第39話:天敵
危険な男である《エンペラー・エンターテインメント》の社長と、控え室で二人きりになる。
「“商品”として査定させていただきますよ、市井ライタ君?」
最初の紳士的な雰囲気は、帝原キョウスケからは消えている。
口元には笑みが浮かんでいるが、猛毒な蛇のような視線で、オレのことを見つめてきたのだ。
(うっ……)
あまりの雰囲気の豹変ぶりに、オレは内心で動揺してしまう。
表面上はまだ冷静を装っていられているが、鼓動が早くなってきたのが自分でも分かる。
(この人は……“危険”だ……オレにとって……)
全身の警報が全開で警鐘を鳴らしている。
上手く説明できないが、帝原キョウスケは天敵のような存在で、オレには相性が悪い相手なのだ。
「おや? 顔色が少し悪くなってきましたが、何かありましたか?」
「……いえ、大丈夫です。大きなショーの前だから、緊張して、少し熱くなってきただけなのです」
オレは動揺を諭されないように、平静を装い対応していく。
相手は強大な権力を有する大物。こちらが失言をして、隙を見せないようにしないといけないのだ。
「それなら、空調を下げましょうか? おや? ですが、ここにはどうやら空調はないようですね。どうして、こんな狭い倉庫が、市井ライタ君の控え室になったのでしょうね?」
今回のことは明らかに主催側の不手際。
だが帝原キョウスケは他人事のようにため息をついている。
オレにとって、かなり神経を刺激してくる言動だ。
「……いえいえ。自分のような“無名の新人”に、こうして控え室を用意して頂いただけでも有り難いです」
だがオレは怒ることなく、低い腰で対応していく。
もう少ししたら、ミサエさんも戻ってきてくれるはず。そうなったら何とかなるはずだ。
(いや……ミサエさんでも、“この人”の相手は無理だな)
帝原キョウスケは普通の厄介者ではない。
この業界的の地位も高く、対人スキルもかなり強力。一般的な女性であるミサエさんでは、歯が立たない相手だろう。
(仕方がない……オレがやる、しかないのな)
この危険な相手は、オレが一人で相手をするしかない。
作戦としては時間を稼でいくが理想。
何しろ相手は多忙な主催者であり、今もそれほど暇な時間もないだろう。
相手の言葉にムキにならずに、冷静に対応していけば、タイムアップでオレが逃げ勝てるはずだ。
(それにしても……どうして帝原キョウスケは、オレの控え室に来たんだ?)
無難で安全な会話をしていきながら、ふと疑問が浮かんでくる。
何故ならオレは弱小事務所に所属する無名の新人。
日本トップクラスの芸能事務所の社長が、この忙しい中わざわざ会いに来る意味が、理解できない。
「おや、もしかしたらら私が、ここに来た理由が分からずに、困っていますか?」
――――⁉
またもやオレの思考を読んだかのように、帝原キョウスケは話題を変えてきた。
くっ……もしかしたら、この人はエスパーか何かなのか?
「多忙な私がここに来たのは、貴方に興味があったからです?」
「……興味、ですか?」
動揺はしてしまったが、ここで無視をするのは逆効果。相手に話を合わせていく。
「ええ、そうです。実は大事に売り出そうとしていた“商品”が、急に『ハリウッド修行』に行くことになりまして。アレは本当に残念な事件でしたが」
(大事に売り出す商品……急にハリウッド修行に……か)
間違いなく三菱ハヤト君のこと指している内容を、口にしていく。
それにしても自分の事務所の大事なタレントすらも、商品扱いするのか、この人は。
しかも残念と言いながらも、心がまったくこもっていないし。
「そこで調べてみたら、なんでも『市井ライタ』という無名の新人が要因だったとか? そこで私も『裏切り地獄教室』を視聴して、キミに興味がでたのです」
なるほど、そういうことだったのか。
ハヤト君の共演者だったから、オレのことを見にきたのか。点と点が繋がり、今回の訪問の理由が分かった。
だがオレは“普通の演技”をしただけなのに、なぜここまで固執するのだろうか?
「ふむ……という訳で今日は直接、自分の目で“市井ライタという商品”を査定にきたのです⁉」
うっ……帝原キョウスケの視線の圧が更に強くなる。
これは今までの猛毒な蛇のような視線というよりは、まるで“石化怪物”のような危険な視線の圧。
ちょっとでも気を抜いたら、魂ごと石にされてしまいそうだ。
(ふう……冷静になるんだ、オレよ……今回の相手に“本当の自分”を見せるのは危険だ……)
相手の意図は分からないが帝原キョウスケは、オレの芸能人としての価値を鑑定しようとしている。
(それなら……“価値観のない自分”を演じるんだ!)
おそらく少しでも高く評価されたなら、何か良くないことが起こる気がする。
「――――ひっ⁉ ご、ごめんなさい⁉」
だから芸能人として価値がない自分を見せる。
あえて帝原キョウスケの圧を受けて、腰を抜かしてしまう小物を演じていく。
「おや? これだけで、そこまで動揺してしまうのですか? 今回は私の査定ミスだったのかもしれませんね」
帝原キョウスケは圧を消して、失望の顔になる。
どうやら“価値がないタレント”だと作戦通りに勘違いしてくれたのだ。
(ふう……なんとか騙せたぞ。本当は大丈夫だったけどな)
前世ではパワハラ上司が勢ぞろするブラック企業に、オレは勤めていた。だから先ほどのレベルの圧には慣れていたのだ。
だが、正直なところ帝原キョウスケの圧は、前世の“パワハラ課長クラス”以上だった。
アレ以上に強くなるのなら、できれば受けたくないほど危険な人物だ。
とにかく誰でもいいから、助けに来て欲しいのが本音だ。
――――そんなおこと願っていた時だった。
一人の男性が、更衣室にやってくる。
「おいおい……ウチの小僧をイジメるは、そこまでにしてくれよ?」
やってきたのは強面な大人の男性、ビンジー芸能の豪徳寺社長だった。
「しゃ、社長!」
まさかの入場者に、オレは思わず声を出してしまう。一番頼りになる人物の援軍に、一気に気持ちが高鳴っていく。
突然の乱入者に対して、帝原キョウスケの矛先が変わる。
「“イジメる”なんて、人聞きの悪いことを言わないでください。最近の業界では、どういうのは厳しいことはご存知ですよね、豪徳寺社長も?」
「ガッハッハ……こいつは傑作だな。お前の口から……“才能あるタレントを冷酷に食い物にしているお前”から、そんな言葉が出てくるとはな、キョウスケよ?」
「それも心外です。私は誰よりもタレントを大事にしていますよ、ゼンジロウ? 自分勝手で無計画な貴方とは違い、私は商品としてタレントを丁寧に扱って、ちゃんと価値を上げておりますから。まぁ……経営者として、時に冷静な決断も必要ですが」
どうやら二人は顔見知りのような雰囲気。
あと、互いに下の前で呼び合っているから、なにか“近い関係”だったのだろうか?
だが今は互いに価値観の違いか何かで、かなり険悪な関係になっている雰囲気だ。
とにかく豪徳寺社長の参戦によって、一気に流れが変わっていた。
ピッ、ピッ、ピッ♪
そんな流れが変わった時、更なる転機がきた。
帝原キョウスケのスマートフォンが鳴ったのだ。
「……どうやらタイムアップのようですね」
アラームはオレにとっての吉報。オレの粘り勝ちが確定したのだ。
「ふう……もう少し豪徳寺社長との会話を、楽しみかったのですが。それでは失礼いたします」
帝原キョウスケは少し残念そうな顔で、控え室の出口に向かう。
いや……その“残念そうな顔”すらも、今は嘘のように見える。
「けっ、もうウチの小僧に近づくんじゃねぇぞ、キョウスケ!」
「そのご心配には及びません。残念ながら市井ライタ君には“平均程度の価値”しかありませんでしたから。もう少し期待はしていたのですが、二度と顔を会わせることはないでしょう。それでは」
最後にそう言い残し、帝原社長は立ち去っていく。もはやオレに視線も向けてこない。
本当に興味は無さそうな顔だった
(ふう……なんとか作戦通り上手くいったぞ)
張り詰めていた空気が消えた控え室で、オレは思いっきり深呼吸する。
なんとか先ほどの“小物の演技”で、帝原キョウスケを騙すことに成功。
これで今後、あの人に目をつけられる心配はないだろう。
「ん? その顔だと、オレが来なくても、大丈夫だったのか?」
「いえいえ、来てくれて本当に感謝しています、社長! あのまま二人きりだったらオレ、怖くてオシッコを漏らすところでした! あっはっは……」
「本当に、そうか? “あのキョウスケ”と対峙した後は、そんな冗談すらも、普通の奴は言えないだがな? やっぱり、大した玉だな、お前は」
社長は何故か呆れているが、援軍にくれたことには本当に感謝している。
今回は上手く誤魔化せたが、天敵系の人との対峙は本当に心がすり減るからだ。
ん あっ、そういえば。
ところで、どうしてこのタイミングで、社長は控え室に来たんだろう?
今までどこにいたのだろうか?
――――そんな疑問に思っている時だった。
トコ……トコ……トコ……
控え室に、また別の誰かがやってくる。
今度は女性の足音だけどミサエさんではないはず。
これはもっと小柄な女性の足音だ。
いったい誰だろう?
「社長、ここにいますか? 失礼します……あっ、ライタ君! ここにいたんですね!」
「えっ、チーちゃん⁉ どうして、ここに⁉」
やってきたのはチーちゃんこと大空チセ。いきなりの来訪者に思わず声を出してしまう。
「って、チーちゃん、その恰好は⁉」
しかも彼女は明らかにファッショナブルな服を着ていた。普段着ではなく、特別な衣装で、化粧もしていたのだ。
これはいったいどういうことだ?
「ああ、そういえば、ライタには言ってなかったな。実はチセも今日のショーに急遽参加することになった。参加者の一人が体調不良で、代打で参加、っていうパタンナーで、オレが朝から連れてきたのさ」
(えっ? チーちゃんも参加しるの⁉ それは嬉しいな……あっ⁉ でも大丈夫かな⁉)
今日のファッションショーには危険な《六英傑》の二人も参加する。
D組であるチーちゃんに対しても、彼らは“何か”をしてくる可能性が高いのだ。
(チーちゃんのことを今日は、絶対に守らないとな……あと、《六英傑》の隙を狙って、アヤッチとも話をしないとな。ん? 本当にオレ一人で、そんなに多くのことが可能なのか、今日は⁉)
こうして不安だらけの要因を抱えたまま、危険なファッションショーのリハーサルがスタートするのであった。




