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星と波とエレアの子守唄  作者: 視葭よみ
白百合のメタノイア
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証言訂正の口約

 ――貴女はご立派でした


 面会したときの、カリス卿の言葉が思い出される。メロディは穏やかに微笑んでいたが、同時に、澱が下腹部あたりに溜まっていく不快感に耐え続けていた。


(爵位継承のためにお父様の死亡宣告を利用したのは、必要だったから……しかし、どうしてもそれは正しくない)


 後悔は無い。無いからこそ、いつまでも冷えきった炎は消えない。


 ただ、当面の問題はそれだけでは無い。

 婚約解消はもうすぐ成立する。しかし、なぜアレクシオスにそっけなくされたのがここまで堪えているのか……果たして答えを見つけられるだろうか。あの日以来、もし会わなければ思考に浮かんでくることすらなかっただろう。他方、このような人間の配置について敏い御方をひとりだけ、メロディは幼いころから身をもって知っていた。


 扉がノックされて姿勢を正した。許可すると、ローガニス補佐官が執務室へ体を滑り込ませた。思考に職務を邪魔されていたメロディはペンを手放す。彼は上司の浮かない表情に苦笑を浮かべながら「もしもーし、大丈夫ですかー?」軽い調子で問う。


「エレパース男爵夫人の証言訂正のための宣誓だろう? ツァフィリオはどうした?」

「とうに準備万端、意気込み十分、班長殿のもとです。もう準備が整うころでしょう。さ、ご起立ください」


 怠慢を指摘されても甘んじて受け入れたくなるほどメロディの腰は重かった。補佐官が「私が閣下を担いで参りましょうか?」とからかうように提案する。


「……。後始末は任せる」

「どうぞお手柔らかに」


 メロディは自らの足で立ち上がった。制帽を受けとり礼を告げて執務室を出ると、すでにツァフィリオの席はまっさらに整えられていた。調査室の責任とともにシリルにはサボり癖のついた補佐官を見張っておくよう任せて、ようやく宣誓宮へ歩を進めた。


 宣誓宮には、重要な儀式が執り行われる施設が集合している。王城においても異質な空間であり、普段はめったに使用されない一角なので張り詰めた空気が肌に刺さる。

 メロディは新年祭の〝福音の舞(アナリプシ・テレティ)〟演舞が非常に記憶に残っている。過酷な内容ではあったが清らかな舞を思うと、自然と神経が研ぎ澄まされる。足を止めて、数度、深呼吸……澱は少しずつ希釈された。


 少し軽くなった心とともに指定された特務室へ向かう。しかし、扉を開けると険悪な雰囲気がそこにあった。興奮して声を荒げているのは、部下だった。彼の目の前で男爵夫妻が耐え忍ぶように硬直している。


「犯罪捜査を何だと思っているんだ?! こんな重要な……あんたの証言で新たな被害者がっ――だいたいそのような時間にひとりで」


 遮るようにメロディが冷たく名を呼ぶと、部下は言葉を止めた。「控えなさい」メロディはただひとこと続けた。なおも食い下がろうとする彼に冷徹な視線を浴びせて黙らせると、ひとつ尋ねた。


「お前は何に怒りを抱いている?」

「っ……」

「宣誓立会人はひとりいれば良い。幸い、班長殿は適する服装だ」


 視線をやると、カラマンリス班長は書類を差しだした。証言訂正の旨が精緻な文字で綴られている。検めおえて署名すると、それらをそのまま直属の部下に差し出した。


「お前が自分で決めろ、立ち会うか否か」


 青年は唇を嚙み締めた。瞳を閉じて逡巡すると、心が決まったらしい。決意のまなざしとともに受け取り、署名してメロディに返した。署名と当人の表情を見比べ、目を逸らした。

 エレパース男爵夫妻に謝罪を済ませると「宣誓は隣の特務室で行います」すぐ説明に移った。


「それに際して、メリンダ・エレパース、以下に述べる訂正内容に相違ないか確認しなさい。

 ひとつ、あなたが事件に遭遇したのは直轄領セレス市セレスティア国立植物館付近である。ひとつ、事件遭遇当時、香水を身に着けていた。その香水は、アエラース商会ミティリウス第7支店で入手したブランカ・フルール、〈春の小川のせせらぎ〉である。

 これについて答えなさい」

「はい。2点ともに相違ございません」

「ほかに訂正すべき証言はあるか」

「いいえ。ございません」


 メロディは夫人をまっすぐ見つめた。先日よりもだいぶ顔色が良い。男爵も同様だった。

 カラマンリス班長に書類を返して署名を促すとメロディは説明の先を続ける。


「なお、〝ある万物への誓い〟を反故にしたため、本日は〝星への誓い〟を行う。ペルセウス座1等星エフィストロフィーに捧ぐため、これは国王陛下への宣誓と同義である。したがって2度目の証言訂正は不可能であり、本日の証言訂正に偽りがあったとき偽証罪から反逆罪の刑罰に問われることとなる」

「はい。ヒストリア伯爵閣下に対して偽りは述べておりません。先の内容で〝星への誓い〟をいたします」

「承知した。宣誓に際して、わたくしメロディ・ヒストリア伯爵が代理を務める。立ち合いは軍務省憲兵局刑事部捜査課第3班班長ユーラス・カラマンリス、法務省情報調査室所属書記官ネロ・ツァフィリオが務める。宣誓時、男爵は立ち合い不可である。したがって、こちらで待機するように」


 男爵から恭しい首肯をうけとり、素朴な部屋を移動した。

 白を基調としているのは控室と同じだが、特務室には家具は無い。代わりに天井から床に至るまで流麗かつ精巧な彫刻で彩られている。同じ宮内にある〝理の石〟を模した紋様……中央の空白円陣から4つの正方形とさらにその周囲に8つの三角形が外側へとのびており、図中には〝創星神話〟に登場する12の〝星遺物〟の象徴が刻まれている……それらによるものなのか、ただ、精を感じられるのではないかと錯覚するほど清らかな空気が満ちていた。

 立会者らが壁際に控え、それぞれの句切れ目となっている橋を渡ってメロディと夫人は中央へと足を運んだ。白亜の円形幾何陣にて、向かいあうと会釈程度の礼を交わした。メロディは右手を、夫人は左手を掲げた。互いの中央当たりへ伸ばせば、そっと掌が触れ合った。夫人は瞳を閉じた。


「其は冥冥にありて理を待つ者――風生じ得る地に静寂の籠城ありて悠久なる大樹のもと虚実の涙雨を視る者なり」

「天つ空におはす星彩、清らなる光明が為す炎は、されど論を俟たず悠遠より彷徨して止まん」


 夫人は深く息を吸い込むと、膝をつきメロディの手の甲に自分の額を押し当てた。ほぼひと息に先ほど確認した訂正を宣誓内容として述べて「これより、此の御約を違うこと非らず」と宣言した。メロディは夫人に起立を促しながら告げる。


「暁が成す旅路を征く影に捧げられしはただ一縷の光。其の行く末に、ペルセウス座エフィストロフィーの御導きあらんことを――」


 互いの掌を合わせる位置に戻ると見つめ合い。ともに終の句を述べる。


「――此の御約とともに森羅万象はやがて星の御許に還りて、さもありなん」


 そっと手を放し、それぞれが胸に手を当てながら再び会釈程度の礼を交わす――ダクティーリオス王国において最も重要な口約〝星への誓い〟が完了した。


 控室に一行が戻った途端、顔を上げた男爵はソファーからはじかれて駆け寄った。その先で夫人が口元に笑みを浮かべると、一歩手前で足を止めた。協力に感謝を述べて帰宅を促すと、ふたりそろって辞宜を残して控室を後にした。メロディは彼らの背を、固く結ばれる両者の手をしばらく見つめていた。




 職務室に戻ると、ローガニス補佐官と視線がかち合った。嫌な予感がしたらしく目をそらされたが、メロディは構わず行動に移した。

 ツァフィリオ卿の手首を掴んで引きとめると席に座らせた。両膝の間を踏みつけ「宣誓宮であのような態度は度し難い」メロディは言葉を続ける。


「内容も無視できるものではなかった。だいたいそのような時間にひとりで……わたくしはお前の言葉を遮ったが、続く言葉がわからないほど幼いつもりも愚鈍なつもりもない。だからこそ改めて尋ねるが……なぜ被害者に加害される理由を見出す? ツァフィリオ卿、あれは誰がための怒りだ?」

「はい、閣下。男爵夫人のあとに2件ありました。ふたり、人が死んだんです。彼女の証言がもしセレス市内だったら、防げたかもしれません。捜査陣の苦労だってあの証言のせいで水の泡になりました」

「要するに、お前はどの立場から何に怒りを抱いている? この連続事件において怒る資格を持つのは被害者と遺族、そして不安を抱かされた周辺住民だ。何を勝手な正義を振りかざす資格がお前にあるというのだろう?」

「……」

「怒りは強い感情として原動力になり得る。被害者のためになるなら好きにしなさい。自分のためのものならしまいなさい。できないなら、わたくしはお前がこの仕事に向いているとは思わない」

「……はい、お見苦しいところをお見せしました! 以後、気をつけます!」


 メロディは手を離して補佐官を一瞥する。職務に戻るようにひと言告げて部下に背を向ける。


「あれは感情を殺せっつってんじゃないよ。必要なときに狙いを定めて使えっつってんの。わかったかい、期待の星くん?」


 扉の影からローガニスがツァフィリオの肩に腕をひっかけたのを確認してから執務室に引っ込んだ。

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