北海道
永禄十一年の新年祝賀会の日のことである。
私は本宮の謁見の間の上座に着席して、お膳の上に乗せられた正月料理を味わう。
盃に注がれたお神酒を手に持って、軽く傾けて水面に映る自分を覗き込む。
(全く成長していない。過去に来てから、結構経ったのになぁ)
なお、各地の大名は人質を差し出すだけでなく、それぞれ好き勝手に江戸に屋敷を建て始めた。
普段の管理は使用人に任せて、新年会などで用があったときの宿泊施設や、知り合いに別荘として貸し出したりと、便利に使っている状況だ。
そして今もお酒を嗜む私の前に、各国の大名や重臣の方々が、楽しそうな笑顔を浮かべてズラリ並んでいた。
別に無理には呼んでいないのだが、新年の挨拶に訪れてお神酒を注ぎに来ているのだ。
「明けましておめでとうございます! 稲荷大明神様のおかげで、我が領地は救われました!」
「いえいえ、こちらこそ伊達さんには助けられています。今年もよろしくお願いしますね」
私は定例通りに、当たり障りのない挨拶を交わす。
「稲荷大明神様には、機会があればぜひ領地を直接見に来ていただきとうございます!」
「そうですね。もし行けたらいいですね」
行けたら行くわと言った感じに、のらりくらりと躱していく。
しかし、新年の挨拶をしに来る人が多いので、地味に面倒臭い。
稲荷大社の年間行事の告知を行っているが、強制参加ではない。
各藩の懐事情もあるだろうし、政治的に書類で済むことは書類でも全然OKなのだ。
ただやはり直接顔を合わせて直接お礼を言う気持ちもわかるので、基本的に来るものは拒まずなのであった。
そんな稲荷神(偽)として微笑みを浮かべ、代わる代わる注がれるお神酒をいただく。
しかしあまりにも数が多くて個別対応は難しいため、定例通りのやり取りをするのが精一杯だ。
なので少々退屈で、私は適当に流しながら去年は色々あったなと、のんびりと過去を振り返る。
まず武田信玄さんの領地で行われていた奇病の調査だが、やはりあの巻き貝が中間宿主だった。
顕微鏡は貴重でウイルスや寄生虫を証明するのは困難だけど、何とか詳しく調査を行い、とにかく住民に危険区域に近寄らないようにと呼びかける。
そして幕府も特例として多額の補助金を出して、優先的に埋立及び治水工事が行われた。
さらに事業計画の一つとして実験的に進めていたブドウ栽培を、本格的に始動することに決定する。
ワインの生産は外国の宣教師などに教わって、既に事業は始まっている。
だが味や品質を高めつつ、まとまった生産量を確保するにはまだまだ時間がかかりそうだ。
もちろんそれ以外の果樹や野菜も育てて、沼や湿地、川から離れた場所に井戸を掘る。
寄生虫も外から持ち込まないように細心の注意を払って、貴重な水源を使うように徹底した。
これに関してだが、幕府が各大名の方針に横槍を入れるのはともかく、相談に乗ったり手厚い支援を行うことは、過去に例がなかったらしい。
今回の対応はとても驚かれ、感謝された。
しかし、無償というわけではない。
藩に名を変えた各大名の領土から、収入の一部を税金として徴収し、国家予算として預かっているのだ。
これまでは三河と尾張の国庫、または稲荷大明神へのお賽銭で自転車操業をしていた。
だが来年からは武田さんだけでなく、各領地への公共事業費は税金から出すつもりだ。
そして外国から取り寄せた作物や家畜の品種改良も、日本の生態系を崩さないように、慎重に進めている。
特に前世では山や川に動物や魚を放したことで酷い有様になっているので、違反者には厳しい罰を与えて、こっちの日本では原生生物を守っていきたい。
だがもはや、この時代の一般常識や宗教の倫理観など、どこ吹く風だ。
小氷河期と言えるほど平均気温が低い国内だが、異常気象でも起きない限りは、作物の実りや牛の乳の出や家畜の発育等は、とても良いようだった。
その件について、何度か徳川さんに尋ねられたことがあるが、自分で制御が可能なのは馬鹿力と狐火だけだ。
他はさっぱりのポンコツ具合だし、中身は元女子高生なのでどう考えても不可能だ。
けどもし関係あるとすれば、私も知らない能力を垂れ流していることになる。
そう考えたところで、この体に関しては説明書も何もないことを再確認する。
隠された謎パワーがない可能性は、かなり低そうだ。
それに、調べる方法が全く思い浮かばない。
ならば気にしてもしょうがないし、そういう可能性もゼロではない的に曖昧に答えて、毎日を変わらずお気楽に過ごすのだった。
何はともあれ、草食動物さながらの食生活は劇的に変化していく。
川や海の魚や貝、森や平地の野生動物以外にも、少しずつだが牧場の肉や、養鶏場の卵といった、タンパク質を食べられる人が増えてきた。
だがまだ庶民に行き渡るには時間がかかるので、品目と食料自給率は時間をかけて育てていくしかない。
話は変わって、日本と仲良くなった琉球王国のことだ。
私は明から脱却したことを現すために、たった今偶然に思いついたかのように、沖縄と名付けた。
少々時代を先取りしたような気がするが、今さらだし別にいいだろう。
南ではなく北の蝦夷には、親善大使が新造船に乗って既に旅立っている。
今の日本全体を見回すと、小競り合いこそあるが、年々減少傾向にあった。
それに江戸に幕府を開いてからは、大きな戦は一つも起きていない。
まさに順風満帆で、今年の国家予算の分配が終わったら各地に調査員を派遣して、ライフライン構築を急がせるつもりだ。
今の時代には電気とガスと鉄道はないが、ならば有りものである水と交通と情報を、徹底的に強化する。
もちろん電気とガスと鉄道も、大切なことに違いない。
実用化の道がどれだけ遠くても、水面下で研究開発を進めていく。
私の現代知識は全国に広まっているのだから、いつの日か成し遂げてくれることだろう。
やがて、去年の出来事を振り返り終わった。
各国の新年の挨拶も無事に終わったようなので、宴もたけなわとなる。
徳川さんから、締めの言葉を頼みますと目線で合図が送られた。
相変わらず台本をくれないことに慣れつつある私は、深呼吸をして気持ちを切り替える。
即興で、思いついたことを口に出していく。
「皆さんが協力してくれたおかげで、無事に新年を迎えることができました。
しかし日本全国の大改革は、まだ始まったばかりです」
去年は各地の大名が稲荷神の教えを広めて、きちんと成果をあげた。
これで私という存在は、ようやく全日本国民に認知されたと言える。
しかし現実には、まだ改革は終わっていない。
むしろ、ようやくスタートラインに立ったところだ。
「海の向こうには朝鮮や明がありますが、それ以外にも百を越える列強国がひしめき合い。
中にはこの日本を支配しようと、隙を窺っている国々もあります」
私の言葉を聞いた人たちが、大いにどよめく。
「まさか朝鮮が?」
「いや、明ならありえる」
「そんなにも多くの国々が? ならば攻められる前にこちらから」
などなど、本宮の謁見の間は、新年早々に一時騒然とした雰囲気に包まれる。
「私は征夷大将軍に就いていますが、他国に攻め込む気はありません」
外国に対する日本の矛が、長らく行われていた征夷大将軍の正式な役割である。
だが私は、こちらから攻める気はない。
「その理由は、日本は海に守られているだけの小国だからです。
全世界を相手にするのは、龍にネズミが噛みつくような、無謀極まりない行いです」
逃げ腰の征夷大将軍が、日本のトップに困惑している。
各国の大名や重臣は、ならばこれから自分たちはどう動くのが正解なのかを見極めるため、黙って私の言葉に耳を傾けていた。
今の発言だが、もし征夷大将軍になった徳川さんだったら、その場で馬鹿にされて倒幕待ったなしだっただろう。
しかし、一応は神様を自称している自分は違う。
去年一年かけて教えを広めて、ちゃんと効果が出ているのだ。
今の時代を生きる人々から見れば、それはまさに神の御業である。
私のことを本物の神様だと信じてくれているから、まずは話を聞いてみようと落ち着いて待てるのだ。
この機会を利用すべく、私は淀みなく続きを説明していく。
「下手に戦を仕掛けて、龍の怒りを買うのは得策ではありません。
それに国民に死地に行けと命令を出すつもりもないです」
いくら高度な技術や知識を持っていても、日本は小国だ。
そのことを、良く覚えておいて欲しい。
「なので鎖国政策を行い、まずは内政に力を入れて国力を高めます。
そして友好的に付き合える国を探し、仲間に引き入れるのです」
日本だけで勝てないのなら、小国が力を合わせて列強諸国の支配に抗う。
そうすれば、まだワンチャンある。
だが明の息がかかった東アジア諸国は、簡単には協力してくれないだろう。
逆に足元を見られるか、こちらを従属させようとする。
彼の国は良き先輩で付き合いも古いが、それ故に対等な関係は難しそうだ。
どうしても前世のイメージが強いので、隣の大陸と付き合うのは金と人材や時間をどれだけ使っても、骨折り損のくたびれ儲けになりそうだった。
なので候補からは外しているのだが、少なくとも私は矢面に立ちたくない。
とにかくお隣さんのことは一旦置いておき、集まった人たちに続きを話していく。
「北海ど…いえ、蝦夷への親善大使の派遣もその一つです。
未開拓の国に積極的に使節団を送り、国交を築いて味方を増やすのです」
かつて近海の島々に日本人の入植者を送り込んで、開拓村を築いていた。
今の日本は航海技術も正史よりも発展しているので、それを使って外に勢力を広げていくのも良いかも知れない。
だが植民地支配ではない。
船舶で未開の地を探して、原住民との間に友好関係を築くのだ。
そのような柔和政策を立案し、うろ覚えではあるが諸外国のガイドブック的な物を急遽作成し、数日以内に配布すると告知する。
こうして永禄十一年の祝賀会は、お開きとなったのだった。




