取引と期待
他には誰もいない、とある参謀室。
緩やかな笑みとともにメロディはカリス卿に告げた。
「ご心配には及びません。ご存じのように、わたくしの両親は大恋愛により結ばれました。しかしながら、わたくし自身は敬愛を抱けても恋愛や真実の愛がどういったものか認識すら曖昧な人間ですもの」
「……伯爵閣下は、ご両親のような希代の恋愛を望まれているのですか?」
「いいえ。王妃殿下よりお伺い賜る内容は、まるで物語です。ただ……ゆえに両親の愛が育まれたと言われましたら納得するばかりでございます。憧れはしても、望みははるか遠く。物語の中の幸福のように思います」
「憧れてはいるのですね?」
「仮にそうだとして、冷めてしまっているわたくしには非常に難しいように思います。どなたが言い出したのか……〝氷柱の白百合〟をご存じでしょう?」
「清らかな伯爵閣下への称賛のひとつのように思いますが」
カリス卿は明らかに言葉を区切ると立ち上がりメロディのかたわらに膝をついた。意図が読めず困惑するばかりのメロディに彼は尋ねた。
「私の弟をご存じでしょうか?」
「はい、スティファノス公子様ですね? お茶会でお会いするときは良くしてくださいました」
「あいつは、王女殿下とは3か月違いの生まれ――学園では同院同学年に所属しております」
「っ……あなたも、事情はご存じだったのですね」
「……。何度か尋ねられたこともあります。彼らが友人以上の関係に見えるのは自分の経験値の低さゆえかと、これは公認のうえなのかと――弟は名前こそ出しませんでしたが、お相手が幼いころから神童と謳われるアレクシオス・イードルレーテー公爵令息ではないかと私がたどりつける程度の情報は得られていました。学園外の者としては最も早い段階だったでしょう」
貴公子は自嘲的に口角を上げてみせた。あまりに美しかったものだから
「それでも、引き留める努力はなさらなかったのですか?」
メロディは意図せず尋ねてしまった。とっさに両手で口を塞いで自分に言い聞かせる――わたくしのハンカチは重ならなかったの、ただそれだけのこと――前を向ききれていない幼さに対する自責を収めて両手を膝に戻して「どうか忘れてください」と深く頭を下げた。
「貴女を初めて公で拝見したのは、昨年の裁判の傍聴席でした。貴女はご立派でした」
どうやらカリス卿は話題を大きく変えてくれるらしい。メロディはその優しさに甘えて取り繕うように笑みを浮かべなおし、顔を上げた。
「爵位継承に有意義な時機がいくつか同時に来たのです。幸いでした」
「運を引き寄せるのも実力のひとつでしょう」
カリス卿はそっとメロディの手を取った。深海の瞳は真摯に紫水晶をみつめる。
「貴女を愛する保証はできかねますが、聡明で美しい貴女を大切に思い愛しむことは私にもできるでしょう。清らかな心を持つ貴女が望むものを与えることができることを望んでおります」
なんてまっすぐな方なのだろう――メロディは、自然な笑みを浮かべた。
「コンスタンティノス・カリス様。あなたのご提案を受け入れましょう。代わりに……ふたつ、条件を果たしてくださいませんか?」
「……はい、伺います」
「ひとつ。わたくしは無期限で、真実の愛について研究をしています。ご協力願えますでしょうか?」
カリス卿は目を丸くして「は、はぁ……」とつぶやいた。想定外だったのかしら、そう思ったがメロディは構わず続けることにした。
「妖精に愛された貴公子殿は、婚約者を真実の愛へとお導きになられる――ご存じですか?」
「ええ。自らのことですから、耳には入ります」
「架空の存在は、2種類あります。ひとつは、想像力が生み出すもの……ひとつは、希にこの世に存在しているものです」
「私に関する風説は、いずれかであると?」
「可能性の話です。まだどなたかが証明したのではないでしょう? それとも、お心当たりがおありで?」
「いや。ご期待に沿えず申し訳ない」
「ならばこれでおあいこですね」
メロディは困惑をにじませるカリス卿の手を引いて起立を促す.
「卿はヒストリア家の名前を、わたくしは貴公子様の評判を利用するのです。これで婚約にともなう相互の利害関係がつりあうのではありませんか?」
「よろしいのですか? 閣下の婚約解消は」
「ええ、結構ですわ。わたくしも同罪……いいえ。信頼を理由にして知ろうとすらしていなかったのですから、わたくしのほうが重罪です。わたくしの現状のほとんどはわたくしの言動の因果によるものですから、件についてあなたの言動の責任は軽いのです」
するとカリス卿は、ひとつ咳払いして隣り合うよう着席を促した。ひとり分ほど離れて座ったメロディとカリス卿はどちらからともなく手を離した。
少し考えると、卿はわずかに体を乗り出して静かな声で問う。
「なぜ閣下のエスコートを私が務めるのか……妃殿下の思惑の一端は把握しているね?」
「はい。第一王子殿下の御即位を推す派閥に中立派を取りこむ目的だと愚考いたします」
「同意する。では、第二王子殿下に関するお噂は知っている?」
「病弱でいらっしゃるため、デビューも遅れたと。したがって、今季の春麗祭で社交界デビューされると伺っております」
「それだけだと思うかい?」
卿のさす「それ」が何か図りかねたメロディは困惑とともに深海の瞳を見つめ返した.
「閣下は王妃殿下付きをしていらしたでしょう?」
「はい。8歳からおよそ6年間、務めさせていただきました」
「その間、次代の王家の方々の誰かと関わる機会は一度でもあったか?」
「っ……い、いえ……」
「あなたの母君フィーニックス様は学生時代より王妃殿下と親しくされていた。その縁と年が近いこともあり幼少期の貴女はシプリアナ殿下を筆頭にヘクトール殿下、エミリオス殿下とも交友を築かれた。では、なぜ王妃殿下と君の距離がより近くなってからは交友が絶えたのか……王妃殿下が君を気遣っているのは周知の事実。社交界デビューでは代母として、伯爵位継承でも協力があったのだろう?」
「御三方とも王位継承権を保有するのですから、不和を避けるためではありませんか」
「あなたは貴族として将来はいずれの御方を支える責務がある。存在した交友を断つほうが不健全だ。ならば偏りなく交友させればよかったし、それができる環境とお立場なのだから」
「わたくしの婚約成立は同時期でしたから、おそらく慎重を期されたのでしょう」
カリス卿から目を逸らしたメロディは、言葉にしながら足りない欠片があることにも、同意も否定もできない理由にも察しがついていた。だが、初対面の相手に開示するわけにもいかない。次代の王に第一王子を推している人間ともなればなおさらだ。メロディは「目的が見えないのですが?」と微笑んだ。
「お察しのとおり、我々が知らない事情があります。このまま目論見に振り回されるのは避けたく思っています。貴族である以上、婚姻の政略性を非難するつもりはありません。ただ、要点をお伝えしますと……感情がともなう保証はできかねるという話なのです」
「いままでの婚約者様にも、同様の内容を……?」
「いいえ、黄道に座する一族がひとりとして、そのあたりの色々は弁えているつもりです。お恥ずかしながら推察されて愛想をつかされた可能性は否めません」
「愛想をつかされることとお相手が運命のお相手と巡り合えることは別の事象でしょう?」
「そのあたりは私のあずかり知らぬところ、閣下の研究に期待しております。ふたつめの条件は?」
「あ、はい。もうひとつは、あなたからカリス公爵閣下にこの婚約を打診してください。わたくしは送られてきた書状に承諾を返すだけです」
メロディが告げるとカリス卿は「妥当ですね」と微笑み、そっと手を差し伸べる。
「私の墓前に飾る花をお探しいただければ幸いです」
「白百合でよろしくて?」
メロディは微笑みながら言葉を返した。
折り目がつくように、経験は残るし想定可能である――この取引はひとつの経験になるだろう。確証に近い期待を胸に笑みを深めた。
重なるかずれるか判然としない。現状、可能性がないと言い切ることはできない。
(それで被ることになる醜聞は、受け入れましょう。いずれにしろ、たとえひろげても、すべてがきれいまっさらになるわけでは無いのだから)
「よかった」
澄んだ男声がつぶやく。メロディがカリス卿を見上げると、彼は優しく目を細めた。




