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彼女は勝負を受ける

 少年、エイブル・B・アルフは悩んでいた。


 王国でも名の知れた大商人の長男として生を受けた彼は決して無能ではなかった。

 様々な分野に対しての商品知識、風土、歴史、民俗学などの勉学は物心ついたときから欠かしたことがなく、計算についても三桁以上の掛け算だって空で言える。


 四代続いているアルフの家に相応しくあろうと、努力を惜しんだことなど一度もない。

 そして魔法も、そんな商人に必要な造詣ぞうけいの一つとして学ぼうと思ったに過ぎない。アルフ家は魔術師を相手にすることも多いので、きっと役に立つと考えたためだ。


 しかし——彼には才能がなかった。


 入学から数えて、達成できた課題はわずかに三つ。第三属性《スプラッシュ》、第四属性《風打(かざうち)》、第四属性《風凪(かざなぎ)》のみ。それもすべて九等級の魔法だ。成績は言うまでもなく学年最下位を維持し続けている。


 辛うじて、お情けで、ようやく進級することはできたが、しかし学年生活を底辺で歩み続けるというのは、彼自身のプライドが、そしてアルフという家の名が許すものではない。


 そして現在昼休み、放課後までに達成しなければならない課題が二つある。

 両方とも第二属性の魔法で、八等級に相当するものだ。これを果たすことができたなら辛うじて面目を保てるだろうが、自分の実力では難しいこともまた理解している。


 第二棟一階。

 『ニイチ』と通称されるカフェで自らの家が卸した葉で淹れた紅茶を飲みながら、テーブルに顔を突伏しそうになるのを必死に抑えている。

 このまま底辺のまま卒業などということになれば、偉大なる父と先祖に顔向けができない。

 それどころかその卒業すらできるだろうかと頭を悩ませ、そして今日も何一つ妙案を浮かばせることのできないまま紅茶を飲み干してしまった。


 そんな時だ、


「大丈夫そうですの? レアさん」


 後ろの席に座る少女たちの話し声が聞こえてきたのは。


 決して盗み聞くつもりがあったわけではなく、これ以上聞いてしまうのは非礼だろうと意識から外そうと思った時、その言葉はこう続いた。


「この魔導具にも慣れましたし大丈夫です」


 ()()()

 アルフの家でも取り扱うことのある高級品だ。

 灯りやコンロなどの生活必需品から、魔法の発動を補助する専門品までその役割は多肢にわたる。

 なるほど、それらば足りない実力を補うことができるかもしれない。


 その誘惑は、エイブルにとって相当だった。

 しばらく話を聞いていると、どうやらその少女もエイブルと同じように課題で躓き、魔導具の力を借りようというつもりらしい。同じような境遇、その思い、あるいは同情をかうことができるのではないかとエイブルは立ち上がる。


「失敬」


 後方の席についていたのは、三人組の一学年だった。

 三者一様にエイブルを見つめ返し、怪訝な顔をしている。当然と言えば当然か、見ず知らずの人間に突然話しかけられたなら、警戒の一つも取るだろう。

 だがまさか、それで引こうなどと思うまい。


「突然話しかけて失礼だが……」


 エイブルは事情を説明するが、それはそう長くはかからない。

 なにせ、魔導具で課題を達したいというだけだし、それは少女の事情とも重なるのだから、余計な説明は必要ないためだ。


「だから、もしよければその魔導具を貸してはくれないだろうか?」


 真摯に、深く頭を下げる。


 自分のそれが厚顔であるという自覚があるためだ。そして当然、次の言葉も予想に反するものではない。


「ダメです」


 取り付く島もないとはこのことだろう。少女はピシャリと言い放った。


「魔導具は高級品です。見ず知らずの他人においそれと渡せるような物ではありません」


 少女の——レア・スピエルの本音を言うならば、これは義母からの借り物であり、自らの自由意志でどうこうして良い代物ではない。

 それを考えればレアの発言は当然のことだが、エイブルにそんな事情は知る由もない。だから


「もちろん無償でとは言わない。おいくらほどお望みかな?」


 そんな見当違いの申し出を行う。

 エイブルにとって、乗り越えるべきは今日であり、極論すれば()()()()だ。


 アルフ家ほどの大商人ともなれば魔導具くらい手に入れるのは容易い。今日この日のみを乗り越えれば、すぐにでも専用の魔導具を取り寄せるつもりだ。


 本当なら、この案は考えないわけではなかった。自分の悩みなど魔導具を使えば解決することくらい、確かに把握していた。

 しかしだ。周りにそういった人間がいない中で、自分だけ魔導具を使うということが我慢ならなかったのだ。まるで自分が無能であると吹聴しているようで、無様な自分を認めるようで。


 だが、それも今、レアたちの話を聞くまでのことだ。

 ばれないようにと、気付くはずはないと、確かに彼女たちはそう言っていたのだ。

 さらに、彼女たちが持っているのは布状の魔導具であるということまで掴んでいる。学園に入学して一年程度のエイブルはそこまで詳しくないが、なるほどそんな魔導具ならば試験中隠し持つことも可能だろう。


 驚くほどにエイブルの望みと合致するこの状況を彼は逃してなるものかと意気込んでいた。何としてでも物にしなければ、そればかりだ。


「困ります。お貸しすることはできません」


 レアが一切の表情を変えずに断る。

 その無表情は自他共に認める当人の癖だが、エイブルは確固たる意思の元だと誤認した。何らかの理由によるものであると、曲がりなりにもそう考えた。


 だがそれでも行動を改める気はない。できはしない。


「どうしてもなんだ。たった一度、今回だけの、放課後だけだ」


 懇願というものは、生まれて初めての行為だった。

 産まれたその時から大商人の長子であるエイブルは、曽祖父が起業した苦労も、祖父が運営した努力も、父が成長させた奮闘もまだ知らない。


 これがなければ後がない。

 その感情が彼にとって未知の経験なのは、あるいは必然なのかもしれない。


「それが必要なんだ! たった二つの課題に使う、ほんの少しの時間でいいんだ!」


 声に熱がこもり、肩を震わせていく。

 それは全く、自分らしくないと思えた。エイブル・B・アルフは野心家ながら冷静で、理知的な男だと思っていた。決して感情を昂ぶらせることなく、ポーカーフェイスと貼り付けた笑顔なら貴族にだって負けないと、そう思っていた。


 だが、それはただの慢心だったと今わかった。


 エイブルは生まれてこの方、追い詰められたことはなかったのだ。

 幾つもの習い事と実践練習、気の休まらない日々はまるで終わりの見えないマラソン大会のようだったが、優秀なエイブルはそれをこなすことを特別苦難だとは感じなかった。


 まるで貴族の真似事のようにおべっかを使い、それでいて馬車馬も驚くほどに働いてたが、彼はそれを日常として、ごく当たり前にこなしていた。

 足を棒のようにしながらも笑顔を絶やさず、一日に暇な時間などなく、毎日ベッドでは死んだように眠りにつきながらも大した苦と感じなかったのは、彼が天性の商人であるという証明に他ならない。


 何かをすれば、それだけ報われた。伸び代など無尽蔵だと疑わなかった。歩むだけ前に進めることに気分を良くして、どれほどの疲労も気にならなかった。


 そして今回、この学園に入学して一年の間、彼は初めて才のないことを行っていた。


 全てのことはできて当然だと感じており、実際にそうであった彼にとって、これはあまりにも苦痛であった。

 学園での生活は座学が基本であり、何時間も足を動かし続けていたり延々と笑顔を絶やさずいたりといった必要はなく、学友との無駄話や長風呂に費やす時間もあるほどに悠々としていられるが、彼にとっては今まで感じたこともないストレスの塊であった。


 あれができず


 これも及ばず


 歯痒く


 苛立たしく


 もどかしく


 今までに感じたことのない危機感がエイブルを襲った。

 周りを見れば誰もが出来ていることが、自分には困難なのだ。逆はあっても、それだけは耐えられなかった。

 誰も彼もが自分を見下しているように感じる。


 あの程度と、不出来だと。


 今までの自らを、努力を苦としなかった自らを、その全てを否定されたような気分だった。

 それは、生まれて初めての恐怖だ。


 かつて、父と共に商談相手にあったことがある。付き人の代わりとして同席させることで、将来のための経験を積ませようとしたのだ。この恐怖はその時の緊張感と良く似た感覚だが、しかし不快感は比べ物にならない。


 彼は知らないのだ。世の中は不快なばかりではないことを。全ての人間が不出来な者を蔑むわけではないことを。

 優秀であったエイブルは他者を気に留めなかった故に、それが理解できないのだ。


「頼む……!」


 絞り出すようなその声は危機感からか、恐怖からか、果たしてその両方なのか。当人すらその答えを持ち合わせていない。

 そして数秒の沈黙の後、それを破ったのはレアの方だ。


「……はぁ」


 深いため息にびくりと肩を震わせて、エイブルは恐る恐る顔を上げた。

 そこにあるのは、顔に手を当てるレアの姿だ。動作から何か思考中なのかということはわかるが、それが何かということについては、その表情からは伺うことはできない。


「仕方ない……」


 その言葉に舞い上がり、エイブルは思わずレアに詰め寄る。そうせずにはいられなかった。


「……じゃあ!」


「しかし——」


 そう言葉を遮られ、口を紡ぐ。聞き逃さないためだ。たとえどんな条件でも飲む覚悟で、一字一句、聞き漏らさないためだ。


 これは好機だ。決して逃してはいけない。

 エイブルは神妙な面持ちで、一歩後ろに下がる。努めて真剣に、努めて誠実に。少なくとも相手からはそう見えるように心がけた態度をとる。商人としての努力の賜物だ。否定されたような気になっていた努力も、ふとした拍子に役に立つものである。


 レアは指差し、エイブルの胸元に突きつける。その行為自体に意味はない。エイブルの知るところではないが、それはレアの昔からの癖だ。


勝負(ゲーム)をしましょう」


 そう、宣言する時の。

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