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二十三報目・梅雨時と龍神様

「毎日雨がよく降るわねえ」

「んびぃー」


 梅雨――を通り越して台風を思わせる空模様の平日の昼前、中央区八重洲は西河岸橋の上。

高速道路の下で、裏辻と銀太は居並ぶ車を眺めながら車外で休憩していた。

 頭上を轟々と車が走り抜ける音が響く。空気の振動が裏辻が凭れている橋の欄干にまで伝わってきた。

屋根代わりの高速道路のおかげで雨には濡れないが、時折水滴が気紛れに落ちてくる。


「ぴ!」


その一滴に当たった銀太が一声鳴いて身体を震わせた。


「うびびびびび」


 ぶんぶんと頭を振って水滴を払う銀太だったが、ふと何を思ったのかきょろきょろとあたりを見回し始める。


「どうしたの?」

「うびびー……」


 何かを探すように飛び回る銀太に首を傾げていた裏辻だったが、周囲が一瞬明るくなったのに「うげ」と呟いた。

 一拍後、バリバリッ!! ドォン!!!! と雷鳴が響き渡る。


「やぁねえ、結構近くじゃないの」


 思わず首を竦める裏辻と対照的に、銀太は飛び回るのは変わらないものの、何処か楽しそうにびうびと鳴いている。

龍だけあって、雷は割と好きらしい。


「アンタは呑気で良いわねえ……雷が落ちると人間は大変なのよー」

「おや、そうなのかい?」

「そうですよー。直撃すれば死にますし、死なないとしても後遺症が――」


 のこったりするんですよ、と続けようとして、裏辻ははたと気付いた。

今、物凄く普通に受け答えをしてしまったが、自分は誰と話しているのだろう。

一瞬同僚かと思ったが、親しい同僚にこんな低く耳触りの良い艶やかな声の持ち主はいない。だみ声の持ち主は多いけれども。

 ぎこちない動作で、裏辻は声の方向に顔を向けた。


「やあ御嬢さん、初めまして」

「あっはいはじめまして………?」


 目が潰れる。

裏辻が声の先にいた男に抱いた最初の感想はそれだった。

 真っ直ぐ、背中にかかるくらいに伸ばされた髪は月光の銀。

肌は何処かぞっとするほど白く、顔立ちは裏辻の貧弱な語彙では言い表せない程に整っている。

美青年、というには些か年を食っているような気がするし、着ているのがド派手なピンクのアロハシャツに黄色い短パンにかんかん帽という、なんだか若干――どころか盛大に本人が醸し出す雰囲気と噛み合っていない感じだったが、そんな事は気にならない程の美形だった。美形は何を着せても美形であることが証明されたような気が、裏辻はした。

 突然の美形の出現に困惑する裏辻を写し、男にしては長い睫毛に囲われた、春のよく晴れた日を思わせる蒼い瞳がふにゃりと笑う。

 そうして男は薄い唇を開き、


「いつも息子がお世話になっています」


と穏やかに言った。


「息子?」

「うん」

「む、す、こ??」


 世話をしている生物に心当たりはあれど、目の前のどう見ても人外な美形と結びつかない。なにしろ見てくれがあまりにも違い過ぎる。月とすっぽんとかいう可愛らしい問題ではない。あれはまだ一応丸いという共通点がある。今回はそれすらないのだ、結び付けろという方が無理があるだろう。


「うびーびーん!!!!」


 驚きすぎて硬直する裏辻の横を、銀色の塊が弾丸のように通り過ぎて行く。

 銀色の塊――銀太は、男の胸に飛び込むと、子犬か何かの様に尾鰭を振って鳴き始めた。


「久し振りだねえ、元気にしていたかい?」

「うんび! うんびび、うびびうんび!」

「それはよかった。名前を貰ったのだね、銀太か。良い名前だ」


 硬直する裏辻を余所に、男と銀太は和気藹々と会話している。

男の眼尻は下がりっぱなしだ。銀太を心底可愛がっているのがよく伝わってくる。

どうやら本当に父親らしい。「おとーさーん!!!!」と叫んで飛びついていたし。


「大丈夫かい、御嬢さん。変な顔をしているけれども」

「アッ大丈夫ですお気になさらず」


 呆然としているところに話し掛けられ、裏辻は思わず上ずった声を出した。


「うっびん、うんびーび?」


 うん、心配そうな所申し訳ないけど、原因の一部はアンタみたいなもんなのよ……。

ぷいぷい鳴きながら寄ってくる銀太を撫でてやりつつ、心の中で嘆息する。


「ふふ、うちの子は随分と御嬢さんに懐いているようだ」

「えーと、うん、そう、ですね?」


 何となく疑問調で返事をしてしまった裏辻に、男はくすくすと笑った。


「色々話してくれたよ、何時もお八つをくれるけど偶に貰えないとか、好き嫌いをすると怒られるとか、時々おかしなお客を乗せて一緒に冒険するとか、そんな感じの事を」

「さ、さようですか……」

「銀太は何が嫌いなのかなあ」

「え、嫌いな物ですか。ピーマンとか……? あと、辛い物が割と駄目ですね。わさび食べちゃった時はもう大泣きして宥めるのが大変で大変で」

「むびゃぁー」


 わさびの話をしようとした裏辻を銀太が鰭でぺしぺしと叩く。

どうやら、この話は彼の中では恥ずかしい話に入るらしい。


「親御さん相手にかっこつけてどうするのよ」

「うっびぃー」

「だってもさっても明後日も無いわよ」


 あとはまだ何か話す事があったかしら、と考える裏辻に、銀太は首をぶんぶんと横に振った。


「ああ、拾って早々、寂しかったのとお菓子を探そうとしたので部屋中ひっくり返したこともあったわね」

「ぷびゅっ!?」

「おや、それは一体どういう事だい?」


 男が反応したのを良い事に、裏辻はかいつまんで事情を説明する。

横でじたばたする銀太は勿論無視した。


「こーら、銀太。そんな事をしては駄目だろう?」

「う、うびんびびい」


 男に叱られ、銀太はしおしおと項垂れている。


「まあ、幸い割れ物の類は何ともなかったので大丈夫でしたよ。一瞬、こいつ放り出してやろうかとは思いましたけれども」

「下手をすると放り出されても当然の事だったものねえ……」

「暴れるなと言い聞かせておかなかった私が悪いかなと……あと放り出したら猫とかに食べられちゃいそうだなって思って」


 猫に食べられる、に反応して、銀太がぴーぴー鳴き出した。

猫なんかに負けないもん、と本人は主張しているようだが、裏辻としては胴体を咥えられたら一巻の終わりの気がしてならない。胴体が魚なので、恐らく猫から見たらぷくぷく太った美味しそうな魚に見えるだろう。実際、化け猫のお客に魚と言われていたくらいなので、大いに危うい。


「うちの子を見捨てないでくれてありがとうね、御嬢さん」


 妙にしみじみとした声でそういう男に、裏辻はいえいえと首を振った。


「ついでと言ってはなんだけれども、これからもうちの子をよろしくね」

「えっあっはい」


思わず頷いてしまってから、はてと首を傾げる。


「……あの、連れて帰ったりとかはしないんですか?」


 見た目に気を取られて思い切り忘れていたが、態々姿を見せたという事はやはり連れ帰りに来たのではなかったのだろうか。

 裏辻の問いに、男はにっこりと笑った。


「銀太、君の事が大好きらしいから良いかなって。それにほら、人の子の諺で言うだろう? 〝可愛い子には旅をさせろ”って」

「はあ……まあ、そうですね」


 笑顔が眩しい。

そう思いつつ、裏辻は頷いた。

 それに本人にはそのつもりはないだろうけれど、なんだか笑顔が威圧的ですらあるような気がするような、しないような。


「さて、息子の顔も見られたことだし、そろそろ僕はお暇しようかなぁ。銀太。御嬢さんに御迷惑を掛けてはいけないよ」

「うび!」

「良い子だ。それじゃあね、御嬢さん。これからもうちの子をよろしく頼むよ」

「あっはい」


 思わず固い声で返事をする裏辻に苦笑し、最後に銀太を撫でてから、男はぱちりと指を鳴らす。

強い風が吹き抜けた後、男の姿は何処にもなかった。


「……唐突に出てきて唐突に去っていったわねえ、アンタのお父さん」

「び」

「久し振りに会えてよかったわね」

「うび!!」


 元気に鳴く銀太を撫でてやりつつ、裏辻はふと思った。銀太が人型に化けたらどうなるのだろう、と。


「…………服代とか食費とかがかさむからアンタはそのまんまでいなさいね」


 美形な子供になるのはまだしも、年中スーパーでお菓子を強請って駄々をこね倒しそうだ。

それはちょっと、勘弁して欲しい。


「んびー」


 そんな大人の事情を知る由もなく、銀太は鰭を振って良い子のお返事を返す。


「さて、休憩したし仕事するわよー」

「うびゃ!」


 最後に伸びをして、一人と一匹は車に乗り込んだ。

 梅雨は稼ぎ時の一つだ。

きっとこれからも、手がよく上がる事だろう。

せっせと売り上げを稼ぐべく、一人と一匹は再び雨が降る町に繰り出したのだった。

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