第5話 再演
そして本番、部活動の時間。
早くも私は舞台に立つ自分の姿を思い描いている。一年だし、まずは端役からでもいい。けれど憧れの先輩は今年が最後。先輩と同じ舞台で、ちゃんと名のある役を演じたい。チャンスはそれほど多くない。
目標は高いけれど、気合いは十分。あとは全力で駆け上るだけ。
意気揚々と第二体育館に今日も繰り出して――。
「あなた、こっちじゃないでしょ? 筋トレは外でもできるから」
「……っ」
鬼部長の先輩に、さっそくつまみ出されてしまう。
「お願いしますっ! 筋トレは家でもちゃんとしてますっ、だから私も練習に参加させてください!」
「どうして?」
「えっ……どうしてって、私はその、ここの演劇部にどうしても入りたくて……その目標なんです! 精一杯がんばるので、お願いします!」
「基礎ができていない人間が参加すると練習の効率が下がる。そんなこともわからないの?」
先輩は今日も変わらず厳しい。
やっぱりどんな理屈であっても、入ってきたばかりの一年にこんな態度おかしくないか?
だけど反論の気持ちもわいてこないくらいに、先輩は凜々しかった。
長い黒髪は首の後ろでざつにまとめられている。着ているのも普通の体操服で、学年ごとに色は違うけれど、特別おしゃれなんてこともない。化粧っ気もない。背高いけれど、男子と比べたらそんなに目立つほどではない。
顔は整っているし、肌も綺麗だ。目力もあって、東北美人然としている。
だからって、なんでこんなに言葉に力があるんだろうか。
声はある。しゃべり方も。
ひとつひとつの言葉の句切り方も、発声も。私に突きつけてきた理不尽な厳しさは、しょうがないもののように感じてしまう。
まだなにもかも信じているわけではない。
スマホに届く先輩からのメッセージ。あれが三年後の先輩だということも、私と先輩が恋人になるということも。
でも私は、目の前の鬼部長が、憧れていた先輩が、ただ私を辞めさせようとしているだけの悪魔ではないと願っている。
これだけは、信じたい。
「もう一度、試してもらえませんか。自己紹介……させてください」
「最後。それでいいなら」
私はうなずいて、すぅっと深く息を吸った。ちゃんと酸素をお腹にいれて、膨らむのを感じる。
中学の顧問が言っていた教えなんてほとんど残っていなかった。だから本当に、私の発声はなにからなにまで間違っていたみたいだ。
勉強しすぎた。無理して受験したから、あれくらいやらなくちゃどうしょうもなかったのだけれど、それで演劇のことなんてキッパリ消え去っていた。
基礎もなにもできたものじゃなかった。
それなのに本人は「中学から三年間演劇部でした」なんて言ったら、先輩じゃなくても、こいつは遊びで演劇やっていた人間なんだって判断しただろう。
だからこれだけ厳しくして、うちは遊びじゃないってはっきり教えてくれている。
「八雲結菜です。演劇経験は中学で三年間ありますが、部員は私一人で活動自体はほとんどできていませんでした」
昨日のように、声を無理に張り上げるわけではなく、でも少し遠くまで置いていくような気持ちで大きく口を開けてしゃべる。
昨日までの私はただただ大きい声を出そうとしていた。あんなのは、叫んでいるのと大差ない。喉に悪いからって先輩にも――あ、こっちは三年後の先輩にも注意された。三年後の先輩はやさしく「めっ!」と言ってくれたけど。
「基礎もまだ全然できていないのは重々承知です。でも、私は絶対演劇部に入ります。演劇部で、先輩と同じ舞台に立ちます。よろしくお願いしますっ」
言い切って、やれるだけのことはやり切ったはずたけれど、怖かった。
これでダメだったら、どうしよう。最後って言っていたよね、先輩。三年後の先輩は、やる気がある子だったらいつまでも見放さないって言っていたけど、いやでもやっぱりあの人がこの鬼部長の先輩と同じとは思えないし。
「そう、よろしく。わたしは部長の青柳飾華です。これからも厳しくするから、ついていけないならいつでも辞めていいよ」
どうやら――入部は認めてもらえたらしい。
これも先輩のおかげだ。夜中まで私に発声の基礎を一から教え直してくれたのだ。
でもよく考えると、私の入部を厳しくはばんでいるのも先輩だ。
マッチポンプというやつなのではないか。
それもあの先輩はこともあろうに、私が怒られるのを喜んでいるみたいな心外なことまで言っていた。全然違うよ! 怒られたくなんてないよ! そりゃまあ、先輩はかっこいいし? 厳しい鬼部長ってのもイメージ的には合っているし、ありかなって思ってはいるけど?
「……練習に参加するつもりがあるなら、そこに立っていないでくれる? 今日の練習は向こうの教室だから」
「えっ!? あ、すみません、私、練習場所を間違えていたみたいで……」
言いかけて、そうか、昨日練習に参加できていなかったから今日の練習場所のことを知らなかったのか、とわかる。
そして、だから練習は別の場所なのに、先輩はここで私を待っていたのだ。
「あのっ……ありがとうございます」
「早くして」
もしかしたら、本当にツンデレというやつなのか?
内心では三年後の先輩みたいに、不出来な新入部員のことを――私のことを気にかけてくれている? 可愛い後輩だって思っている!?
「あ、あの……演劇部では新入部員にあだ名をつけるような制度はありますか?」
「あだ名? ないけど」
「……わ、私にもしあだ名をつけるとしたら……なにかありません?」
呼び方ひとつだけが違うわけではない。でもなにかが変わるんじゃないのかって。ゆいゆいと、もしも三年後と同じあだ名で呼ばれたら――。
「卓球部」
「えっ!? 卓球部!? なっ、なんでですか!?」
「あそこ、部員も少なくて今の上級生はやる気もないから、体育館をほとんど使わせてもらっていて感謝しているの。普段はほとんど部室で遊んでいるみたいね」
「……そういうまったりした青春も、いいですよね? それで卓球部の説明はわかりましたけど、それがいったい?」
「あなたのあだ名。来週くらいには入部しているかもしれないから」
「しませんよっ!? 私は演劇部員ですっ!!」
本当に、この先輩が私と恋人になることなんてあるんだろうか。
想像できない。そもそも私、三年間演劇部でやっていけるの!? そんな不安を支えてくれているのか、ただただ混乱させたいのか、またメッセージが届いた。
三年後の先輩から。
まだこちらの先輩には名前も呼ばれていないし、連絡先も交換していないのに。
『ゆいゆい、今日も部活お疲れ様~。入部したばっかりで練習大変だったよね? なにかあったら、またわたしが力になるから大丈夫。いつでも相談乗るからね』
「そのゆいゆいってあだ名、先輩がつけたんですか?」
『そう。だって結菜はゆいゆいって感じで可愛いから。あだ名を付けるならこれしかない』
こいつ、やっぱり偽物か?
人のこと卓球部なんてあだ名つけておいて、記憶にない?
しかしこの後、先輩が本物である証拠も、三年後の先輩である証拠もはっきり見つかって――それからもっと大変なことも起きて――それはちょっとした先輩からの相談がきっかけだった。
『ところで、わたしからも結菜にお願いがあるんだけど。実は、三年前のことを思い返していたら……ひとつだけどうしても後悔していることがあって』
「新入部員に心ないあだ名を付けたこと以外でですか?」
『それが――』





