19話 安心できる場所
僕が工場に戻ると、キツネ男の言葉通り、社長の手元には自宅と工場の権利書、それに解消された契約書が返却されていた。
寝耳に水の社長は、それこそキツネにつままれたような顔をしていたが、僕が改めて説明したことでようやく安心したのか、その場にへたり込んでしまった。
数日が過ぎ、キツネ男の不動産屋が経営破綻したとのニュースが流れると、役目は終わったとばかりに例のSNSは違う話題へと移っていった。
スニフからの連絡もそれっきりだ。
一度だけ、こちらから連絡してみようと試みたこともあったが、すでにメールアドレスから電話番号まで変更済みのようで、連絡手段は皆無だった。
まあ、深入りは望むところでは無いので、むしろ都合が良いと言える。
他にも色々と解決しなければいけない問題はあるものの、ひとまず一段落といったところだ。
そして、無事に年を越した一月の二日。
社長から突然、新年会をやるから良かったら来て欲しいと連絡があった。
年末から一人きりで、することも無い僕は、その申し出をありがたく受け、社長の自宅へと出向いていた。
「あ、唯野さん来てくれたんですね。明けましておめでとうございます」
玄関で出迎えてくれたのは昴ちゃんだった。
振袖を着て、いつものポニーテールをおろしている。
それだけで活発な印象が鳴りを潜め、ぐんと大人っぽくなっていて、とっさに言葉が出てこない。
「どうしたんですか? ぼーっとして」
「え? ああ、ごめん。いつもとずいぶん雰囲気が違うなって」
「ん~、ひょっとして似合わないって意味ですか?」
ちょっと不満そうな顔をする昴ちゃん。
「いや、そうじゃなくて、その……キレイだなって」
「ふふっ、ありがとうございます」
昴ちゃんは、嬉しそうに頭を下げる。
初っ端から、すっかりペースを持っていかれちゃったな。
思わず苦笑が浮かぶ。
「さあ、外は寒かったですよね? どうぞ入ってください」
家に招かれるのは二度目なので迷うことは無いが、昴ちゃんが前に立って案内してくれる。
リビングでは、すでにかなり酔った社長が上機嫌で出迎えてくれた。
テーブルには、定番のおせちをはじめ、所せましと料理が載っているのだが奥さんはキッチンでまだ何か準備しているらしい。
「おお! 唯野くん、ようやく来たか! まあ座れ座れ」
「明けましておめでとうございます。今年も……」
「堅苦しい挨拶は抜きだ! まずはかけつけ三杯! おーいビールだ!」
困った顔の奥さんが、ビールを運んでくる。
「この人ったら、すっかり羽目を外しちゃって。いきなりで驚いたでしょう?」
「いえ、元気な姿が見られて安心しました」
なにしろ、ついこの間までキツネ男とやりあってて、あやうく家と工場を手放す直前まで行ったのだ。
その時の社長の落胆ぶりは、とても見ていられなかったが、今日はこんなに楽しそうな顔をしている。
これを見るだけでも来た甲斐があるというものだ。
「それより奥さん、怪我のほうは大丈夫なんですか?」
奥さんは、例の事故のときに腕を怪我して病院に行っている。
大した事は無いと昴ちゃんから聞いていたが、その後は自宅に居る事が多くなり、あまり顔を合わせる事が無かったのだ。
「ええ、もう痛むことは無いんですよ。大げさに騒いじゃってごめんなさいね」
「それなら良かったです。もう準備も十分みたいですし、あまり無理はしないでくださいね」
「そうさせてもらうわ。それじゃあ、ゆっくりしていってくださいね」
そう言い残して、奥さんはキッチンへと戻って行った。
「唯野さん、ビールで大丈夫ですか?」
「ああ、ありがとう」
昴ちゃんが、グラスにビールを注いでくれる。
「昴! わしにも注いでくれ!」
「やーよ、お父さんは自分でやって」
「なんだ冷たいな」
「当たり前でしょ、『馬子にも衣装』なんて酷いこと言ったのだれ?」
「何を言ってるんだ、褒めたんじゃないか」
「褒めてないっ!」
情けない顔になる社長。
どこまでが冗談なんだかわからないが、楽しい雰囲気は伝わってくる。
こんな気が緩められるのも久しぶりだな。
「ひどいと思いません? 唯野さん」
おっと、こっちに飛び火してきたぞ。
申し訳ないが、ここは社長に悪者になってもらおう。
「そうですよ社長、せっかくこんな可愛い格好してるのに」
「さっすが、わかってる!」
昴ちゃんは上機嫌だ。
「なんだ唯野くんは昴の味方か、仕方ないな。それにしても、なんだって今年に限って振袖なんぞ引っ張り出しとるんだ? 毎年、面倒がって着なかったのに」
「い……いいでしょ別に、今年はそんな気分だったの」
ん? そうなのか。
そういえば、昴ちゃんは振袖なのに、奥さんはいつもと変わらない服だな。
料理の邪魔になるからなのかと思ったが、そういうわけでも無いのかな?
そういうことなら運が良かったということか。
「いやー、それにしても、この家で無事正月を迎えられるとは思わなかった!」
「お父さん、さっきからそれ何回目? いい加減、聞き飽きたよ?」
「いいだろうが、嬉しいんだから何回言ったって」
「はいはい、わかりました」
昴ちゃんが眉を下げ気味して困った顔をしている。
どうやら、僕が来る前から何度も同じ話をしていたらしい。
「それというのも唯野くん! 全て君のおかげだ、ありがとう!」
やにわに社長に頭を下げられて、今度は僕が慌てる番だった。
「待ってください、ここを売らずに済んだのは、結果的にあいつらの会社が潰れたからですし、僕は何もできてなくて……」
「そんなことは無いぞ、唯野くんが必死に奴らと戦って時間を稼いでくれたおかげだ。ありがとう」
社長は立ち上がって僕の手をとると、ぶんぶんと上下に振った。
昴ちゃんに助けてもらおうと思ったが、くすくす笑って面白がるばかりで、止めようという気配は無い。
「唯野くん! いや、こんな呼び方は他人行儀だな、今度から誠一郎くんと呼ばせてくれ!」
「え? いや、それは構いませんが……」
思いもよらない方向の話で、さすがに一瞬返答に詰まる。
いままで振り返ってみても、両親や親戚以外で名前で呼ぶ人なんて片手で数えるほどしか思い出せない。
「お父さんずるい! 私だって誠一郎さんって呼びたい。良いですよね?」
「え? ああ、もちろん」
「やった」
喜ぶ昴ちゃん。
いきなりな事で焦ったけど、なんか家族に入れてもらえたような気がして嬉しいな。
僕も自然と笑みが漏れる。
よかった。
スニフとSNSの事がバレたのかと思って焦ったが、そうじゃ無いみたいだな。
別に隠すことも無いのかもしれないが、やはり何となく言い出しにくい。
できれば、このまま秘密にしておきたいなと思う。
「でも誠一郎さん、ほんとに凄かったですよ。こんなんじゃ売れないって啖呵きって逆に追い返しちゃったりして」
「昴ちゃん、聞いてたの?」
「うん、どうなっちゃうのか、どうしても気になって……」
高校生の昴ちゃんには、ああいう汚いやり取りはあまり見せたくなかったんだけど、仕方ないな。
心配で居ても立ってもいられなかったんだろう。
「だから、みんな誠一郎さんには感謝してるんだよ」
「そっか、ありがと」
こう正面きって感謝されると、なんかむず痒いけど嬉しいな。
今さらながら、平穏が戻ってきたのを実感できる。
そうしているうちに、料理を作り終わった奥さんも混ざって、場は賑やかに過ぎていった。
「お父さん……寝ちゃったね」
僕の向かい側で、社長はテーブルに突っ伏して酔いつぶれていた。
片手にコップを持ったまま、すごく満足そうな表情をしている。
奥さんは社長を連れて行くために寝室を準備していて、席を外している。
「お父さん、本当に誠一郎さんが居てくれて良かったって言ってました」
「いや、さっきも言ったけど、僕はあいつらを追い返すだけで精一杯で……」
「それでも誠一郎さんが居てくれて心強かったって、一人だったらとうの昔に負けてただろうって」
気持ちが救われたという事だろうか。
そうだな、一人でも味方が居るっていうのは違うものなのだろう。
僕もスニフが話を持ちかけてこなければ、半ば以上諦めてたんだし、それは良くわかる。
「それでね、誠一郎さん。私、お願いがあるんです」
「どうしたの? 急に改まって」
「私、もっとお父さんの役に立ちたいんです。それで経理のお仕事を教えてもらえないかなって」
昴ちゃんは、今までも細々(こまごま)とした雑用を嫌な顔一つせずにこなしている。
こういう仕事を軽んじる人は多いが、僕が全力を尽くすのに昴ちゃんが助けになっていたのは間違いない。
特に地上げ騒ぎで大変な時は、むしろもっと遊べば良いのにと心配になるほどの頑張りようだった。
僕は十分に役に立ってるとは思うが、昴ちゃんの想いは、そういうことでは無いのだろう。
できることであれば、今度は僕が助けになってあげたいな。
「そうだね、僕で良ければ」
「ほんとですか?」
「ただ、僕の教え方だと、どうしても偏っちゃうから、最初はきちんと教室か何かに通って簿記の基礎を学んだ方が良いと思うよ。僕からも社長に頼んであげるから」
昴ちゃんは、ちょっと迷ったような表情になるが、すぐに笑顔を浮かべた。
「わかりました、約束ですよ?」
「もちろん。でも僕の教え方は厳しいかもしれないよ?」
「大丈夫です。誠一郎さんをがっかりさせないように、私がんばりますから!」
屈託の無い笑顔を浮かべる昴ちゃん。
なんか呼び方が変わったせいか、急に妹ができたような気になるな。
やっぱり、ここが無くなったりしなくて良かった。
僕は何とも言えない安心感を感じながら、そんなことを考えていた。




