義高様はお人形?[3]
「今回は、遠路はるばる足を運ばせることになって、すまなかったな。」
お父様の声がした。
「いえ」
そして知らない幼さを残した、けれど凛とした声。
御簾ごしに聞こえてくるそれに・・・
ぴた。
姫の足は再び固まってしまった。
「え? 姫?」
侍女がやっぱり不思議そうに聞いてきたけれど、今度は何かに見とれてたわけじゃない。
対面の居間の前。
そこで会話を漏れ聞いた瞬間、勝手に動けなくなってしまったの。
「長旅は初めてで疲れているだろうに…着いた早々呼びだしてすまぬな。」
「いいえ」
聞きなれた声と初めて聞く声。
おそらく、この「いいえ」が義高様の声だ。
そう思ったら、
そう思ったらね。
急に心臓がバクバクいって、
声がカラカラに渇いて、
思わず手をぎゅっと握ったら汗ばんでいて、
そういえば、挨拶の練習を全くしていないことに今頃になって気がついてしまって…
えーと。
えーと…
んーと、えーと…
「姫? …大姫様?」
侍女の声がする。
だけど
でも
どうしよう?
どうすればいいの?
「大姫様、さぁお早く。」
侍女が急かす。
それで
もう
何だか
――ふっきれた!
だってっ、だって、どうしようもないじゃないの!
だから力のガチガチに入った手で思いっきり御簾を上げて、
カラカラに乾ききった喉から、精一杯の大きな声を出して言い放った!
「お、大姫っ、入りますっっっ!!」
そして、知らず閉じていた眼を開けた時――
部屋の空気は、ポカンとしたものに変わり果てていた。
口と目を大きく開けた、お母様とお父様…そして、知らない男の子2人。
あぁ…
失敗しちゃったぁ…
姫は頭を抱えて落ち込んだ。
やっぱり練習しておくんだったよぉ。
そんな中、固まりきった空気から最初に抜け出したのは、普段から〝何事にも動じない〟と言われるお母様だったみたいだ。
口元を押さえていた手をこっそりゆっくり下ろして、
まだ「ポカン」状態のお父様の脇を肘でツンツンって突いているのが目に入ったから。
その効果あってか、お父様も「ぽかん」から帰ってきて、
咳払いを一つした後、
膝の上で停止していた手を何だかまだぎこちなく動かして、
「お…っ、おおっ。なんだ大姫か。遅かったな。」
と、どこかあわてた感じでそう言ったの。
そして、
「こちらが本日、木曾から来られた義高殿だ。」
と見知らぬ男の子2人の方を指して紹介してくださった。
一人は、「ポカン」から立ち直って、ひたっと姫を見ている男の子。
一人は、まだ「ポカン」のまま後ろに手を着いている男の子。
えっと…どっちが、だろう?
わからなくて、もう一度聞こうと、お父様を見たんだけど、
お父様は、「姫は心臓に悪い」とか言って溜息をついてらして、
しかたないのでお母様に聞こうとして顔を向けたら、
〝困ったわねぇ〟というふうに、けれど楽しそうに微笑んでらして、
それで聞くに聞けなくて姫も困ってしまい、
「えー…と?」
しかたなく、ぼ~…と立ち尽くしていたら、
急に今まで姫を見ていた「ポカン」じゃない方の男の子が、ススッっと向きを変えて姫をまっすぐ見て言ったの。
「大姫様ですか? 私が本日付で婿としてこちらに参りました、『清水冠者義高』です。」
それで、すうって感じできれいに、本当にきれいにお辞儀をされて、
そのままピタリと止まった。
そのあまりにきちんとした挨拶に、もうどうしていいのか分からなくなって、
自分でもよくわからない言葉を呟いた後、
姫は姫がまだ立ったままだったことを思い出して、
姫はとにかく座らなきゃって、慌てて座って、
あぅ~~~っ
何度も何度も頭の中をぐるぐるさせてから、
「えと、お・大姫ですっ、よろしくお願いします!!」
そう叫ぶように言葉を叩きつけて、がばって頭を下げるのが「最初の挨拶」になってしまったの。
ふえ~ん。
やっぱりやっぱり挨拶の練習、必要だったんだ~。
とか今更ながら、そんなことを考えていると、
別の男の子の声が頭上から突然降ってきた。
「はじめまして、大姫様。
この度、義高様の従者として同行いたしました『海野小太郎倖氏』です。」
びっくりして頭をあげると、
さっきまで、「ポカン」だった方の男の子が、ちょうどお辞儀を終えて顔を上げるところだった。
思わず目が合うと、「倖氏さん」と名乗った男の子は、ニコリと微笑んでくれて、
だから、姫も何だかつられて笑顔になった。
それで、義高様にも笑いかけようとしたら、タイミング悪くお父様から声がかかった。
「大姫、義高殿。」
「はい。」
「はっ、はいっ?!!」
義高様は居住まいを正しながらしゃんと、
姫は、あわあわと急いで返事をしながら、お父様のほうへと向き直る。
お父様もさすがに、この時には完全に「ポカン」から抜け出しておいでで、
「わしと政子は、義高殿の歓迎の宴の準備に、ちと席を外すがよいか?」
と聞かれた。
もちろん姫は、ええええぇぇえぇえっ?!と思ったけれども、
義高殿が「はい」とお返事されたので、姫もダメとは言えなくて…
お父様はすでに片膝をついて立ち上がりかけておいでだったから、
「はいっ!」
姫は一人で頑張ることにしたの。
何を頑張るのかは姫自身にもよくわかんなかったんだけど、
気が付いたら、ガッツポーズをしていたから、意気込みだけは皆にバレバレだったみたい。
お父様は、そんな姫の姿を見て、少し苦笑されて、
お母様は、相変わらずにこにことしていらっしゃったけど、なんだか面白そうにしていらっしゃる風だった。
「では、義高殿、姫をよろしくな。」
そう言い残されて、お父様は立ち上がられて歩き始めてしまい、
「はいっ」
という隣で上がる義高さまの声を合図にするように、
お母様もお父様につき添うようにしてお立ちになって、
「仲良くね」
そう微笑まれ、ポンッと姫の頭に手を置かれると、そのまま二人して部屋を出でいかれてしまった。




