16話 商談の終わり
次の日の朝、僕はいつものように工場へ向かっていた。
季節は十二月になり、いよいよ寒さも本格的になってきた。
ひとつ身震いすると、ジャンパーの前をしっかりと閉め、通い慣れた通りを足早に歩く。
もうすぐ着くという頃合になって、僕は前方に人だかりができているのに気づいた。
こんな朝早くから何かあったのかな?
普段着っぽい人たちが集まっているのは、もしかして社長の工場の辺りじゃないだろうか。
合間から赤いランプが見える。
救急車か、パトカーのような……。
何かまずい事があったんじゃないだろうか。
僕は、猛烈に嫌な予感に襲われ、全力で駆け出していた。
やじうま達を割って、工場についた僕は、あまりの光景に目を疑った。
工場の出入り口にあたる部分に、大型トラックがまともに突っ込んでいたのだ。
ぶつかったところは、双方ともめちゃくちゃで原型を留めていない。
かなりスピードが出ていたようだ、ドライバーは余所見でもしていたんだろうか。
それよりも工場に人が居なかったかどうかが心配だ。
僕は、トラックの周りで事故処理にあたっている警察官の一人に声をかけた。
「すみません、いったい何があったんです」
「なんだねキミは」
「ここの従業員です。社長は無事ですか? けが人は?」
露骨に面倒そうな顔をする警察官に、押し付けるように社員証を見せる。
みんな無事だろうか。頭の中はそれで一杯だった。
「事故だよ、見てわからないのか? ドライバーは意識不明で病院に運ばれた。アルコール反応が出ていたそうだから、おおかた酔って運転をミスったんだろう」
「いえ、そっちではなく、工場の方に人は居なかったんですか?」
「建物の中では事務作業をしていた女性が軽傷を負った。娘さんの付き添いで病院に行っているが、心配なら様子を見に行ったらどうだ。さあもう良いだろう、私は忙しいんだ」
警察官は、一息にそう説明すると、これ以上は付き合ってられないとばかりに背を向けて検証作業に戻る。
奥さんが怪我……軽傷だと言っていたが、どの程度なんだろうか。
そうだ、社長はどこに?
きっと心配しているに違いない。
この辺には姿が見えないな、探さないと。
工場の裏手の方に回ってみると、そこには一人で立ち尽くす社長の姿があった。
「社長! 無事ですか!」
「ん? ああ、唯野くんか。ワシは見ての通り大丈夫だ」
「そ、そうですか、それなら良かった」
「……これを良いと言ってもいいものか」
「あ……申し訳ありません」
「いや、こっちこそすまん、ちょっと動揺しているようだ」
社長自身に怪我はなくとも、奥さんが病院に運ばれたとなれば心配なのは当然だ。
肩を落とし疲れた顔で俯く姿は、いつもの元気な社長からは想像もつかない。
まるで張り詰めていたものが、ぷっつりと切れてしまったかのようだった。
しばらくそっとしておこうか、そう思っていたその時だった。
「いや~、大変なことになりましたな~」
そこには、いつの間に来ていたのか、例によってゴリラ男を引き連れたキツネ男の姿があった。
人の気も知らないで能天気な声を出しやがって。
よりによって、なんてタイミングで現れるんだ、こいつらは。
「ワテなあ、朝一番にネットの地域ニュース見るのが日課なんですわ。どこに儲け話が転がってるかわからへんからなあ」
キツネ男は、睨みつける僕の視線など意にも介さぬとばかりに、悪びれもせず歩いてくる。
今こいつと社長を会わせるわけにはいかない。
社長にこれ以上心労をかけてたまるもんか。
「そしたら、ここで事故があった言う投稿見つけましてなあ。こりゃいかんと思て、慌てて駆けつけたってわけや」
「事情がわかってるんでしたら、今日は帰ってもらえませんか」
僕はキツネ男の前に立ちはだかると、きっぱりと言い放った。
冗談じゃない、今日はお前らとごちゃごちゃやってる暇は無いんだ。
「つれないなあ唯野はん。まあ気持ちはわかりますさかい、これだけ置いて帰りますわ。社長はんに渡しといてな」
キツネ男は、懐からのし袋を取り出した。
「なんですこれ?」
「見舞金ですわ、治療費の足しにでもしたってや、ほんならな」
そう言い残して、とっとと去っていくキツネ男。
あの貼り付いた笑いが、いつも以上に癇に障る。
見舞金? こんな物どう見たって人の不幸をわざわざ笑いに来てるだけじゃないか。
『なあ』
(どうした?)
『あいつら、ずいぶん準備がいいとは思わねえか』
(なにがだよ?)
『その、見舞金とやらの話だよ』
改めて見ると、水引きがついた立派なのし袋だな。
しかもどこで頼んできたのか、プロ顔負けの達筆な字で社長の名前が書かれている。
ん? まてよ……。
奥さんが工場に居たということは、事故が起きたのは夜じゃない、たぶん朝の早い時間だ。
警察がいま現場検証をやっていることから考えても、起きてから数時間以内だろう。
キツネ男は、インターネットの地域板で見たと言っていた。
現場に人だかりができているのだから、そのうちの誰かが投稿していたとしても、別段おかしくはない。
わざわざ見舞金を持ってくるなんて間柄じゃ無いんだから、奴らには何か他に目的があったんだろう。
とりあえず、そこはいい。
問題は、とても普段使いするとは思えない袋、よほどの偶然でも無ければ事務所に置いてあるなんてありえない。
こんな朝早くに売ってる店など、この辺りではちょっと思いつかない。
しかも手書きの名前入りと来た。
ネットの速報を見てから準備したにしては、都合が良すぎやしないだろうか?
自分の推測が、最悪の結果を導き出そうとしていて、呼吸が苦しくなってくる。
もし、この見舞金が予め用意されていて、キツネ男はそれを持って来ただけだとすれば。
奴らは、この事故が起きるのを事前に知っていたということになる。
つまりこれは、起きるべくして起こったことであり、それを仕組んだのは……。
僕は走り出していた。
この人でなし共をこのまま帰すわけにはいかない!
「まてっ!」
振り向いたキツネ男の胸倉を捕まえて締め上げる。
「貴様らのしわざかっ!」
「な、なんやいきなり!」
キツネ男が慌てたような声をあげる。
だが見下しきったその目が、僕の推測が正しいことを雄弁に物語っていた。
一歩間違えば、奥さんは死んでいたかもしれないんだぞ!
人の命を一体何だと思ってるんだ!
怒りのあまり、視界が真っ赤に染まった。
辺りの喧騒などもう耳に入らない。
絶対、こいつに思い知らせてやる!
雄叫びと共に、腕を振り上げる。
【オレ】が喝采を上げていた。
しかし渾身の力で叩きつけようとした僕の拳は、何者かに掴まれ、振り下ろされることは無かった。
「なにをしている! やめろ!」
「いいから落ち着け!」
後ろから羽交い絞めにされ、強引にキツネ男から引き剥がされる。
周りを見ると、さっきトラックの周りで検証していた警察官が集まってきて僕を押さえつけていた。
離せ! なんで僕を捕まえるんだ!
なおも暴れる僕は、腕を後ろ手にひねられ、そのまま地面に引き倒された。
何事か愛想よく警察官に事情を話していたキツネ男が、こちらを一瞥して歩き去っていく。
いくら叫んでもキツネ男は振り返ることは無かった。
押さえつけられた腕の痛さより、悔しさで涙が出た。
なぜ僕がこんな目に……。
結局、そのまま取り押さえられ、ひとばん留置場で過ごした僕は、キツネ男が被害届を出さなかったため微罪処分で釈放となった。
ケンカの原因、トラック事故のこと、地上げのこと、必死に訴えたが全く相手にされ無かった。
「警官の前でケンカとは顔に似合わず良い度胸だな。もうやるんじゃないぞ」
「……はい」
挙句には、見送りの警官に上から目線で言い含められる始末。
あっちにしてみれば、悪いと決めた方の言い訳など聞く必要も無いのだろう。
いかなる理由があれ、先に手を出した方に責任がある。
それ以上のものでは無い、そういうことだ。
『そんなこと無ぇぜ』
(だってそうだろう? 僕はこんな目に遭ってるのに、キツネ男はのうのうとしてるんだから)
『バカだなぁ、ポリの前だってのに安い挑発に乗るから、そんな目に遭うんだよ』
(仕方ないだろ。あれで落ち着いてられるほど僕は冷酷じゃないぞ)
『怒るのは当たり前だ、それは良いんだよ。オレが言いたいのは時と場所を選べってこった』
要は人目につかないようにやれって事か、いかにも【オレ】らしい。
正義も何もあったものでは無いな。
(わかった、参考にしとくよ)
適当な返事をしながら、頭の中では既に別なことを考えていた。
今は悠長に【オレ】と問答をしている場合では無い。
休息を欲しがって身体が悲鳴を上げるが、帰る前にやらなければならないことがある。
まずは社長に謝らなければいけないし、奥さんの怪我も気になる。
なにより、キツネ男が次の手を打ってくる前に対策を考えなくては。
まったく、僕が社長に心労をかけてどうするんだ。
重い身体を引きずるように、僕は工場へと急いだ。
工場は、前日と変わらず無残な姿を晒していた。
衝突したトラックは既に撤去された後だが、入り口は見る影も無い。
中に入ると、そこもひどい有様だった。
床にがっちりと固定されていたはずの工作機械が何台も薙ぎ倒されている。
細かい部品もあちこちにぶちまけられて、足の踏み場も無い状態だ。
だが、これらの機材がバリケードになったようで、奥の事務所や倉庫はあまり被害を受けていないようだ。
奥さんが軽傷で済んだのも、事務所のほうで作業をしていたためだろう。
不幸中の幸いだ。
「あ、唯野さん」
奥の事務所では、昴ちゃんがせっせと片付け物に勤しんでいた。
普段から乱雑に色んな物が置かれている場所ではあったが、いまはそれが全部床に散らばっていて、ひどい有様だ。
「お父さんから、唯野さんが警察に連れて行かれたって聞いて心配してたんですよ」
「心配かけたね、ごめん。僕はもう大丈夫。それよりお母さんは?」
「左腕をどっかにぶつけたみたいで、ちょっと痛むって言ってたけど病院で見てもらったら骨にも異常無いし、捻挫で済んだみたい。今は家で休んでるよ」
「そっか、それなら良かった」
奥さんの怪我は本当に大したことなかったらしい。
それなら一安心だ。
「それじゃあ、僕も片付け手伝うよ。頑張って早く工場を再開できるようにしないとね」
「そ……そうですね」
ん? どうも昴ちゃんの反応が悪いな。
まずいこと言っちゃったかな。
それとも何か言いにくい事でも……。
ちょっと聞きづらい空気に僕が困っていると、社長が事務所にやってきた。
「お、唯野くん戻って来てたか」
「社長! ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
「いやいや、無事なら良いんだ」
社長の声はいつも通りだったが、何か雰囲気に違和感がある。
なんだろう、さっきの昴ちゃんといい、すごく気になる感じだ。
「社長……何かあったんですか?」
「ああ、唯野くんに隠しても仕方ないな。実はな、あのあと奴らが改めてやってきたんだ」
やっぱり来ていたのか! 性懲りもなく、今度は何を企んでるんだ!
僕は固唾を飲んで、社長の次の言葉を待つ。
社長は諦めたように、ふっと寂しそうに表情を緩めた。
「ワシは、ここを売ることにしたよ。もう契約書に判も押した」
「なんですって!」
「許してくれ唯野くん。君がこの工場のために尽力してくれたのは、ありがたいと思ってる。ワシも本意では無いが、家族には代えられない……」
悔しそうに俯く社長に、僕はかける言葉が無かった。
本意では無いという社長の言葉は本心だろう。
キツネ男の思惑にまんまとハマるのは僕も悔しい。
しかし……。
僕の脳裏にあの日の光景が、鮮明に甦る。
無機質な病室。
ベッドでこんこんと眠り続ける響子。
傍らの僕は、血の気の引いた彼女の手を握ってやることしかできなかった。
そして、響子はそのまま二度と目を開けることは無かったんだ。
あんな身を切られるような痛みを味合わせてはいけない。
もし失われてしまって、もう取り戻せないのなら、この身を復讐の炎で焼き尽くすこともできるだろう。
だが、社長の大切な人は生きている。守ることができるんだ。
その人たちを危険に晒してまで戦おうなどと、一体誰が言えるというのか。
「謝らないでください。僕の方こそ出すぎた真似をして申し訳ありませんでした」
これ以上は無理はさせられない。
取り返しのつかない事になってからでは遅いんだ。
僕は深々と頭を下げた。
その日から、土地と工場を引き渡す準備が始まった。
経理上の処理、後片付け、荷造り、やることは山積みだ。
社長も昴ちゃんも本心では寂しいだろうに、元気に振舞っている。
そんな中で僕が落ち込んだ姿を見せるわけにはいかない。
僕を家族のように迎え入れてくれた人たちのために、今できることを頑張ろう。
そんな気持ちで毎日作業に没頭していた。
そんなある日のことだった。
くたくたに疲れた自宅への帰り道、玄関の前で一人の男が立っていた。
帽子を目深に被ってベージュのトレンチコートを着込んでいる。
背格好や立ち方から、それなりの年齢ではないかと思う。
顔は見えないが、知り合いでは無い気がする。
いきなり刺されたりはしないだろうが、日もとっぷり暮れたこの時間だと警戒もしたくなる。
なんの用だろう?
相手を刺激しないように、なるべく平静を装いながら近づいて行く。
「唯野誠一郎さんですね?」
男が目線を上げ、そう尋ねてきた。
年齢は多分五十は越えてるだろう、なかなか低音の効いた渋い声だ。
落ち着いて抜け目の無さそうな声色で、警察か探偵か……なんとなくそんな印象を受ける。
「そうですが、何か?」
「私、こういう者でして」
「フリージャーナリスト?」
相手の男が差し出した名刺を見て驚いた。
マスコミ関係の人間だったのか。
「スニフとお呼びください」
「偽名ですか?」
「ご想像におまかせします。ただ、こんな商売ですから色々ありましてな」
そう言って、スニフと名乗った男は穏やかに笑った。
けっこう危ない事にも首を突っ込む必要があるのだろう、身バレを防ぐための対策といったところか。
「今日は例のトラック事故に関して、少々お聞きしたいことがありましてな」
「それなら警察に聞いてください。知ってることは全部話してありますよ」
「いやいや、私が聞きたいのは、もう一歩踏み込んだ話でして」
どういうことだ?
どうもこの男の狙いが良くわからないな。
わざわざうちの玄関先で待っているくらいだ、相当大事な用件なんだろうが。
「すみません、急いでますのでこれで」
何となく、あまり関わらない方が良いと判断して、素通りしようとしたその時だった。
「唯野さん、私の話を聞けば例の契約を撤回できるかもしれませんぞ?」
まるで頭を思い切り殴られたような衝撃だった。
今なんて言った?
このスニフという男、なぜあのトラック事故と工場の買い取りが繋がっていることを知っている。
ブラフか? それとも関係者なのか?
「まだ足りませんかな? 場合によっては、あの一帯の地上げを丸ごとご破算にできると言ってるのです」
間違い無い、今回の一連の話をかなり深いところまで知っている。
まさかキツネ男の仲間なのか?
あまりの都合の良い話に、逆に疑念が湧き上がってくる。
「とても信じられませんね」
「ジャーナリストにはジャーナリストの戦い方というのがありましてな。もちろん協力はお願いしますが、唯野さんにも工場の方々にもご迷惑はおかけしません」
これが決定打だった。
一度はあきらめたはずの工場の買い取りを撤回できる。
あの安心できる場所を取り戻せるなら、どんな事だってやってやる。
そんな都合の良い話が本当にあるというなら、聞かせてもらおうじゃないか。
「わかりました。乗るとは確約できませんが、まずはお入りください」
「それで充分です。協力していただけるかどうかは、全てお話してから唯野さん自身で判断してください」
その声には、不思議な説得力があった。
あるいは、これが彼のジャーナリストとしての武器なのかもしれない。
覚悟を決めた僕は無言でマンションのドアを開け、スニフを中へと招き入れた。




