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第8話 歓談

 先輩はシャツだけでなく、ジャージの上も着直して、きっちりといつもの格好に戻っていた。

 まるで私を警戒するみたいに、ジッパーもしっかり閉めている。なんで? 私がなにをしたと? 着替えをのぞいたのはちょっとした事故じゃないですか、ねえ、先輩? 全然私のことなんて気にしないでそのまま着替えてくれてもいいんですよ。


 多分、三年後の先輩だったら照れながらも喜んで着替えてくれるだろう。

 そんな気がする。――いや、同性だからね!? それで恋人っていうなら、別に着替えくらい見られても平気だろうって思うだけで。

 ただし鬼部長の方の先輩はそうではない。恋人でもないし、私に微塵と気を許していない。


「……えっと、その……筋肉痛がすごくてですね」

「よかったじゃない」

「あっそうですよね、筋肉痛になって回復すると筋肉が成長するわけですからね、悪いことってわけじゃないですけど」

「違う。苦しんでいることを純粋に肯定しただけ」

「…………」


 もうだいぶ嫌っていないですか? 痛がってよろこぶってサディストなんですか?

 へこたれそうだけれど、入部を認められなかったときと比べたらずっとマシだ。嫌味くらいどうってことない。


「あー……それで、プロテインとか飲み始めようかなって思うんですけど……」


 これは三年後の先輩からのアドバイスにそった話題だった。

 先輩はトレーニング好きで、高校に入学してからはプロテインも飲むようになっていたらしい。もちろんスポーツ選手みたいに筋肉を付けようってわけではないから、そんなに頻繁ではないそうだけれど、筋トレのあとに直ぐタンパク質を取ることや、アミノ酸かなんかの摂取が運動効果をより高めるとかで。


 詳しい話までは聞いていない。せっかくならこちらの先輩に教えてもらって親しくなってほしい――というのが三年後の先輩からのアドバイスだった。

 あまり人には話していなかったけれど、当時は一人でかなりこだわっていたから聞かれたついテンションを上げてプロテインの話をしてしまうはず――そう聞いていたのだけれど。


「勝手に好きなもの飲めばいいでしょ。なに、それだけ?」


 聞いていた話と違う!


「えっ、それはその……そうなんですけど……先輩なら、そういうのも詳しいかなって」

「詳しかったからなに?」

「お、おすすめを、教えてもらえませんか?」


 泣きそうになりながらも、私は計画通りに最後まで進めた。先輩からおすすめのプロテインを聞く。これで仲良くなれないなら、三年後の先輩の言うことはもう信じない。


「……おすすめって、こういうのは体質によって合う合わないがあるものだから、一概には言えないんだけど」

「え? あ、そうですよね……」

「でもまあ、飲みやすくて初心者向けの基本的なものって言ったらそう……プロテインは大きく分けて二種類あるのはわかる?」

「え、二種類? 甘いのとしょっぱいのとかですか?」


 てっきり「失せろ」と一蹴されるんじゃないかと思っていたから、先輩が普通に会話をすることに脳がついてきていない。


「……違う」

「あっ! あれですか、バナンとかチョコとか! そういうの見たことありますよっ!」

「それも違う。味の話じゃなくて……タンパク質の種類。動物性と植物性……って伝わる?」

「えっと……肉と草?」

「……間違ってはいないけど、動物性は牛乳が主成分で、植物性は大豆。動物性にはさらに二種類あって、この三つのどれを選ぶかってところからプロテインを決めることになるの」

「へ、へぇ……牛乳と大豆……思ったより、普通のものなんですね、プロテインって」


 てっきり科学実験で生み出された未知の材料でつくられているのかと思っていた。もっと聞いたこともない、カタカナの薬品みたいなそういうのかと。


「運動後、特に筋肉痛があるときにタンパク質を摂取するのは悪くないけど、タンパク質を多く取り過ぎるのも体に負担がある。だから最初のうちは少ない量で試していくのも大事ね」

「あ、そうなんですね。牛乳って聞いたら、全然一リットルくらいいっていいのかと」

「形状の種類はあるけれど、基本は粉になっているものが多くて……それを水や牛乳に溶かして飲むってのが一番一般的なのは、そう。でもクッキーやバーにして、軽食として取ることもできるから、これも好みで選んで」

「クッキーでプロテインが……!?」


 イメージしていたよりずっと便利だ。どんな味のものかはわからないけれど、クッキーと聞くと美味しそうだし、私でもプロテインが楽に取れそうである。


「あなたは、見たところ肉付きも貧相で、まだ筋肉も少ないわね」

「……貧相」


 そうなんだけれど、人から改めて自分の体が貧しいと言われるのは胸に来る。――ん? 胸の話じゃないよね?


「えっと、つまり私はどれを選べば?」

「それは自分で選んで。今言った話を踏まえて考えて」

「えええぇっ!?」


 これだけ話して結局どれがいいのかは教えてくれないのか。ケチだ。

 でもプロテインの話をしている先輩は饒舌で、どこか楽しそうだった。もしかしたら、本当にアドバイス通りうまくいった? 先輩が私に心を許し始めている? プロテインのおかげで!?


「えっと、あの、よかったら今度一緒に私のプロテインを選ぶの手伝ってくれたり」

「わたし普段通販で買うから。あとさっきも言ったでしょ。あとは自分で選んでって」

「……はい、すみません」


 プロテインは背中は押してくれたが、私と先輩の手を取り合うことまではしてくれなかったようだ。

 ただ効果はあったと思う。私への好感度なのか、ただプロテインを思う存分語れたことへの満足感なのかわからないけれど、先輩の機嫌もよさそうだ。


 これはあと一押し、三年後の先輩からの最後のアドバイスを使うべきか。気が進まなかったけれど、プロテインが上手くいった以上、こちらも試すべきだろう。


「あのぉ、先輩。もう一ついいですか」

「なに? プロテインの他にもサプリが気になっているなら――」

「あっ、そっちじゃなくてですね。……先輩って、好きなのかなって」

「……好きって、なにを?」


 鬼部長の先輩に、こんなことを聞いて本当にいいのか。

 いやでも、大丈夫、きっと三年後の先輩とこの先輩が同じ人ではないかもしれないけど、なんらかの繋がりはあって――。


「ゆ、ゆるキャラ……好きなんですか?」

「…………」

「あの、丸い……足の出ている……」

「どうして、それを?」


 先輩の表情が変わった。

 どうしてそれって、先輩がスタンプを送ってきたからですよ。恥ずかしいから、ずっと隠していたと三年後の先輩は言っていた。でも「ずっと誰かとゆるキャラの良さを分かち合いたかったから、誰かとこの話ができたら直ぐ仲良くなれると思う」ということで――。


「……ちょっと待っていて」

「え? なんですか?」

「ちょうどよかった。二人だけで」

「あっ、そうですね?」


 これは! このまま二人きりで、ゆるキャラトークを盛り上がれる流れか!?

 先輩は部室のドアに向かうと、なぜか鍵を閉めた。


「え? 鍵? あっ、邪魔されたくないですもんね!」

「そう、これであとは誰にも見つからずあなたを埋めれば……わたしの秘密は守られる」

「埋めるっ!?」

「どこで知ったかわからないけれど、それを知ったのならここから出すわけには――」


 あれ、三年後の先輩。聞いていた話と違いませんか!?

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