寄付金
永禄十一年の春の終わりのことだ。
稲荷大社の神主さんから、個人的に相談したいことがあると伝言が届いた。
なので場所は謁見の間ではなく、密談用の小さな茶室だ。
自分は茶を点てる趣味はないが、小ぢんまりとした個室は気楽である。
ちなみに神主さんはこっちに引っ越してきてから出会ったので、三河の稲荷山の人とは別人でだ。
それでも何というか、私の性格を良くわかっていた。ちょっと怖いが今の所は実害はないから、ヨシとしておく。
本宮の廊下を歩いて突き当りの障子戸を開け、指定された部屋の中に入る。
神主さんは先に来ていたらしく、姿勢を正して会釈した。
彼は下座で、私は上座に腰を下ろす。
そして側仕えの桜さんは、私のすぐ近くの薄い座布団に静かに座している。
すっかり慣れたもので、お茶とお菓子を手早く用意してくれた。
二人が席についたことを確認した後、私はおもむろに口を開く。
「相談とは何ですか?」
いつものように単刀直入に尋ねると、神主さんは質問されるのは予想済みだったようだ。
勿体ぶることなく、すぐに答えてくれる。
「稲荷大社の運営資金なのですが、少々問題が──」
もしかして、大赤字による経営危機なのかも知れない。
それに関しては、私にも心当たりがあった。
まず、江戸幕府を開いた当初は大変だった。
全国の大名や国民から税金や物資を徴収するのが間に合わず、稲荷大社の運営資金を国家予算に回してもらったのだ。
他にも、日本全国から送られてきた人質を、稲荷大社の臨時職員にしたり教育を受けさせて、正規雇用の人たちと同じように衣食住を手配したり、毎月給料を支払っている。
そして私の生活費は、全面的に稲荷大社が負担していた。
他にも色々と思いつくが、やらかしが多すぎて一つに絞り込めない。
だが運営資金が足りないなら、私が質素倹約に努めれば多少はマシになるかも知れない。
なので神主さんに、深々と頭を下げる。
「負担をかけてしまい、申し訳ありません。
今後は慎ましい生活を心がけます」
謝罪の言葉を口にすると、彼は慌て始める。
「えっ? いやいや! 稲荷様は十分に慎ましい体……いえ! 生活を成されております!
私どもとしては、もっと贅沢に暮らして欲しいぐらいです!」
謝罪後に、神主さんが慌てふためいている。
どうやら自分の勘違いだったらしい。
ついでに慎ましい体という言葉に衝撃を受けた。
私は若干控えめな自分に胸に手を当てて、何となく確認をしてしまう。
すると、少しだけだが女性らしい膨らみを感じて、見た目相応にはあってホッと息を吐く。
ちなみに神主さんが言った、贅沢に暮らすという提案だが、断固として拒否する。
根っからの庶民の私には、小さな一軒家での平穏な生活が性に合っていた。
確かに前世と比べれば不便極まりないが、それでも日本国民の税金を使っているのだ。
あまり趣味に走ったり、好き放題するのは良心が痛む。
それで快適で平穏な暮らしを手に入れても、全然嬉しくない。
食欲に関しては別だし、国民にも美味しい物を食べて欲しがっている。
けれど最近は食材や調味料の種類も増えて価格も安くなり始めているので、現状で十分に満足していた。
あとは、日本の最高統治者の慎ましやかな生活を知っているのは、極一部の関係者だけだ。
大多数の国民には、ご想像にお任せします状態である。
毎日幸せに暮らしているとしか明かされていない。
私個人としては全く困らないので、各々で色々と考えてくれれば良かった。
とにかく自分の小さな胸を揉むという虚しい行為をする私を見て、しばらく神主さんは憐れむような視線を向けていたが、やがてコホンと咳払いをする。
私も何やってるやらと恥ずかしくなり、さり気なく姿勢を正す。
そして気分を落ち着けるために、目の前のお茶を一口飲む。
彼にどうぞと告げて会話を仕切り直すと、先程の続きが始まる。
「実は稲荷大社の運営資金が膨大な額になってしまい、使用方法に苦慮しているのです」
「……そうですか」
もし赤字経営だったら、私生活を切り詰める必要があった。
だが、黒字なら問題はない。
心配して損したと思い、気が抜けて返事をした。
しかし、神主さんの話は終わっていない。
「稲荷祭での飲み食い無料で還元しても、とても使い切れそうにありません」
「それ程の額なのですか?」
「はい」
振り返ってみれば最初は初年度だけの予定だったが、何だかんだ大改革にはお金がかかるのでズルズルと続けてしまっていた。
だがそれでも少しずつ額を減らし、最近は江戸幕府の運営が軌道に乗ったので、今年から晴れて国民の税金だけで回していくことになったのだ。
ちなみに稲荷祭は日本の年間行事なので、休むことなく行っていた。
政府に援助したり臨時雇いが増えて減収になるかと思いきや、毎年黒字が増えていったと教えてくれる。
「なら江戸幕府の運営資金は、⋯⋯止めたほうがいいですね」
今はべったりくっついているが、それでも宗教と政治は切り離したほうがいい。
なのでこれ以上の資金援助だけは止めたほうが良いと、別の案を出す。
「従業員の給料を上げれば良いのでは?」
いつも通りの思いつきを口に出すと、神主さんが頭を抱えた。
「稲荷様に、多くの寄付金が集まったのです。そのことを、良くお考えください」
「そっ、そうですよね」
あまり口にしたくないが、神主さんが言うには私に寄付してくれたのだ。
それを稲荷大社に務める人たちに分け与えるのは、民衆の反感を買いそうだった。
だが露骨ではなく、少しだけ賃上げするぐらいなら構わないだろう。
参拝者と寄付金と、神職の仕事は比例しているのだから、いつまでも同じ給料ではやってられない。
なのでちょっとだけ賃金を上げつつ、別の案を考える。
取りあえずプランAは駄目だったし、ならばBを実行するしかない。
普段は稲荷祭の屋台や提灯、神輿やその他小道具といったように、一年に一度のお祭りのために景気よく使っていた。
だが他にどれだけ料理やお酒を追加しても、人間が飲み食いできる量には限度がある。
さらに保存技術はまだ発達していないので、日持ちせずに腐ったら無駄になってしまう。
ならば、新しい消費先を用意する必要がある。
そして私は、いつも通り場当たり的に思いつく。
神主さんに新しい案の説明を始めた。
「稲荷祭の出し物として、花火と宝クジを追加しましょう」
「花火と宝クジでございますか?」
初めて聞く言葉に首を傾げる彼に、なるべくわかりやすく説明する。
お祭りの風物詩と言えば、花火だ。
幸いなことに火薬は、前世の知識で頭が良くなった日本国民が作ってくれている。
今は自衛隊の鉄砲や大砲に使われ、駐屯地で日夜訓練が行われていた。
それを必要な分量買い取り、お祭り使わせてもらうのだ。
そして花火に関してだが、多分あと二十年もすれば誰かが作っただろう。
私はそれを、ほんの少しだけ先取りするだけだ。
次に宝クジだが、これは花火だけでは使い切れなかった資金を、民衆に還元する最終手段だ。
寄付金に応じた賞金を設定すれば、割とすぐに使い切れるはずである。
これならお金を横流しするのではなく、夢を見たい民衆に還元することが出来る。
ただギャンブル性が強いので、ドハマリする人が出るかも知れない。
前世でもこういった賭け事は、社会問題になっていた。
しかし辛く苦しい世の中では息が詰まってしまうし、適度な息抜きや娯楽も必要だ。
なのできっとこれも、江戸時代になったら誰かが思いついてやり始めていたことだと割り切る。
とにかく、大まかだが方針は決まった。
だが神主さんだけでは、この計画は進められない。
江戸幕府の役人や職人、商人等も巻き込んで綿密な打ち合わせをしないと実現は困難だ。
なので、急いで各方面の関係者と連絡を取るのだった。




