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オススメ短編・中編

妹と婚約者に家を追い出されたので辺境で【賢者の石】を錬成します。ついでに復讐もするかもしれませんが

作者: 砂礫零

 私が階段から突き落とされたのは 【賢者の石】 のレシピをついに完成させた直後のことだった。完成はしたものの問題点は残っており、どうしようかと頭を悩ませながら部屋から出たところだったのだ。

 背中を押す手のかたち。踏みとどまろうとしてバランスを崩す、私の身体。手だけではなくブレスレットの硬い感触があったことで、犯人は異母妹(いもうと)のエメラインと確定した。大きな真珠と小粒のダイヤを交互に繋げたブレスレットは私の母の形見だったが、エメラインに奪われて以来、いつも彼女の手首にある…… 犯行時にも外さないなんて。バカな子。

 とっさに頭部をかばって身体を丸め、私は我が伯爵家のエントランス・ホールへと転げていった。

 身体じゅうが痛い ―― 骨を折ったのかしら。幸い、意識はハッキリしているけれど。


「ああ! おねえさま! 大変!」


 異母妹(いもうと)が私の腕をつかむ。痛い。

 私の口から(うめ)き声が漏れた。


「おねえさま! しっかりなさって!」


 ―― エメライン、わざとらしいわよ? 誰も見ていないんだもの。普段のエメラインなら嘲笑(わら)うところでしょ? 間抜けね、って。

 そう考えたとき、不意に、腕に鋭い痛みが走った。打撲ではない。

 太い針を穿(うが)たれたような…… そして血管に液体が入ってくる感覚…… 注射?

 油断した。まさかここまで、してくるとは。

 ぼやけた視界のなか、エメラインのピンクの唇がにいっと歪む。嘲笑、というよりは、会心の笑みだ。


「どう? おねえさまには、もったいないほど高価な、毒の味は?」


 うってからすぐに効くのだから、神経毒のはずだ。

 まず身体がしびれ、次に全身から感覚が失せていく。まるで意識だけがこの場に存在しているかのようだ。その意識も、まもなく消えてしまうだろう。まぶたが重い。

 ―― 私は、死ぬの? なにも、できないままに?

 せっかく…… 今世こそあのひとを…… と、思っていたのに。

 使用人たちが階段の物音に気づいたらしい。複数の足音が近づいてくる。異母妹(いもうと)の口元から笑みが消えた。私の手を取り 「おねえさま!」 と繰り返し呼びかける大きな目は、はやくも潤みかけている。

 陽光さながらの黄金の髪と、やや下がり気味の眉。けぶるような春の空の瞳に、ふっくらとやわらかそうな頬と唇。

 この少女が私を階段から突き落としたうえに麻痺毒を盛ったとは誰も、考えないだろう。

 そんな予想を最後に、私の意識は闇に呑まれていった。


 

「おねえさま、ごめんなさい……」


 次に私が目覚めたとき。異母妹(いもうと)は私の婚約者に肩を抱かれ、泣きながら謝ってきた。

 この状況は…… 私の()婚約者と言ったほうが良いのかな。非常にわかりやすい。

 その後、父とエメラインの母親、私の()婚約者を交えての説明は、まるっきり私の推測どおりだった。

 要は私は、異母妹(いもうと)のエメラインに我がキャンベル伯爵家の後継ぎの座と婚約者とを奪われたのだ。もともとこの婚約者、王家の五男であり、いわばうちの家督とセットなのである。家督を継ぐ娘が第五王子を配偶者にする、という。

 私が嫡女から外された表向きの理由は、階段から落ちたことによる後遺症がいつ出るかわからないため、ということだそうで…… 実際、私は5日ほど意識不明の重体だったらしい。そしてその間に我が家は、第五王子と私との婚約解消とエメラインとの再婚約、両方の手続きを済ませたという。素早いことだ。

 まあ、()婚約者は王族の割には薄っぺらい人であるものの顔面と口先だけは、そこそこ優秀だから…… +(プラス)家督、となると、イチゴののったチョコレートケーキにでも見えたんだろう。エメラインにも、その母親にも。


「マリアローズ」 ()婚約者が私の名を呼んだ。片手でまぶたを抑え、深々とためいきをついている。まるで自分のほうが被害者だといわんばかりだ。


「残念だけれど…… ぼくのことは、諦めてくれ」


 どう返したものかと私は一瞬、迷った。

 そもそもが政略なのに 『諦めて』 って、なに。どうしてそんなに、私から好かれてる自信があるのかしら、あなた? ―― と、ツッコみたい。まじで。

 だいたい私は以前から、異母妹(いもうと)()婚約者が仲を深めていることに気づいてはいたのだ。だが、錬金術の研究に傾倒しすぎて 『ま、いっか』 とばかりに放置してしまっていた。

 そうか…… この事態は、私の落ち度と言えないこともないわね。なら、無駄口を叩いて余分な火種をまいてしまうのはやめておこう。

 いつもと同じように、おとなしく、無難に ―― 返事をしようとして、気づく。

 声が、出ない。麻痺毒の後遺症だろうか…… どんなに頑張っても、固まった喉に息がひっかかる音しかしない。

 私はしかたなく黙ってうなずいた。

 ()婚約者が安堵したように微笑む。私の喉の調子が明らかにおかしいのを気にかけるそぶりすら、なかった。


「きみだって、伯爵家を背負うよりは、好きな錬金術の研究に没頭できたほうがいいだろう? これは、きみにとっても、いい機会だと思うよ」


「そうよ。エメも、つらいけど…… おねえさまのためなのよ」


 彼に肩を抱かれたままエメラインは両手で顔を覆い、うつむく。きっと隠された口元はゆるみっぱなしだろう。

 

「だって、流行のドレスも、おねえさまよりエメのほうが似合ってしまうじゃない? おねえさまみたいな地味なひと、社交界でも軽んじられてしまうもの」


「そうだよ。ぼくが言うのもなんだけど、エメラインに任せたほうがキャンベル伯爵家のためでも、きみのためでもあるんじゃないかな、マリアローズ」


「お可哀想な、おねえさま…… けど、もう、しかたないのよ…… ほんとうに、ごめんなさい……」


「…………」


 私の声は、まだ出ない。かわりに軽く目を伏せると、エメラインは顔を覆う指の間からひっくひっくと声を漏らしつつ肩を震わせ、さっきより激しく泣き出した。と見せかけた大爆笑で間違いないが。

 いっそ喜劇であるかのような一幕の終わりは、父が重々しく告げた決定事項だった。


「マリアローズ・キャンベル。おまえには、グレイヴス公爵の後妻として嫁いでもらう。エメラインより、おまえのほうがあの方には向いているだろう。公爵とはいえ、社交にはまったく出てこない、変わり者だからな」


 こうして私は、ウン百年生きているという噂さえある年寄りの公爵のもとに嫁がされることとなった。事実上の厄介払いだ。

 しかし私に、なにができるというのだろう。

 目立った特技もなにもなく、平凡な容姿で、しかも錬金術などに夢中になっている変わり者の貴族令嬢に過ぎないのに。

 私がいなくなって困ることといえば家計管理くらいだろうが、父は異母妹(いもうと)とその母に任せれば良い、と考えているようだ。

 キャンベル伯爵家の今後が気にはなるものの ―― 私にできることは、もう何もない。

 数ヶ月後、怪我が癒えていよいよ嫁ぐという日。

 私は別れ際、異母妹(いもうと)に小さなガラス瓶2本を託した。なかには私が研究開発した貴重な薬が入っている。その程度のことしか、できなかった。


『エメライン。もし、つらくてたまらない時がきたら、この薬を使ってね。幸せな夢を見せてくれるわ』


 まだ声が出せないため書いて添えたメッセージを読み、エメラインはふん、と鼻を鳴らした。つまらない、と言わんばかりだ。


「まあ、おねえさま。エメはおねえさまと違って、いつも幸せになれるよう努力してるのよ? そんなもの、使うときが来ると思って?」


 でも、せっかくだから、もらってあげるわ。

 異母妹(いもうと)が薬瓶を自室にしまうのを見届け、私はグレイヴス公爵のおさめる辺境の地へと旅立った。



 グレイヴス公爵の城は森に囲まれた小高い丘にある。丘のふもとで馬車を降りた私は、城まで続く石の階段を、ほとんど駆けるようにして登った。

 緑の匂いのする濃密な空気、重なりあう枝の間からもれる優しい日差し。眼下には、かわいい屋根の家々に、新しい葉が茂りはじめたブドウ畑。豊かに実った穂が黄金の海のように広がる小麦畑、ゆったりと流れる鈍色(にびいろ)の河。

 景色のすべてが目に()みこんでくる。懐かしい。

 もっとも、()()()はこんなふうに自由に晴れた空の下を歩いたりはできなかったけれど ――

 門まで出迎えてくれた家令に案内され、私は城のなかへと足を踏み入れた。

 内装も、家具も、百年前と変わらない ―― なのに、ひんやりと静かな空気は墓所か霊廟を思わせた。居るだけでも自然と息が詰まる。私は知らない場所で迷子になったかのように、そろそろと廊下を渡っていった。

 だがふと気づけば、いつのまにか私は背の高い貴公子にエスコートされていた。彼は、ごくあたりまえに私の手をとっている。

 昔と同じだ ―― 私は小さく息を吐いた。

 彼の滑らかな(ひたい)にかかる、氷を紡いだような青みがかった白銀の髪。鳩の血色(ピジョン・ブラッド)の瞳の奥にある、誠実な光。その光が、しっぽをちぎれんばかりに振って主人を見上げる忠犬のように、私だけに向けられていること ―― 彼を中心に、色彩が急速に広がっていく。それがどんな場所であっても。そう、思えてしまうことも。

 すべて、最後に彼に会ったときのままだった。


「やっと、来てくれた」

 

 彼の冷たい指先がわずかに震えながらそっと私の(ほお)をなで、確かめるように肩に触れた ―― 幻じゃない。彼の整った顔から陰鬱(いんうつ)さが抜け落ち、くしゃっと崩れた。引き寄せられる。

 彼がそうするだろうとわかっていたから、抗うことなく私は抱きしめられていた。

 スマートな外見からは意外に思えるほど、鍛えられた厚い胸板。水のように温度のない身体に私のぬくもりが移るに従い、伝わる鼓動が次第に強くなっていく。

 

「マリアローズ、会いたかった」


 耳元で囁く低く心地よい声は、決して大きくはないのに私の全身を満たすようだった。この声を、私はずっと聴きたかったのだ。

 返事をしようとしたが、私の口から漏れたのは、すきま風のような息の音だけだった。異母妹(いもうと)から盛られた毒のせいで喉がまだ、潰れたままだったのだ。

 不思議そうに私を見て事態を察したらしい彼の目が、怒りに染まる。彼は片手を私の喉にあて、魔力を流し込んだ。

 私の声を縛っていた(かせ)が、壊れる ―― 


「私も会いたかったわ、ダーシー」


 久方ぶりに自由になった喉から出てきた台詞(せりふ)は、かすれていて他人行儀に響いた。だから私は彼をしっかりと抱きしめ返した。心を伝えるために。

 彼の匂いは、記憶のなかで何度も反芻したのと同じ、初霜の降りた朝のそれだった。


「伯爵家に縁談を打診はしたが、正直、断られるだろうと思っていた。なにしろ私はウン百歳のジジイだからな」


「しかも私の婚約は決まっていたしね?」


「そう。で、どうやって貴女をさらおうかと、そればかり考えていたんだ。なのに、まさか承諾されるとは。それも、ずいぶんと悪辣なマネをされたようだな?」


「あら、だいたいは想定内よ。私を舐めないでくださる?」 私は少し強がりを言った。


「さすがに毒まで盛られるとは思っていなかったけれど、いずれは追い出されるつもりだったんですもの。計画どおりだわ」


「さすがだ、マリアローズ」

 

 私の首筋に彼の息がかかる。

 私は少しだけ身をよじり、彼の背中にぺちりと聖符を貼りつけた。このために教会で(きよ)められた聖なる護符を用意し、あらかじめ、袖の内側に隠しておいたのだ。効果は抜群。

 ()()()()()()()私の首筋に延びかけていた彼の犬歯は、あっというまに元の人間サイズに戻って口のなかに収まった。


「マリアローズ……」


 吸血鬼としての力を聖符に吸い取られ、膝から崩れ落ちる彼 ―― ダーシー・ルーク・グレイヴス公爵は、いちばん大切にしていた宝物を取り上げられた小さな子どものような表情で、私に手を差し伸べた。


「俺と共に永遠の夜を生きるため、再び来てくれたのでは、ないのか……?」


 問いかけるというよりは、懇願するように。

 ―― その願いの切実さを、私は知っている。

 よく知られているとおり、吸血鬼は日の光の下には決して出られない。灰になって消えてしまうからだ。そうでない限りは魔族として、永遠の生命と若さが保証されているのだが。

 しかしそれもまた、一般に羨まれるほど良いことではない。

 永遠の夜は、永遠の孤独 ―― かつては裕福な商人の娘で、忙しい両親の元で放置されて育った私は、その悲しみに共鳴してしまった。そして愛の言葉にほだされ、ウッカリと彼に血を吸わせてその支配下に降り、不死者(ヴァンパイア)の仲間入りをしてしまったのだった。

 その前から約束していたため、以降、ダーシーも私も、人間の血を吸ったりはしなかった。そもそも吸血鬼にとって血は最高のご馳走だが、必須ではない。吸血鬼は本来、大気中の魔素(マナ)だけで生きていけるものなのだ。

 それに魔族は(つが)いには絶対服従するものだそうで、ダーシーも私の言うことはなんでも聞いてくれたし、ちやほやと甘やかしてくれたし、贅沢な暮らしもさせてくれたし、浮気なんてもちろん1回もしなかった。

 このままふたりきりで永遠に暮らせたならば、どれほど良かったことかと、いまでも思う。

 結論としては ―― 非常に残念ながら私は、愛と富だけでは生きられなかった。

 美味しいものを食べたり、気の合う友だちとお茶したり、商店街をぶらぶら歩いて好きなものを見つけたり。

 朝、にぎやかな鳥のさえずりに耳を澄ませて、夕がた、窓から差し込む西日にほんのちょっと見とれて、明日は晴れかな、なんてつぶやいてみる。 

 そんな人間らしい生活が、私にとっては大切なものだったとあとになって気づいたのだ。

 ―― 高価なドレスと宝石とを部屋をいくつも埋め尽くすほど与えられ、欲しいものはすぐに手に入れてもらえ、溺れるように愛される。たしかに至福には違いない。だがそれは、悪夢のなかの幸せだ。

 吸血鬼として生きるのは、実体のない幽霊であり続けるのとそう変わらなかった。目には見えない透明な檻に、永遠に閉じ込められているのと、同じだった。

 ―― 愛しい人から一途に愛されて幸せなはずなのに、それがわからなくなってきたころ。

 私は、吸血鬼としての暮らしを捨てて人間に転生する決意をした。

 そして研究に研究を重ね、ついに実行した ―― その結果が、キャンベル伯爵家の長女としての私だったのだ。

 だからエメラインとその母が伯爵家にやってきたときには、いずれ彼女らに家督を譲ろう、とすぐに決めた。家督に未練はないし、継ぐのも申し訳ない。なにしろ私は鬼ッ子みたいなものなのだから。

 やがてグレイヴス公爵家からキャンベル伯爵家に後添えの打診があったと知ったときには、当然、ダーシーが私を見つけてくれたのだと思った。

 想いを裏切ってひとり転生してしまった私を、ダーシーはまだ愛してくれていたのだ ――

 そう考えたとたんに、心臓が高鳴った。ただひたすら、もう一度、会いたくてたまらなくなった。だから私は、婚約者と異母妹(いもうと)のエメラインが仲を深めていっているのもそっちのけで…… いや、むしろ好都合とばかりに錬金術の研究に励んだ。

 次こそは、愛する人を永遠の檻に閉じ込めたままではいさせない。ダーシーも、引っ張りこむのだ。生者の、人間の、世界へ。

 その一念だった。

 そうして、エメラインが私を階段から突き落とし毒を盛ったこと以外は大体、計画どおりに進み…… いまに至る。


 ―― 私の目の前では、愛しい恋人が膝を床についている。背中の聖符に吸血鬼の魔力を吸い取られ、身を起こしているだけでもやっとなのだろう。いまにも倒れそうだ。


「頼む、この忌々しい聖符をとってくれ、マリアローズ…… 俺に血を吸わせ、俺のものになると…… 今度こそ、永遠に一緒だと、言ってくれ」


「いいえ。今世は、絶対に吸わせないわよ、ダーシー」


 すがりつくような深い赤の瞳に、私は、なるべく明るくほほえみかけた。


「なぜ!」 悲痛な叫びがダーシーの喉から漏れる。私は思わず、胸を押さえていた。

 ―― 貴女さえそばにいてくれればそれでいい、ほかはなにもいらない。いかないでくれ。

 転生前に何度も繰り返された言葉が本心から出たものであると知りながら裏切り、彼を傷つけたことが、いまさらながら深く、鋭く突き刺さってくる…… それでも。

 私の望みは、彼のものになることじゃない。

 私は、今度こそ失いたくないのだ。

 人間らしい暮らしも、ほんのちょっとしたことに痛んでしまう心も、彼を愛しいと思う気持ちも。


「私は、晴れた空の下を、ダーシーと腕を組んで散歩したいの。ウィンドウショッピングして、クリームたっぷりのケーキを食べて香り高いお茶を飲んで、美味しいね、ってうなずきあうの。木漏れ日の踊る美しい森で一緒にピクニックして、金剛石(ダイヤモンド)みたいな(さざなみ)がいっぱいに広がる湖で、ボートに乗るのよ」


 そのためだけに、ずっと錬金術を研究してきた ――


「それは……」 ダーシーが両腕で頭をかかえて、うめく。


「貴女の望みなら、なんでも叶えて差し上げたい…… だが、それは…… それだけは……」


「できるわ」


 私は自分の頭を中指で軽く叩いてみせた。唇の両端が、抑えようとしても上に引っ張られてしまう。すごいドヤ顔の自覚はあるけど、今だけは許してほしい。だって我ながら、偉業なんだもの。


「いま、私の頭のなかには 【賢者の石】 の完璧なレシピが入ってるの」


「…… まさか」


「その、まさかよ。頑張ったのよ、私」


 私は火傷のあとの残る手を広げてダーシーに見せた。 【賢者の石】 のレシピを完成させるために試行錯誤しているうち、いつのまにかついた傷は私の誇りだ。

 【賢者の石】 は黄金を作る触媒だとか不老不死の霊薬の原料だとか、いろいろと言われているが、要約すれば 『物を本質から変える』 作用があるもの。

 すなわち 【賢者の石】 を使えば、吸血鬼は人間に…… まではなれないかもしれないが。日光への耐性…… も付くかはわからないが。

 すべては無理でも、少なくとも血以外の食べ物も美味しいと感じられるようにはなるだろう。それが、人間らしい生活への第一歩だ。


「だから、まずは一緒に 【賢者の石】 を錬成して体質改善を目指しましょう」


 私は、ダーシーの細いガラス糸のような髪に両手を伸ばす。かき乱しながら、冷たい(ひたい)に額をあて、目と目をあわす。

 ダーシーはついに、うなずいた。やったわ!

 自然にほころぶ私の唇に、ダーシーの唇が近づくのを、私は目を閉じて受け入れた。

 雪のような感触が唇をかすめ、離れる。鳩の血色(ピジョン・ブラッド)の目がやわらかく和んだ。


「あたたかいな」


「あなたも、すぐにそうなるわよ」 今度は私からキスをする。

 ダーシーが私の夢を叶える決意をしてくれたことが、そんな彼を愛しいと思えることが、嬉しくてたまらない。

 嬉しいと思えることが、また嬉しい。


「荷解きが終わったら、さっそく材料集めから始めるわ」


「それもいいが……」 私の腕を、ダーシーの形の良い指先がとらえた。

 こちらを見上げる瞳に、さっきの微笑みとは打って変わった凶悪な光がちらつく。


「貴女を追放した愚か者たちに、ちょっとした意趣返しはどうだ? たいしたことじゃない。俺たちの仲睦まじい様子を、やつらに見せつけるだけだ」


「そんな、可哀想(かわいそう)よ…… と、言いたいけれど、ほんとうに、たいしたことじゃないわね」


 もっと可哀想なことは、すでに仕込み済みだもの。

 ()()がメインだとすれば、こっちは食前酒というところかしらね。追放同然で枯れたジジイ公爵のもとにやったはずの娘が、領地を持たない文官貴族の伯爵家では触れたこともないような最高級の装いで目の前に現れる ―― その程度のことは。

 私のわずかな表情を読み取ったのだろう。ダーシーは楽しそうに、私の肩を抱き寄せた。


「じゃ、決まりだね」 「たいしたことじゃないものね」

 

 私たちは、いまきっと、ふたりとも悪い表情(かお)をしている。



 それからしばらくは 【賢者の石】 の材料集めと社交界への参加で忙しく過ぎていった。

 私との結婚を発表するまでダーシーは 『ウン百歳の引きこもり公爵』 という噂だったが、その実は数十年ごとに適宜、代替わりの手続きをしている。

 そのため異母妹(いもうと)のエメラインと私の元婚約者である第五王子との結婚式に夫婦で行ったのを皮切りに、ダーシーと私は 『美貌の青年公爵とその妻』 として多くの夜会やお茶会に呼ばれるようになったのだ。

 私たちふたりは常に新しい、上質でセンスの良い衣装と宝石を身につけて人々の前に現れ、話題をさらった。

 もちろん真の目的は、ファッションリーダーになることなどではなく、異母妹(いもうと)のエメラインの悔しそうな視線 ―― そして夜会で見かけるたび、エメラインのドレスと宝石は派手になっていった。目論見(もくろみ)どおりだ。

 私たちのほうは、多少の贅沢など問題にもならない。辺境とはいえダーシーの魔力で守られた領地は豊かで、数百年ぶんの蓄えはいくら使っても尽きることがないからだ。さらにその蓄えの一部を私の提案で投資に回すことにした結果、資産は逆に増え続けている。おかげで領民の暮らしはより豊かになったし、病院や孤児院、学校などの公共施設もいっそう、拡充できた。

 けれど実家のキャンベル伯爵家の場合。稼ぎの柱は、引退して商売を始めた父の収入といくばくかの資産運用益、それにいまは文官になっている元婚約者(エメラインの夫)の報酬しかないのよね ―― さて、エメラインのドレスと宝石代、いつまで支払えるものかしら?


 ―― 3年半ののち。その日がやってきた。

 私とダーシーは 【賢者の石】 の材料の1つを首尾よく集め終え、ヴィンテージワインで祝杯をあげているところだった。

 心地よい酔いが回ってきたころ、家令がエメラインと元婚約者(その夫)の来訪を告げたのだ。


「質素ないでたちで、かなりお疲れのようですが、キャンベル伯爵ご夫妻で間違いございません」


 家令の言葉がそうとう気を遣ったものであったことは、本人たちを目の前にすると明らかだった。

 あちこちほつれた服と汚れた手足。生気のまったくない、ぼろぼろの顔 ―― 少し前にキャンベル伯爵家が競売に出されたという噂が出回っていたが、確認するまでもなく事実だろう。 

 おそらくエメラインと私の元婚約者は、新たな伯爵家の持ち主に身ひとつで追い出されてしまったのだ。

 私への対抗心で夜会のたびに新調した豪華なドレスと宝石、身の程をわきまえない贅沢。そのツケがまわった結果のようね。まさか、辻馬車にも乗れず歩いてここに来るほど困窮するとは思わなかったけれど。


「1年ほど前だったかな」 と、ダーシーが私の耳元で囁いた。


「貴女の元婚約者殿に、裏賭場を教えたことがあったよ。上流クラブのカード遊びに飽きたらないようだったからね。ビギナーズ・ラックで大儲けしたそうだよ。その後、幸運に恵まれたかは、知らないが」


 やだ。笑いをこらえるのが大変じゃない。

 よくやったわ、と囁き返すと、ダーシーの瞳が特上のご褒美でももらったかのように輝く。かわいいわ。

 睦まじく耳打ちしあう私たちに異母妹(いもうと)は憎しみと嫉妬にあふれた眼差しを向けたが、一瞬後には足元に身を投げ出してきた。


「おねえさま、助けて。エメにはもう、帰るところがないの……!」


「いったい、どうしたっていうの、エメライン? 火事にでも遭ったのかしら?」


「このひとのせいよ!」


 エメラインは、手練手管を駆使して私から奪い取ったはずの夫を、殺さんばかりの勢いでにらみつけた。


「このひとったら、ギャンブルなんかに夢中になって、返しきれないほど借金を作っちゃったのよ! こんなに無能だったんて! だまされたわ!」


「無能というなら義父上(ちちうえ)だろう! 引退したら田舎にでも引きこもればいいものを! 慣れない事業なんかに、手を出すから……」


 それから数分間、私の()婚約者は顔を真っ赤にしながら支離滅裂にわめき散らした。その内容から察するに、どうやら父は引退後の商売に失敗して不渡りを出し、外国に逃げたらしい。


義母上(ははうえ)は義母上で、残った金を全部、持ち逃げ。ありえないね!」


 なんとまあ。想像以上だ。

 まあ残った金といっても多寡(たか)が知れているだろうし、ずっと伯爵家に寄生してきたエメラインの母親に、その金を活かす才覚があるとも思えない。やがては路頭に迷って野垂(のた)れ死に、かな。

 元婚約者の第五王子は、ますます語調を荒くしてエメラインを(ののし)っている。


「なのにエメライン、おまえは次々、新しいドレスや宝石を欲しがる! ツケがたまって、もうどこも金を貸してくれなくなったじゃないか! おかげでぼくは、お母様やお兄様からも縁を切られたんだ! おまえのせいだ!」


「そんな、ひどい…… エメのこと、愛してるって言ったくせに!」


「おまえがこんな贅沢好きのバカ女だと知っていたら、愛さなかったよ! まったく! マリアローズと結婚しておけば良かった!」


 あらあら。あなたには最初から、そんな選択肢はなかったのよ、()婚約者様。

 失血死させていいか? とダーシーがつぶやく。

 だめよ。まだまだ、これからだもの ――

 私は立ち上がり、醜く言い争いを続けるふたりを止めた。

 簡単な話し合いの結果。ふたりには公爵家のゲストルームを与え、衣食住の面倒をみることになった。その程度のことはグレイヴス公爵家の財力からすれば、なんでもないことだ。

 あからさまにほっとした表情になった異母妹(いもうと)に、私はふと思い出したように尋ねる。


「そういえば、エメライン。以前、あなたに渡した薬は、役に立ったかしら?」


「ふんっ、あんなもの」


 エメラインは吐き捨てた。


「なにが 『つらくてたまらないときに使って』 よ! なんの役にも立たなかったわよ!」


「あら…… 幸せな夢、見れなかった?」


「夢なんて、銅貨1枚にすら、ならないわよ。目が覚めたあと、エメ、よけい惨めな気持ちになっちゃったのよ? 最悪じゃない?」


 メイドに案内されて先を歩いていた元婚約者も、立ち止まって振り返る。


「まったくだ。普通に回復薬にでもしておけば、まだ良かったのに。マリアローズは、気が効かないな」


「そうね。ごめんなさいね、ふたりとも」


 貴族の(たしな)みまで忘れてしまったのか、足音高くゲストルームに向かう異母妹(いもうと)たちを、私はその背が曲がり角の向こうに消えるまで見送った。

 ―― 仕込みは上々、ね。


※※※※


「おねえさまは、ずるいわ」


 透明度の高い硝子(ガラス)窓から外の景色をぼんやりと眺め、エメラインはひとりごちた。

 いきなり知らない男たちに踏み込まれ、よくわからない証明書を盾に身ひとつで邸宅から追い出されて、すでに4ヶ月 ――

 頼っていった姉は嫌な顔ひとつせず、エメラインと夫を公爵家に置いてくれた。特に仕事をさせられるようなこともなく、専属のメイドまでつけてもらい、3食昼寝つきの生活である。

 だがエメラインは不満だった。


「宝石商を呼ぶのは、おねえさまのため。新しいドレスを仕立てて夜会に出るのも、おねえさま。旅行に連れていってもらうのも、おねえさまだけ。ひどいわ。おねえさまばかり」


 しかも姉の夫は、フタを開けてみれば、神秘的なまでに美しい青年。ウン百歳の老人だという噂は、なんだったのか。

 知っていれば、あたしが嫁ぐんだったのに ――

 エメラインはためいきをつき、背後を振り返った。ベッドの上をにらみつける。

 そこには怠惰な生活に慣れて見る影もなく太った夫がだらしなく横たわっていた。高く低く、いびきの音が絶え間なくエメラインの耳を殴りつける。うんざりだ。


「このあたしがなぜ、こんな男と、こんな生活に甘んじなければならないのよ」


 あたしは、おねえさまより可愛いかったし、可愛がられてもいたし、そうなるよう努力だってしていた。だからおねえさまの婚約者だって、おねえさまより、あたしを選んだのよ ――

 もっとも今となっては、あれが大失敗のもとだったけれど。こんな男にだまされて結婚しちゃうだなんて本当にあたし可哀想、とエメラインは目に涙をにじませた。


「あたしが、公爵と結婚していたら…… いま、おねえさまよりももっと愛されて、キラキラしてるに違いないのに」


 ぽつりと漏れた己の本音に、エメラインは目を大きく見開いた。これだ。


「そうよ。また、おねえさまから奪ってしまえばいいんだわ」


 そうすれば公爵は、第五王子だった頃の夫より、もっとよく効く毒を融通してくれるかもしれない ――

 決めてしまえば、久々に心が踊った。

 その日の晩餐に、エメラインは少し前に姉にねだって仕立ててもらった胸の開いたドレスと姉の宝石を身につけて姿を現した。得意満面である。

 ―― ほらね。夫も公爵も、おねえさまより、あたしのほうを見ているわ。あたしのほうが似合うし可愛いんだもの、しかたないわよね。

 異母妹(いもうと)の計略など知る由もない姉も、おっとりと微笑みエメラインをほめそやす。

 バカね、とエメラインは内心で姉を見下した。

 すぐに全部、あたしに渡すことになるとも知らないで ――

 あとは、夫を攻略したときにも使った手口だ。普段よりわざと多めにワインを飲み、酔ったふりをして公爵にぶつかる。酒で色っぽくとろけた眼差しとほんのり上気した頬を公爵に向けて謝り、ふたたびよろけてみせ首尾よく男の腕にダイブ。さりげなさを装って胸を押しつけ、素早く 「満月の夜、四阿(ガゼボ)でお待ちしてますわ」 と囁いて一丁上がり、である。

 この方法で引っ掛からない男は、エメラインの経験上は、まず居なかった。

 エメラインはその夜、足取りも軽やかに中庭に向かった。これで公爵も、あたしのものよ ――

 スイカズラの心をくすぐるような香りが、甘やかに夜を彩る。木々に半ば隠れるようにして建つ四阿(ガゼボ)円形屋根(ドーム)の下には、すでに人影があった。

 ほらね。

 エメラインは内心ほくそえみ、小走りになる。


「あなた、来てくださったのね…… エメ、嬉しい」


 白く可憐な花でおおわれたアーチの下をくぐりぬけ、待ち人の腕にとびこみ ――

 エメラインは、はっとして相手の顔を確認した。

 公爵じゃない。


「エメライン!? どうして、ここに!?」


「あなたこそ、なぜここにいるのよ!?」


「おまえ、公爵に誘われたんだろう! このアバズレが!」


「そんなわけ、ないじゃないの! あなたこそ、なによ! おねえさまに呼び出されたの!?」


「なっ……」


 返答に詰まった夫の表情を、月の光が醜く照らし出す…… とたんに。

 ぼんっ

 むくんだように膨れたその顔が、煙に覆われた。


「え!?」


 なに? なんなの、これは!?

 混乱のなかにも言いしれない恐怖を感じ、エメラインは後退(あとずさ)った。四阿(ガゼボ)から地面に降りる小さな階段に足がかかり、バランスを崩して、こける。


「いた……」


 足をくじいたかもしれない。

 いつもの習慣で助け起こしてもらえるものと期待して夫に潤んだ目を向け…… エメラインは、足首の痛みを忘れた。


 ―― いったい、なにがおこったの……!?


 エメラインは尻もちをついたまま、目の前の恐怖から逃れようとした。

 だがその手足は、虚しく地面をこするだけ。

 悲鳴をあげようと開けた口から漏れるのは、ぎこちなく息を吸い込む、ひゅうっ、という音だけ。

 のどがうまく、うごかない。こえが、でない。


「あ、あ、……」


 皓皓(こうこう)とした月明かりのなか。

 夫の首から上は、無数の白く柔らかそうな枝に変わっていた。いかにも王子然とした蜜色の髪のあったあたりで、その枝は腕を広げ繊細なレースのように絡みあっている……

 よく見れば、金カフスの袖口からのぞく手も……

 ぐにゃり、とその脚がくずれた。

 まだ尻もちをついたまま立ち上がれないでいるエメラインに、夫だったモノが倒れかかる。


「い…… い、あ…… い、や…… っ……」


 もがくエメラインの目から涙が流れ落ちる。責任を逃れ周囲を味方につけるための演技ではない涙を流すのは、エメラインの記憶上、初めてのことだった。泣いてもどうにもなりはしないと、思い知るのも。

 舞い上がる白い胞子が、月に照らされ、悪夢のように(きら)めいた。


「あら、まだ()()しか、できていなかったのね」


 姉の声が少しかすれるようになったのは、かつてエメラインが盛った麻痺毒の後遺症だ ――

 狭まった視界に、美しい光沢を持つ革の爪先(つまさき)と、銀糸で繊細な刺繍を施されたドレスの(すそ)が映る。

 その裾が少し動いた。姉が身をかがめたのだ。錬金術の火傷のあとが残る指先がエメラインの(ほお)に軽く添えられる。まるで、手塩にかけた植木の様子を調べる庭師のように。

 最後に、憎たらしい姉の口元が見えた。以前よりずっと(つや)を増した、瑞々(みずみず)しい果実のような唇が動く。


「エメライン、あなたには感謝しているのよ。本当は、どこかから死刑になる罪人を調達しなければならないかしら、と悩んでいたのだもの」


 なによ。なんの話なの。


「けれど、エメライン。あなた、私の背中を押してくれたでしょう? そのうえ、毒まで注射して。おかげで、決意できたのよ」


 見つかることなく上手に悪をなす人こそ、この世から消さなければね ―― 姉の口調は優しく、いっそ物悲しげですらあった。

 エメラインは身震いした。

 さっきよりも、もっと、こわい。

 直感的にわかってしまう。否定しようとしても、そうとしか思えない。

 いま己の上に崩れ落ちている、夫だったモノ…… あたしも、()()に、なってしまう。


「い…… い…… や…… ご…… ご、め…… た、す……」


「ごめんなさいね、エメライン。もう、遅いのよ」


 姉が()()()を動かし、エメラインの目の前に差し出してみせた。

 薔薇(ばら)色のフリルの中から、白いフリルが無数に重なってはみ出している ―― 白いフリル? 違う……

 これは、ドレスの袖から出ている、()()()()()()()() ――


 エメラインは今度こそ、鋭く悲鳴をあげた。そのつもりだった。

 けれど、声どころか、息すらも、もう出てこなかった。

 ―― まさか、もう、喉まで()()に変わっている……!?

 いや、いやよ、こわいこわいこわいこわい、にげなきゃ、でもどこに、どうやって、いや、こわい……

 出口のない焦りと不安と恐怖。そんなものが、エメラインの頭のなかをぐるぐると駆け巡る。

 しかしエメラインは身動きひとつできなかった。

 全身の感覚が、消えているのだ。

  ―― あたしは、どこにいるの? いったい、なにが、おこっているの


「こわいのね、苦しいのね、エメライン。可哀想ね。あなただって、そんなふうに生まれたかったわけでは、ないでしょうに……」


 でも、もうすぐで、終わるわ ――

 姉の唇は、どんどんとかすんで、見えなくなっていった。


※※※※


 エメラインの頭部から胞子が吹き出た、瞬間。

 私の後ろに控えていたダーシーが、素早く前に出た。胞子を吸ってしまわないようにすかさず私の鼻と口を覆いながら抱きかかえ、空中に飛ぶ。

 風がマントをはためかせた。大きな鳥に、(まも)られているみたいだ。


「ダーシー。これで 【賢者の石】 ができるわ」


「そうか……」


 吸血鬼の赤い瞳がエメラインと元婚約者(その夫)、ふたりの死を悼むように閉ざされる。

 その腕のなかで私は、異母妹(いもうと)の頭部が白いキノコに変わるのを見守った。

 ―― 銀月(レクイエム・)夜葬花(アルジェンタ厶)

 生きた人間の体内で、悪意と欲望とを(かて)に半年〜1年の期間をかけてゆるやかに育ったあと、満月の光を浴びて一息に菌糸を伸ばし、繊細で美しい、花のような傘を開かせる。その傘、2つぶんこそが 【賢者の石】 の最後の材料。

 かつて私が 【賢者の石】 のレシピを完成させたときには、人の生命を奪うのがどうしてもできなくて、なんとか代替品を見つけられないものかと、そればかり考えてしまっていた。

 そのせいで、うっかり階段で異母妹(いもうと)から突き落とされるような失態を犯してしまったのだが ―― おかげで、罪悪感なく彼女らを使うことができた。邪悪に育ってしまった者は、変えようがないものね。このまま放置して世間に迷惑をかけるよりは私のために活用したほうが良い、と思えたのだ。

 もっとも、チャンスは与えたつもりだ。私が嫁ぐ日に渡した薬。キノコの胞子は、あれに混ぜていたのだから。

 つまり、どれほど困窮して追い詰められても 『幸せな夢』 などという甘言に惑わされず、薬を飲まなければ良かっただけの話。

 私だったら、自分が殺そうとした人間からもらったものなど、恐ろしくて飲めないけれども ―― たぶん異母妹(いもうと)は、自身の欲望も悪意も、その結果なそうとしたことですら 『悪』 とは自覚していなかった。だからこそ考えもしなかったのだ。自身が人から悪意を向けられることがある、とは。


「ありがとう、エメライン。あなたたちの生命、大切に使わせてもらうわね」


 私は一生、異母妹(いもうと)と元婚約者に感謝し続けるだろう。


※※※※


 マリアローズが 【賢者の石】 を完成させてから、60年。月日は静かに過ぎていった。

 【賢者の石】 の効果は劇的だった。

 吸血鬼だった青年は、血を忘れ、火を通した料理や香り高く新鮮な果実や、甘い菓子の美味さを知った。

 日の光にあふれた空の心地よさ、その下にきらめく民家の屋根と、森や湖や農園の美しさを知った。

 木漏れ日のなかを愛しい人と腕を組んでそぞろ歩く幸せを知り、雪の日に彼女の手を両手で包み暖めてあげられる喜びを知った。

 だが、共に老いる穏やかさだけは、知ることができなかった。 【賢者の石】 の力をもってしても、魔族は人間にはなれなかったのだ。


「逝かないでくれ、マリアローズ」


 最後の日に、やせ細り火傷のあとの残る彼女の手を握りながら彼が口にできたのは、月並みな制止の言葉でしかなく ―― それにマリアローズはかすれた声で 「寂しいわね、お互い」 と応じた。


「けれどきっと生まれ変わるから、また、見つけてちょうだい」


 酷いことをしたから、ろくな境遇ではないでしょうけど。

 信頼と愛情と、いくばくかのユーモアをその眼差しに宿して告げ、マリアローズは眠りについた。


 そして、さらに月日が流れた ――

 遠い海の彼方の島に、ひとりの旅人が、どこからともなく現れた。凍てつく冬の星のごとく青みがかった白銀の髪と鳩の血色(ピジョン・ブラッド)の瞳。どこか人間離れした雰囲気のある青年は、かつて知った場所であるかのように、村のはずれへと向かう。

 閑散とした村だった。

 流行り病で、ほとんどすべての者が死に絶えたのだ。廃村といってもいいかもしれない。

 だが、村はずれの一軒の家からは、弱々しくもいまだ鼓動している生命の気配が感じられる。

 いつも探し求めていた、彼女の魂の持つぬくもりと色と、音、そして光。


「やっと見つけた……」 


 青年はその手に、赤く、青く、黄金に、白く ―― すべての色を秘めつつ、そのどれでもない色に輝きながら脈打っている不可思議な石を握りしめ、彼女の待つ家へと駆け込んだ。


(終)

読んでいただきありがとうございます!

普段は長編を書いています。残酷ザマァが好きなかたはぜひ、下のリンクボタンからどうぞ!

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― 新着の感想 ―
拝読させていただきました。 読み応えのあるダークファンタジーでした。 短編版大河の感もある中身の濃さでしたね。
やはりこういうお話を書かせたら、砂礫さんの右に出る者はいない( ˘ω˘ )
エメラインと第五王子は他の作品でも出てきそうな割とステレオタイプなしょーもねー連中でしたが、結末が他と一線を画しますね! でもってマリアローズが我が道を行くタイプ(良心や善悪の分別あり)なのに対してダ…
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