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星と波とエレアの子守唄  作者: 視葭よみ
白百合のメタノイア
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すれ違いと向きあう理由

 控室はしばらく他に誰もいなかった。メロディとカリス卿の【創星神話(コスモメトリア)】談義はのんびりと続けられていた。


「赤い糸の先に答えがあるという表現は、そもそも……たしか、11世紀の天才科学者がよく用いていたとして定着しているそうです」


「激動の11世紀……ペトロネラ・ヤーティッコですか?」


 大陸中の国々を巻き込んだ戦乱の坩堝にあった当時、戦いが技術を開花させ得るように科学文明は大きく成長した。その発展を支えた者たちのうちヤーティッコは、ダクティーリオス王国建国の数十年前には、皇国出身の〝科学者の鑑〟として名声を得た夭折の才媛だ。時期が重なっている人名から挙げてみると「ええ、そう、彼女が筆頭です」肯定が得られた。


「複雑に絡み合った糸を解いていくとやがて赤い糸が見えてきて、それを手繰れば答えにたどりつける」


「すなわち、すべては永遠の真理に帰す。ゆえに、すべては理に従う――ですね?」


 知っている文句だった。おそらく、かの科学者が遺した言葉の中でもとくに有名な一節なのだろう。何しろ、イリスから一方的に科学談義をされるメロディはともかく、学生時代から科学より武術に造詣の深いカリス卿ですら知っているのだ。

 カリス卿は,眦を細めると目の前の少女の頬にそっと触れた。柔らかく、なめらかな肌。温度が指先へ穏やかに伝わるのが心地よかった。


「ヤーティッコ女史は……きっとかの科学者の瞳も、貴女のようにあらゆるものを見通せる澄んだ紫をしていたのでしょうね」


 その瞳は部屋の明かりと月光に照らされて透き通っていた。

 しばらくその平衡の紫を見つめ続ける――主に観察力と論理的思考を必要とする環境に身を置きながら、深い洞察に怜悧な知性を持つ一方、危ういほどに無垢で清廉な少女――カリス卿の中ではメロディ・ヒストリアに対しての印象は固まろうとしていた。だからこそ、彼女からの信頼を得るための手段は限られていると察していた。


「カリス卿の瞳は、深い夜の色をしています」


「そのおかげで、貴女は自分の姿をよく見ることができるでしょう?」


 間違っていない。光量の少ない夜に窓ガラスを見れば鏡のように自分の姿が良く見えるのと同じ原理だろうか。肯定するのも余計だと思い、メロディは何も言わずに瞳を見つめ続けた。

 カリス卿はこの沈黙を好機だといわんばかりに話題を提供する。


「春麗祭で王妃殿下が私を使ったのは、周囲から貴女を冷遇しているように映さぬためでしょう」


「ええ。お心遣いをいただきました。むしろ厚遇していただいてます」


「あなたの代母でいらっしゃいますからね、寵愛も私情も働かれても不思議ではないよね。さて、そうでなくとも我々は周囲の目に良好な関係性だと映らねばなりません」


「ええ、誓いが果たされるのでしたら」


「そうなりますと、やはりよく用いられる方法として、所持品や服装の色彩を合わせるのがあります。言葉がなくとも視覚的に認知させやすいのです」


「要するに?」


「お好きな色は何ですか? 勤務時にはよく深い色のリボンで髪をまとめているようだけど」


「ええ、そうですね。特に理由はありません。使用人らに任せていますので」


「じゃあ、君の好きな色は別にあるということ?」


 周囲の認識を完璧に掌握するのは不可能だと知っている。素直に受け取るものがいれば勝手に裏を読み取ろうとする者もいるのだから。あまり興味を抱けなかった。無難なもので構わなかった。


「わたくしは深い青が好きです。問題がなければ」


「あるといったら?」


「あるのですか?」


 からかわれているだけだろうか――真意を図りかねたメロディはカリス卿の瞳を、猜疑を込めて覗きこんだ。彼は余裕そうに軽く目を細めるだけだった。

 その瞳の中で困惑していた少女は、まもなく、改めて気づいた。深い青は、彼女の認識において、落ち着いた誠実さを演出しやすいだけではなくなったのだ。言わんとしていることがわかり、気恥ずかしくなった。抑えるように笑う卿を睨んでみたが、顔が熱いからなのか効果はいまひとつのようだった。


「こ、困ることではっ……」


 メロディがそっと目を逸らした次の瞬間、カリス卿は華奢な体を引き寄せた。

 何が起きたかわからなかったメロディは半身に人の温もりがあると気がついた。ついに状況を理解すると体をよじって抜け出そうとするが、現役軍人を相手にするには圧倒的に分が悪かった。困惑するメロディは飄々としている深海の瞳を見つめ返す。


「私のことは、どうぞコニーとお呼びください」


「お戯れを」


「そのようなつもりはありませんよ、ただ、取引の内容には誠実でありたいのです」


「性急にすぎます」


「互いの呼びかただけですよ、今は」


「しかし」


「公子殿のことは愛称でお呼びになられていたでしょう?」


 間違いなく目の前で呼んでしまった以上、心当たりがないとは言えなかった。どうにか状況を変えようと「で、でしたら……わたくしのことは、ミリィと」咄嗟に提案した。が、「わかりました、ミリィ」少しくらいは渋られると思ったが、見当違いも甚だしい。あっさりと呼ばれてしまえばもう逃げ道がない。


「……コニー様、もう降ろしてください」


「敬称もいりませんよ、私もつけなかったでしょう?」


「わかりました、コニー!」


 普段イリスやオルトに子どもあつかいされるのとはまた違う、これほどまでに顔へ熱が集まる理由をまだメロディは知らなかった。「白百合も赤く染まるのですね」と楽しそうにする彼を睨みつけると、飲み物をとってくるからと席を外した。足音が聞こえなくなり、改めてソファーに体を沈めてひと息つく。

 婚約解消を提案されてからおよそ7日間、なかなか気持ちが追いつかなかったメロディだったが、今、ようやく受け入れる余裕を持っていた。


 直後、扉が開く。

 控室に新たな客人がやってきたのだ。


(危なかったわ、もう少し渋っていたらさらに恥ずかしい思いを――)


 唇を結び、証人になりかけた者の顔を拝むと……空色の礼装に身を包む青年がたっぷりとした金髪を緩やかに空色のリボンでまとめた少女をエスコートしている――シプリアナとアレクシオスだった。


 3人の時間が止まった……シプリアナが後ずさる。メロディは勢いよく立ち上がった。


「お待ちください!」


 裏返った声を抑えつけて、もう一度はっきりと懇願した。


「王女殿下、イードルレーテー公子様、おまちください。お願いします」


 余裕が持てるようになったとはいえ、何を伝えるかまでは考えていなかった。呼び止めたことに後悔がない代わりに自らの未熟さは悔しかった。

 婚約解消の提案があった日、内側に感じた熱さは、メロディ自らに対する不甲斐なさだった。アレクシオスとシプリアナの恋情はあくまでもきっかけに過ぎず、自らの非を自覚している。

 何を言えばいいのかわからないのではない。伝えたいことがあまりにも多く、優先順位がつけられないのだ。

 アレクシオスが目を細めた――視線は合っているはずなのに、新緑は悲しげに見えた。気遣おうとしたが、気を遣わせたのかもしれない。メロディは焦って言葉を紡ぐ。


「嬉しく思うのです……!」


 もう順番は気遣えなかった。すべて言いたいことを言ってしまえば良いのだ、相手はアレクシオスとシプリアナである。自覚している以上の思いを、言葉から推察してくれるだろうとなんとなく信頼があった。


「わたくしの両親も、真実の愛で結ばれていらしたのです。幼いころの記憶には、その温かいお姿が確かにあります」


 紫の瞳は、ただ切実にふたりを見つめる。すると、アレクシオスはシプリアナの手を軽く握って室内へ導いた。不安そうにアレクシオスを見上げたシプリアナだったが、視線を落とすと、抵抗せず踏み入れた。メロディは安心して見守った。

 アレクシオスは後ろ手に扉を閉めるとシプリアナを向かいのソファーにエスコートした。

 言葉もなく、3人は腰を下ろした。

 蒼穹と新緑がむけられ、メロディは話を続ける。


「両親の間にあったものの正体は、わたくしにはまだわかりません。だから、知りたいと……何よりも尊く、どうしようもなく素敵なものだと知っているからこそ、だからこそ、触れることがかなわなくとも、正体を少しでも知りたいと願わずにいられないのです。どうしても期待せずにはいられないのです。わたくしの大切な方々が、素敵なものを育んでいるのですから……! こんなにも素晴らしいこと、想像しうるかぎり同等のことは思い至りません」


 ふたりの目を見ていたはずだったが、話しているうちに視線が下がっていた。手の甲が白いのは月光のためかわからなかった。表情は、ふたりとも感情が隠されていて何を考えているのかわからなかった。代わりに、メロディは自分の心の内が伝わるよう願いながら伝えた。


「お幸せになられてください。僭越ながら、それだけがわたくしの望みでございます」


 二対の寒色の瞳はそれぞれ似たように揺れた。

 おかしなことを言ったのか――言ったのだろう。貴族として誇るべき尊貴な血脈が断たれようとしたのだ。そのような、恨む道理のある相手を前にして心から明るい未来を願っていると伝えたのだ。仮に、職務として報告書を読んだのならば当事者の言葉の裏を探っていた違いない。わかろうとするからこそ気づけた嬉しさがある反面、分析能力の未熟を知ったメロディは離れの友人らに何を協力してもらいたいか決めておこうと思った。


「私は、貴女が強がることを知っています」


 沈黙の後、アレクシオスは困惑するようにつぶやいた。否定できない……婚約前後からあの執務室での問答まで、メロディは何度も強がった。とくに後者に至っては涙を隠そうとして相当ごまかして見せた。

 しかし、今、彼らを前にして一度も偽りを述べていないと星に誓えると胸を張れる。


「あの日、わたくしのことを大切だとおっしゃってくれました。王女殿下を大切に思う心とは別種だと条件付きだったのは、わたくしも、それくらいでしたら理解できていると思います。公子様がもとめた婚約者への感情は、わたくしが抱いていた兄に対するような思慕とはかみ合わなかったのだと思います。相互に大切に思っていても、こうなったのは、そういうことだと認識しております。人の心は複雑ですから、どうしても思いどおりになるとは限りません。そうでしょう?」


「そう、か。そうだね……」


「わたくしとあなたはいつも向かい合っていたから……同じものを見ているようで、きっとどこか違うものを見ていたのでしょう。今も、こうして見つめ合っているから、わたくしはあなたに何が見えているのかわかりません、しかし、お隣の御方とは、同じものを見ていてほしいです」


 シプリアナがうつむいてしまっているのが気になったが、まずはアレクシオスとの決着を優先させた。メロディはそっと居住まいを正した。


「公式ではないとはいえこのような場では淑女として言葉を選ばなければならないのでしょうけれど、あなた相手には面倒だから、嫌です」


「言いたいように言ってごらん」


 これまでどおりにいかないことは理解した。しかし、婚約者ではなくなっても、議論や剣術でしのぎを削り合える間柄でいたい。これから返せる何かとその機会があれば、返していきたい――だからこそ、この関係の名前を変えなければならないのだ。

 メロディは、柔らかく細められた新緑を、まっすぐ見つめた。


「これまで傍にいてくれてありがとう。これからは友人として、どうぞよろしくお願いします」


「もちろんだよ。ありがとう、――」


 名前を呼ばれそうだと察したメロディは、立てた人差し指をそっと口元へ寄せた。それだけで意図を察したらしいアレクシオスは「ヒストリア閣下」と言い直してくれた。メロディは改めて貪欲さを自覚した。


「ヒストリア伯爵、わたしからもよろしいかしら」


「はい、殿下。なんなりと」


 メロディとアレクシオスはほぼ同時にシプリアナへと視線を向けた。


「閣下は、私をどのように思っていますか?」


 蒼穹のドレスに身を包むシプリアナは穏やかに微笑んでいた。問いが抽象的で答えに窮したメロディだったが、微笑み返せた。


「道に迷ったとき、見上げずにはいられない夜空に瞬くひとつぼしのような存在です」


「本当に、それだけかしら」


 聞き間違えにしては明確に聞き取れてしまった――鈴を鳴らすように可憐なシプリアナの声は、低く聞こえた。

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