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星と波とエレアの子守唄  作者: 視葭よみ
再考とレクイエム
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確認と相談

 古巣の、憲兵局本部。

 つい半年前まではこちらに出勤していたこともあり、メロディは慣れた足取りで到着した。おもむろに壁に背を預ける。職務時間外だろうと人の往来が多い。向けられる視線を受け流しつつ、記憶内の光景と変わらぬ様子を何を注目するでもなく、ただ眺め続けた。

 まもなく、ティーセットを運んできた使用人が現れる。気にかけられたが、笑顔で黙殺した。使用人が目の前の執務室の扉を叩き、やがて鼻歌とともに男性が廊下へ姿を現した。


「ご機嫌麗しいようで何よりです、スパティエ閣下」


 使用人の背後から話しかけてみると、ようやく目が合う。

 メロディが法務省情報官の任に就くのと同時期、憲兵局教導部長に就任したイアニス・スパティエ伯爵――学生時代は、ヴィクトル・フラナリー伯爵、そしてメロディの父レノスと同期だった。


「ちょうど休憩するところだった」


 眦を下げ、かつての部下の不意打ちなど何でもないことらしい、執務室へ招き入れる。珍しくメロディは年相応の愛らしい笑みで礼を告げる。


「明日でも良かっただろう。遠距離を移動したのだから疲れてないのか?」


 お茶の用意を進める手を止めず、思考整理のような口調だ。メロディは「わたくしは運転していませんから」とだけ返す。憲兵局に所属していたころも何度かスパティエ伯爵の執務室に入室したことはあるが、理由が理由だったため、このように室内を観察するほどの余裕はなかった。新鮮な気持ちで軽く室内を見渡す。整頓されているように見えるのは決して物が少ないためだけが理由ではないだろう。執務机の上には重ねられた書籍や書類の山がいくつかあり、筆記用具も並行に並べられている。


「とはいえ、無駄足になる可能性はあった。私が帰宅していたらどうするつもりだったのだ?」


「城の駐車場にはスパティエ家の車両がありました。父君はご隠居されて久しいのですから、閣下が城内にいらっしゃると考えられます。また、職務時間外ですから、騎士団や新兵の訓練はありませんので練武場や闘技場へ赴かれている可能性は低いです。ならば、執務室にいらっしゃると考えるのが自然です。ほかに予想がつかなければどなたかに尋ねるつもりでした」


「まあ、それは否定しないが……忙しかったら私とて断る」


「今は有事ではありません。閣下でしたら、急であろうと、話を伺う時間を取っていただける可能性が高いのは経験則で把握しています」


「新人を育てる苦労を知らないな」


「あいにく若輩ですから」


「相変わらず、好き勝手やって楽しんでいるらしい」


「嫌なことを続けられるほど大人ではありません。それに、確認するなら早いほうが良いと判断いたしました」


 澄ました表情でメロディが答えると、スパティエ伯爵は笑いをこらえるように喉を鳴らす。


「また何かやらかすのかい、白百合? 今度は何をする?」


 幼い子どもの思いもよらない言動に向けるような声色だ。

 職務内容は当時とは異なるが、スパティエ伯爵の執務室にメロディが呼び出されていた理由はいつも決まってひとつ――メロディが気を急いて何かやらかしたときだった。反論しようにも、実際に当時は、爵位継承を認めさせるために他者の先入観や盲点を見つけてあらゆる無茶を重ねた。それによって成立した〝白百合の献身〟と父親の死亡宣告を代償に、メロディは今のあらゆるものを手に入れた。甘んじて沈黙とともに受け入れる他に無いのだ。


「おかげでこちらは手が回らないよ。〝献身〟に憧れた馬鹿が多すぎる」


「教導局は教えて差し上げるのが仕事でしょう?」


 部下の仕草を真似るように肩をすくめて答えてみる。すると、茶葉を蒸らす手順にまでたどり着いたのか、スパティエ伯爵は手を止めて向きなおって「あいにくではございますけれど、供給過多なものですから」かつてよくメロディが用いた弁明のような言動を返した。


「他省の人事はわたくしの権限ではございません。どうぞ、上に通していただけますか?」


「残念。文句は本人へ通せとの仰せだ。学務のように、なんでもカノーム・カノアだかメイカライネンだか、都合良くどこかの誰かが受け入れてくれるものでは無いのさ」


 ふと何かに思い至ったらしいスパティエ伯爵は、自らの執務机からペンを手に取ると棚から契約書面に用いられる紙を1枚手に取った。紙面にペン先を滑らせながら器用に会話を進める。


「とりあえず、以前よりは君の無鉄砲を聞かなくなって何よりだ。室員たちとの交流が取れているのかな?」


「いいえ。生憎ではございますけれど、機会はまだございません」


「ならば調査室の椅子の座り心地は良いのだろうね」


 そのような言いぐさをを不満に思い「……現場から遠ざけたのは」反論を試みるが「君の命知らず」遮られ断言されてしまい、閉口した。代わりに「体は鈍りました」拗ねているようには聞こえないよう気をつけたが、若干、滲んだ。


「君の、体が鈍った、というのが言質になるか知らないが……ありがたいね。少しは試合になりそうだ」


「珍獣扱いは好みではありません」


「ははっ、行動展示のつもりはない」


「でしたら、どのような意図が?」遊ばれていると気づき、不満を視線に込める。それを受けていながらもスパティエ伯爵は「親切心」飄々と答え、書き終えた書面をメロディに差し出した。

 一瞬、瞠目。

 朱夏の空色ごとく瞳をまっすぐ見上げる。


「少しくらい机から離れて体を動かしたいとは思わないか?」


「……現場は」


「おい、元上司が王妃殿下に殺されても良いのか?」


「殿下はそのような御方では」


「寵児とその他では扱いは異なる――それがわからない愚鈍ではないよな?」


 時間が来た。

 高い位置からポットを傾け、ティーカップに紅茶を注ぐ。爽やかな香りが漂う、一方、メロディは視線を床に降ろしていた。


「現場に戻りたいか?」


「……中途半端は気分がよろしくありません」


「ならば、そのための交流だと思って欲しい。今なら、信用できる監視がある。度の過ぎた〝献身〟を再演しないならば……是非も無い」


 ティーカップ片手に器用に肩をすくめて見せる彼に、「スパティエ伯爵閣下」まっすぐ捉えて告げる。


「わたくしはヒストリア伯爵です――目的はもう果たしたのです」


「それが、必要以上に危険な真似は致しません、の根拠になると?」


 小首をかしげながら「なりませんか?」若干幼い声色になるよう意識した。加えて、身長差のため、自然とメロディはスパティエ伯爵を上目遣いに見つめる形になる。

 双方視線を交わらせるだけの、沈黙。

 やがてスパティエ伯爵はティーカップを執務机に置いて苦虫を嚙み潰したような表情をする。


「……親世代にいつでもそれが通じると思わないことだね」


「何のことですか?」


「何のことだと思う?」


 対して興味なさそうに「教えていただけますか?」一応尋ねるメロディに、ペンを差し出しながら笑みを浮かべて「自分で考えなさい」と告げた。


「でしたら、いくつか質問しても?」


 メロディの挑戦的な視線を、伯爵は流し目で促した。

 改めて書面を検める――



 日時未定/剣術指南

 指南役     

 参加者希望は以下に署名せよ



 ――指南役の横に空白がある。これがペンを渡された理由だろうと容易に思考が至った。


令息殿(ザハリアスどの)のほか、どなたにお声掛けなさるのですか?」


「さあ。今しがた思いついたものだからね。決めていない」


「思いついた範囲では、いかがでしょう?」


「少なくとも来月武術院を卒業する連中には。ただ、君の体力には限りがある。人数は多くならないようにする」


「少なくとも、ということは対象者はほかにもいますよね? そちらにエミリオス殿下も含まれますか?」


「殿下のご気分次第だろうね。ハルにだけ参加させて経験を積ませることになっては親の贔屓に見えてしまいかねないだろう? ああ、学生に声を掛けるのも有りだ。ネストルのように、武術院所属以外にも筋は良い者もいる」


「……」


 先日カリス公邸へ赴いた際、フラナリー双子令嬢から彼女たちの弟ネストルと、メロディの従姉フィロメナ・ソフォクレス公爵令嬢の恋愛関係について教えてもらったばかりだった……一瞬思い出して、今は無関係だと思考の端へ寄せた……代わりに、このまま本題に入れないままではいられない。「フラナリー閣下よりご推薦なのですが」不自然ながら前置きして、あからさまに話題を変えた。


「閣下は、ブランザ博士をご存知ですね?」


「見つかったのか?」


「探しています」


「見つかるかな」


「見つけます」


「それで?」


「博士の為人を教えてください」


「私は数回会った程度だ」


「申し上げましたように、フラナリー伯爵閣下よりご推薦です」


 スパティエ伯爵は友人に対するため息をつくと、瞳を閉じて「いつだったか」前置きすると


「彼が第2等星章を受勲するため王都に来た際だったかな、挨拶したよ。同年代だが、まあ、妖精でも見えてしまいそうな面白い男だったな」


「閣下がどなたかを面白いと評するのはお珍しいですね」メロディは相槌のようなもののつもりだったが、彼はにやりと笑った。


「科学の次に君が好き」


「……はい?」


「妻をそう評した。満面の笑みでな。ははっ、思わず固まったよ。私だけではない、その場が凍りついたよ。恋愛婚であることも仲睦まじいことも既知だったからこそだ」


「それは……」


 思い出したのは、今月の半ばにアレクシオスから告げられた言葉――真実の愛を貫かせてほしい――仮に、あの場にほかに誰かがいたとしたら、どのような反応を示したのだろう。スパティエ伯爵は「なんだ? 白百合にはまだ難しいかい? 同性のほうが女性心理に通じて居ると思うが……」片眉を上げて疑問を呈するが、事情を話す心算は無い。メロディは笑顔を浮かべて先を促した。


「すかさず夫人が、女の中では私が一番ということなのか、と言ってね。彼は、性差はないから人間の中で一番だよ、なんて返した。驚いたのは、夫人がとにかく穏やかにしていたことだな。まあ、無邪気な悪意のなさが彼の持ち味だと知っているからこその悠然だと言われれば納得せざるを得ない」


 そっと瞳を閉じる――嫌いにはなっていないよ。君のことは大切に思っている。でも、アナは……別の意味で、特別なんだ――博士と元婚約者の思考は類似しているとは言えなかった。期待してしまった自覚とともに自嘲する。


「夫人は、博士から愛されている自信と自覚がお有りだったのでしょうね」


「ああ、だろうな。学術関連の功績に伴う受勲だから賜ったのは〝世界樹〟第2星章――刻印は、地に根付く大樹――ブランザは、星章をその場で夫人に捧げた。若くして高い場所から眺めるような手腕で学問的功績を重ねた彼には、夫人が宿木だったのだろう……君らも、そのような関係だと思っていたのだがね」


 どこか寂しそうに、そっと視線を虚空へ投げている。

 君らも……誰と誰を指しているのか、問うまでもない。できるだけ穏やかな微笑みとともに「渡り鳥は宿木を知らないのです。あるいは、自覚の有無すら定かではありません」自嘲にはならないよう、明言した。

 指南役の隣の空白に署名して、書面とペンを差し出す。

 スパティエ伯爵はそれらを受けとりながら


「アクイラ・クリサエトス」


 脈絡なく言われて。

 思わずメロディは目を瞬かせた。


「鳥の名前さ。君なら聞いたことくらいあると思ったけれど?」


「……。あいにくではございますけれど、青い鳥の名前すら知りませんから」


 メロディが答えると、スパティエ伯爵は「時間差をつけて、卵をふたつ産むんだ」静かに告げた。


「生存戦略ですか」


「そう。そして、兄弟で殺し合う。親は静観するだけ……弱いほうは生きることすら許されない」


 何も言えなくなったメロディから視線を外して、伯爵はソファーに体を沈めながら問いを重ねる。


「さて。どうすれば双方を生かせると思う?」


「親は、どちらかだけしか育てないのですか?」


「放っておけば育つものじゃあない。肉食だし、よく食べるから。餌の調達は容易ではない」


「でしたら、兄弟を引き離すのは可能ですか?」


「どのような意図だ?」


「単純に、距離を取れば良いのではないかと考えました。その親と、兄姉あるいは弟妹から」


「可能だとして、その方法は?」


「はい?」


 首をかしげる少女を見上げながら、スパティエ伯爵は両肘を膝に乗せて顔の前で両手を尖塔のように突き合わせる。


「親を含めた身内から引き離して、引き離されたほうはどう生きる?」


「誰かが育てねばなりませんね」


「ならば誰がその責任を負う?」


「閣下はどのように考えていらっしゃいますか?」


「親として静観するだけさ」


 スパティエ家には、ふたりの子どもがいる。

 長子ザハリアス令息。長女グレイス令嬢。

 メロディは、幼いころに加えて先日の春麗祭では兄のほうとは面識を持っているが、妹については風に聴くばかりである。他方、弱冠11歳ながら〝福音の舞(アナリプシ・テレティ)〟当代演者選定のために実施された第4次試験までを優秀な成績で通過している旨は円卓議会で共有されている――数日後の5の月における円卓議会でも話題にするからよろしく頼む――遠回しに礼儀を通すのはスパティエ伯爵の常套手段だ。考える時間を与えてくれて良心的ともいえるが、善後策が練れなければただの搦め手と化す。


「君からの推しがあれば心配せずに済むのだがね」


「お戯れを」


「本心さ」


「ならばなおさら愛娘に過酷な試練を強いる理由をどうしても理解しかねるものです」


「親になればわかるさ。かわいい子には旅をさせるものだからね。経験を積んで視野を広げてほしいのさ」


「焦燥が見えますが?」


「気のせいだろうな」


 自惚れではなく、メロディは原因が自分にあることを理解していた。

 王位継承に関して世襲君主制かつ議会承認制を採用するダクティーリオス王国では、歴史学者いわく、統計の結果では女王の治世は波乱とともに揺らぐか平穏とともに繁栄すると主張している。感覚的に否定する内容ではないため、王国が賭けに出なければならないほど脆弱でも貧弱でも無いならば王を立てたいと望むのは自然だ。

 他方、当代国王は末子が成人していないことを理由に、後継者を指名していない。第一王子、第一王女、第二王子のいずれにも立太子の資格がある状態が継続されている。

 スパティエ家は次代の王としてエミリオス第二王子を推している。将来の補佐候補として、進学前からザハリアスに交友を深めさせているほどだ。

 しかしながら、歴代ヒストリア伯爵家は王位継承に関しては静観する中立の立場をとっていたにもかかわらず、アレクシオス・イードルレーテー公爵令息とメロディ・ヒストリア伯爵の婚約解消が大きな波を立てた。これが両家の同盟関係への影響だけに留まらないのは、一方がシプリアナ王女、もう一方が王妹の令息でありヘクトール第一王子と親しいコンスタンティノス・カリス公爵令息と接近したためだ。

 黄道の12家門は国の発展と安寧を目指しているものの、決して一枚岩ではない。

 勢力の傾きを解消するため、家門のためにスパティエ伯爵は娘グレイスを演者に据える必要性が強まったのだろう。

 メロディは、内心を隠し通して、毅然と告げた。


「事前にお伝えしますが、わたくしは反対いたします」


「君が先例だ」


「あの場にいなかったのは、わたくしたちなのですから」


「できると思っているならそうすれば良い」


 先ほどの〝献身〟のくだりと同じだ、言える言葉が見つけられない。メロディは両手を強く握りしめた。受け取った書面を片手に「これ。助かるよ」スパティエ伯はおもむろに立ち上がる。


「わたくしも感謝すべきですか?」


「いや。好きにしてくれ」書類をひらひらと掲げてみせると「さて。このまま君の帰りを妨げていたら悪いからね。今日はここまでだ」


 執務室の扉を開けて、そばで待機していたフィリーに視線を向け、外した。

 鞄も持たずに駐車場とは反対方向へ歩いて行くスパティエ伯爵の背へ「お帰りにならないのですか?」問いかけると


「用事を思い出した」


 それだけ返答が返されて、階下へ姿を消した。

 メロディはフィリーに微笑みかけて帰路についた。

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