18話 結末
スニフが僕のマンションを訪問した日から一週間ほどが過ぎた。
今日は例の記事の載った雑誌が発売されるはずの日だ。
どんな記事なのかは具体的にはスニフから何も聞かされていない。
本当に思惑通り事が進むんだろうか?
これに全てがかかっていると思うと、半信半疑でどうにも落ち着かない。
「唯野さん、どうかしたんですか?」
一緒に工場の片付け作業をしていた昴ちゃんが心配そうに聞いてくる。
いかんいかん、そわそわしてるのを悟られてるな。
「ああごめんね、ちょっと気になる事があって。ところで社長は?」
「お父さんなら今日は家の方に居ますよ。何か困った事があるなら相談してくださいね」
「ありがとう、何かあったら遠慮なくそうさせてもらうよ」
口ではそう言ってみたものの、この件については相談するわけにはいかない。
本当に何かあったときに、どんな迷惑がかかるかわからないからな。
そんなことを話しながら定時を迎えた僕は、工場から真っ直ぐ最寄の本屋へと向かった。
週刊誌のコーナーには、探すまでもなく目当ての雑誌が平積みで売られていた。
一番上の一冊を手に持ち、ぱらぱらとページをめくって見る。
スニフが三流雑誌と言っていた通り、政治家や芸能人のスキャンダル関係が多く、お世辞にも品性が高いとは言えそうもない。
僕はその雑誌に目的の記事が載っているのだけを確認して、そのままレジに持っていった。
普段読むような雑誌では無いが、今回はこれ以降の動きのために持っていた方が何かと便利だ。
それに、立ち読みはどうも落ち着かない。
マンションの自室に戻った僕は、手早く夕食を済ませ、紙袋から例の雑誌を取り出した。
スニフの記事は、雑誌の中ほど、モノクロではあるが見開き四ページに渡る思ったより大きい構成になっている。
記事の内容は、キツネ男たちが地上げをやるにあたって、強引な説得を続けている事や、その法的根拠を説明しながらも倫理的に許されるべきでは無いという感情に訴える方向の論調だ。
そして、記事の中ではプレシャス・スタッフについては触れられていない。
リスクを避けるためなのか、スニフになんらかの意図があるのかはわからないが、僕に関係のある話では無い。
と、スマホが軽快な音楽を鳴らす。
「もしもし?」
「唯野さんですね。記事は見ていただけましたかな?」
「ええ、丁度いま見ているところですよ」
相手はスニフだった。
この段階で僕と寺島圭司の関係を悟られるのは具合が悪い。
なるべく平静を保ちながら、短く応える。
「何か確認しておきたい事はありますか?」
「いや、無いですね」
「わかりました、ここからは打ち合わせ通りにお願いします。以降はメールで」
「了解しました、よろしく頼みます」
特に何事もなく通話は切れた。
スニフとしても、あまりリスクの上がることはしたくないのだろう。
後は、SNSでの準備が整うのを待つだけだ。
あくる日からも、僕は工場での片付け物を手伝っていた。
例の雑誌記事については、社長も昴ちゃんも知らないようで、話題に上ることは無い。
まだ逆転の目があると教えてあげたい所ではあるが、不確定要素が多すぎる。
計画を知れば協力すると言い出すだろうし、そうすれば万が一の時に巻き込んでしまうのは避けられない。
やはり今は話すべきでは無いな。
そうして更に数日が過ぎた。
スニフが指定してきたSNSは、地域の話題なんかを取り扱っている物で、既に地上げの件で数人の書き込みがある。
おそらくスニフ本人か、僕と同じ協力者たちなのだろう。
スニフによれば、書き込みのコツとしては、論理性より倫理や感情を優先する方が良いらしい。
その上で、地上げは悪とレッテルを貼り、参入してきた人たちが安心して正義を振りかざせる環境を用意する。
後は協力者たちで煽り立てれば、自然と世論は炎上の方向へと向かうと言っていた。
僕は、ここ数日のあいだに作成しておいた体験談をコピーして書き込んだ。
特定を防ぐために重要なところはボカシつつ、キツネ男たちのやり口の強引さを訴える。
すぐに賛同や応援の書き込みがついた。
「これで良いのかな?」
その日は、夜遅くまで活発に動くSNSの中で返信や応援に追われていた。
次の日からも、昼は工場で働き、夜はマンションに戻ってSNSの書き込みを続けていた。
スニフの話では、徐々に協力者以外の人間も流入してきているらしい。
色んな質問や、事実を確認したいという書き込みも飛び交うようになってきた。
しかし、実際に効果が上がっているのか、どうにも手ごたえが掴み難い。
こうしている間に引渡し期限が来てしまっては元も子もない。
何か目立ったアクションは無いのかと内心焦れていた、そんなある日のことだった。
「お、唯野はんやないか、久しぶりやなあ」
ちょっと所用で工場を抜けた帰り道。
後ろからかけられた声に振り向くと、そこには見たくも無い顔があった。
相変わらず仮面のようなにやにや笑いを貼り付けたまま、まるで友人のように片手を上げて歩いてくるキツネ男。
よくも平気な顔で姿を見せられるものだ。
「実は唯野はんにエエ話がありましてなあ、こうして……って、ちょお待ってえな」
こんな奴と今さら話し合うことなど無い。
無視して歩き出した僕に、キツネ男が大慌てで追いついて来た。
「何の用です?」
「まあそんな怖い顔せんと、ちっと話くらいええやろ?」
「僕には話すことなんて、ありませんよ」
「そう言わんと、時間は取らせまへんて」
わざわざ前に回ってきたキツネ男が、一見懇願するような態度を取る。
どこまで人をバカにすれば気が済むんだ。
そうでなくても、さっきから【オレ】が一発殴らせろとうるさいんだ、これいじょう余計な事はしないでくれ。
「ワテなあ、今しがた社長はんに会って来たとこなんや。何の用か、わかりまっか?」
まさか引き渡し期限が早まったとか……。
冗談じゃないぞ、そんなイレギュラーな理由で終わるなんて、納得できるか!
僕は固唾を飲んで、キツネ男の次の言葉を待つ。
「実は買い取り契約がパアになってしもてなあ、権利書返して来たんですわ。えろう迷惑かけてすんまへんなあ」
は?
キツネ男の突然な話に、まったく頭がついていかない。
「どういうことです?」
「なんや、唯野はんてっきり知っとると思っとったんやけどなあ、これ見てまへんか?」
キツネ男が取り出したのは、例の雑誌だ。
「なんか知らんけど、これにワテらのことがまるで悪魔のように書かれてんねん」
全部事実だろうと言いたいところではあったが、僕は表情を変えず、何も言わない。
記事を知っていることがバレれば、どこから嗅ぎ付けられるかわからない。
こういう時に相手に与える情報は少ないほど良い。
「コレがネットで話題になってしもて、野次馬やら電話やらが、ぎょーさん来るんですわ。もうてんやわんやでな」
珍しくキツネ男が困惑したような顔をしている。
それだけ異様な状況だったということか。
どうやら、スニフが火をつけた話は予想以上に効果があったようだ。
「でな、対応に追われてるうちにネズミが入り込んでるのに気づかんでなあ、帳簿すっかり漁られてもうて、これですわ」
キツネ男は両手を肩の辺りで、ぱっと広げてみせる。
帳簿関係のネズミというと、税務署辺りか。
そうだとすると、気味が悪いほどスニフの筋書き通りだな。
「あのお人らは、ほんと粗探しが上手いなあ。ちょっと節税してたのがバレてもうて、今朝になって、書類もパソコンも全部持って行かれてもうてなあ。こうなったら商売どころじゃ無いですわ」
そこまでやられたとなれば、ちょっとの節税などという生易しいものの訳は無い。
この後、追加納税と罰金がかけられる。
ガサ入れに動くとなれば金額もかなりのものだろうし、風聞を恐れてプレシャス・スタッフが尻尾切りに走ったのであれば、キツネ男の会社規模ではとても耐え切れるものでは無い。
「せやから契約も白紙、まだ金を振り込んで無い所は契約書と権利書返却と、そういうわけや。唯野はんらにとっちゃ願ったりな話やろ?」
「……本当ですか?」
「なに疑っとんねん。ワテは会社無くなってもうて今日から無職やねん。それで唯野はん騙しても一文の得もあらへんわ」
キツネ男の会社が本当に無くなったのかなんて、ちょっと調べればわかることだ。
仮にウソをついてるのだとしても、時間稼ぎ以上のものにはならない。
とすれば、キツネ男の言には一定の信憑性がある。
「ま、今回は唯野はんらの粘り勝ちちゅーこっちゃな。おめでとさん」
「はあ……どうも……」
僕は自分でも呆れるほど気の抜けた返事をすることしかできなかった。
ウソはついてない。
それはわかるのだが、あまりにも呆気ない結末に、まだ実感が湧いてこない。
ただ、これで社長や昴ちゃんは救われる。
僕もあの居心地の良い場所を失わずに済む。
大事な場所を守りきれた。その事実には、大きな喜びと安堵感があった。
きっとみんな喜んでるに違いない。
僕が思わず走り出そうとしたのを、キツネ男が手で制する。
「すまんなあ唯野はん、早く行きたい気持ちはわかりますが、まだこっちの用が終わって無いねん」
「まだ何かあるんですか?」
「せや、こっからが本題や」
もう決着はついたというのに一体何の用だ。
こっちはもう、一秒だってコイツの顔を見たくないんだ。
キツネ男の元々細い目が更に細くなり、妖怪じみた顔になる。
その射すくめるような視線に、僕はその場から一歩も動けなくなった。
「今回のこの仕掛け……どうやったかは、わからん。けど唯野はん、あんたの仕業やろ?」
「な……何を根拠にそんなこと……」
「ワテをあんまりナメん方がええって言うたやろ。雑誌記事から始まった炎上騒ぎ、それに乗じて裏帳簿の暴露、まるで設えたようなタイミング、こんなん偶然のわけあらへん。必ず誰かが裏で糸引いとる」
キツネ男が、一歩前に出る。
僕は気圧されて、その分だけ後ずさった。
僕とスニフの取った手段は犯罪では無い。
が、とても倫理的に許されるような方法では無い。
その思いが、僕から反論の言葉を奪っていく。
「なにも責めようってわけや無い。ワテはむしろ感心してるんや。唯野はんもワテらと同じ狢やったんやなあって」
「なにを……」
「せやろ? 迷ったか迷わないかは関係あらへん。目的のために一線を越えた事実は変わらんのや」
貴様と一緒にするな!
その叫びはどうしても声にならず、キツネ男の言葉はどうしようもなく僕の頭に突き刺さった。
【オレ】が僕の様子を面白そうに眺めている。
何か言いたいことがあるなら言ってくれ! いつもみたいに僕を励ましてくれるんじゃないのか!
「ま、それも今となってはどうでもええ話や、邪魔してすまんかったな」
僕の反応に満足したんだろう。
キツネ男は元のにやにや顔に戻ると、すれ違いざまに、ぽんぽんと僕の肩を叩いていく。
僕は、歩き去っていくキツネ男を呆然と見送るしか無かった。
「せや、ひとつ言い忘れてたわ」
ふと、キツネ男が足を止めて振り返った。
「ワテのボディガードやってた、ごつい奴おったやろ」
ゴリラ男の方か、そういえば今日は姿が見えないな。
「今日は野次馬対策に置いてきたんやけど、ほんまはウチの社員や無いねん。でな、出向元に戻ることになったんやけど、唯野はんの事、めっちゃ恨んでましたわ。気いつけた方がええで」
事も無げに言ったキツネ男の言葉の意味するところは重大だった。
ゴリラ男はプレシャス・スタッフの人間で、出向元に戻るということは今回の件とは無関係という扱いになっている。
つまり、あの危なそうな男が野放しになっているということだ。
認めたくは無いが、今まではキツネ男が奴の暴走を止めていた事が何度かあった。
それが無くなるとどうなるか……。
僕にとっては、頭から冷水を浴びせられるような衝撃だった。
「もう会うことも無いやろから最後のサービスや。有益な情報やったやろ? ほなな」
今度こそキツネ男は、こちらを振り返ることなく去って行った。
まだ終わっていないのか……。
最後に残したキツネ男の言葉が、僕の頭の中をぐるぐる回っていた。




