29話 辿りついた答え
プレシャス・スタッフ本社ビルの一室に閉じ込められた僕は、悪夢のような感覚に苛まれていた。
窓は無く、外の様子どころか、今が昼か夜かもわからない。
スマホの充電は、とうの昔に切れ、部屋には時計のひとつも無かった。
ときおり出される食事と、勝手に点いたり消えたりする部屋の明かりだけが、かろうじて時間の経過を知らせてくれる。
気が狂いそうなほどの、何も変化のない生活。
僕にできることは、ただひたすらに待つことだけだった。
閉じ込められて、いったい何日が過ぎたのか。
考え事をする時間だけは、やたらと豊富だった。
こうしている間にも、復讐ショーの準備は着々と進んでいるのだろう。
僕は、ベッドに寝ころんで、これまでのことを思い出していた。
響子のこと、寺島圭司、社長や昴ちゃん、キツネ男、ストーカー、スニフ、そして【オレ】。
復讐を行うこと、法を守ること、正しさ、強さ、怒りと悲しみ、赦しと償い。
色々な想いや考えが、わずかな後悔と共に、一筋の涙となって流れていった。
それから、どれだけの時が経ったのか。
うとうとと微睡んでいた僕は、部屋の外から聞こえてくる足音で目を覚ました。
それ自体は、さして珍しいことではない。
だが、虫のしらせとでも言えば良いのか、根拠も無く嫌な予感がして、身体が勝手に緊張していく。
足音は部屋の前で止まり、がちゃがちゃと鍵が乱暴な音を立てる。
いよいよ復讐ショーの準備が整い、ここから連れ出されるのだろうか。
まばたきもせず見据えた扉がゆっくりと開き、ゴリラ男の巨体がのっそりと入ってきた。
後に続く黒服は居ないが、考えてみれば、こいつ一人で僕を運ぶなど造作もないのだ。
それは、ここに放り込まれる時に、いやと言うほど味わった。
ならば、余計な人手は必要ないということか。
また担がれて連れていかれるのかと思ったが、それにしてはどうもゴリラ男の様子がおかしい。
射殺されそうな目線はいつも通りなのだが、固く握りしめた拳、荒い呼吸、やや前傾の姿勢、これはまるで……。
まずい! そう思った時にはもう遅かった。
ゴリラ男が、巨体に似合わぬスピードで距離を詰めてきた途端、左の頬に物凄い衝撃が走る。
殴られた!
そう思った時には、すでに後ろに倒れ込んでいた。
目の前がチカチカして、痛みを感じるどころではない。
ゴリラ男の手が、僕の胸ぐらを掴んで引きずり上げる。
情けない事に、一発でもう身体がロクに動けなくなっていた。
今度は右の頬に衝撃が炸裂し、吹っ飛んだ僕は何かに背中をぶつけたようだ。
胸まで突き抜ける痛みに、一瞬呼吸が止まった。
口の中に満ちた血の味が、気を失いそうだった僕を現実につなぎとめる。
ゴリラ男が僕を恨んでいるのは聞いていたが、なんだって今になってこんな無茶苦茶をやり始めたのか。
いや、理由はどうでも良い、何とかしないとこのままでは殺される!
焦点の合わない目を無理やり開けてみると、ゴリラ男はすぐ目の前にいた。
伸ばして来た手が僕の首にかかると、まるで万力のような容赦のなさで締め上げてきた。
首にめり込む無骨な指は、骨も折れよとばかりの力がこめられている。
「ぐ……が……」
額に脂汗が浮かび、目の前が暗くなってくる。
ゴリラ男の手を掴んではみたものの、手足が全く言う事をきかない。
くやしいが、どうしようもない。
僕が諦めかけた時だった。
「なにをやっている!」
「手を離すんだ! はやくしろ!」
向こうから、ばたばたと走ってくる複数の足音が聞こえ、首にかけられていた指が、やや強引に引きはがされた。
激しくせき込みながらも、なんとか身体を起こすと、ゴリラ男が黒服四人がかりで地面に引き倒されている。
さすがに動けないようだが、目だけはしっかりと、こちらを睨みつけていた。
黒服が気づいて駆け付けなければ、今頃どうなっていたか。
「こんなところで騒ぎを起こされては困りますね」
開け放たれたままの扉をくぐって、ミスターが悠々と入ってくる。
それを見たゴリラ男は、怒りの表情も露わに目をむいた。
僕が襲われたのは、どうもミスターに関係のある話のようだな。
取り押さえられたままのゴリラ男に歩み寄ると、いきなり顔を蹴り飛ばした。
ゴリラ男の首がねじれ、床に血が飛び散るが、それでもゴリラ男は憤怒の表情を緩めようとしない。
ミスターは侮蔑の表情を隠そうともせず、それを見下ろしていた。
「せっかく日取りも決まったというのに、大事な商品を傷物にして、ご招待したお客様が失望されたらどう責任を取るおつもりですか?」
ミスターは懐に手を入れると、そこから小さな銃を取り出した。
まるで子供がオモチャで遊んでいるような気軽さで、それをゴリラ男の頭へと向ける。
「もう少し役に立つかと思っていたのですが……あなたには失望しましたよ」
部屋に乾いた炸裂音が響いた。
ゴリラ男の額に小さな穴が開き、そこから鮮血が噴き出す。
抵抗できない人が銃で撃たれている。
目の前で見ているというのに、とても現実感がわかない。
三回、四回。
乾いた音が響くたびに反動で跳ねるゴリラ男の身体を、僕は呆然と眺めているしかできなかった。
やがて、ミスターは銃を懐に戻すと、黒服たちに合図を送る。
黒服たちは、すでに死んでいるであろうゴリラ男の身体を抱えて、部屋から出て行った。
「うちの社員がご迷惑をおかけしました。見ての通り処分いたしましたので、唯野さまは残り少ない日々をここで快適にお過ごしくださるようお願いしますよ」
未だへたり込んでいる僕の傍で、かがみこんで目線を合わせるミスター。
非の打ちどころのない営業スマイル。
そこには感情の動きなどは微塵も読み取れない。
あまりの平静さに、僕は返す言葉を見つけられなかった。
ミスターが一礼して出て行き、部屋の鍵が再び閉められる。
後に残された、ゴリラ男の鮮血とむせ返るような匂いだけが、いま起こった事が現実であると主張していた。
僕も人を殺した。
それは激しい怒りや悲しみ、恨みの念に突き動かされ、抑えきれない感情の果ての事だった。
だが、いま目の前で繰り広げられた光景はなんだったのか。
ゴリラ男がミスターに撃ち殺された。
ただ、ミスターにとって役に立たなかった、それだけの理由で。
眉ひとつ動かさずに引き金を引いたミスターの表情。
僕に向けた、まったく感情の伴わない笑み。
思い出すだけで、うすら寒くなってくる。
人の命とは、そんな軽いものなのだろうか。
ミスターにとっては、おそらくそうなのだろう。
だから、ゴリラ男も簡単に殺せるし、これから復讐に供される僕のことも、商品と言い切れるのだ。
こんな人間が、おおよそ逆らう事のできない権力を持ち、野放しになっているという事実が信じられなかった。
そして、彼らの言う遺族の悲しみなど、表面の言葉だけで、微塵も理解する気は無いであろうということも明白だ。
僕は、自分の犯した罪を償う方法を探さなければならない。
それは、遺族たちにこの身を晒し、復讐を遂げさせることでしか叶わないのかもしれない。
だが、その想いはプレシャス・スタッフに利用されて良いものではないはずだ。
僕の言葉で、覚悟で、どれだけのことが伝えられるかわからない。
それでも全力でぶつかろう。
たとえ、その先に死が待っていたとしても、怖れに負けてはいけない。
それが僕の責任だから。
それから何日かが過ぎ、部屋に黒服たちが四人ほどやってきた。
「準備が整いましたので、会場へとご案内いたします」
仮面で目元を隠しているが、おそらく会ったことのない黒服たちだ。
口調は丁寧だが、有無を言わせぬ威圧感がある。
僕は参加者といっても殺される側だ、それも当然だろう。
前後を二人ずつの黒服にがっちりとガードされ、そのままエレベータに乗せられた。
薄青い光の空間は、寺島圭司に復讐した時のあの階段を思い出させる。
ドアが閉まり、エレベータは静かに下降を始めた。
まるで地の底まで通じているのではないかと思うほど続く。
それに従い、なぜか照明の青が深くなっていく。
これも、心理的な抑圧を促し、抵抗する気力を奪うための仕掛けだろうか?
息苦しさを感じつつも、背筋を伸ばして、しっかりと立つ。
気持ちで負けるわけにはいかない。
やがて、照明が深い藍に染まるころ、エレベータがようやく止まった。
ドアが開いた先は、コンクリートむき出しの何もない通路だった。
白を基調にした清潔感に気を使っていたプレシャス・スタッフのビルとは思えない粗雑さだ。
「この先です。どうぞ」
再び前後を黒服にガードされて、一本道の通路を歩く。
突き当りは少し広くなっており、目の前には見覚えのあるアーチ型の両扉が居座っていた。
その向こう側からは、うねるような歓声。
なるほど、反対側はこうなっていたんだな。
妙に冷静な頭で、そんなことを考えた。
「入場前に、衣服を全てお脱ぎください」
黒服の一人がそう言った。
口調は丁寧だが、その懐に入れた手は一体なにを握りしめているのか。
ミスターが当たり前のように銃を持ち歩いているのだ、逆らったらロクなことにならないな。
僕は大人しく、黒服の指示に従った。
「これで良いか?」
「はい、ありがとうございます。それでは失礼して」
黒服たちが、僕の手足を縛り始めた。
まるで恨みでもあるのかと思うような強さで、後ろ手に縛られた両手首がはやくも痛み始める。
両足首も縛り上げられ、身動きの取れなくなった僕は、二人の黒服にまるで荷物のように担ぎ上げられた。
両開きの扉がゆっくりと開けられる。
目も眩むような強烈な光が溢れ出し、続いて叩きつけられるような歓声が耳を打った。
以前来たコロシアムのような会場。
上では、ミスターの招待したであろう権力者連中が、大声でなにごとか叫んでいる。
とても正視に堪えないような醜悪な顔だ。
改めて、人はここまで残忍になれるのかと驚かされる。
「今宵、供されますは寺島圭司を残忍な手段で殺害し、さらには二人の犠牲者を出した凶悪な殺人犯、唯野誠一郎であります。ご遺族の方々のご無念が鉄槌となって振り下ろされる様を心行くまでご覧ください」
マイクを持った司会役の黒服が高々と宣言する。
寺島圭司を殺したのは、まさにここだというのに。
自分たちで仕向けておいて、よくも残忍な手段などと言えたものだ。
しかも上で熱狂している観客たちは、遺族の感情などどうでも良く、ただリンチ殺人が見たいだけなのだから性質が悪い。
黒服によって通路を運ばれていた僕は、だしぬけに床へと放り投げられた。
肩と腰をしたたかに打ち付け、痛みに思わず声が漏れる。
辺りは息が苦しいほどの暑さだというのに、震えが来るほどに冷たい床。
なんとなく肌に粘りつくような気味の悪い感触。
掃除されているはずなのに、消えることのない血の匂い。
それらが一体となって、死のイメージを強く運んでくる。
「さあお待たせいたしました! 参加者の皆様、彼は見ての通り丸腰で手足を縛られ何もできません。今こそ皆様の手で凶悪犯に正義の裁きを!」
会場の反対側には、誰かわからないよう全身をすっぽりとローブで覆った遺族たちが立っていた。
五人か六人くらい。手にそれぞれ武器を携えている。
彼らと同じ格好をして、僕は以前ここで寺島圭司を殺した。
僕がその報いを受けてここに居るのは、いわば因果応報というものなのかもしれない。
これから僕は、彼らの手にかかって死ぬかもしれない。
でもその前に、僕の想いを全て伝えたい。
彼らが道を誤ってしまわないために。
上で見ているやつらのボルテージが上がる。
これから起きる惨劇を好奇と期待の目で見ているのだろう。
でも、そんなものは関係ない。
この程度で心を乱されていたら、【オレ】に笑われる。
手足を縛られ自由が利かないながら、不格好に転げまわり何とか身体を起こす。
膝をついて床に座り、遺族たちをしっかりと見据え、そして深く頭を下げた。
「僕は取り返しのつかないことをしてしまいました。まずはそれをお詫びいたします!」
辺りを圧する熱狂的な歓声に負けぬよう、喉も裂けよとばかりに叫ぶ。
頭を上げたとき、遺族たちは戸惑った様子で入り口辺りに固まっていた。
「本当に申し訳ありませんでした! そして、もし許されるのならば、少しだけ僕の話を聞いてください!」
とにかく相手が話を聞く姿勢になってもらわなければ、伝えるも何もない。
お願いだ、どうか僕に少しだけ時間を。
「さあ、凶悪犯の言うことになど耳を貸す必要はありません。思う存分、正義の裁きを!」
おかしな雰囲気を感じてか、司会の黒服が慌てたように煽る。
今までの犠牲者と同じように、僕が無様に命乞いをすると思っていたに違いない。
「どうした! はやくやれ!」
「そうだ! 憎くないのか! 殺せ!」
なかなか踏み出さない遺族たちに焦れて、観客たちがより一層騒ぎ出した。
テーブルを叩き、足を踏み鳴らして、遺族たちの行動を急かす。
その声に背中を押されるように、武器を構え直して一人また一人と一歩を踏み出して来た。
頼む、あの人たちにもう少し考える時間を与えてやってくれ。
場の雰囲気で決断して良いようなことじゃないんだ!
「……あれだけの事をやっておいて、命乞いか?」
ローブ姿の一人が、手にした槍を振り上げた。
顔はわからないが、溢れ出さんばかりの怒りが低い声からにじんでくる。
「違います。僕がやってきた間違いを懺悔して、皆さんに謝りたいだけです。それでも怒りが消えないというのならば、僕はこの身を晒して償います。だから少しだけ話を聞いてください」
祈るような気持ちだった。
僕自身のことを思い出してみても、とてもまともな判断を下せる状態ではなかった。
怒りと悲しみに捉われて、ここに集った遺族たち。
ここに来るまでの、その決意たるや、相当なものだろう。
まして、懇願しているのがその憎しみをぶつけるはずの相手なのだ。
これで一時でも矛を収めてもらえるのだとしたら、まさに奇跡だと思える。
お互いに目線しか見えない顔を見合わせ、出方を見ているような気配。
遺族たちも、どうして良いか判断を迷っているようだ。
「わかった、ひとまず話だけは聞いてやる。だが忘れるな、俺たちはお前を殺しにここに来ているんだからな」
「ありがとうございます!」
ローブ姿の一人が武器を下ろし、押し殺したような声でそう言った。
本心から思わずお礼が出る。
だが、注意しなければならないことは多い。
遺族たちは、あの青と赤の階段を通ってきて、興奮しやすい状態になっているはずだ。
この喧騒に押されて、いつ衝動的な行動に出るかわからない。
そして、この状況は惨殺を見世物にしようというプレシャス・スタッフの思惑から外れている。
いつ横槍が入って、主催者側の希望通りの展開にされるかわからない。
いずれにせよ、事は慎重に、だがあまり時間はかけられない。
僕は、なるべく感情を昂ぶらせないよう注意を払いながら話し始めた。
「僕はさっき黒服が言ってた通り、寺島圭司をこの手にかけました。いま僕が座っているここで、ナイフを突き立てた感触は今でも手に残っています」
遺族たちの間に動揺の気配が広がった。
「ウソをつくな! あいつは刑務所の中で自殺したって聞いたぞ!」
「ウソではありません。さっき黒服がはっきりと、僕が寺島圭司を殺したと言いました。これは少なくても自殺ではないという証明にはなりませんか? 寺島圭司は僕も含めた復讐者たちによってここで殺されたんです」
遺族たちは、きっとにわかには信じられないだろう。
警察も刑務官たちも全てグルで、そう言い含められていたのだ。
さっきの黒服のアナウンスが矛盾してくれたのは、僥倖といえる。
「僕にはかつて沢渡響子という婚約者がいました。彼女が横断歩道を渡っているときに、寺島圭司の運転する車に撥ねられました。そこまでなら不幸な事故だったかもしれません、ですが彼の乗った車は止まりもせず、そのまま逃げ去りました」
目の前の遺族たちは、どこまで知っていただろう。
いや、もし全てを知っていたとしても怒りと悲しみは抑えきれないかもしれない。
復讐に駆られた念は、それほど根の深いものだ。
「逮捕されたあとも、未成年であったことを理由に名前すらわからない彼に、何としても復讐したかった。それだけが僕のすべてになってしまっていたんです」
「なら、わたしたちがどんな思いでここに立っているかわかるはずよ。あの人は、わたしにとっては大事な人だったの!」
小ぶりのナイフを両手に持った遺族の一人が、悲痛な声を上げた。
彼女の言うあの人が誰のことなのかはわからないが、思いは刺さるほどわかる。
かつて僕が通ってきた道なのだから。
「もちろんわかります。だから僕には皆さんを止める権利はありません。ただ僕が犯してしまった過ちを聞いて欲しかったのです」
「わたしたちが間違っているって言いたいのね!」
「それはわかりません。僕は自身の行いは過ちだと思ってます。ですが、あなた自身にとってどうか、それは自分の中で答えを見つけて欲しいと思っています」
あの時は、復讐を果たさなければ、僕はその場で朽ちてしまうと思っていた。
そういう意味で、僕は復讐は是だと思ってしまっている。
結果的に僕は暴力衝動に飲まれてしまった。
それは正しくないことだ。
僕の中でも、どうすることが正解だったのかわからない。
たぶん、人の数だけ答えがあるのだろうと思う。
だからこそ、僕は誠意を持って自分のことを話さなきゃいけないんだ。
「死んでしまった被害者を省みず、加害者の権利ばかりを守ろうとする警察のやり方に嫌気がさした僕は、手を差し伸べてくれた大切な人を守るために、全てを自分の力で解決しようとしました。これが唯一の正義だと信じて……でも違ったんです」
理不尽な思いに苛まれた末、僕は間違った選択をしてしまった。
【オレ】にそそのかされたからじゃない。
あまりにも視野が狭くなりすぎていた結果だ。
「社会が、法が、決して万人にとって公平ではない。そう思ったからこそ皆さんはここに居るのだと思います。僕もかつてそういう思いでここに立ちました、それは今も変わっていません。ですが、法が時に理不尽を強いることと、それを無視することはイコールでは無かったのです。その先にあったのは、暴力を振るい相手をねじ伏せる力の誘惑、傲慢で我侭な意思、そして全てに対する拒絶と満足することのない暴力衝動でした。大切な人を理不尽から守りたかった……でもそれを大義名分としてしまった時、全てが正しく見えてしまったんです」
遺族たちは動きを止め、僕の話に聞き入っている気配だった。
もしかしたら、それぞれの中で葛藤が生まれているのかもしれない。
復讐を遂げること、殺人者となること、なにを是とするかは簡単に答えは出ない。
「僕はこんなことになるまで気が付きませんでした。ときに不公平や理不尽を強いられたとしても、法を無視してしまっては、結局は力の強い者が弱い者を虐げる世界になってしまう。それでは本末転倒なんです」
力で相手を屈服させるのは気分が良い。
しかし、傍目からは許されることのない醜悪な行為として映る。
だからこそ自らの正しさを見誤ると、人は際限なく残酷になれるのだ。
「僕は取り返しのつかないことをしました。それは、僕自身が弱かったからに他なりません。その償いをするために、ここに居ます。皆さんがどういう決断を下すとしても、それを受け入れなければなりません。ですが、決して僕のように暴力の誘惑に負けたりしないでください、お願いします」
僕は深々と頭を下げた。
復讐という行為が正しいかはともかく、きっと情の深い人間しかここに立つことはできない。
それ故に、自らの手で人を殺すという倫理的な禁忌は、容易くその人を捻じ曲げてしまう。
それに気付いたときにはもう取り返しがつかなかった。
僕は、目の前にいるこの人たちに、同じ後悔を味合わせたくない。
「僕は愚かだった。僕があの時にやらなければいけなかったことは復讐に狂うことなんかじゃなかった。彼女が居なくなったことで心に空いた穴は周りに不幸をばら撒くことでなんか埋まりはしない。苦しんで、悲しんで、悼み、思い出に支えられて、少しずつ自分の力で埋めなければいけなかったんです。僕はその辛さに向かい合う強さがなかった。本当に申し訳ありません」
気が付くと、上で見ている観客たちの喧騒が止んでいた。
水を打ったような静寂。
異様な事態に、司会の黒服もどうして良いかわからず、ただおろおろするばかりだ。
遺族の一人の手から、武器がするりと抜け落ちる。
キィンという甲高い音が、やけに大きく響き渡った。
「……都合の良いことを今さら……」
その声に、もう力は無かった。
膝をつく者、すする泣きの声をあげる者。
「ああちくしょう! やめだ! やめだ!」
自暴自棄にも取れるような声を上げて、遺族の一人が手にした槍を放り投げた。
僕は、驚いてその姿を見る。
「最初は八つ裂きにしてやろうと思って来たんだが、どうだい。こいつは俺たちより辛そうな顔してやがる、どう見ても罪の意識もねえような極悪人には見えねぇ。俺たちだって別に好きで殺人犯なんかにゃなりたくねえんだ。お前は警察に引き渡す。そこでしっかりと罪を償うんだ。みんなもそれで良いな?」
大振りのナイフを持ったローブ姿が一人、近付いて来た。
無言で後ろに回ると、僕の手を縛るロープを切り始めた。
その様子に気付いた上の観客たちが、一斉にブーイングの声を上げる。
ほっとしたのもつかの間、後ろから慌しい足音が聞こえてきた。
何かと思う暇も無く、会場に駆け込んできた黒服がロープを切ろうとしていた遺族を引き剥がす。
後から来た黒服たちも、他の遺族たちを押さえつけ始めた。
「なにをするんだ! やめろ!」
僕の声に気付いた黒服の一人が、無表情で僕の腹を蹴飛ばした。
一瞬呼吸が止まり、無様に床へと投げ出される。
「勝手なことをされては困りますねえ」
聞き覚えのある声に顔を上げると、そこには場にそぐわぬほど穏やかな顔のミスターが立っていた。
ミスターは困ったように肩を竦め、首を横に振る。
「上のお客様の声をお聞き下さい。いかなる理由があろうとも、和解などという展開は望まれていないのですよ、おわかりですか?」
ブーイングが、さらに大きくなった。
始めからわかっていたことだが、上で見ている連中は理由なんてどうでも良くて、無抵抗の人間が悲鳴を上げながら殺されるのを見たいだけなのだ。
とても人間のやる事とは思えない。
それに比べて、目の前の遺族たちの方が、どんなに人間らしいか。
あまりの理不尽に、食いしばった歯から血が流れる。
「少々趣向は違いますが、お客様に満足いただけるものを提供するのが一流のエンターティナーというもの」
ミスターが目線で合図を送ると、手の空いている黒服が素早く動いた。
床に転がっている槍を拾い上げると、僕の腹に無造作に突き立てる。
僕自身も何が起こったのか良くわからなかった。
次の瞬間、刺されたところから痛みとも熱さともつかない感覚が爆発して、僕は声もなくのけぞる。
観客たちから、待ってましたとばかりの大歓声が上がった。
乱暴に槍が引き抜かれ、鮮血が噴き出す。
再び構えられた槍の穂先。
死ぬ。
間近に迫ったその感覚に、全身が震える。
「そいつを殺すな! もうそんなことは望んでいない!」
遺族たちが手を伸ばすが、黒服たちにがっちりと阻まれ、身動きが取れないでいる。
もうどうしようもない、半ば以上諦めたその時だった。
遺族たちが入ってきた扉が、蹴破られるように開き、そこからばらばらと人が飛び込んできた。
「警察だ! 全員動くな!」
全員が両手で銃を構え、油断なく辺りを警戒している。
ここで何が行なわれているのか、明らかに知っている様子だ。
上の観客席でも同じように何者かが踏み込んだようで、大混乱に陥っている。
警察関係は既にプレシャス・スタッフによって懐柔済みだとミスターが自信満々に言っていたはずなのだが。
彼らはいったい何者なのか。
まあいい、助けが来たなら、遺族の人たちは大丈夫だろう。
僕は、自分の流した血の中に身体を横たえながら、そんなことを考えた。
伝えたかった事は、ちゃんと伝わっただろうか。
いや、話す機会を与えてもらっただけでも感謝すべきだな。
怒りに捉われた僕は、本当に愚かだった。
響子に会ったら、怒られるかな、それとも笑われるだろうか……。
……ああ、眠くなってきたな。
「……野さん! 唯……! しっかりして……!」
意識を手放す間際、僕はスニフの声を聞いたような気がした。




