28話 それぞれの強さ
これは幻か?
いま僕の目の前にスニフが立っていて、しかも僕を助けに来たという。
唐突すぎて、事態がうまく把握できない。
「この部屋についてる監視カメラは一時的にジンさんが誤魔化してくれていますが、あまり時間はありませんよ?」
どうもジンも一枚かんでいるらしい。
ドローンの件を考えても、電気・通信関係の知識は、かなりのものだと思っていたが、まさか監視カメラに干渉できるほどとは恐れ入る。
それよりも、ここはプレシャス・スタッフの本社ビルの中、スニフにとって危険極まりない場所だ。
そんな所に、わざわざ僕を助けに潜入してくるなど、にわかには信じがたい。
「どうして僕がここに居るのがわかったんです?」
「実はプレシャス・スタッフからこんなメールが送られて来ましてな」
スニフが見せてくれたスマホには、僕に届いたのと同じ文面の勧誘メールが表示されていた。
寺島圭司殺しの犯人として、僕の名前が記載されているようだ。
これで、僕が監禁されているのがわかったらしい。
それにしても、スニフに対してこんなメールを送るとは……。
プレシャス・スタッフは、スニフが調べ回っていることを把握していないのか、それとも寺島圭司の父親と同一人物であることに気づいていないのか。
いずれにせよ、間の抜けた話だ。
……いや待てよ。
復讐ショーのシステムを構築するのに、あれだけ慎重を期してるプレシャス・スタッフが、こんな簡単なことを見落とすものだろうか?
もし、スニフの正体も目的もわかった上でやっているとすれば、その狙いは……まさか!
「そのメールには写真が添付されていたはずです! それにはウイルスが仕掛けてあって!」
自分でも声が上擦っているのがわかる。
杞憂であって欲しいと思う反面、どう考えてもこちらの方が辻褄があってしまう。
ミスターは、メールに添付されている写真にウイルスが仕掛けられていると言っていた。
もしスニフが写真を確認したのだとすれば、ここでの会話もスニフが潜入してきていることも全て筒抜けだ。
なかなか尻尾を掴ませないスニフの動きに業を煮やしたのだとすれば、本社ビルに引っ張り込んだ今が、スニフを消す絶好のチャンスということになってしまう。
「安心してください唯野さん、これはメールの文面を写真に撮ったものです。ジンさんから昴さんの盗聴器の件を聞いてまして、まさかとは思ったんですが、良い判断だったようですな」
スニフの話によると、メールを受け取った方のスマホは、知り合いに預けて、それを持ったままドライブしてもらっているらしい。
プレシャス・スタッフが、そちらに気を取られているのであれば、見つかる可能性はグンと低くなる。
どうやらスニフの方が、一枚上手だったようだ。
「それで、メールの写真を持ってきたのは、唯野さんに見てもらうためだったんですが……やはり見覚えがあるのですね?」
僕は無言で頷く。
いずれは気づかれるだろうと思っていた。
いや、最初に接触してきた時から、スニフにはある程度の確信があったのかもしれない。
僕は、寺島圭司に復讐した。
響子を失った悲しみも、怒りも、憎しみも、今でも鮮明に思い出せる。
「僕も、そのメールをもらって、寺島圭司に復讐しました。何も残っていなかった僕は、そうしないと前に進めなかったんです」
寺島圭司をこの手にかけた事には後悔は無い。
ただ、父親であるスニフの想いに応えられなかったのは、心のどこかに後ろめたさとしてわだかまっていた。
「世間では、復讐は何も生まないなどと言います。確かに生産的では無いかもしれません。でもこんな当事者でもない他人が言うキレイ事で寺島圭司を許すことは僕にはどうしてもできませんでした」
「わかっています。こんな誘いに乗ったなど、倫理的に口に出せるわけはありません。そもそも息子が響子さんを轢き逃げしたりしなければ、こんな事にはならなかったのです。私には唯野さんを一方的に責める事などできません」
ショックを受けた。
手ひどく罵倒されると思っていた。
本当はスニフだって僕のことを許せないはずだ。
自分の息子を殺した本人を目の前にしているんだ、こんなに冷静で居られるはずがない。
「取り繕う必要なんてありませんよ、僕を罵りたいんじゃないですか? 罵倒して! 殴りつけて! 自分が何をやったのか、思い知らせてやりたいに決まってる! 理屈で納得できるなら、こんなに苦しんだりしない!」
今まで抑えて来た感情が、涙となってあふれ出す。
いっそ激しく責め立ててくれれば、こんな後ろめたさに苛まれずにすんだ。
だが、スニフの冷静な態度は、僕の罪悪感をよりいっそう強くさせた。
「息子が復讐されて当然とは思いませんが、それでも唯野さんには申し訳ないことをしたと思っています。息子に代わり、謝罪します」
そう言って、深々と頭を下げるスニフ。
僕は、何を言われているのか理解が追い付かなかった。
だって、そうだろう。
息子の死の真相を知るために、プレシャス・スタッフを調べ上げ、相当な危ない橋も渡ったはずだ。
そうして、ようやく見つけ出した仇の一人に、あろうことか頭を下げる。
いくら自分の息子の方に非があるとしても、どうしてこんなことができるのか。
「……僕のことが憎くないんですか? あなたの息子を残忍な手段で殺し、あまつさえそれを隠していたんですよ?」
「私も人の親です。正直にお話すると、怒りも悲しみもあります。ただ……」
スニフは目尻を下げ、どこか寂しそうな表情をする。
「息子が響子さんを撥ねた時、真摯に対応して病院に運び込めば、もしかしたら助かったのではないか。そうすれば、唯野さんがここまで道を踏み外すことは無かったんじゃないか……そう考えてしまいましてな」
あの時、寺島圭司が、あのまま走り去らずに力を貸してくれていたなら。
もし間に合わず、響子が逝ってしまったとしても、これほど復讐の念に駆られただろうか。
いまさら考えても仕方のない事だ。
だが、スニフはそれを考え、僕の事を慮り、そして謝ってみせた。
僕は、そこにスニフの人としての強さを見た気がした。
「私は保護者として、息子の不手際を謝罪する義務があります。そして同じように、唯野さんにも自分の行いの償い方を法に則って探して欲しいのです」
「結果的に、僕は刑務所で法と警察に守られ、のうのうと生きることになるんですよ? それで満足なんですか?」
僕にはそれが許せなかった。
法も警察も、立場など関係無く生きている者の味方だ。
だからこそ、復讐の誘いに乗ったのだ。
「わかりません。ですが、もし唯野さんが正義感や罪悪感と無縁の方であれば、私はいまここに立っていないでしょう。唯野さんなら自分の罪と向き合い、答えを見つけてくれる。そうすれば、私も唯野さんを許すことができるかもしれません」
甘い事を……そう思った。
だが、寺島圭司が自分の罪と向きあってくれたなら。
僕は、辛さを乗り越え、彼を許せたかもしれない。
ならば僕だって同じだ。
許されるかどうかは結果に過ぎない。
それでも、罪から目を逸らさずに、しっかりと受け止める意思こそが大切なのかもしれない。
それができなかった僕は、【オレ】だけが味方だと思い込み、いつしか道を踏み外していた。
僕のやってきた事は、ただ目の前のことから逃げていただけなんだ。
『おいおい、せっかくオレが力を貸してやってるってのに、ずいぶんな言いようだな』
突然、頭の中に【オレ】が割り込んできた。
『よく考えてみろ。償いだとか赦しだとか、そんな甘っちょろい感情が奴らを増長させるんだよ。話の通じねえ相手は先に殴らないと、オレたちがやられるんだ。昴まで響子と同じ目に遭っても良いってのか!』
(その昴ちゃんに手を出そうとしておいて、何を言っているんだ)
『あれだって、ちゃんと理由があんだよ』
(冗談じゃないぞ、そんな理由があってたまるか)
『わかったわかった、後でたっぷり説明してやるよ』
【オレ】は、そう言ったきり押し黙ってしまった。
昴ちゃんに危害を加えようとするのは、【オレ】といえど許せない。
本当に理由があるというならば、今すぐにでも問い詰めたいくらいだ。
「唯野さん、どうかしましたか?」
気づくと、スニフが心配そうにこちらを見ていた。
いまは【オレ】と言い争っている場合では無いな。
「いえ、大丈夫です。なんでもありません」
「それなら良かった。いささか時間を使い過ぎてしまったようです。事が明るみになってジンさんに怒られる前に早く行きましょう」
スニフが開けた扉の向こうを見やった僕は、心臓が止まるかと思った。
そこにいつから居たのか、ゴリラ男が立っているのだ。
今は向こうを見ているようだが、この距離で僕らに気づかないはずがない。
まずい! 見つかったら、僕もスニフもタダでは済まない!
緊張のあまり、身体が動かなくなってしまう。
「安心してください、彼は私の協力者でしてな」
スニフが、いつもの笑みを浮かべたまま、とんでもない事を言い出す。
ゴリラ男が協力者とは、とても信じられる話しではない。
だが、ゴリラ男はスニフの話を裏付けるように、何もする様子はない。
あれだけ僕に恨みを持っていたというのに、スニフは一体どんな手品を使ったというのか。
「プレシャス・スタッフが例の不動産会社を尻尾切りした件で、ミスターにそうとう不満を抱いてるようでしてな。今回だけという約束で見て見ぬふりをしてもらってます。もちろん袖の下も使いましたが」
スニフは、親指と人差し指で輪をつくってみせる。
いつぞや、ゴリラ男がミスターを睨みつけていて気になっていたんだが、それが理由か。
お茶くみなんて雑用やらされた挙句に、居ない者扱いされていたし、何か不興をかったのかもしれないな。
「それにしても、ワイロで手を貸すとは……」
「そういえば、そのとき一緒に、唯野さんの処遇について、このままだと遺族に殺されて終わりですが、もし逃げ出すようなことがあったら、捕まえる際に何か手違いが起こってもおかしくはないですね、という話もしましたな」
つまり、僕は逃げ出した後にゴリラ男に捕まったら、死にかねないほど痛めつけられるという話のようだ。
ひどい取引もあったもんだ。
ゴリラ男にとってみれば、いっそこのまま脱走してくれる方が旨味が大きいというわけか。
「それより唯野さん急いでください。とにかくここから出て、その後の対策を考えましょう」
スニフが少々焦ったような口調で促す。
だが僕の頭の中では、別の心配が頭をもたげていた。
仮に今ここで逃げ出したとして、その後はどうなるのか。
プレシャス・スタッフのやり口を知った僕が逃げ出したとあれば、その情報をどこにリークされるかわからない。
各方面の権力者に顔が利くといっても、万が一もある。
それこそ草の根分けてでも僕を捕らえようとするだろう。
そんな状況で、奴らが手段を選ぶ理由は無い。
いよいよとなれば、社長や昴ちゃんを躊躇せずに利用するだろう。
それだけは避けなければ。
「ちょっと待ってください。僕はまだ一緒に行くとは言ってませんよ」
スニフの顔が驚きに染まる。
もちろん僕だって、こんな所はとっとと逃げ出したい。
だが、事態がこうなってしまった以上、軽々しく動くわけにはいかない。
僕は、それだけのことをしてしまったのだから。
「何を言ってるんです? こんな所に居てなんのメリットがあるのですか?」
「むしろ逃げ出す事によるデメリットが大きすぎます。ここまで来てしまったからには、ミスターのやっていることを白日の下に晒し、裁きを受けさせなければ、僕も周りの人たちの安全も保障されません」
足が震える。
そんな理屈なんて関係ない、とにかく逃げ出してしまえ。
ともすれば負けそうになる、その誘惑を必死でねじ伏せる。
「スニフ……あなたには、そのための手があるのではないですか?」
問われたスニフは、明らかに返答に窮している。
実は、ここを出られないもう一つの理由がこれだ。
今の時点でスニフの存在をミスターが把握しているかどうか確信は持てない。
だがどちらだったとしても、僕が脱走すれば、捜索する過程で明るみに出るだろう。
そうなれば、プレシャス・スタッフに反撃するためにスニフが取れる手段はかなり制限されてしまう。
「プレシャス・スタッフは、あの復讐ショーを通じて、権力や財力を持った人間を多数抱きこんでいます。何かそれを覆す策があるのであれば、リスクは少しでも低い方が良いのではないですか?」
スニフが顔を曇らせる。
構築されているシステムから考えても、警察、政治家、刑務官、どこまで手が及んでいるか見当もつかない。
おそらくマスコミ関係にも顔が利くのだろうし、味方がいるのだとしても、そう多くは無いはずだ。
「ガードの固さから考えても、ありえる話だとは思っていました。おっしゃる通り、策はありますが、とても成功を保証できるようなものではありませんよ?」
「であれば、なおのこと僕は一緒には行けません」
やはり何か考えがあるようだ。
ならば、どのみち僕にはそれに乗るしか方法は残されていない。
リスクは可能な限り下げる。
そして、信じて待つより他はない。
「唯野さん、バカなことはおやめなさい。あなたの償う先は、こんな私刑まがいの場所ではありませんよ?」
「いえ、聞いてください。プレシャス・スタッフは事業として、この復讐ショーを行っています。仮に僕が何らかの方法で逃げおおせたとしても、彼らは次の獲物を捕らえてショーを続けるでしょう。知ってしまった以上、僕にはそれを見て見ぬフリはできません」
プレシャス・スタッフは、参加者の中から素質のありそうな人間を選び、次の獲物にするために追い込んでいるのだ。
放置すれば、必ず次の犠牲者が出る。
それをわかっていて目を背けることなど、僕にはできそうもない。
「さきほど策はあるとは言いましたが、もし失敗したら唯野さんは死ぬんですよ?」
さすがに言葉に詰まる。
もしショーの開催までにスニフが間に合わなかったら……。
僕が寺島圭司にやったように……今度は僕自身にあれが……。
想像するだけで身体の芯から震えが来る。
手足を縛られ、振り下ろされる刃に悲鳴を上げながら殺される。
できることなら、逃げ出してしまいたい。
でも、今の僕にはそれは許されていない。
「構いません。僕が言えた義理ではないかもしれませんが、プレシャス・スタッフのやり方は絶対に野放しにはしておけません」
僕は、スニフの目を真っすぐに見つめる。
ここは虚勢を張ってでも、僕の意思を伝えなければ、スニフを後押しできない。
スニフの目が迷いに揺れる。
僕を置いていく方が大きなメリットになるのが、理屈ではわかっているのだろう。
それでも、人は損得勘定だけでは動けない。
しばしの沈黙。
ややあって、スニフが大きく息を吐いた。
「その様子ではテコでも動きそうもありませんね……わかりました、私も最善を尽くしましょう」
「ありがとうございます」
「私は、こんな形での償いは望んでいません。ですので、唯野さんにはここで死んでいただいては困りますからな」
ふっと微笑を浮かべるスニフ。
さっきの口ぶりからも、スニフの策が成功するかは微妙なところなのだろう。
それでも、僕を不安にさせまいと気遣ってくれている。
僕にも何か少しでも手助けになれることは無いだろうか……。
「そうだ、よければこれを持って行ってください。もしかしたら役に立つかもしれません」
ポケットから鍵を取り出すと、スニフの手に押し付けた。
僕はこの部屋から出ることはできないが、所持品に関してはほとんど取り上げられていない。
ショーに遇されるまでは、いちおう人として扱うという事なのだろうか。
向こうの意図はわからないが、今回ばかりはこれに助けられた。
「これは?」
「僕のマンションの鍵です。部屋に入ったら……たぶん机の上だと思いますが、手帳があるはずです」
「手帳……ああ唯野さんが、ジンさんの店で出してた、黒い手帳ですか?」
「そうです。僕は気になった事は、とりあえずメモするクセがあるんですが、あれには僕がショーに参加した時の事が書いてあります。もしかしたら何かの参考になるかもしれません」
どんな策なのか知りたいところではあるが、ここで教えてもらうわけにもいかない。
誰がどこで聞き耳を立てているかわからない、念には念だ。
僕の手帳が何かのヒントになるかは不明だが、手掛かりは多いに越したことは無いだろう。
「ありがたくお借りします。必ず手帳と一緒にお返ししますから待っていてください」
スニフが部屋を出て、扉が閉められる。
思わず上げた手を強引に下した。
いくら覚悟を決めたといっても、やはり怖いものは怖い。
当然だ、だが怖いと認めることと、それに負けることは意味が違う。
扉の向こうで話し声がする。片方はスニフの声だ。
おおかたゴリラ男が、僕が脱走しなかったことに文句でも言っているのだろう。
ややあって、話し声が止むと、どんっと激しく扉が蹴られるような音が響いてきた。
もう後戻りはできない。
僕は粗末なベッドに身体を投げ出して、目を閉じる。
恐怖感、緊張感、色々な感情が頭を巡るが、不思議と後悔はない。
やがて、僕は誘われるように、眠りへと落ちて行った。
……
…………
………………
どこまでも続いているような何もない空間。
光源のわからない赤い光が心臓の鼓動のように明滅している。
霧のようなものが膝くらいの高さで揺蕩い、風も無いのにゆっくりと流れていく。
この奇妙な場所に来るのは、確か三度目だったか。
『よう、気分はどうだ?』
僕の正面に立つ一人の男。
相変わらず、嫌らしい笑みを顔に貼り付けた、僕そっくりの姿。
【オレ】だ。
「なるほどな、ようやく理解したよ。ここは僕の意識の中なんだな」
『その通りだ、さすがにわかったようだな』
思い返してみると、僕がここに来るのは、気を失った時や眠っている時ばかりだ。
外からの情報を遮断し、意識が内面に向いている時だけにイメージできる場所なのだろう。
そう考えると、僕の中に居るはずの【オレ】と対峙できる理由にも合点が行く。
「ちょうどいい、ここなら誰にも邪魔はされないだろう。さっきの理由とやらを聞かせてもらおうか」
『なんの話だっけ?』
「ふざけるな!」
つまらなそうに頭をかく【オレ】。
自分で説明してやると言っておいて、なんだその態度は!
『まあそうイライラすんなって、ちゃんと忘れてねえから。昴の話だろ?』
「そうだ、あのとき昴ちゃんに何をしようとした。お前の目的はなんだ!」
『言うことを聞かねえわからずやに、ちょっとオシオキしてやろうと思っただけだ。それにオレの目的はお前の味方をすること。それ以外にはねえよ』
【オレ】は僕の味方。
再三、聞いた言葉だ。
しかも【オレ】には、それ以外の目的が無いという。
僕の中に居座っている理由は、本当にそれだけなのか?
「お前は……何者なんだ?」
声が震える。
いままで僕はこの疑問から目を逸らしていた。
なぜ僕と同じ姿をしているのか。
なぜ僕の味方をするのか。
もしかしたら、僕自身が本当はわかってて、それを信じたくないだけなのではないか。
そんな不安が頭をもたげてくる。
『わかりやすく説明してやるよ。オレはお前の中の本能の部分が分かれた存在だ。だから最初に言ったろ? オレはお前自身だって』
やはりそうか……
『寺島圭司に復讐しようと向かったあの場所で、お前はこの期に及んでまだ迷っていたんだ。人を殺すなんて良いのかってな。てめえにとっちゃさぞかし大事件だったんだろう。その葛藤がオレを生み出したんだ』
ミスターは、あの青と赤の階段は、感情の振り幅を大きくするためにあると言っていた。
これがおそらく、【オレ】が分かれるきっかけになったのだろう。
【オレ】は、僕の中にある本能、つまり潜在的にこうしたいと考えていた欲望の部分でもある。
僕にとって都合の良い答えを返すのも考えてみれば、当たり前の話だ。
既に答えの出ている疑問や迷いを自問自答していただけなんだから。
『オレとお前は、もともと一つだ。人を殺すことが許せなかったお前は、責任を逃れるためにオレを作り出した。そして自分は何もしていないと安寧の中に逃げ込んだんだ』
「そうか……お前は、僕の弱さが生んだ影……」
【オレ】の沈黙が、肯定を意味していた。
僕は響子の仇を討ちたいと考えていた一方で、殺人を犯すことに罪悪感を感じていた。
それでも止まれなかった僕は、【オレ】を生み出し、全ての責任を押し付けた。
なんて情けない話だ。
『さて、さっきの質問に戻るぜ。オレがなぜ昴に手をかけようとしたかだ』
動悸が早まるのを感じる。
それに合わせて、空間の明滅も不規則になった。
聞きたくない、だがこれは僕が受け止めなければならない事実だ。
『てめえは、みんなを守るためなんてキレイ事を言っていたが、本当のところはお前自身が傷つきたくないってだけなんだぜ。だから、お前に逆らう奴は全部悪! 昴だろうが誰だろうが関係ねえってこった!』
勝ち誇ったように嘲笑する【オレ】。
突きつけられた真実は、刃物のように僕の心を抉った。
僕は自分の弱さを認めたくないばかりに保身に走り、そして大切な人を傷つけた。
この償いは、どうすれば良い……。
『べつに良いじゃねえか弱くたって。お前は今まで人のことばかり気にして、周りに合わせてばかりだった、ここらで自分の思った通りに生きてみるのも悪くねえぜ』
【オレ】の言うことは、いつだって蜜のように甘い。
その誘惑は抗いがたく、僕はそれに負けて、欲望のままに暴力に身を委ねてしまった。
僕だけが理不尽で不幸なのだと思っていた。
でもそれは違う。
みんな、それぞれの不幸や理不尽を抱え、それでも必死に抗っていたんだ。
いまさら気づいても、もう遅いかもしれない。
でも、せめて後悔だけは残したくない。
「僕は今まで、自分の弱さから目を背けていた。僕が不幸なのは周りが悪い、こうなるのも周りのせいだ。それじゃあ僕自身は何も変わらないんだ」
『それの何が悪い? 響子を失ったのはお前のせいか? 今までお前が苦しめられてきたのは、全部お前自身に原因があるのか? そんなことで自分を責め続けて何の得があるってんだ?』
まるで、気遣うような【オレ】の声。
今までのように、思わず【オレ】の言葉に乗ってしまいたくなる。
だが、それでは今までと何も変わらない。
どんなに逃げたくても、僕自身の弱さを受け入れなければ、この先には進めない。
「僕が原因では無いことは、もちろんある。響子の事だって僕に全ての責任があるわけじゃない」
『なら、お前だけが損をするなんて、おかしいじゃねえか』
「そうだ、だから寺島圭司に復讐したのは間違っていると思ってない。だからといって、何でも人のせいにして周りに当たり散らすのは間違っている。まして、社長や昴ちゃんを持ち出して正当化するなんて、僕の信じた正しさじゃない」
額に手を当てて呆れた様子を見せる【オレ】。
『いまさら何言ってやがんだ、お前はもう理不尽な思いをしたくないんだろう? だったらやられる前にやるんだよ! 何回言わせる気だ!』
「そうやって、いつまで暴力を振るうつもりだ? いくら続けたって永遠に終わりはしない。それとも僕らの周りから誰も居なくなれば満足なのか?」
真正面から反論されるとは思っていなかったのか、【オレ】が一瞬言葉に詰まる。
僕らが街でやっていたことは、正義なんかじゃない。
今ならわかる、僕は暴力に身を委ねるのが、気分が良かったんだ。
相手を屈服させる優越感、自分は強いと感じられる承認欲求、そんなものに浸っていただけだったんだ。
「僕はもう……暴力には頼らない」
それは、【オレ】の暴力性に対する完全な否定。
しばしの沈黙の後、【オレ】が狂ったように笑い出した。
「何がおかしい?」
『何がだって? こんなおかしい事があるかよ。てめえ今の立場がわかってんのか? ミスターの誘いにものらねえ、スニフと一緒に逃げもしねえ。あとはみじめに死ぬのを待つだけのてめえに何ができるってんだよ!』
僕は、いつまでも笑い続ける【オレ】を黙ってみていた。
あまりにも反応が薄いのが気に入らないのか、【オレ】の顔から嘲笑が抜け落ち、代わりに怒気をはらんだ目で睨みつけてくる。
『なんだ腰抜け、いまさら死ぬのが怖くなっちまったか?』
「死ぬのは怖い、そんなのは当たり前だ。スニフは必ず来ると言ったが、間に合うかどうかなんて誰にもわからない。それでも僕がここに残った理由は、僕が悲しみを与えてしまった遺族たちに、僕の覚悟を見せたかったからだ」
ミスターは許せない、しかるべき報いを与えるべきだという気持ちはもちろんある。
だが、それ以上に僕の感じたことを伝えたいと強くおもった。
悲しみに囚われ、復讐に手を染めた、同じ立場の人間として。
『てめえ、そこまでバカだったのか? あの会場で覚悟だ? そんなもん、なに言ったって命乞いにしか見えねえだろ』
「加害者である僕が言っても響かないかもしれない。自己満足となじられても構わない。それでも僕は僕自身のケジメとしてやらなきゃいけないと思ってる」
悲しみに暮れていた僕に、暴力に身を委ねた僕に、手を差し伸べてくれた人たちが居た。
今の僕にはその手を掴む資格は無い。
だから、自分を許せる道を探すために必要なことなんだと思う。
そしてそれは、言葉だけで軽々しく語れる事ではない。
この身を晒し、僕のすべてをかけて覚悟を示さなければ、きっと伝わらない。
「そのために、お前の力が必要だ。弱さを乗り越えて、困難に立ち向かうため、お前の強さを僕に貸してくれ、頼む」
僕は膝をつき、【オレ】に頭を下げる。
【オレ】が本能や欲望の部分だというなら、僕が変われば【オレ】も変わるはずだ。
いままでのような暴力的な面ではなく、勇気や前に進むための力として。
自分が信じた正しい道に戻るために、僕だけじゃなく【オレ】も必要だ。
『なんだか都合よく言いくるめられちまった気がするが……』
顔を上げると、【オレ】に貼りついていた嫌らしい笑みは影を潜めていた。
その姿には、もう嫌悪感はない。
『ま、悪い気はしねえし、オレはお前の味方だからな。いいぜ、乗ってやるよ』
立ち上がった僕の胸元に、【オレ】は手を当てる。
そのまま、ずぶりと身体の中に手が差し込まれた。
『オレが手を貸してやるんだ、大船に乗ったつもりで思い切りやんな』
「ああ、ありがとう」
【オレ】は、僕の身体と重なるようにして、姿を消した。
主を失った、赤く明滅する空間。
もうここに来ることは無いだろう。
僕はゆっくりと目を閉じ、再び開いた時には、元のプレシャス・スタッフが用意した部屋に戻ってきていた。
僕の中に居座っていた【オレ】の気配は感じられない。
もう会話を交わすことはできないが、僕の背中は【オレ】の強さがしっかりと支えている。
それは、自信、勇気、尊厳……そんな人としての大切な物なのかもしれない。
僕はベッドに横たわったまま、そんなことを考えていた。




