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Chapter18

 振り返った男。雅丈の姿を認めるや、彼に手を振った。

 狐のような糸目からはこの男の思惑は測りがたく、また常に笑っているようにさえ思える。声の調子は軽妙なのに、聞きなれぬイントネーションの関西弁。得体の知れない雰囲気だ。

 しかしこの男、雅丈を知って声をかけている。しかも、随分と馴れた調子と見える。

 つまりは……と、源士は店内を見まわす。

 レジカウンタで椅子に腰かける美晴の姿があった。うつむき加減に目を伏せて、彼女にしては珍しく感情の色が薄い。無表情、いや、いくらか沈んでいるような。

「なんやなんや、久しぶりに逢うたっちゅうのに。駒井君の顔、怖いで?」

 眉を八の字にしかめて肩をすくめる。男の仕草は、たしかに困惑している人間のそれである。が、その真意が読めない。ともすれば笑っているようにも見える、その顔からは。

 しかして、男の行動はすぐ結果となって現れた。

 タイル敷きの床をカツカツと音を立てて、雅丈が足早に男へと歩み寄る。次の瞬間、雅丈の細腕が男の胸倉を掴み上げた。

「貴様、どの面を下げてここに来た……?!」

「どの面て、この面やけど?」

 男がにへらと笑う。

「このっ……ふざけたことを!」

 押し倒すように、雅丈は浮足立った男を壁に叩き付けた。棚に陳列されたヘルメットや皮手袋といった商品が崩れ落ちる。自らを頭脳担当とうそぶく男が、信じられないほどの力である。

「貴様のせいで、僕たちがどれだけ苦労したと思っている。貴様のせいで……!」

 明確な怒気を孕んだ震える声。背中越しでも分かる。雅丈の首筋が、燃えるように赤い。

 男は、しばし雅丈の怒鳴り声に耳を傾けているようだった。申し訳なく思っているのか、あるいは憐れんでいるのか。真剣な面持ちで、雅丈を見つめている。そういう風に見えた、のだが。

「知らんがな」

 男はにべもなく言い捨てた。その顔は、やはり笑っていた。

「このっ……!」

 怒髪冠を衝く。いよいよ極まった雅丈が拳を振り上げた。

 それは、さすがに許されない。源士が雅丈を制止しようと動いた、その時――

「やめなさい」

 決して声を荒げているわけではない。また、意図して声を張っているわけでも、ない。だのに、美晴の声は信じられぬほどよく通った。

 場の空気を一瞬にリセットする、その慄然とした声で、雅丈の拳は高く掲げたところで留まった。まだ、かすかに震えてはいるが。

「聞こえなかった? 駒井君。やめろと言ったの。対戦相手を試合前に殴ってどうすんの」

「対戦相手……?!」

 雅丈は呆然と呟いた。男を掴みあげた手も緩む。

「ま、そういうこっちゃ」

 乱れた襟首を正す男。その声には怒りも不快感の色も感じられない。あるいは、楽しんでいる、とも。

 問題は、対極の反応を見せる雅丈だ。

「ちょっと待ってください、お嬢様! おかしいでしょう、この男はすでに――」

「と、思ったんだけどね。さっき協会から連絡があったわ」

 言って、美晴はノートパソコンの画面をこちらに向けてみせた。表示されているのはメールソフト。無機質なインターフェースに文字の羅列が並ぶ。

 画面に顔を寄せ、食い入るように見つめる雅丈。見る見るうちに青ざめていく顔色の、それが真実を表していた。

「……何故だ」

「さぁな。僕にも分からん。相手決めるんは監督や」

 と、男が肩をすくめた。

「ふざけるな! この……こんな挑戦状があってたまるか!」

「あー、ちょっといいか。さっきから話が読めないんだが」

 出入り口の前で佇んでばかりの源士。さすがにいたたまれなくなって、控えめに手を挙げた。

 反応は三者三様。雅丈などは如何にも邪魔者を見る目で源士を見つめるが、それはいい。美晴の何というべきかと悩むような複雑な顔、それに男の興味深げに源士を眺める仕草が妙に気にかかる。

「なんてことないわよ。彼がデビュー戦の対戦相手。キミのね」

「本気で言ってるのか?」

「本気よ……ったくノーテンキなんだから」

 呆れかえってものも言えないとばかりに、美晴が頭を抱えた。

 しかしだ。たとえプロ転向を決意したとしても、ついこの前まで学生ブラストの底辺に甘んじていた源士である。それが、これほど簡単に試合の日取りが決まるとは。いやそもそも、大会出場に必要なライセンスすら、まだ取得できていないはずだ。

 明らかな矛盾と急展開に目が回りそうになる。

「君が、お嬢さんとこの新しいライダーか」

 ニコニコと顔を綻ばせながら男が問いかける。まるで十年来の親友と接するような態度。なのに、馴れ馴れしさを感じないのは何故か。あくまでもフレンドリーに、男は歩み寄り、右手を差し出した。

「僕、海野シックスセンスの真田隆聖言います。どうぞ、よろしゅう」

「山県源士……っす」

 海野シックスセンス、どこかで聞いたことがある。ブラスト専門雑誌の記事で見たのだろうか。ともあれその名が、この男、真田隆聖の所属するチームだろう。

 そして、初めて相対するプロ。槍を振るうことを生業とする男。

 果たして、本当にそうか? たとえ美晴に呆れられたとしても、隆聖を一瞥した源士の所感はそうであった。その外見は線が細く、ともすれば中性的ともいえる。上背も決してあるとは言えず、源士が僅かに見下ろす程度のものだ。体格的には普通、と言わざるを得ない。

「どないした? 弱っちそうやな~とか、思た?」

 まずい、視線に気づかれたか。源士は思わず顔をそむけた。

「はは。図星突かれて目ぇ逸らすんは、下策やな」

 呵呵と笑う隆聖。対戦相手を前にして、余裕綽々と言った具合だ。しかし、そこにはかつて対峙した長尾のような慢心や嘲りは感じられない。例えば、それは弟子に可愛い不出来を忠告する師匠のようである。

 源士はその時になっておぼろげながら理解した。既に隆聖のペースに呑まれている。飄々とした態度、人懐こい笑み。この男、おそらく人の心理に付け込むのが上手いのだ。そして、彼のあらゆる所作が対象者に『動揺』を植え付ける。

 現に今、ここにまともな精神状態を保っている者はどれだけいる?

 美晴も雅丈も、あの顔を見れば一目瞭然だ。

 これ以上口を開くと墓穴を掘りかねない。そう思ったところで、隆聖の背後に控える美晴がひどく煩わしそうな顔で唇を指で押さえた。彼女も、この男のやり口を知っているのだろう。違いない、ということで隆聖に気づかれぬよう目で美晴に合図を送った、が。

「君、歳は?」

 隆聖が何をか呟いた。

その声を聞き取れず「は?」と聞き返したのが運のつきであった。

「年齢や。ね・ん・れ・い。いくつ?」

「十六……ぁ」

 誓いは一瞬で崩れ去った。美晴が無音で長大な溜息を吐きだしているのを見ると、自分のアホ加減に涙が出そうになる。

 また、何らかネタにされて揺さぶられるのかと身構えたが。

「そうか……若いな」

 が、隆聖の反応は思いのほか淡泊だった。

 弄られるわけでもない。少し俯き加減で、独りごちるように。あるいは、何か懐かしむように。

「あの、俺の歳が何か?」

「んー? 別になんにも。ま、若いっちゅうのはええことや。けど、次までにもうちょっとメンタル鍛えとき、少年」

 そう言うと、隆聖は出入り口へと歩き出した。擦れ違いざま、源士の肩に手を置きつつ。彼の悠然とした態度に気圧されたのかもしれない。隆聖と目を合わせることが出来ず、源士は先ほどまで彼のいた場所、今は空となったその場所をただ眺めるしかなかった。

「待ちなさい」

 隆聖がドアに手をかけた時、美晴が彼を呼びとめた。多少、怒りにも似た強い声。

 これから数週間先、槍を交えようと言う相手に、この強気な少女はどんな喧嘩の売り言葉を叩き付けるのだろう。雅丈、それに源士でさえ息を呑む。

 わずかな静寂の後、美晴が口を開けて――

「バッテリ交換、するなら工賃込みで一万三千円だけど?」

 店先を、軽トラックの呑気な排気音が通り過ぎていく。

 ついこの前、長尾にタンカを切ったのと同じ口調でそういう風に言うものだから、全員が呆気にとられたのは言うまでもない。隆聖までも、振り返って口をあんぐり開けている。本当に前が見えているのかと疑うような細い目も、今は青みがかった瞳孔がはっきりと露出していた。

「ははは……いやすまん。生憎と、今日は車で来たん忘れとったわ。また今度やな」

「そ、お客さんだと思ったのに、期待して損したわ」

 本気だったのか、それとも終始隆聖のペースに乗せられっぱなしだった意趣返しか。頬杖をついて眉を八の字にしかめる態度は、本当に冷やかしの客を煩わしがる店員のそれだが。

 ところが、そんなつっけんどんな対応をされても、あくまで隆聖はほほえましいものを見るような笑顔を浮かべる。

「相変わらずやな、お嬢さんは。ま、今日は宣戦布告っちゅうわけで」

 源士にはわからない。この男の素性も、あるいは雅丈が激昂する理由も。そして美晴の心の内も。

 ただわかるのは、何かがあったのだということ。彼らはお互いを知っていて、過去に何か深い関わりがあったのだということ。そして、限りなく不可逆的な関係の亀裂があったのだということ。

 今の美晴しか知らない。蚊帳の外の人間でしかない源士には、その程度のことしか窺い知ることはできない。

 それ故に、なんの言葉も発することもできない。歯痒い、感情の波がかすかに打ち寄せる。

「なあ、お嬢さん」

 時間にすればほんの一瞬の間だっただろう。しかし源士にとっては、自分の立場を見いだせず逡巡する長い時間。その後に、隆聖があの老師匠のような穏やかな口調で美晴を呼んだ。

「僕は、後悔しとらん。せやからお嬢さん、本気でかかって来ぃや」

 そう言って、隆聖は店を後にしていった。カラン、と乾いたベルの音だけが残る。

 後に残る三人は皆、黙り込んでその場に佇んでいた。

 美晴は澄ました顔をしているが、目を伏せて顔を上げることはない。雅丈は苦虫を噛み潰したような顔で隆聖の去っていたあとを睨みつけていた。

 やれやれ、困ったことになった。源士はため息を漏らした。

 きっと、ああいうのを『因縁の相手』と呼ぶのだろう。長尾とは諍いはあったが、別に普段からいがみ合っていたわけではない。それに比べれば、二人と隆聖の溝の深さたるや、源士にすら想像に難くない。

 しかし、『後悔していない』? 一体、何を。

「あの、もう話終わった? 俺、入っても大丈夫……?」

 兵吾だった。奥の作業場に連なる通路から、おっかなびっくり様子を窺うようにこちらを覗いている。ただならぬ雰囲気は察しているのらしい。

「兵吾、お前……遅い」

 どうせなら、冷めきった場の雰囲気をぶっ壊すべく、もう少し早く乱入してほしかった。

「だってあの雰囲気に割り込むのは、なあ……」

 やはり、恐る恐るといった具合で入ってくる兵吾の顔色は芳しくない。外から見ていても、余程不穏な空気が漂っていたのだろうか。

「ふん! 塩でも撒いておけ!」

 隆聖が去り、また兵吾が来たことで我に返ったのだろうか。雅丈はヒステリックな怒声を浴びせかけて、足早に出て行った。源士のトレーニングはまだ終わっていないというのに、余程頭に血が上っているらしい

「いいのか、美晴」

「駒井君のこと? ん、まぁね。仕方ないよ、あれは」

 美晴は苦笑交じりに言った。源士は少々面食らう。美晴とて、どちらかといえば自分から塩壺持って玄関口をが真っ白になるくらいぶっかけまくるクチだと思っていたからだ。それが、今の受け応えは嫌に大人しい。

「聞いていいか。あの、真田って奴のことを」

「真田君、ね」

 美晴は口を噤んだ。何か言いたそうにしている。喉元までその言い分がこみ上げているのに、頑なに吐き出すのを拒んでいるような、そんな感じだ。

「俺たちには聞かせられないことか?」

「そんなことはない、けどね」

 美晴らしくない、煮え切らない態度。少し、鎌をかけてみることにする。

「元彼とか――」

「違う」

 即答である。一切迷いがない。

 兵吾と二人、顔を見合わせる。これは根が深そうだ。

 それに、先ほどの雅丈の言葉が過った。

『まだ、信用していない』

 美晴、お前もそうなのか。お前も、そういうことに拘るのか。

 そんな美晴は見たくない。我儘かもしれぬ。が、源士の率直な感情がそう告げている。

「じゃあ今彼」

「断じて」

「生き別れの肉親」

「あり得ないし」

「近所のおっさん」

「それがどうしてああいう会話になる?!」

 犬が警戒するように「う~」と唸る美晴。いい加減流せ、と言わんばかりだが、源士はそれをあっさり無視して無言で彼女に視線を注ぐ。

 それから数分、にらみ合いを続ける二人。兵吾などはおろおろと二人の間を往ったり来たりしている。

 しかして、最後の最後。折れたのは美晴だった。

 仕方ない、と後頭部をガリガリ掻きながら、彼女は言う。

「前任者よ……キミのね」

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