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星と波とエレアの子守唄  作者: 視葭よみ
白百合のメタノイア
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星々と彼らの夢

「主役が、なぜこちらに?」


 アレクシオスは廊下の壁に背を押しつけられながら尋ねた。その冷静な態度は相手――的確にエミリオスの癪に触れた。胸倉をつかむ拳にはさらに力が込められて視線も鋭くなる。


「余裕で何よりだ。その様子なれば、俺にわかるように説明できるのだろう」


「殿下にどのような不遇があるのですか」


「本気で言っているのか?」


「戯れだと思いますか?」


 自嘲的な笑みによって強制的に流れが変えられるのを感じ取った。そっと手に触れられ、強張る手を解かれていく。「僭越ながら、気づいていないと思われていましたか?」と言われても主語がわからず、エミリオスは猜疑を込めた視線を投げつけることしかできなかった。いつの間にか、両手は宙を彷徨っていた。


「すべて承知の上でした。傷つけることも苦しめることも、わかっていました。彼女が拒否しないことも、周囲が収めようとすることも。幼いころから妃殿下に目を掛けられているのは有名な話ですので、使えると判断いたしました」


「……」


「僭越ではございますが、止められなかったからこそ今に至るのですよ」


 ここまで明言されたら察してしまう。相手は希代の星として期待される青年だ。考えていないわけがない。考えた末、家に決められた婚約者から離れることを決めた――姉姫のまっすぐさを知る身としても、どのような表情で何を言えばいいのかわからずエミリオスは視線を落とすと、宙に彷徨わせる自分の手を眺めた。兄王子が音楽隊に合図した瞬間を見ていた。その上でヒストリア伯爵の側へ赴いた。カリス卿の代わりにその手を取りたかった。


「叶わないと――諦めようとしていたのに、どうして願い求めさせる? どうして夢に形を与えたんだ……?」


「貴方が彼女に向ける思いと、私が抱いた思いに、一体どのような何が違いがあるのでしょう」


 銀の瞳は、アレクシオスを見上げた。普段と変わらない穏やかな笑みは言葉に説得力を与えていた。


「衒いなど不要でしょう? ただ彼女が欲しい……それだけでしょう?」


「俺も君も、それが許される立場にないじゃないか! 真実の愛だって? そんなもののために」


「私とて真実の愛が存在するとは言い切れません。だからこそ、彼女が証明したいというのなら友人として最後まで見届けたく思っております」


「友人……?」


「元通りにはならないのなら、いえ、ならなくても最善を選びたいのが人というものでしょう? まあ、彼女の受け売りですが」


「伯爵が、君を友人と?」


「僭越ながら、彼女を何者と認識していらっしゃいますか?」


 答えられる言葉を持たない以上、抵抗するように睨みつけていた。微塵も表情を変えないアレクシオスの心の底がわからない。

 静謐を月光が見守る中――廊下の曲がった先から革靴の足音が響いてきた。

 エミリオスは改めてアレクシオスを睨みつけると、足音とは別方向へ立ち去った。

 数秒後、カリス卿は「おや。公子殿、このような場所でどうしたんだ?」グラスを両手に姿を見せた。


「夜風が気持ち良いので、つい」


「随分と強い風もあったのかな」


 カリス卿は器用に自らのネクタイを指し示した。アレクシオスは固い笑みを口元に張りつけて深い色の瞳を見つめたまま寒色のネクタイをなおす。すると、グラスをひとつ差し出されて受け取った。


「追い出される理由は限られているからね。王女殿下は?」


「伯爵閣下にお任せしております」


「ははっ。彼女は随分と人たらしだね?」


「ええ、はい。同意いたします。それで、どこから聞いていらっしゃいました?」


「野暮では?」とおどけると「聞かれて流すのも無粋でしょう?」と返された。カリス卿は「耳が良いので、まあ……ご想像のとおりかな」と答えて、ふたりは控室へ足を向けた。


「第一王子殿下にご報告を」


「いや。もう彼は知っているだろうね、物知りだから。王女殿下から似たようなことを聞いていない?」


「良い相談相手だと……」


「違いない、何でも知っているから的確な助言は得られるな」


 笑いながら言ってみると、返答はなかった。求めて発言したわけでは無いものの、急な沈黙は気になる。不意に足を止めると、アレクシオスはカリス卿の目の前で一気にグラスをあおって空にした。「結局変わりませんでした」とつぶやかれても意味がわからない。カリス卿は固く口元を結んで、視線で説明を求めた。


「シプリアナ殿下は空色の、メロディは薄紅色の、ふたりはそろいのデザインのドレスでした――という意味です」


「……殿下が明るい澄色を召されるのはよく拝見するが、ヒストリア伯もあのような色がお似合いだったね」


「そうですね。あの子にはよく似合います。昔は、よくああいったかわいらしいものを好んでいらしたのですよ」


「おや。良いことを聞いた」


 アレクシオスは笑ってみせようとしたが、あまりにもぎこちなかった。理由を察したカリス卿は「戸惑っているのかい?」と尋ねる。止まった足音にふり返らずそのまま歩いていると、やがてゆっくりと追随する様子がわかったので言葉を続ける。


「君だけではないよ。私は慣れてしまったから良いが、そちらは初めてのことに動揺し困惑するだろう。誰かを裏切るような結果になり得るとわかっていながら抑えることのできない胸の衝動にこの身を任せても良いのか、と――。閣下とのけじめをつけ、次は私というわけかな?」


「……」


「しかし、不要だよ。私と王女殿下との縁は、やがて殿下と君の繋がりのために在ったのだから。それでも私からの言葉を求めるならば……言われずともそのつもりだろうが、あえて言おう」


 カリス卿はきれいにふりむいた。戸惑うように顔を上げたその新緑へ優しいまなざしを向けながら


「最愛の女性を、君が幸せにしなさい」


 告げられた当人は、意味を図りかねたらしく、目を丸くして深海を見つめ返すばかりだった。何か言おうと何度か口を開いたが、口元を手で隠し、さらにその手は整髪を乱した。窓ガラスを開け放つと反対の手に持っていた空のグラスを軽く放った。数秒後、水面を乱す音が遠くから聞こえた。行動の理由を質す前にアレクシオスが口を開いた。


「貴方は人が良すぎるのではないでしょうか」


「伯爵に愛想をつかされないためには必至だから。とはいえ、彼女に関わってからというもの、私も戸惑ってばかりだな」


 ともに釈然としていないがアレクシオスはカリス卿の隣に並んだ。それを合図としてふたりは再び控室へ向かう。


「友人として――無垢で、清廉で、あまりに残酷な言葉だよなぁ」


「婚約者ではないのですから、一線は守らねば」


「献身的だな」


「初めて言われました。勝手が過ぎるとはよく言われるのですが」


「君はそれで構わないのか?」


「一度惚れた相手を泣かせたともなれば諦めもつきます」


「そういうもの、だろうか」


「私の願いはひとつです。そのためであれば、彼女を泣かせることを躊躇う理由もありません」


 目を丸くしたのはカリス卿だった。この公子は年下だと思っていたし、事実、3歳差である。早熟な才覚を風に聴いてはいるものの、学園内での恋愛事情を知ってまだ精神に青さがあるのだと考えていた。しかし言葉を交わしてみれば、実情はもっと複雑だったらしい。親と同じ世代か、さらに上を相手にしているような奇妙さが身に染みた。


「君、本当に今年18歳になるのか?」


「はい。正真正銘、星歴1666年9の月生まれです」


「それは事実なのだろうけれど、いや、すまない。おかしなことを言った」


「いえ。恐縮です」


「……君の願いを、聞いても?」


「はい?」


「このような言いかたは卑怯だが、私には聞く権利があると思う」


 すると、アレクシオスは足を止めて廊下に設置された窓越しに満月を見つめた――あの子が泣かない世界を、この時代で作れたらと思います――改めてカリス卿を見つめなおすと、はっきりと述べた。あの子とは誰を指しているのか考える間もなく、「カリス卿は?」と尋ね返される。


「私かい? そうだね……面白みに欠けるけれど名君を支えることかな」


「堅実ですね」


 そう言ったものの、アレクシオスは目の前の美丈夫を心配とともに見つめるばかりだった。言いたいことがあるなら言ってくれ、と視線で促すと


「ご存じありませんか、彼女の危うさを」


「彼女というと、ヒストリア伯かな」


「はい。……どうか伯爵をよろしくお願い申し上げます」


「少なくとも私からは離れていくつもりは無いかな。彼女も利点があるうちは同じだろう」


「……ええ、そうですね。氷柱の白百合は真実の愛を証明したいそうですから。しかし、それでも、私はカリス卿だからこそお任せしたいのです!」


 アレクシオスは最後まではっきりと言い切るが、カリス卿が不思議そうに目を丸くしていたことのほうが気になった。


「カリス卿……?」


「いいな、その文句は。ぜひ使わせてもらおう」


 男性に用いるのはいささか不適とは思いつつ、あまりにも美しい笑みに息をのんだ。


「カリス卿、公子様?」


 ふたりの視線は声に引き寄せられた。その先では、メロディがシプリアナの手を引いて歩み寄ってくる。「なぜこちらに?」疑問を、カリス卿が代表して言葉に出した。


 双方の意見交換の結果、女性陣の考えが採用されて4名は宮殿へ向かうことになった。アレクシオスはシプリアナの手を、カリス卿はメロディの手を取り再入場すると会場内がざわめいた。しかし、彼らは気にせずちょうど流れていた曲に身を任せた。


 その後、国王夫妻に御目通りが適ってわずかながら言葉を交わして、メロディとカリス卿は先に失礼することにしたのだった。






 乗車直前、メロディは夜空を見上げた――――今日は冬が明けて最初の満月の夜、春麗祭当日である。別の方角には、きれいに天上に映えるのは黄道のひとつ、エスフィルタ座が目立っている。殊にランブロスの星影はあまりにも美しかった。


 過去に光が点在する。過去を振り返れば好きなように光をつなげられる。はるか昔、まるで夜空を見上げて星座を織り上げた彼らのように、いつかどうにかして点が結ばれると信じるだけ。今日という日は間違いなくメロディの抱える光の中でも鮮明だった。いままでもそうしてきたように、忘れずにいようと心に決めた。


 カリス卿の手を借りて乗車すると、座席前のローテーブルに掛けられたハンカチが視界に入った。ハンカチには家紋と口上が……清水を用いて天恵をもたらさん……刺繍されていた。4公爵家の口上はいずれも何かをもたらす者としての矜持が見える。メロディはそれを「きれいだ」と表現してみた。するとカリス卿は隣に腰を据えながら


「天秤を抱き調和を誘う……こちらも綺麗です。伯爵閣下、貴女のその瞳の色のようでもあります。赤にも青にも寄らない、調和のとれた美しい中庸な紫の瞳」


 控室でのことを思い出し、思わず少女は警戒した。元凶は「場所はわきまえますよ」と笑った。まもなく車は走り出した。


「さきほども、いつどなたがいらっしゃるかわからない環境下でしたでしょう?」


「おっと、それはいけないね。次からは必ずふたりきりになれる環境を作らないと」


「ろ、論点が違います!」


「はははっ、〝妖精のイタズラ〟を利用したいというわりには現実的なことを言うんだね?」


「結果には要因があります。もちろん、創星神話や物語をまったく信じていないとは申しませんけれど、人が想像できる範囲は人が実行できる範囲と相違ありません。新聞や噂を賑わせる〝イタズラ〟も説明できることが可能だと仮定して考えても問題ないと思います」


 気恥ずかしさや動揺をごまかそうと、まくしたてるように言い切った。何も返答が無く、ちらりと横目で確認すると彼は「安心しただけさ」と目を細めた。薄暗い車内では、その瞳は黒にも見えた。


「もちろん、他者の幸せは嬉しく思う。だが、こればかりはね、受け入れるしかない……私に対する呪いなんだ。けれど、君の論理がきっと祝福に変えてくれると思えるよ。もとはそういう契約だったし、きっと君が〝真実の愛〟にたどりつくころには……っ――?」


 今、彼に道化を演じさせてはならない――今まで自らを韜晦していたのかと、切なさの強要を自覚させられた。

 メロディは卿へ詰め寄って、座面に膝立ちしながら彼の口にハンカチを押し当てた。むやみに他者に触れるのははしたないからハンカチを用いて直接を避けられる程度の冷静さはあった。

 他方、さすが現役軍人、咄嗟に座席やローテーブルを掴んで体勢を崩さなかった。ただ、メロディの意図が読めないらしくただ見つめ返している。


「これから着実に研究を進めていきます。急ぐことは難しいですけれど、わたくしは必ず〝真実の愛〟を証明します。自らの言葉で納得できる定義をしてみせます!」


 カリス卿は何度か目を瞬かせた後、メロディを座りなおさせながらハンカチ越しに手を握る。「期待しようかな?」一切、視線は合わなかった。

 それでもメロディははっきりと肯定を返した。

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