤が傾いていく。
連合軍は国の垣根を越えて互いに支え合い、一糸乱れぬ連携を取っていた。
逆にソビエト連邦は、粛清による恐怖政治で辛うじて内乱を防ぎ、国を維持している状況だ。
ここまで明暗がわかれてしまった以上、もはや我々に勝ち目はない。
そう確信してしまうほど、我々は追い詰められていた。
なので私は、咄嗟に嘆きの声を漏らす。
「リトルプリンセス!
貴女はソビエト連邦と共産主義を滅ぼすために、この世に降臨したのですか!?」
誰も答えてはくれないが、思わずそう叫びたくなるほど、祖国は予断を許さない現状だ。
だが天井を見上げて嘆いたところで、状況は何も変わらない。
唯一幸いだったのは、連合軍の被害を抑えるために、消極的な戦闘しか起きない点だ。
ある程度戦って敵に損害を与えた、優勢なうちに速やかに撤退する。
なのでソビエト連邦は戦局的には押されてはいるが、辛うじて国境線の防衛には成功していた。
「本来ならば消耗戦は、ソビエト連邦の得意とするところ。
だが損害を無視して物量で押し潰そうとしても、英雄たちが邪魔でそれも難しい」
アジアではリトルプリンセスが不在なおかげか、ソビエト連邦が勝っている戦場も多い。
だが欧州に目を向けると、一騎当千の英雄が暴れ回っているのがわかる。
しかも連合国の盟主が、彼らに日本の最新兵器を貸し出している。
日本の言葉で表現すると、鬼に金棒というやつだ。もはや手がつけられない。
「弾薬や燃料が尽きた隙を突いて、ようやく撃墜したのに!
何で生き残り、再び戦場に戻ってくるんですか!」
だからこそ英雄と呼ばれているのだろうが、明らかに異常だ。
また別の者は、重傷だったはずなのに、次の日に包帯を巻いたまま戦場で相見えたという話もある。
そして同盟を組んでいるとはいえ、他国に自国の最新兵器を貸し出すなど、本当にありえないことだらけだ。
各国が自国の損害だけを抑えて互いに出し抜こうとする中で、仲間を信頼して背中を任せるのだ。
リトルプリンセスの豪胆さには、舌を巻くばかりだ。
確かに情報はいつか漏れて、技術転用もされるだろう。
それでも国家機密を自ら他国に暴露するなど、常識外れにも程があった。
「こっちは粛清に次ぐ粛清だ。今では信頼できる同志も、数少ないというのに」
裏切りや反乱の兆しがあれば即密告し、問答無用で粛清の対象になる。
そうでなければソビエト連邦の共産主義を維持するのは、もはや不可能になっていた。
さらに言えば、動員できる兵力や資源も尽きかけている。
国境沿いの防衛部隊の士気も、大きく低下しつつある。
敵前逃亡や裏切りなどができないよう、これからさらに厳しく取り締まる必要が出てくるだろう。
起死回生の策として、新型爆弾の開発に多額の予算と時間、人材を投入していた。
当然優秀な研究者を集めて着手していたが、彼らはある日突然失踪してしまう。
重要な情報や機材が残らず消えていたことから、他国の工作員の仕業なのは明らかだ。
何とか痕跡を掴んで、犯人の隠れ家に踏み込んだ。
しかし、そこは既にもぬけの殻だった。
それでもソビエト連邦からの脱出を急いでいたらしく、いくつかの証拠品が残っている。
「まさか、稲荷主義がソビエト連邦の奥深くまで潜り込んでいたとは、予想外でしたよ」
国内に侵入した稲荷主義派が、念入りに準備を進めて、新型爆弾に関わっていた者たちを日本に亡命させたのだろう。
「火事場泥棒とは、よく言ったものですね。
だが彼らも、沈みつつある泥船に、いつまでも乗っていたくはないでしょう」
研究成果や優秀な人材を奪われただけでなく、他の技術者や将校も、今では我先にと亡命を図っている。
捕らえて粛清するにせよ、これではソビエト連邦の人材不足は、深刻になる一方だった。
「やはりソビエト連邦は、このままでは負けますね」
自分は最高統治者であるスターリンから信頼を勝ち取り、政府の重職に就き、これまで甘い汁を吸ってきた。
だが、今から戦況を覆すのは不可能だ。
私は断腸の思いで、今の地位を捨てる覚悟を決めた。
「まだリトルプリンセスを手に入れていませんが、命あっての物種です。
同志スターリンには申し訳ありませんが、一足先に抜けさせてもらいましょう」
早く亡命するほど、他国へ持ち込む情報に価値が出てくる。
自分の待遇も良くなるため、負けると確定した時に行動を起こすのが一番だ。
「万が一に備えて亡命の準備を進めていて、本当に良かったです」
ソビエト連邦は国土が広い。
なので最戦前である国境沿いでは激戦を繰り広げていても、首都モスクワにはまだ戦火は及んでいなかった。
だがそれも今となっては、さほど長くは保たないと、ヒシヒシと感じるのであった。




