苦手な特技
伝統武芸の保存を促進する部門や文化財の管理や修復に関する部門を管轄する学務省学芸局の長官の椅子に座りながら職務と並行して多数の研究や論文執筆を抱える俊英こそ、ヴィクトル・フラナリー伯爵である。
学生時代に学問に励み過ぎて白衣を黒衣に変えたという噂は今でもなお現役だ。今では由緒ある貴族家当主として最低限の身だしなみではあるもののあくまでも必要最低限らしく、メロディとローガニスを応接室へ招いたとき、思い出したように研究用ガウンから上着に腕を通しはじめた。「構いませんよ、閣下の過ごしやすい服装で」メロディが告げると、はにかみながら「そうかい?」軽く自らの柔らかな茶髪に一瞬だけ触れると椅子の背に上着を掛けた。
「1時間だったね、まあ、こちらは急ぎの用事は無いからいくらでも構わないけれど。それで、話というのは何かな?」
「現在、調査室では、バルトロマイ地方の連続失踪事件について調査を進めています。それに関しまして、2点ほど御助力いただければと」
「バルトロマイ地方ね。国内であって国内では無いと評されることもある。あの地域に関して私が完全に把握できているとすれば、植生くらいかな」
「国内では無いと言われる由縁は、ユーグルート共和国と隣接しているからでしょうか?」
「そうだね。あのあたりは300年を遡ればユーグルート王国の領土だったわけだから、メテオロス領としてはまだ歴史が浅いと言わざるを得ないわけだ」
「ちなみに、失踪が多発していることはご存じでしたか?」
「多発?」
「はい、1か月に1件以上の頻度で」メロディが冷静に答えると、伯爵は眉をひそめて「いつの話をしているのかな?」深刻な事態を理解した声色だった。ただ、こちらは情報が欲しいのであって相手を不安がらせたり噂の種にしたりするのは避けたい。「メテオロス領に組み込まれて以降」とだけ返した。
フラナリー伯は虚空を見つめて数秒だけ沈思黙考を経て、答えた。
「いや、私の知るかぎりでは、失踪について心当たりはないね。私の祖父の代から特に移民受け入れと擁護は旺盛だが、当時から出国条件は緩いし、そもそもダクティーリオスの方針を反映させて諸外国との軋轢は小さかった。民族間の差異に関する問題や差別は無いとは言えなかったが、今ではそれも収まりつつあると風に聴く。現公爵の功績だろうな。彼は人が良いから」
「彼には、いつの間にか気を許したくなるような魅力がありますよね」
円卓議会にて隣の席についてくれたとき安心感を得られる得難い存在――黄道12議席の当主の中で最も年齢が近いだけという理由ではないと信じているメロディは素直に同意した。
それを敏く察したらしいフラナリー伯は、交渉をねじ込めると判断したのか、前屈みになり両膝に肘を乗せた。途端、メロディは居住まいを正した。
「君が関心を抱いているなら」
「お待ちください、あくまでも職務の範囲です」
「犯罪捜査だろう?」
「正確には、犯罪捜査規範に基づく支援です」
「まさか、自分のことが書かれた新聞記事は読まない主義かい?」
「はい?」
謙遜どころか心当たりすらないらしい……失策を悟ったフラナリー伯爵は咳払いすると「もう8年前になるのかな。1675年、3の月のことだ」自然に語り始める。
連続失踪事件の当該期間に含まれる――メロディは思わず膝を進めた。
「バルトロマイ地方に住んでいた友人が姿を消してね。今でも、生きているのか死んでいるのかすら不明だ」
「御友人というのは」メロディが問うた直後「情報官殿」ローガニスは諫めるような口調で呼びかけた。メロディはひと言だけ伯爵に断りを入れてから補佐官に向き直った。
「時期と地域は一致している。関係している可能性は高い」フラナリー伯爵に聞こえないよう、小声で告げた。ローガニスはその声量に合わせて「とはいえ、私情を挟むべきではないでしょう」苦言を呈す。
「情報収集だ」
「ストラトスが列挙した失踪者の中に学者はいませんでしたよ?」
「彼の資料が完全である保証はない」
「それが貴女の部下評価ですか」
少女は小さく肩を震わせて口元を引き結ぶ。
(本当、この人には卑怯な手がよく効く。あともう少し言えば無理を控えてくださるかな)
「貴女のことです。伯爵閣下の希望を聞けば、そちらも優先しようとなさいますよね? ただでさえ今回の〝φ〟は想定関係者数が普段の倍以上なんです。現地調査の負担が大きいのは想像できますね?」
「……それでも、無視はできない」
「もちろん、承知しています。ですから、3つ守ってください。単独行動は厳禁、休息優先、出張には侍女を複数人連れてくること」
「最後のは?」
「監視の目を確保するためです。自分だけでは貴女のオテンバは手に負えませんから」
「不要だ」
「冗談です。ところで、あんた自分が女性だってこと忘れてません? 俺らでは出張中に生活面の補佐がほとんど何もできないんですよ? それともただのガキですか? 後者なら気を遣わずに済むのですが?」
「3人連れていく」不機嫌を隠さない子どもらしい反応に対して、反比例するほどにこやかに「それはどうもありがとうございます」と返した。
改めてフラナリー伯爵に向き直る。ちょうど伯爵の秘書官が耳打ちを終えたところだった。
「おや。もう良いのかい?」
「ええ。お待たせいたしました。お話の続きをお伺いします」
そのとき、一瞬だけフラナリー伯爵の視線がローガニスに流れた。「ご内聞でしたら小官は席を外しましょうか?」と尋ねると「悪いね。込み入った話になるからね」伯爵は困ったように答えた。
「ああ、そうだ。以前話していた、骨格標本を参考に白骨から生前を推測する手法、あれね。専攻研究員が犯罪捜査の分野で必要な情報を知りたがっていたから手伝ってくれないかな? 私の秘書官に聞けばわかるはずだから」
「はい。お気遣い感謝申し上げます」
恭しく暇を告げ、伯爵の秘書官とともに応接室を出た。秘書官はローガニスとほとんど年齢は変わらない。ただ、若いながらも優秀である自信と自負にあふれた青年だ。だからこそ、交渉は案外容易に進められる。親しくないとしても気に入っている。
「別の建物になりますから、ご案内します」
「世話になります、助かるよ」
「いえ。職務ですから」
「今回は融通を利かせてくれて本当に助かったんです。改めて礼を言います」
「でしたら……一応、保養院への対応についてはこちらも関われるんですよね?」
「もちろん。ただ、学芸局はあくまでも支援という形にはなります。国内の安全に関しては軍務や法務の管轄になりますが、我々は法務の独立機関のようなものですから。気になるのは、なぜこちらを気になさるのかですね」
すると秘書官は鼻白んで「軍務も法務も、気が知れませんね。犯罪を広く喧伝するなんて。あまりに人の善性を信じすぎている」ローガニスは肩をすくめながら「伺いますよ」とだけ言った。
「あの御令嬢を使えば国民の関心を引けるのは理解できますよ。人目を引く容姿をしていらっしゃいますし、生まれ育ちも王家を含めた周囲からの寵愛もありますからね。ただ、所詮は16にもならない子どもでしょう、新聞や世間では碌に本性や能力も知らずに白百合だの六将星最有力候補だの崇め奉ってどうするつもりなのか、甚だ疑問です。もはや、自分には持て囃されたいようにしか映りませんね」
「だからこそ、ですよ。我々は物語著者にはなれません。そういうのはブンヤの領域です。絵になるように調整するのは、評価向上の策略のひとつとして捉えた際そのほうが利点が大きいからですね。喧伝だの善性だの、本質はそこには無い」
ローガニスは秘書官の前に回りこんでまっすぐ目を見つめた。
「犯罪を抑える道というのはただひとつだけ――綿密な計画、高度な技術、絶句の悪意、圧倒的な度胸を兼ね備えたまさに〝罪を犯す行為〟を世に示すことだけ――拍手を誘うほどの見事な洗練された犯罪を前に贋犯罪は淘汰され得るということです。その効率化としての新聞記事あるいは娯楽小説です。名声や称賛は二の次……いえ、あの人が求めるものですらありません。人々にわかりやすいように広告している副産物に過ぎませんからね。実際、その業務についていませんし興味すら持たれていません。あの人が求めるのは世に遍く犯罪資料を集結させて〝白亜の殿堂〟を完成させることですから」
1歩、また1歩、後ずさる秘書官に合わせて距離を詰める。
「どちらも世のためであるとは思いますが、まあ、科学研究と比較して犯罪捜査が低俗と思うのは自由ですよ。人の感性の話ですから他人が文句をつけられる内容ではありません」
ついに秘書官の背が壁に触れた。
「せっかくの機会ですから、念のため申し上げておきましょう――我らが白百合に不当な評価を押しつけるなら相応の覚悟はあるんだろうな?」
どのような表情でどのような言葉をどのような声色で、長身である自覚がある分、威圧感を纏うのは容易だった。他方、それを向けられる側の心の遷移もよく理解できる。記憶の中のもうひとりの存在のおかげで、得意な言動の範囲にありながら精神的には非常に苦手な演技のひとつだった。
「そんな怯えないでくださいよ、冗談ですって、冗談!」
自分と相手の気を紛らわせようと、秘書官の肩に腕を回して目的の部屋へと向かった。




