帝国主義の崩壊
大正八年、その一月に行われたパリ講話会議。
私は神皇の職務があるので、あまり長い間日本を留守にはできない。
初日のみの出席なのは、最初から決まっていた。
既に代理の外交官への引き継ぎは済ませてあり、パリのホテルを早朝にチェックアウトして帰国しようとしていた。
そのため部屋を出たあと、近衛隊の一人に鍵を持たせ、カウンターで返却手続きを行う。
だが玄関ホールから外に出た大通りは、ガラス越しからでも物凄い人混みで溢れているのがわかる。
送迎車を停めるスペースを確保するのが困難で、走行などできるはずもない。
「これは一体どういうことでしょう? 私や日本への反対デモですか?」
「プラカードに罪を憎んで人を憎まずと書かれていますので、恐らく逆ではないかと」
鍵を返却し終えて、戻ってきた護衛の一人と顔を見合わせる。
フランス国民が支持してくれるのは嬉しいけれど、どうしたものかと頭を抱える。
確かに、わざわざ日本語でプラカードに書いて掲げていた。
昨日の講和会議の発言の影響と見て、間違いはなさそうだ。
他にも稲荷神大歓迎や、ようこそパリへ等が見えた。
どうやら私の歓迎ムード一色のようである。
「仕方ありませんね。ここはプランBです」
「稲荷様、プランBとは?」
私は天の道を行く男のように、ホテルの上階に指を向けた。
これから何をするのか察した近衛隊に、ここで別れて先に港に向かうように伝える。
その後は万が一のために残った数名の護衛とエレベーターに乗って、ホテルの屋上に足早に向かう。
「さて、本格的に体を動かすのは久しぶりですね」
「稲荷様、どうかお気をつけて」
屋上の端に立って下を見ると、近代的な高層ホテルの周りは人混みで溢れていた。
何人かが豆粒のように小さな私を見つけ、大声をあげてこちらを指差す。
「貴方も私がこの場を去ったら、気をつけて港に向かいなさい。……では!」
護衛は頭を深々と下げて、どうかご無事でと返事をする。
私は躊躇うことなく軽く地を蹴って、金網状のフェンスの上に華麗に飛び乗った。
「しかし、相変わらず驚異的なバランス感覚ですね」
もし自分がオリンピックに出場すれば、一人でメダルを総取りするのは間違いない。
だけど現実に出るつもりは一切ないんだけどと思いながら、まるでのんびり散歩でもするかのように、軽く地を蹴って隣のビルへと飛び移る。
屋根の上なら、交通渋滞や人混みも関係ない。
映画と違って助走をつける必要はなく、余裕を持って飛び移れる。
だが、先に向かった者たちを待たせるのも悪い。
たまたま興が乗って、タッタカタッタカと忍者走りでパリのビル街を疾風のように駆け抜けていく。
後日、多くの現地住民に目撃された私は、ジャパニーズニンジャガールとして全世界に広く知れ渡ってしまう。
それが稲荷グッズの忍者バージョン生産開始と、需要の拡大にも繋がる。
ロリババア狐っ娘女神様以外にも、属性がてんこ盛りなのだ。
そんな良くわからないが凄い存在として、一部のファンから熱狂的な支持を受けるのだった。
同じく大正八年のことだ。半島が三・一運動というものを行い、中華民国から独立しようとした。
事前にもしお隣さんと関わっていたら、日本からの独立になっていたのかも知れない。
しかし最高統治者の私は、利益の独占や圧政はヨシとしない。
反対運動が起こらなかった可能性も、捨てきれなかった。
だがまあそれは一旦置いておくとして、正直面倒なので、今後もなるべく関わり合いにならないに越したことはない。
できればずっと国交断絶状態を維持して外から生暖かい目で見守るのが吉であると、心の中でうむと頷くのだった。
同じく大正八年に、三・一運動に触発されるように中華民国でも五四運動が起こった。
大陸はあっちもこっちもデモ活動で賑やかになってきたなと感じる。
これまで盤石だった帝国主義が崩壊して、全世界で民主主義に移行していく。
日本では私が神皇を務めて、唯一無二の統治者であり続けている。
だが諸外国の様子から、そろそろ私の退位も近いかなーと、期待に胸を震わせながら東京ばな奈を小さな口でモグモグ咀嚼する。
稲荷家の居間に設置されたカラーテレビで情報元のIHKニュースが流れるのを、のほほんと視聴していたのだった。
モスクワ方面が少々きな臭かったり中華民国がゴタゴタしてるのが、大正八年の世界情勢である。
人口も増えて電波による情報伝達手段が広く普及したことから、私が稲荷大社の舞台に上がって本音トークを行う機会は秋の稲荷祭のみとなった。
だがその代わりに、稲荷様のお声コーナーという番組ができる。
具体的にはラジオとテレビの同時撮影で、司会役のお仕事をすることになったのだ。
「現在混乱の続く海外に行くのは止めませんが、何が起きても自己責任です。
私はトラブルが起きるとわかっているのに、忠告を無視して危険地帯に突っ込んでいき、挙句の果てに多くの人に迷惑をかける人の面倒まで見る気はありません」
相変わらず歯に衣着せぬ本音トークはキレッキレだ。
腹芸は苦手なうえに、たまにうっかり発言を行う私を、日本国民は好意的に受け止めていた。
だがそれはとは別に、世界情勢はただ今大混乱中だ。
近隣諸国ではおちおち外も歩けないほど、治安が悪化している。
ただし日本と親日国は例外であった。
古くからの文化や動植物が多く残っていて、治安も格段に良い。
朝だけでなく、夜も手ぶらで観光を満喫できる貴重な国々だ。
ついでに言うと、講和会議での発言と私がパリの町中を飛び回ったことも影響し、日本に興味を持つ人が激増している。
しかし、現地に足を運んでもニンジャガールは居ない。
私自身が幼女体型なので、くノ一のコスプレをしても似合わない。
それでも忍者屋敷を所有している観光協会や県職員、日本や外国の人たちが強い要望を出すのなら仕方なかった。
渋々着用してアクロバティックで人間離れしたアクションシーンの撮影に、一回だけという約束で協力するのだった。
大正九年に国際連盟が成立した。
人類史上初の国際平和機構に日本さんも加盟してくれませんか、チラッチラッと催促される。
なお返答だが、入ってもいいけど狐っ娘は出席しないことを条件に出す。
必死に頼み込んできた他国の外交官は、そんなーというアスキーアートの顔文字っぽい表情になって、完全に沈黙した。
しかし、それでも日本が加盟する意味は大きい。
入らないよりは断然マシだと割り切ったのか、政府関係者との打ち合わせを進めるらしい。
同じく大正九年のことだ。
明治神宮の造営工事を施工するついでに、東京の稲荷大社も建て替えることになった。
ふと振り返れば、いくら宮大工の匠の技でも築百年以上が経過している。
老朽化や耐震性などに、若干不安を感じてきた頃だ。
何より国内は、外国人観光客が急増している。
新たに増改築して敷地面積も増やし、さらには神職も大勢募集しなくては、とてもではないがデスマーチを耐えきれない。
それを知った私は、また早朝ジョギングコースが長くなりそうだと、新聞の一面を二つ折りにして小さく溜息を吐くのだった。
大正十年になり、日本のやんごとなきお方がヨーロッパの各国を訪問した。
既に私がパリで色々やらかしていたので、新聞の一面を飾ったものの、そこまで大きな話題にはならなかった。
だがもし自分という存在がなければ、歴史的な一大ニュースなのは間違いない。
「何だ。リトルプリンセスじゃないのかって、あからさまにガッカリしないで欲しいなぁ」
ここでポイントを稼いでおけば、次は私が訪問するかもと考えてもらいたい。
だが船旅は大回りしなければヨーロッパに辿り着けないので、かなりの日数がかかる。
もし気軽に遊びに行けるとすれば、きっと空港ができてからだ。
けれどそれはいつになるかわからないため、気長に待ってもらうしかない。
同じく大正十一年にワシントン会議が開かれた。
何でも国際連盟とは関係のない身内の集まりらしい。
会議の内容は軍縮で、アメリカを含む八カ国が参加した。なおソビエト連邦は呼ばれなかった。
日本も呼ばれたが、第二次世界大戦のことを考えると現状戦力を減らすのは得策ではない。
それに米国とは、さほど親密ではないし利権も絡んでないので、今回は辞退するつもりだ。
しかし、日本にお忍びでお願いに来たヒューズ国務長官が言うには、リトルプリンセスが中心になって物事を決めたほうが会議が円滑に進み、アメリカから日本に要求することは何もないとのことだ。
ようは私に、潤滑液か清涼剤のような役割を期待しているのである。
パリ講和会議と比べると重要度はあまりないので、元々平穏な生活を好み、森の奥に引き篭もりがちの私としては、謹んでお断りさせてもらった。
彼は残念そうな顔をして、ではまたの機会にと何度も振り返り、名残惜しそうに帰っていくのだった。
余談だが、日本があまりにも強大な軍事力を持つと、世界各国が警戒や難色を示す。
だが幸いにして、どの国もあんまり口を出してこない。
政府が私の耳に入らないように情報遮断しているのか、それとも真正面から威圧する勇気がないのかは知らないが、消極的過ぎた。
私としては、日本の統治者である神皇に危険物を持たせないで欲しい。
稲荷=安心安全など幻想だ。親日国も軍隊をポンポン預けてはいけない。
いつでも世界に向けて引き金を引けるという重圧を緩和するために、お供え物の中から新発売のきな粉ドーナツをむんずと手に取って小さな口に運ぶ。
糖分補給とストレス解消に、励むのだった。




