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春夜恋  作者: ものもらい
吾輩は兎である:
26/28

名前が気に食わぬ 中




やあ諸君。吾輩は木霊。亡霊に敗北した哀れな木霊である……。


ついさっき、()()()は(おそらく、)吾輩たちのためを思って蛇を(素手で)捕まえてきてくれたのだが―――普段されるがままの男が頑張ってあれこれと理由を付けて放させた。遠回しに長々と話していたが、まとめて一言「蛇は苦手」と言えばあの娘さんはさっさと蛇を放していたような気もする……。


男は、水に浸した手ぬぐいで何度も、しかし肌が傷まないよう優しく娘さんの手のひらを清めると、ホッとした顔で娘さんの手を引いた。…ああ、吾輩は娘さんの腕の中である…。



「まあ、綺麗な色」


娘さんは、呑気に赤く染まって舞い落ちる葉を面白そうに見つめている。

柔らかな日差しの中、少し寒い風に吹かれて積み重なっていく紅葉の上を歩く姿は吾輩の目から見ても美しいもので、ちらっと視線を移せば男は見惚れて声も出ないようだった。


……ついさっき、蛇を絞め殺して笑顔で差し出し、我らを震撼させた娘さんなのだということはすっかり忘れてしまっている顔である……。


「あら、茸」


あの、それは毒茸です。











―――穏やかな散策だったが、賊があの桜の前で人を殺そうとしているのを娘さんが察したことで、二人は血相を変えて飛び出した。


ちなみに、吾輩は置いて行かれた。だが一応吾輩も責任者のひとりである。慌てて追いかけたのだが―――体が重い。なぜだ。風のように山の端から山の端まで駆け抜けることのできる吾輩が―――ああくそ、さっきまで食べていたものを吐き出しそうだ!


「何をしているのです!」


娘さんの怒鳴り声が聞こえる。あ、あとちょっとだ……ふ、は、はあああ……うわっ、誰かの血で足が汚れた!もういやっ!



「…っ…ぅ、ぅぅううう……ふえええ……!」


苛立ちに耳をぱたぱたしていると、幼子が男の死体のそばで泣いている。

髪はぐちゃぐちゃで、村の人間とは思えない上等な着物も泥と血で汚れている―――だがそれ以上に吾輩の目を惹いたのは、幼子にかけられている術である。

物の怪を対象にした護身の術をしっかりかけられているが―――かけたのは、そこで倒れている男ではないだろう。少し特殊な出かもしれぬ。


「ぅっく、ひっく……う?」


泣いている幼子と目が合う。なのでしょうがなく近寄って慰めてやると、幼子はさらに泣いた。耳が痛い泣きようである。


少々うんざりしながらあの二人の方を見ると、乱暴な賊めの一撃一撃を男が最小限の動きで防いでいた。自分よりも背が高い荒くれ者を前にして、あの男の落ち着きっぷりは流石である。


だが相手は二人、男が賊と斬り結んでいるのを、もう一人の賊が弓矢を引き絞って狙いを定めている―――これは助けねば、と駆け出す構えをすると同時に、娘さんが動いた。


あの、ほっそりとした手よりも大きな石を握った娘さんは、無表情で弓矢の賊に向かって投げる。

それは突風よりも勢いがあり、近くの木々の葉を揺らして―――弓矢の賊の片目を潰した。その際の音が痛い。思わず目を瞑ってしまう。


「ひぅっ」


泣いていた幼子が怯えて、大きな目から涙をぼろぼろ落としてしまうほどに痛々しい光景―――。

荒事には慣れている男も、敵である弓矢の賊のあまりの惨状に「ひっ」と表情が青くなる。

しかしその動きが止まることはなく、最後に残った賊の、動揺する隙を狙ってばっさりと斬り裂いた。


無表情で刃から滴る血を払い落として鞘に戻す姿は格好良かったが、男に駆け寄る娘さんが握り締めていた石をすぐさま没収している姿は少しだけ格好悪い。


「ご無事ですか、千冬どの…」

「大丈夫だ」


すぐに返事をした男は、石を持っていない手―――利き手で娘さんを撫でようとして、結構な量の血が滴り落ちているのを思い出して慌てて引っ込める。

代わりに娘さんが汚れていないか、怪我をしていないかを素早く目で確認して、泣き疲れてきた幼子に視線を移した。


幼子は、吾輩と娘さんに慰められたからか安心したからなのか、優しく肩を摩る娘さんを母に甘えるようにあの膝の上で寝てしまう……うむ、なかなか度胸のある子である。


「まあ、どうしましょう」


娘さんは、賊たちの死体を貪り始めた餓鬼どもを何度か睨みつけながら幼子を隠す。

男もまた、背後の鬼たちを見ると「おれが里まで連れて行くから、おまえは真っ直ぐ家に帰れ」と言って幼子を背負った。



娘さんと吾輩が無事に地獄から離れるのを見届けてから急いで山を下りる男―――を確認すると、娘さんはすたすたと餓鬼どもに近づく。

賊の遺体のそばで立ち止まり、餓鬼どもをじいっと睨みつけると、奴らは一瞬びくっと震えるがすぐに醜い奇声を上げ、邪魔をする娘さんに襲いかかった。


「わたくしに触るでない」


冷え切った声に呼ばれるように、桜の旋風が餓鬼を吹き飛ばし、他の餓鬼とぶつかって細い首が折れる。

それでも折れた首で醜く遺体を食い荒らし始めるのだから、娘さんは溜息を吐いて歩き出した。

堂々としたその歩みに、心なしか餓鬼どもも体を小さくして悪食を喜ぶ。


「………」


娘さんが立ち止まった先には、若い男が倒れている。

見開いたままのその目を閉じ、細い腕で若い男を抱き上げた娘さんは木漏れ日の美しい場所へと向かう。「ふっ」と息を吐くとまた桜の花弁たちが舞って、やっと視界が元に戻った頃には、人一人分の大きさと深さをもった穴が出来ていた。


「……ごめんなさい…」


囁くように謝ると、娘さんはそっと若い男を土の中に寝かせた。


そして先ほどと同じように土で隠してしまうと、長く祈りを捧げた。吾輩も―――若い男へ、花を捧げた。






「……さあ、急いで帰ってご飯の支度をしなくては」


流石に悪霊の長と桜の守である吾輩に手は出せないのか、餓鬼どもはちょっかいをかけてくることもなく消えている。残るのは肉が少しこびりついた骨だけだ。


「……」


娘さんは一瞬残骸を見たが、気にすることなく我輩を抱いて家へと歩き出す。

けれど途中で美味しそうな葉を見つけると、涎を垂らして葉を見上げる吾輩のために何枚も摘み取っていく。


「ごめんなさい、葉が傷んでしまうから、歩いてくれるかしら?」


かまわない、とばかりに娘さんの前を歩き出すと、娘さんは「今日の献立はどうしましょう」と呟いて考え込んでいるようだった。

うーん、と悩む娘さんは急に立ち止まると、目を閉じて難しい顔で黙り込む。少しして美しい瞳を見せた娘さんは、そのまま草薮の向こうに消えてしまい―――、



「うん、これでよし」


遠くで娘さんの満足気な声が聞こえる。

吾輩は雑草を食みながら娘さんが帰ってくるのを待っていると、頭に紅葉を乗せた娘さんが、自慢げに右手にあるものを持ち上げた。


「家にお肉はなかったし……それに、千冬どのは、雉がお好きだもの。きっと喜んでくださる」



うふふ、と今にも男に褒められたような顔をする娘さん。


世に夫思いの嫁は沢山いるだろうが、夫のためにと素手で雉を仕留めるのは貴女様だけでしょう……。






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