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星と波とエレアの子守唄  作者: 視葭よみ
再考とレクイエム
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誠実な肯定

 一読で完璧に内容を理解できる自負は無い。メロディは資料を読み返しながら考え続けた。

 それから、どれほど時間が経過したのか、扉がノックされて「はーい、お時間過ぎてますよー」補佐官が顔を覗かせた。いつの間にか終業の鐘が鳴っていたらしい。

 他方、何度目かの最終ページ到達が近かったため時間延長を試みたが


「閣下。貴女が帰らねば私も帰れません」


 仮に補佐官が「体調管理を云々」と言い出せば帰宅後に休むと主張できるが、返答がこれでは何も反論できなくなる。シリルほど大げさに主張していないものの、ローガニスも妻子持ちだと認識している。誰かの父親が家族とともに過ごせる時間を減らしたいとは思わない。

 書類を鞄に入れてしまおうかと逡巡するが、目の前で仕事を持ち帰ろうものなら小言を重ねられる予感……書棚の一角に重ねて鍵をかけた。

 視線で鞄を探すと、すでにローガニスの手にあった。扉を背に肩をすくめられて、それに従って退室した。

 明らかに残業しようとしている部下の手からペンを取りあげて帰宅を促す。書類作成の進み具合から見て、メロディが遠回しに助言を与えてからほとんど休まず集中し続けていたのは想像に易しかった。体調の崩しやすさの差はあれど過剰な疲労が原因となり得るのは誰でも同様だろう。しばらく時計を確認していなかったらしい部下が急いで帰宅準備を進めていくのを横目に、扉を開けようとしていた補佐官の背後へ向かった。

 廊下へ出ようとした、そのとき。

 ちょうど扉を開けようと握りへ手を伸ばそうとしていただろう位置に佇む青年を視界にとらえた。目が合うと軍務省の制服に身を包んだ彼は、軍帽を軽く持ち上げて微笑んだ。思わず「なぜこちらに」声が零れた。「先日申し上げたとおりですよ」と返されたものの、何を指しているのか、咄嗟には思い出せなかった。

 ローガニスが当然のようにメロディの鞄をコニーに差し出した。遮るように「あっ、待って、自分で持てます」手を伸ばすが、長身のふたりはわざわざメロディには届かない高さでやり取りする。


「お疲れでしょう?」


「カリス卿も」


「はい?」


「……コニーも同じでしょう?」


「武官でありますから。体力には自負があります」


 不満とともに見つめるが、笑みとともに開いているほうの手を差し出される。式典や舞踏会でも無いのに他者へ見せるようなふるまいをする気にはなれないし、それで不満が解消されるわけでもない。コニーの横を通り過ぎるように歩き出し、改めて「なぜこちらに?」尋ねなおした。


「早くあなたに会いたかったからですよ、ミリィ」


 若干の恥じらいとともに優しく告げられて、心に温かい何かが満ちるのを自覚した。会いたいと言われて不快に思うほど相手に嫌悪を抱いていないと自覚するが、繰り返されると、どうしても言葉の裏を読もうとしてしまうのはもはや職業病だ。いぶかしみを込めた視線でコニーを見上げる。


「3つのうち、おもな理由は前述のとおりです。〝すずらんの会〟に関するご相談と……もうひとつの理由は、ぜひこちらに目を通されてからのほうがよろしいかと」


 彼の鞄から取りだされたのは、淡い青の封筒だった。紺碧の線が幾何学模様を描いている。角度を変えると表面に光沢片が散在しているのがわかる。わずかに指先がひっかかるような手触りは珍しくて面白かった。


「〝すずらんの会〟について何か留意点があるのですか?」


「衣装に関して少々。指定はありませんが、雰囲気を合わせるのも面白いかと」


「色彩のことですか?」


 あの日のコニーの言動を思い出して「春麗祭当日の衣装は気にされてないかったように思いますが」イジワルのつもりで告げた。しかし当人は「主役は我々ではありませんでしたから」それほど気にしている様子はなかった。

 亡母の芯の強さを表現するような真紅だけでなく薄紅の髪と陽光の瞳を連想するあのドレスは、王妃が用意した一品だった。コニーは叔母にあたる王妃に接触すれば事前にデザインや色調を把握できる立場だったし、実際、ドレスをヒストリア伯爵邸へ届けに来る使者まで務めた。彼の独断で調整することは可能だったのだろう。いまさら確認することだろうかと思ったが、これでは元婚約者への対応の二の舞だと気がついた。任せきりばかりだけではいけないと認識を改めたばかりなのだ。

 気を引き締めなおしていると「無論、花の妖精ごとく姿は人目を集めていらっしゃいましたけれど」俳優のような口調で告げられた。コニーのこのような言葉に、どのような言動を見せれば良いのかメロディはまだ図りかねている。元婚約者との仲が冷え切っていたとは思わないが、やはり言動の差異は大きいのだ。


(アレク様がこのような言葉をわたくしに使わなかったのは、婚約者とはいえ守りたいとは思ってくださらなかったからということ? ……いいえ、彼はわたくしに優しかった。泣いてしまったときや辛いときは隣にいてくださったわ。それは嘘では無い)


 春麗祭前にイリスが見せてくれた髪飾りを思い出す。光を受けて煌めくガラスの花はドレスによく似合っていた。宝石では再現できないような細工を用いて重量を調整したり反射を考慮したり、容易なデザイン考案ではなかっただろう。元婚約者の言動を信じるならば、嫌いになったわけでも無関心だったわけでもないのだ。


(カリス卿こそ、感情が伴う保証は無いと明言されたはずよ)


 思い出したように隣を歩く青年を見上げる。目が合うと微笑む彼の心の内は、メロディには読み切れない。誰も彼も本心がわからないのは、もしかしたら自分があまりにも鈍感だからだろうか……それを認めるのは悔しい。メロディは曖昧な笑みを返して廊下を進んだ。

 不意に、手元の手紙を見つめた。今日は手紙と縁がある日らしい。

 幾何学模様と紺碧に、なんとなく可愛らしさを感じる。普段受け取るような職務や政治に関する内容では無いのだろうと予想をつけたころ、最近のカリス公邸訪問を思い出した。

 さして考えることなく隣へ「あの」と声をかけた。コニーは若干身をかがめるようにして意識を向けてくれる。


「これからお時間ありますか? 先日お招きいただきましたから、よろしければ、お誘いしたいのですが……いかがでしょう?」


「ええ、よろこんで」


「本当ですか?」


「あなたの提案を断る理由がありませんよ」


「それはなぜでしょう?」


「なぜ早く会いたかったか、わかりませんか」


「ええ、わかりません」


 わずかに戸惑いの色を見せたコニーを見て、ただの質問ではなく揶揄おうと言葉を用意していたのだと察した。が、わからないのは事実である。意図を見逃さないよう、帽子の影が深めている瞳の青を見つめた。見分けにくいが、瞳孔と虹彩の色彩は異なっている。注意すれば見分けられなくもない。


「本当にわかりませんか?」


「はい。わたくしも取引には誠実でありたいけれど、感情が伴うかどうか保証できないのは理解できますもの。それに、良好な関係を示すためであれば、このように王城内で行動を共にするだけでも十分に思います。人通りがなければ会話すら不要でしょう」


「ミリィ……君は春麗祭の夜、真実の愛を証明する上で〝妖精のイタズラ〟を解明する必要があると言ってくれたよね」


 必ず〝真実の愛〟が何か証明してみせる、自らの言葉で定義してみせる――自らの言葉に込めた決意は、冷えていない。軽く手紙の端に力を加えてしまっているのを自覚しながら「はい。最善を尽くす所存です」メロディはまっすぐ告げた。コニーは優しく目を細める。


「ならば、私もあなたに見合う言動が必要でしょう」


「見合う、といいますと?」


「武術院卒とて研究に関して無知ではありません。もちろん、学術院の彼らに勝るとも思っておりませんが……。剣術や体術というのは、実は、講義で習ったとおりにすれば習得できるほど甘い世界では無いのです。体格や感覚にはどうしても個人差が大きいですから、一定以上の技量を身に着けるには講義内容を自身の身体に落としこまねばなりません。これに関しては他者に聞いても仕方のない内容です。自らの身体がどうすれば思うように動かせるのか――どのように動いているのか第三者に教えてもらえても、どのようにすれば問題なく改善できるのか……結局は自分自身にしかわからないというのが、学園で6年間武術に励んだ私の結論です――ですから、思うのです。観察結果から改善を模索して再び観察をする。対象が異なるだけで、実行内容の本質としては研究と変わらない、と」


 不意に視線を向けられ「それは、はい、理解できます」コニーの発言をよくかみしめながら、正直に答えた。今のコニーにどことなくアレクシオスに似たものを見てしまうのは彼の講義口調と教えてもらっている立場ゆえだろうか……気づいていないのか、彼は言葉を続ける。


「現状、閣下は〝イタズラ〟の要因を把握していないのでしょう? 原因が発生させる事象が変わったら、困りませんか?」


「ともに新聞を賑わせたお相手に対する言動と同じものを、わたくしにも?」


「個人の感覚としては、あなたのほうが丁寧に接していますよ」


「わたくしがヒストリア家当主だからでしょう?」


「あなたとの取引に誠実でありたいからこそです。知りたいと願うあなたの心を蔑ろにしたいわけではありませんから」


 メロディは歩みを止めた。冷笑とともに「()()()()()()()()()」振り向いたコニーに告げる。


「自らの力量を見誤るつもりはありません。すべてを冷徹に見通してしまう〝氷柱の白百合〟を相手にして、稚拙な隠しごとができるなどと驕っていませんよ。あなたを軽く扱う愚行によって進んで周囲の不満を引き受けたいとは思いませんし」


 悪びれもせずここまで言葉にすると、なんとなくメロディへ向けていた濃紺の瞳を伏せた。

 再び見つめられたときには寂しそうに目が細められ、すぐ逸らされた。理由を推しはからんとしていると、コニーは帽子を深くかぶりなおしながら言葉を続ける。


「あなたのことを知れば知るほど、こちらから離れるのは非常に難しいものになってきています。メロディ・ヒストリア伯爵閣下、あなたがヒストリア家当主でなければこの采配はありませんでした。この采配でなければ私はあなたを知ろうとできませんした。ですから、否定はしません」


「それが、卿の誠実さですか……?」


 メロディが尋ねると、コニーは「不分明で申し訳ない」と苦笑した。

 あくまでも取引が生じさせた仮初めの関係性――受け入れたはずだったが、不満を抱えていたのだとようやく自覚した。それを明確に指摘してしまう自らの幼さは恥ずかしかったが、コニーが見せてくれた誠実さというものが嬉しかった。本心か確信はないが、道化ではない言葉は記憶に残る言葉になる予感がした。


「ちなみに、ミリィ、もうおわかりになりましたか?」


 メロディはコニーの隣まで急ぎながら「はい?」と聞き返す。ふたりは再び並んで歩き出す。


「おや。最初の疑問をお忘れですか」


「それは……揶揄っているわけではないのですか?」


「ははっ、私は随分と疑われてしまっていますね。揶揄う意図も無いとは言いませんが」


「はい?」


「それ以上に、一緒に過ごせる時間が欲しいのですよ」


 コニーは1歩を大きくして、メロディの前へ躍り出た。一足先に建物の外へ出たコニーを、すっかり傾いた陽が照らす。赤みがかった光は海のような青さに吸収されて心なしか軍服に白っぽさを帯びさせた。


「終わりの時間は決められている。ならば、始まりの時間を早めることでしか、隣にいられる時間は延長できないでしょう?」


 片腕にふたり分の鞄を抱えて、もう片方をメロディに差し出した。驚きはしたものの、メロディは笑みとともに手を重ねた。

 ヒストリア家の車両はすでに待機していた。

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