27話 黒幕
はなせ! くそっ! なんで僕を押さえつけてるんだ! 悪いのは向こうだろう!
こいつだけじゃない、スマホのカメラを向けていた奴は他にも居るんだ!
あっちにも! 向こうにも!
人の不幸を喜んで動画に収めようなんて奴らは思い知らせてやらなきゃいけないんだ!
離せ! はなせ!
激しく抵抗する僕は、応援に駆けつけたガードマン三人に取り押さえられ、事務所へと連れて行かれた。
粗末なパイプ椅子に座らされ、テーブルを挟んだ向かい側にガードマンの一人が座る。
仏頂面のガードマンを眺めているうちに、次第に怒りの感情が収まっていくのを感じた。
もちろん、さっきの若者のやった事と物言いは、とても許せるようなものでは無い。
だが、感情に任せて怒りに我を忘れるというのは絶対に間違っている。
それは、僕の嫌いな奴らのやるようなことだ。
それにしても気になるのは、さっきの昴ちゃんに対する【オレ】の行動は何だったのか。
なぜあんな真似をしたのか。
昴ちゃんを断罪するだって?
あのままだったらどうなっていたか、いま思い出しても背筋が寒くなる。
あれすらも、僕が望んだことだなどと言い出す気なのだろうか。
『……その通りだ』
いままで沈黙を守ってきた【オレ】の声が、頭の中に響く。
(僕がそんな事を望むわけが無いだろう! でたらめもいい加減にしろ!)
『いちいちめんどくせえな! オレは誰にも邪魔されたく無えんだよ!』
ぶっきらぼうに言い放つ【オレ】。
『オレにとっちゃ建前なんてどうでも良いんだ! 話の通じないやつ、邪魔するやつ、全て拳でわからせる! そうしないと、また響子みたいに手遅れになっちまう。違うか!』
そんなバカな!
だからといって昴ちゃんに手を出すなんて本末転倒にもほどがある……
『大体、そもそもお前が昴を説得できなかったのが悪いんだぜ。あのままなら絶対にオレたちの邪魔をする。だから、オレがわからせてやろうとしたんだろ』
【オレ】のプレッシャーに思わずたじろぐ。
とても信じたくは無いが、一理あるかもしれないと思ってしまっている自分が恐ろしかった。
(お前は、本当に僕の味方なのか?)
理不尽な目に遭う前に危険な奴らを粛清するという、【オレ】と僕の目的は一致しているはずだ。
でも、その対象は誰でも該当するってわけじゃないはずだ。
僕は迷いに捕らわれ、思考の拠り所を失ってしまっていた。
『もちろん、いつだってオレはお前の味方だぜ、なにしろオレはお前の……』
その時、ガードマンの後ろにある扉が、小さな軋みを上げた。
「迎えだ、来い」
開いた扉から顔を出した男が、ぶっきらぼうにそう言った。
迎え? 何か妙な表現だな。
てっきり警察にでも引き渡されるのかと思っていたが、それならこんな言い方はしない。
かといって、万引きか何かじゃあるまいし、社長あたりが来たんだとしても素直に帰れるはずがない。
どういうことだ?
僕が戸惑っていると、ガードマンが舌打ちをしながら立ち上がった。
「ボーっとするな! 早く行け!」
襟首をつかえて強引に立ち上がらせると、背中を小突いてくる。
乱暴なこと、この上ない。
部屋の向こうに居たのは、真っ黒なスーツを着た一人の男だった。
百八十センチくらいありそうな長身、警戒心を解かせるような柔らかな笑み、それにそぐわない蛇のような目。
顔に見覚えはない。無いが、間違いなく僕はこいつと会ったことがある。
どこだ?
僕は必死で記憶の糸をたどった。
「唯野さま、ご無沙汰しております」
洗練された一礼。
思い出した!
真夜中の地下駐車場。
ぼんやりとした明かりの中で会った、仮面の男。
僕を復讐の会場まで案内した、プレシャス・スタッフの黒服だ!
「上の者が、ぜひ唯野さまにお会いしたいと申しておりまして、お迎えに上がりました」
「……僕はそんな相手に用は無いぞ」
なんだって、今さらこいつが現れるのか。
まるで、僕が何かしでかすのを待っていたようなタイミングじゃないか。
今までの経緯から考えても、これ以上関係を持ちたいとはとても思えない相手だ。
「わたくしは唯野さまをお連れするように申し付けられた、ただの案内人です。そのような事を言われましても困ります」
「つまり、拒否権は無いということか?」
「いえ、わたくしの判断では決めかねるというだけのお話です」
どうあっても連れて行く気のようだ。
あの若者を殴った時の感触は、いま思い出してみても相当やりすぎた。
おそらく重傷、場合によっては死亡している可能性もある。
ここで黒服の迎えを断わったとしても、次は警察がやってくるだろう。
警察など肝心な時に役に立たず、事件が起こってから駆け付け、法を疑いもせず、善悪の基準をそこだけに依存する。
そんな相手に一方的に裁かれるなど、とても受け入れられるものではない。
ならば、僕に残された道は、この誘いにのることだけだ。
「わかった、どこへでも連れていけ」
「外に車を用意しております。どうぞこちらへ」
驚いたことに、書類も手続きもなく、あっさりと僕の身柄は黒服へと渡される。
それらが既に完了済の可能性もあるが、そうでは無いのだとしたら、とんでもない事だ。
本来なら現行犯逮捕の相手を無条件に引き取れるということになってしまう。
とても一企業が振るえるような権限では無い。
寺島圭司の前例を見ているとはいえ、今さらながらに背筋が寒くなる。
黒服に連れられて事務所の裏側、職員通用口を抜けると、そこに黒塗りの車が止まっていた。
後部座席に乗せられ、黒服自身は運転席へと乗り込んだ。
さすがに、こういう用途に使用するだけあり、前と後ろの席の間は、透明パネルで仕切られている。
音が伝わるように小さな穴は開けてあるが、パネル自体は素手でどうにかなるものでは無いことは一目でわかる。
「車のロックは、こちらからしか解除できません。事故でも起こせば唯野さんの安全は保障できませんので、そのおつもりで」
「逃げることはできないし、下手に暴れても無駄ということだな」
「察しが良くて助かります」
用意周到なことだ。
覚悟してはいたものの、完全に生殺与奪を握られてしまっている。
今は大人しくしているしかないな。
車が滑るように走り出す。
皮肉なことに、乗り心地は最高だ。
しかし、僕に会いたいなどと言い出す人物は、いったい何が目的なのだろうか。
これだけの車と迎えの黒服を用意するくらいだ、何かしらの意図があるのは間違いない。
それにタイミングが良すぎる。
どう考えても、あらかじめこういう事態に対しての指示が出ていたとしか思えない。
すると、僕に何かしらの利用価値があるということか……あるいは【オレ】か……
「さあ着きました、お降りください」
考えに耽っているうちに、車は見覚えのある駐車場へと到着していた。
あの日、集合場所に指定されたプレシャス・スタッフ本社の地下にあるやつだ。
「それでは、ご案内いたします。こちらへどうぞ」
黒服が先に立って歩き出す。
僕は無言でそれに従った。
以前ここに来た時に、この駐車場内には監視カメラがあるという話を聞いた。
この黒服を殴り倒せたとしても、建物から逃げ出す前に、応援の黒服がわんさか駆け付けてくるだろう。
車にあれだけの用意があったんだ、その程度の対策は考えていると思って良い。
誰も居ない地下駐車場に、僕らの足音だけが響く。
まるであの日に戻ってきたような錯覚に陥ってしまいそうだ。
もし、本当にあの日に戻れたとしたら……やはり僕は同じ選択をしただろうか。
「こちらにお乗りください」
黒服が指し示す先は、エレベーターだった。
音も無く扉が開き、中は五~六人ほど乗れそうな何の変哲もない物だ。
促されるままに乗り込み、黒服が扉を閉めるとエレベーターは静かに上昇を開始した。
最上階にほど近いと思われる階に停止し、扉が開く。
キレイな模様のついた絨毯の床、目の前には大きな両開きの扉、辺りに流れる独特の緊張感。
僕に会いたがっているという人物は、どうやらプレシャス・スタッフの中でもかなり上の役職を持っているようだ。
「唯野さまをお連れしました」
中から落ち着いた男の声で返事がある。
黒服が静かに扉を開け、通されたその先は、執務室と応接室を兼ねた、驚くほど立派な部屋だった。
いわゆる成金趣味のような、ゴテゴテした感じでは無い。
むしろ落ち着いた感じの調度品は、質と色合いのバランスが良くとれており、これだけでも部屋の主が品の良い人物であることがうかがえる。
「良くいらっしゃいました、急にお呼び立てしていまい申し訳ありません」
部屋の一番奥、立派な執務デスクに座っていた男が、顔を上げた。
わざわざ立ち上がってこちらに歩いて来ると、僕の右手を両手でつかみ、ぶんぶんと上下させる。
やけに馴れ馴れしい男だ。
「さあお疲れでしょう、遠慮なくお座りください。いま飲み物を用意させますので」
この腰の低さも、親しみの感情では無く、こちらの反撃を封じるための交渉カードの一つだろう。
わかっていても、こう下手に出られては邪険にするわけにもいかない。
僕は大人しく、応接セットのソファに座る。
男が満足したように向かい側に座ると、黒服は一礼して退出した。
「直接お会いするのは初めてでしたね。わたくし、唯野さんにもご参加いただいた例のイベントを主催しております……そうですね、ミスターとでもお呼びください」
当然ながら、本名を名乗る気は無いらしい。
それにしても、本当にこの男が主催者なのだろうか?
僕はいままで人の可虐性というのは、どう隠しても顔に出るものだと思っていた。
だが、目の前のこの男からはどうもそういった雰囲気が伝わってこない。
とにかく平凡な男……これが第一印象だった。
人の顔を覚えるのは、苦手な方ではないと思っていたが、この男はあまりにも特徴というものが無い。
たった今まで話していたとしても、別れた途端に思い出せなくなりそう、そんな希薄なイメージだ。
遺族を集めて復讐させ、それを見世物にする。
普通に考えたら倫理観の欠片も無いあの場を、この男は『イベント』と表現した。
見た目に反して中身は別物と考えておいた方がよさそうだ。
「そう警戒されなくても、いきなり唯野さんを痛めつけようなどとは考えておりませんから、ご安心ください」
「え? ああ……」
まるで世間話のように、突拍子も無いことを言い出すミスター。
思わず返答に詰まる。
その時、部屋の扉が開けられ、コーヒーが運ばれて来た。
運んできた人物を見て、僕は思わず目を見開いた。
大柄な身体を窮屈そうに黒スーツに着込んだ男。
服装が変わっても、見間違えようもない。
キツネ男の後ろを付き従っていた、ゴリラ男だった。
不器用にコーヒーカップを置きながら、相変わらずの危険な目で僕を一睨み。
できれば一緒になど居たくないという僕の思いをよそに、ゴリラ男はミスターの後ろで直立姿勢をとる。
「彼は、万が一のためのボディガードのようなものです。余計な事は言いませんので気にしなくて結構ですよ」
もしゴリラ男の本当の上司がミスターであるならば、僕の事を恨んでいるのを知らないはずはない。
そのうえで、同席させた挙句に発言を認めないなど、なかなか性格の悪い男だ。
心なしか、ゴリラ男がミスターのことも時おり睨んでいるように見える。
「それで、こんな所まで呼びつけて、何が目的なんです?」
「目的なんてそんな大げさなものではありません、唯野さんとぜひとも一度お話してみたかっただけですよ」
「僕は、あなたと世間話をする気はありませんよ」
「ああ、言い方が悪かったですね、用件はもちろんありますよ」
わざとなのか、持って回ったような言い方をするな。
だが、ここで苛立って感情的になっては思う壺だ。
「まずは、わたくし共の行なっている活動についてご理解いただきましょう。唯野さん、いま現在の刑務所における収容率というのをご存知ですか?」
「いや、考えたこともないですね」
「普通はそうでしょうね。ここ数年は百パーセントを下回ってはいるものの、依然として逼迫している状態です。そしてその中には執行されない死刑囚が百人以上も含まれて居ます」
日本では、死刑制度が形骸化している。
運用しようとすると、民意から猛反対されるからだ。
人道的見地から考えると誇るべきことなのかもしれないが、それでは被害に遭った方の保障や癒しはどうなるのかと言うと、途端に何も言わなくなるのだ。
「犯罪者とはいえ彼らも人間です。当然、生かしておくためには維持費がかかります。他人の人権を踏みにじり、贖罪が死刑と決まった人間が公権力によって守られ人権を保障される。理不尽だと思いませんか?」
心臓を直接つかまれたような想いだった。
いまミスターが話した事こそ、まさに僕が感じていた理不尽感そのものだったからだ。
「そこで、わたくし共はなんとか遺族の皆さまの無念を晴らせないものかと考え、あの仕組みができあがりました。服役中の犯罪者を引き渡してもらい、こちらで復讐の場を用意させていただく。書類上は刑務所内で自殺ということにしてしまえば角も立たないし、収容率も下がる。まさに皆が満足する素晴らしいイベントです」
「そんなばかな! 法治国家の日本でそんなことができるはずが無い!」
「法といえど運用するのは人間です。携わっている者たちを抱き込んでしまえば、どのようにもできます」
ミスターは、事も無げに言っているが、本当だったら大変な話だ。
あの復讐ショーは、本来とめなければならない立場の司法関係もグルで行なっているということになる。
「だとしても、マスコミや世論を騙しおおせるとは思えませんが」
実際にキツネ男の地上げは、世論の炎上が止めたと言っても過言では無いのだ。
「人の噂もなんとやら、一般の民衆というのは基本的に飽きやすいものなのです。例えば、どこかで強盗殺人があったとします。逮捕された犯人は当然、量刑を決めるために裁判にかけられるわけですが、最終的にどんな刑罰になったかニュースなんかで見たことがありますか? 民衆もマスコミも、時が経つとよりセンセーショナルな物へと飛びつき、それまでの話をきれいさっぱりと忘れてしまうのです」
そういえば、炎上騒ぎの時もキツネ男の会社に監査が入って、僕とスニフが新しいネタを投稿しなくなったら、あっという間に鎮火していった。
つまり、いくらその時に義憤に駆られていたとしても、所詮は他人事。
より面白い物を提示すれば簡単に目を逸らせるということか。
品性の無さに吐き気がする。
「ちょっと話が逸れましたが、主旨についてはご理解いただけましたでしょうか?」
「ええ、お話の内容には同意できる部分もあります。ですが、あんなショーまがいのやり方をする必要はあるんですか?」
あの復讐の場には、上で見ていた者たちが大勢いた。
彼らの醜悪な顔が思い起こされる。
「人はタブーと定められたものを見たいという本質的な欲求があります。これは権力や経済力を持った者ほど高い傾向があります。わたくし共も慈善事業ではありませんので、参加費用、見物料などで利益を上げねばなりません。そういう意味で需要と供給が合致した結果と言えましょう」
なんて言い草だ。
口では遺族の無念をなどと言っているが、平気でそれを金儲けの道具にしている。
しかも、あの観客たちは社会的に力を持つものが多いらしい。
政治家、医者、警察や刑務官……具体的にはわからないが、自発的に参加している以上は、あの場が無くなるのも困るし、自身に火の粉がかかるのはもっと困る。
自然に、彼らが結託してこのプレシャス・スタッフの行いが露見するのを防ぐ仕組みができあがるというわけか。
とんでもない話だ。
「では、そろそろ本題に入りましょうか」
ミスターがコーヒーを一口すすると、カップをテーブルに戻す。
いったい何を言い出すのか。
緊張で僕の身も引きしまった。
「ここ数年で刑務所に収容されている犯罪者の数が減ってきており、それに伴って要望に対してイベントの開催が追い付いていないという現状があります。当社としても、これではお客様に満足していただけないと考え、新事業としてまだ逮捕されていない者を捕らえてイベントを開催することを計画しております」
それはそうだろうな。
いくら権力者を抱きこんでいるといっても、同じ刑務所内で事故死や自殺があまりに多ければ、隠しおおせるのにも限界があるだろう。
ならば、同じ後ろ盾を利用して、別なルートを確保するというのは当然の結論だ。
ちょっと興味深い話だな。
「理由は様々ですが、司法の手の届かない者たちに理不尽な目に遭わされている被害者の皆さまが居るであろうことは間違いありません。そこで、当社がそれを救済するという主旨です。いかがですか?」
「言わんとしていることは理解できます。なかなか面白そうですね」
「そうですか、それはよかった」
ミスターが満足げに微笑む。
「そこで唯野さんには、こちらで指定したターゲットをここに誘い込む役をお願いしたいのです。唯野さんは頭も切れるし、いざとなると暴力も厭わない大胆さもある。わたくし共は人材派遣が本業ですので人を見る目は高い方だと自負しておりますが、唯野さん以上の適任は思いあたりません」
能力を褒められるのは悪い気はしないが、プレシャス・スタッフの誘いとなると、どんな裏があるかわからない。
安易に話に乗るのは危険過ぎるな。
「ずいぶん僕の事を買っていただけてるようですが、どうやってお調べになったんです?」
「そうですね、唯野さんの場合は、例のイベント会場に向かう時から兆候がありました」
どういうことだ?
僕は、あの時のことを一つ一つ思い出す。
正直、全ての事が異質過ぎて、どれの事を言っているのか見当がつかない。
「あの途中にあった青と赤の階段は、人間の精神に影響を与え、感情の振り幅を大きくする効果があります。いざ始める時に怖気づかれては興ざめですからね。唯野さんの場合、経歴や性格からは予想できないほど大きな攻撃衝動が表れていました」
途中で良くわからなくなってしまって、幻覚が現れて……最後はどうなったんだったか。
実際にあったことと、そうではなかったことが曖昧で、どこまでが現実だったのだろう。
「わたくし共は、イベントに参加いただいた方々に対するアフターケアの一環として、その後の生活に支障がないか様子を見させていただいていたのですが、唯野さんが時折、人が変わったように暴力的になることに非常に興味をひかれました」
アフターケアとはまた、物は言いようだな。
本当の目的は、プレシャス・スタッフにとって不利益な事が起こらないかどうか監視をつけてるといったとこだろう。
それにしても、対象が一人や二人ならともかく、僕が参加した時だけでも十人近く居たはずだ。
そう簡単に全員の監視なんてできるものなんだろうか?
「おや? あのストーカーを撃退した唯野さんなら、気づいていると思っていたのですが、その様子ではまだのようですね」
ミスターは、懐からスマホを取り出してみせる。
まさか!
「失礼ながら、そのスマホに仕掛けをさせていただきました」
僕は、慌ててポケットからスマホを取り出す。
いつもと同じ画面、特におかしい所は見当たらない。
だが、こんな所でミスターが嘘をつくのは無意味だ。
「いつの間に!」
「最初からです。案内メールに写真がついていたでしょう? あれを開くと感染するようにできています」
まるでイタズラのネタを話しているかのように楽しそうなミスター。
実際、彼にとってはその程度のことなのだろう。
「機能は説明するまでもないかもしれませんが、盗聴、アドレス参照、メール閲覧、GPSなど何でもできます。仮に機種を変えたとしても、データを移行すればそちらも感染する仕組みです」
「しかし、このスマホには対策アプリが……」
「対策アプリは基本的に検体が入手できなければ対策できません。わたくし共のささやかなウイルスでは、件数が少なすぎて入手は難しいでしょうね」
なんということだ。
大切な者を奪われて絶望感に苛まれている時に送られてくるメール。
添付されている写真にウイルスが仕掛けられているなんて誰が予想できるだろうか。
普段なら怪しむこともできようが、とても正常な状態とは言えない時に、そんな冷静な判断ができるわけがない。
「ついでに申し上げますと、実際に電波を見るというわけにいきませんので、人は画面に出ている表示を信頼するしかありません。通話がONになっていようが、GPSが有効になっていようが、画面にさえ出なければ意外と気づかれないものです。どうです? 面白いと思いませんか?」
人が悪いなどというレベルではない。
僕が真実を知って悔しがるのを完全に面白がっている。
それにしても巧妙なやり口だ。
あのストーカーの件が終わった後、僕も念のためにスマホを確認し、対策ソフトも入れてみた。
ミスターが仕掛けたウイルスは、そこまで完全に対策済みだったということになる。
人は、一旦安心すると、それ以上は調査しようとは思わない。
「すみません、話が横に逸れましたね。唯野さんに興味をもったわたくし共は、その手腕をテストしてみることにしました」
「例の地上げ話のことか?」
「ご明察! さすがですね。あの辺りの再開発プロジェクトを打ち上げたのは、わたくしです。元々成功しても失敗しても構わなかったのですが、資料を作るのが楽しくて思わず力が入ってしまいました。なかなか良い出来だったとは思いませんか?」
キツネ男の人選も、あの成功させる気が無いと思わせるような態度も、こういう裏があったのか。
要は僕を挑発して、反応を見たかったのだろう。
「ストーカーも、お前らの仲間か?」
「いえいえ、あの程度では使い走り程度の価値もありません。彼はただの協力者です。昴さんといいましたか、あの娘に好意があったようでしたので、後ろの彼に色々と協力はさせましたが」
僕と対峙した時にストーカーが呼んでいたのはゴリラ男か。
ミスターの言いようを見ると、出てこなかったのは僕がどうするのか見たかったのか、既に用済みだったのか。
どちらにせよ、プレシャス・スタッフの息がかかっていたのであれば、盗聴ウイルスも、やたらと高性能なドローンも入手可能だろう。
「そして、ストーカーを殺しておいて、平然と言い逃れるあなたを見て、ぜひともウチに欲しくなったと、そういうわけです。ああ言い忘れてましたが、警察には既に手回ししてありますから、ストーカーの件も今回の暴行事件も不問になっておりますので、ご安心ください」
調書を取っていた警察官に妙にやる気が無かったのも、すでに手回し済みだったせいか。
僕が今までやってきた事は、全てこいつらの手のひらの上だったというわけか……。
「貴様ら……たったそれだけの目的のために、どれだけの人間を巻き込んだと思ってるんだ! 昴ちゃんも! 社長も! 地上げ屋と必死で戦った人たちも!」
「それだけとは心外ですね、わたくし共にとっては、とても大事な用件だったのですが」
「そんな話をしてるんじゃない!」
こいつは許すわけにはいかない!
怒りに任せてソファから立ち上がる。
しかし、大きな身体に似合わぬ俊敏さで僕の頭を抑えつけたゴリラ男が、抗いがたい力で僕をソファへと叩きつけた。
あまりの衝撃に、頭の中がぐわんぐわんと回る。
「やはり、ご協力いただくわけにはいきませんか?」
ミスターの声が降ってくる。
不思議と、声にあまり残念そうな色は感じられない。
「当たり前だ! 誰が貴様なんかに!」
「仕方ありませんね。わたくし共にご協力願えないということであれば、これまでの負債を清算していただくことになります」
「負債だと?」
「ええ、唯野さんをテストするために使った資金。これらをまとめて唯野さんの身体で支払っていただきます」
なんて一方的な話だ。
今すぐにでも掴みかかって、ミスターを殴り散らしてやりたいところだが、ゴリラ男に睨みをきかされていてそれも叶わない。
「まだわかりませんか? 唯野さんにイベントに参加していただくのですよ。あなたが今まで手にかけた命、ご遺族の無念を晴らして差し上げなければ不公平というものでしょう?」
妖怪じみた笑みを浮かべるミスター。
復讐を煽ることによって暴力衝動を引き起こし、その遺族の中から次のターゲットを選別する。
完全にマッチポンプじゃないか!
「貴様っ!」
「残念ながらお話の時間は終わりです。連れていけ!」
僕は、ゴリラ男に手錠をかけられ、半ば引きずられるようにミスターの部屋を後にする。
頭の中は、悔しさでぐちゃぐちゃだった。
終始無言のゴリラ男に放り込まれた部屋は、ビジネスホテルなんかにあるシングルルームのようだった。
粗末なテーブルとベッド、申し訳程度のトイレ。
構造が似ているというだけで、クオリティはお世辞にも同程度とは言えない。
そして、何よりの違いが窓が無いことだった。
扉は外側から鍵をかけられており、こちらからはどうしようもない。
無機質な蛍光灯の明かりに照らされていると、たまらない息苦しさが襲ってきた。
明かりも空調も自由にならない監禁生活。
部屋に入ってから、ずっと圏外だったスマホは、ほどなくしてバッテリーを使い果たした。
外の明かりも入って来ず、時計も無いこの部屋では、昼夜の区別すらつかない。
最初のうちこそ食事の回数なんかで予測できていたが、あまりに単調に過ぎて行く時間に埋もれ、それもわからなくなった。
今頃、ミスターの指揮のもと、遺族たちに復讐を促すメールが送られていることだろう。
それを考えると、焦りが全身を焼き尽くさんばかりの思いに駆られるが、この部屋から出られない以上、僕にはどうしようもない。
このまま終わるわけにはいかない。
なんとかして、プレシャス・スタッフに一矢を!
気力も体力もごっそりと奪いつくされた僕は、その思いにすがりつき、なんとか正気を保っていた。
この部屋に監禁されて、どれだけの時間が過ぎたのか……
もはや命運も尽きたかと諦めかけていたその時。
部屋をノックする音が聞こえた。
いままで食事を出される時も、扉の下についている小窓から差し出されるだけで、ノックなどされたことは無い。
いよいよ処刑か……
しかし、鍵を開けて入ってきたのは、僕の予想を全く裏切る人物だった。
「……スニフ?」
なんでここがわかった。
いや、むしろ何しに来たんだ。
最後に会った時、僕はスニフの差し伸べた手を痛烈に拒否した。
危険を冒して助ける義理などないはずだ。
ミスターに懐柔されたなどというのは、もっとありえない。
いったい何が起こっているのか。
「唯野さん、助けに来ましたよ」
目の前の人物は、驚くほどいつも通りの口調で、そう言った。




