第70話:誘い
アイフェス本番直前、オレたちの控え室テントに、意外な人物が入ってくる。
「こんにちは市井ライタ君。少し時間いいかい?」
「み、帝原……さん⁉」
やってきたのは長身のスーツの男性、帝原キョウスケだった。
「「「…………」」」
まさかの権力者の登場に、同室にいる相田シンスケたち三人は言葉を失ってしまう。
何しろこの人はアイフェスの裏の最高権力。三人とも直立不動のまま帝原キョウスケを直視している。
「じ、時間ですか? 少しなら大丈夫かと思います」
相手は権力者であり無下には扱えない。
名指しされたオレは一人で対応することにした。
(でも、どうして、この人が、このタイミングで?)
アイフェス主催者である帝原社長は、本番直前は最高潮に忙しいはず。
それなのに、どうしてここに来たのだろう?
もしかしたら何か危険なことでも企んでいるのだろうか?
「そんなに怯えなくてもいいですよ、市井ライタ君。今日は貴方にお詫びをしようと思ってきました」
オレは表情に出やすいタイプ。また考えていること読まれてしまう。
「えっ……“お詫び”ですか?」
それにしても“お詫び”とはどういう意味だろう?
相手のペースに持ち込まれるのは危険だが、今は話を聞くしかない。
「ええ、そうです。『査定を反故にした件』についてのお詫びです」
(査定……オレの査定の件かのことか)
たしかにアイフェスの初期の時期、ダンスレッスン場に突然やってきた帝原キョウスケは、オレに向かって言ってきた。
……『“キミの本当の価値”を、ちゃんと見定めて……いえ、丸裸に査定してあげますよ、市井ライタ君』と。
かなりビジネルライクで上からな言葉だったので、今でもよく覚えている。
だが。『査定を反故にした件』とはどういうことだろう?
「この三週間、貴方の査定をしてきました。ですが残念ながら、正確に査定をすることはできませんでした。ですからその約束を破ったお詫びにきたのです」
「えっ……⁉」
思わず驚きを口に出してしまう。
何故なら帝原社長はかなりの切れ者で、ビジネルライクに人の評価を下す達人。
たった一代でエンペラー・エンターテインメントを日本有数の芸能事務所にのし上げた実績が、それを証明している。
そんな切れ者が、オレみたいな一般庶民を査定できなかった。
いったいどういうことだろう?
「私もこんなことは初めてです。貴方は今まで有能そうな結果を出していますが、能力はそれほど突出したモノはありません。今回も特に目立った評価項目もなし。そのため査定を下すことができなかったのです」
(目立った評価項目がなし……ああ、そういうことか)
説明を受けて思い当たることがある。
このアイフェスのトレーニング期間、オレは常に“サポートモード”で力を抑えて行動してきた。
レッスン中も“陰キャステルスモード”を発動していたので、他人からは実力が測りかねる状態になっていたのだろう。
結果として、切れ者である帝原キョウスケの査定の目を、オレが曇らせていたのだ。
「という訳で、約束の査定できなったことを、今日はお詫びにきたのです」
帝原キョウスケは相変わらず奇人すぎる人物。
何を言っているのか理解できないが、変に義理堅いところもあるのだろう。
一方的な約束を破っただけで、オレみたいな一般庶民に詫びに来てくれたのだ。
まぁ、といっても、この人が苦手なことは変わらないけど。
「お詫び、ですか。ちなみに、どういう感じですか?」
おそるおそる訊ねてみる。
できれば“箱菓子をくれるレベル”で済ませて、あとは静かに立ち去って欲しいのがものだ。
「お詫びは品ではありません。市井ライタ君、当社に移籍しませんか?」
だが帝原キョウスケは巨大な爆弾を落としてきた。箱菓子なんてレベルではない。
「へ? 移籍?」
“移籍”という想定もしていなかった言葉に、オレは変な声を出してしまう。
いったい何を言いだすんだ、この社長は⁉
「ええ、そうです。当グループの中核である《エンペラー・エンターテインメント》への移籍する権利を、お詫びとして提案……もっと簡単に説明するなら、今日は貴方をスカウトしに来ました」
「ス、スカウト……オレをですか⁉」
まさかの出てきた言葉に、オレは声を上げてしまう。
何故なら日本の芸能界は古い体質で、事務所間でのスカウトはご法度。事務所移籍や独立でゴタゴタした芸能人も数知れず。
それなのに相田シンスケたちも聞いている前で、帝原社長は堂々とスカウトをしてきたのだ。
「ええ、もちろん市井ライタ君には迷惑はかけません。今回の件は全てスムーズに、なおかつクリーンにおこなっていきます」
帝原社長はビジネスマンとしては超有能。オレが考えているような杞憂の対策は、全て手をうっているのだろう。
「あとビンジー芸能さんにも移籍に関して、かなりの“お礼”をする用意もあります」
「“移籍のお礼”……ですか」
芸能界の情報通であるユウジに聞いたことがある。
事務所の同士では“移籍のお礼”を支払う風習があることを。
おそらく“金銭や今後の仕事のコネ”を、ビンジー芸能側に支払うのだろう
巨大企業の社長であるこの人が、“かなり”という表現を使用。
オレ一人をスカウトするために、かなり大きな金額を動かすつもりなのだろう。
「貴方にも悪い話ではないと思います? 当グループに入れば、どんな仕事も自由に選べます。もちろん俳優とアイドルを兼業しても構いません」
「「「どんな仕事も自由に……」」」
帝原社長の言葉に、相田シンスケたち三人が反応してしまうのも無理はない。
芸能人を志す者にとって、エンペラー・エンターテインメントに所属できることは最大の環境。
コネが成功の大きな要因な一つである日本の芸能界で、誰もが喉から手が出るほど欲しい環境なのだ。
「…………」
だが三人とは違い、オレは反応しない。
何故ならオレにとって“芸能界で成功すること”は大きな目的はないからだ。
(エンペラー・エンターテインメントに移籍……か)
だが心の中で引っかかっていることもあった。
“芸能界で成功すること”以外のメリットが、今回の移籍話にはあるからだ。
(いや……今は考えないようにしよう……)
だが、この帝原キョウスケという男に弱みを見るのは危険。メリットのことは忘れ、平静を装わないと。
「あと貴方が移籍をしてくれたら、当社の鈴原アヤネや加賀美エリカと同じ部門に配属になります」
――――っな⁉
思わず声を出しそうになる。
オレの思考を読んだかのように、帝原キョウスケは“その話題”に触れてきたのだ。
「おや、その反応は、もしかしたら図星でしたか? 私の調査によると、この4週間で彼女たちとは、かなり仲良くしていたとのこと。ぜひ彼女たちもために、移籍を検討してください?」
オレが反応したことが嬉しかったのだろう。今まで以上に雄弁にスカウトしてくる。
(“私の調査によると”……か。なるほど、そういうことだったのか)
今まで帝原キョウスケは人の心を読むエスパーと恐れていた。
だが実際には“事前に相手の情報を集めて、相手の実際の反応から心情を推測するタイプ”だったようだ。
(ふう……ということは、オレがアヤッチを助ける目的があることは、知られていないんだな……)
どうやら“オレが鈴原アヤネと加賀美エリカに異性として好意を抱いている”と勘違いしているのだろう。
かなり尊大な勘違いだが、大きな目で見たら逆にありがたい。オレの真の目的には気がつかれていないのだ。
(でも、アヤッチと同じエンペラーに在籍できるチャンス……か)
今回のスカウトによる一番のメリットは、アヤッチと同じ事務所に入れられること。
近くにいられることで、彼女の死フラグを解決する目的が、一気に楽になるのだ。
(アヤッチを助ける確率を上げるために、たしかに移籍はメリットしかないな……)
「更に今なら私が直属に指揮する一大プロジェクトメンバーに、貴方を入れてあげます。さぁ、一緒にビジネスを広げていきましょう、市井ライタ君!」
帝原社長の誘いは、甘美で魅力的な言葉だった。
芸能人を志す者にとっては逆らい難い。
なおかつ今世のオレにとってもメリットが多いのだ。
(どうしよう……)
まさかの誘いの言葉に、オレは迷ってしまうのであった。




