13話 キツネのわな
キツネ男たちが署名を持ち帰ってから一週間余りが過ぎた。
やつらは、あれ以来ぱったりと姿を見せなくなり、僕の一抹の不安をよそに工場は平穏そのものだ。
そんなある日のことであった。
「奥さん、すみません、ちょっとパソコン借りますね」
「良いですけど、唯野さん何かあったんですか?」
「いえ、ちょっと気になることがありまして……」
午前中の外回りから帰ってきた僕は、昼食もそこそこにパソコンに向かった。
会計ソフトを起動すると、直近の取引内容から始まって、ここ一年ほどの推移を確認していく。
僕が勤め始めてからの経理内容は概ね把握してるし、それ以前の分もそう大きくは予想を外れていない。
しかし、どうも引っかかる……。
「難しい顔されてますよ。本当にどうされたんですか?」
奥さんが不安げに僕の様子とパソコンの画面を見比べる。
隠さなきゃいけないわけでは無さそうだし、あんまり不安を煽るのも良く無いな。
「今日、午前中に銀行に相談に行ってきたんですが……」
ポケットの名刺入れから一枚の名刺を取り出して奥さんに見せる。
「この人、ご存じですか?」
奥さんは最初いぶかしげにそれを手に取っていたが、左上に小さく印刷してある顔写真でピンと来たらしく納得した表情になる。
「一度、挨拶に来られたことがありますよ。なんでも担当が変わるとか何とかで」
「いつぐらいのお話ですか?」
「どのくらいだったかしら、一週間か十日くらい前だと思います」
心臓が大きくひとつ鳴った。嫌な予感が徐々に形になっていくような感覚。
「話してみてどうでした?」
「なんか多趣味で楽しい方でしたね、挨拶もそこそこに雑談に花が咲いてしまって……」
そうなのだ、僕の時もそうだった。
今日、銀行に行って初めてこの人と挨拶したのだが、とにかく話が脱線する人で、こちらの用件が全く進まないのだ。
本来なら融資の交渉に行ったはずなのだが、こっちの話は殆ど済んでいない。
持って生まれた性格ということも考えられるが、どうも話を意図的にはぐらかされているのではないかと元銀行員の勘が告げている。
しかし、経理上では、この工場の運営は健全そのものだ。
急激に大きくなるような将来性こそ無いものの、運転資金自体は倒産には程遠い。
借り入れた金の返済が滞ったことも無いようだし、銀行からしてみれば手のかからない上客だと考えるのが普通だ。
貸し渋りなど到底考えられない。なら何故?
「なにか、いけないことでもありましたか?」
おっといけない、難しい顔で考え込んでしまっていた。
「いえ、なんか話好きな人で、予定通りの相談ができなかったもんですから。二、三日中にもう一回行って来ようと思います」
「そうですか、全部お任せしちゃってごめんなさいね」
「いえ、とんでも無いです。これも仕事ですから」
「でも、あまり根を詰めないでくださいね、お茶でも淹れてきますから、一休みしてくださいな」
そう言って給湯室に向かう奥さん。
あまり心配かけるのは良くないが、どうも腑に落ちない。
早いうちに、もう一回行ってきた方が良さそうだな。
そんな事を考えていたところに、同じく外回りをしていた社長が戻ってきた。
「あ、お疲れ様で……って、どうしたんですか?」
「唯野くん、やられた……」
社長の顔は真っ青で、何か大変な事が起きたのは明らかだ。
たしか今日は、例の地上げ反対団体の打ち合わせに行ってたはず。まさかそれに関係あることか。
奥さんから受け取ったお茶を一息に飲み干した社長は、まくしたてるように話し始めた。
「署名に参加してた皆の中から、奴らに土地を売った者が出たんだ」
「あんなに反対してたのに、なんでまた」
「この辺に住んであまり長く無い若い夫婦だったのもあるが、どうも五割増し近い金を積まれたらしい。しかも早めに売ると他の土地も高値で買い取ると言われたらしく、皆かなり動揺してる様子だ」
僕は内心臍をかんだ。
やっぱりそうか、奴らは引き下がったんじゃない。うちに顔を見せなかった間にも着々と事を運んでいたのだ。
最初の見積もり金額でも割高なところに、さらに追加の金が入るとなれば、事情次第では話に乗る者が出てきてもおかしくない。
しかも、早い方が得となれば即決する者も出てくるだろうし、仮に続く者が居なかったとしてもグループ内にお互いの不信感が蔓延してしまえば、もう団結して立ち向かうなど夢物語になってしまう。
まずい。
勝利したと安心しきっている間に、奴らは実に効果的な手段で僕らを分断しにきている。
どれだけの収益を見込んでいるのかわからないが、ここまで金に糸目をつけないとは予想できなかった。
後悔しても、もう遅い。とにかくこれからの事を考えなければ。
「ひとまず落ち着いて、僕らだけで立ち向かえる方法を考えましょう」
「しかし、唯野くん……」
「こんな力任せで理不尽な手段がまかり通るなんて、絶対に許せません」
「そ、そうだな」
社長が僕の剣幕に押されるように頷いた。
こんなことが許されてたまるもんか。
全身を苛むかのような理不尽感。
後手に回ってしまったこの状況を何とかしなければ。
しかし、有効な手立てが見つからないまま日にちだけが無為に過ぎていく。
「ちょっと待ってください、理由くらい説明してくれても良いじゃないですか!」
僕は電話口で思わず大声を上げた。
件の銀行が、とつぜん融資打ち切りを通達してきたのだ。
「唯野さんだって、わかってるんでしょう? うちも将来性の無いところには、お貸しできませんよ。慈善事業ではありませんので」
「それはそうですが、うちは工場を手放す気はありませんし、会社をたたむ気もありません!」
「とにかく、上で既に決定されたことですので。我々からしてみると、むしろ返済計画に期間短縮をお願いしたいくらいです」
だめだ、全く取り付く島も無い。
僕は力無く受話器を置いた。
その後も、関係のあった銀行にあちこち連絡を取ってみたが、どこも似たり寄ったりの反応だった。
地上げの情報は、キツネ男たちによってすっかりリーク済みだったらしい。
二の矢は既に放たれていたということか。
これなら、あの担当の、どっちつかずの対応も合点が行く。
リークされた情報の真偽が不明で、なおかつ成功率も読めない状況では具体的な行動は起こせない。
下手な対応をして、結果的にみすみす上得意先を逃すのは得策では無い。
かと言って、本当に地上げが行われるのなら同業者より早く回収手仕舞いに動きたい。
無い袖は振れないところまで僕らが追い込まれたら回収にどれだけ労力がかかるかわからない。
結果として出てくるのが、どちらに転んでも良いように保留、引き伸ばしだ。
同じ状況に置かれたら、僕も同じ手段を取るであろうと考えると、文句も言えない。
それからの動きは早かった。
二週間ほどで、最初に契約した家の取り壊しが始まるやいなや、反対に回っていた人たちは雪崩をうったように売りに走り、区画のそこかしこで工事が始まった。
そして、再開発計画が現実味を帯びてきたと判断した銀行は、まるでハゲタカの群れのように資金を引き上げ去っていった。
そこには一片の慈悲も無く、ただただビジネスライクに容赦の無いものだった。
そしていま僕らは、主要機材の一部を差し押さえられ、ほとんど開店休業状態になった工場で、暗い顔を突き合わせている。
さすがに、ここまで追い込まれてしまっては、ぐうの音も出ない。
「なんや、あんさんがた、えろう暗い顔してますなあ」
不意に聞こえた声に振り向くと、そこにはいい加減見飽きたキツネとゴリラが二人、勝ち誇ったような笑みを浮かべて立っていた。
「……貴様ら、何の用だ」
社長は、唸るように睨み付けるが、相変わらずキツネ男は全く意に介した様子は無い。
「まあそう邪険にせんでもええやないですか。ちょっとここ借りまっせ」
二人は応接セットの空いている場所に遠慮なくどっかりと腰を下ろした。
たまたま隣に座っていた昴ちゃんが、露骨に嫌な顔をすると、社長の隣に席を移る。
「ま、状況は理解できとるやろ思いましてな、考えも変わるか思て様子見に来たんですわ」
「上にかけあってくれるんじゃなかったのかね」
「もちろん、誠心誠意お話させてもらいましたわ。で、出した結論がこれや。あの人ら、諦めるって事を知らんからなあ」
ミエミエのウソを、いけしゃあしゃあと吐くキツネ男に、僕は腸が煮えくり返りそうだった。
しかし、ここで怒りに任せて掴みかかっても、こちらが不利になることはあれ、何の解決にもならない。
「で、どうでっか? そろそろ観念しまへんか?」
キツネ男は、そう言って見積書を取り出した。
買取希望額が、しっかり最初のやつより下がっている。
有利になった途端にこれだ、完全に足元を見られている。
「しかし、随分と値切られたもんですね、せめて最初と同じ物は持って来れなかったんですか?」
それは、特に理由も無い、単なる負け惜しみだった。
ただ言いなりになるのが悔しくて、ちょっとは困らないかと言う子供じみた意地をはってみただけだ。
しかし、それに対する反応は予想外に大きかった。
ゴリラ顔の方が露骨に嫌な顔をし、キツネ男の方が普段のにやけ顔から想像も付かないような険しい顔でゴリラ男を睨みつけたのだ。
しかし、それも一瞬のことで、キツネ男は普段どおりの顔に戻ると、こちらに向き直る。
「こっちにも事情ってもんがありますさかいなぁ。それに、あんさん方は、そないな注文付けられる立場でっか?」
重苦しい沈黙が流れる。
正直その通りだ、僕らに選択の余地は無いように見える。
しかし、僕の頭の中にさっき光景が妙に引っかかっていた。
事情? 事情ってなんだ?
この違和感を見落としてはいけない、そんな予感がする。
「ま、よう考えてや、結果は見えてんけどな。ほな、また来ますわ」
キツネ男は余裕綽々で席を立つと、ゴリラ男を伴ってさっさと帰ってしまった。
ここまで追い詰めれば、もはや交渉の必要も無いと思っているのだろう。
僕はそれを見て胸を撫で下ろした。とにかく今は時間が欲しい。
「社長、お願いがあります」
「唯野くん、そんなかしこまってどうした?」
「三日……いえ、二日で良いです。僕に時間をいただけませんか?」
当たり前だが、社長は良くわからないという顔をしている。
「まあ、工場は見ての通りだし、そのくらいなら全然構わんが……」
「ありがとうございますっ!」
この違和感の正体を掴めば、きっと何かの突破口になるに違いない。
僕は勢い良く席を立って、外に飛び出した。




