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Bizarre Visitor 3

 見覚えのある、大きな広い空間。足のすくむような銃声と怒声が乱舞する。

(これ……あの場所だ)

 あの場所――日本帝都ホテル、高千穂の間。辰巳が最期を遂げた場所。芳音が見たときとは違う視点で、幻覚の続きが再生された。

 グリーンのもやがかかった状態で見る光景は、スーツの前身ごろだけを赤黒く染めた長身の男がある一箇所を見つめる姿。芳音の意思に反して、映像が長身の男――辰巳が見つめる先へとスライドした。

(え、赤木、さん……?)

 交番でよく見掛ける制服を纏う男は、芳音自身にもどこか見覚えのある面差しを宿す青年だった。服のサイズが明らかに違い、その青年が本物の警官ではないと一目で判った。今の芳音とそう年齢差を感じない若い風貌だが、特徴的な細い垂れ目が、藪の右腕となっている赤木総司を思わせた。

“総司、見届けてくれて、ありがとうさん。今のうちに、逃げな”

 辰巳の思念が赤木総司の名を呼んだ。それが芳音の感じたことを確信に変える。置き去り感を否めない中、偽りのグリーンアイズが、ほんの刹那こちらを振り向いた。

“あいつかな、高木の仕込んだ部下。総司が赤木の息子だってこと、伝わってるといいんだけど”

 祈るような視線が、芳音へ――正確には、この光景を見ていた者へ必死で訴える。

“総司はシロだ。そいつをよろしくね、高木の切り札クン”

《零! 巡査の保護が優先だ!》

 轟いた声は、風間のものだった。吐きそうなほどに視界が揺れる。SITの制服を着た男たちが、一斉に辰巳の元へ押し寄せる。芳音はそちらを見たいのに、風間の視点を介しているせいで辰巳を見届けることが出来なかった。


 ――最期くらい、言ってもいいかなあ……俺の……本当の、胸の内――。


 息苦しいほどの胸の痛みは、辰巳の最期に浮かべた思いを感じ取っている自分自身の痛みなのだろうか。それともこの光景をリアルタイムで見ていた風間の思いが胸を軋ませるのか。それとも。

《辰(にい)っ! 高木さん! 離せこの野郎!》

 細目の男が、耳を劈くほどの至近距離でとどめのように泣き叫んだ。風間が彼を担ぎ上げたのだろう。芳音は風間の追体験にシンクロし、肩に強い重みと赤木の抵抗を苦々しく感じ取った。

“芳音って名前を置いて来たって、ガキがいるはずだって言ってたじゃんか。そいつに俺とおんなじ思いをさせる気かよ!”

 赤木の思考が直接響いて来る。言葉以上の想いが芳音に息を詰まらせた。

(赤木さん……だから俺のことを気に掛けてくれてたんだ)

 赤木への思いとともに、辰巳への憤りが湧いて来る。それが芳音と風間とのシンクロを解いてゆき、どこか曖昧だった自他の境界線が見えて来る。

(ふざけんな)

 誰かが誰かの代わりになんて、なれやしないのに。穂高が芳音にとって父親とは思えないように。赤木を年の離れた兄貴分としか思えないように。誰も芳音の父親には、なれや、しない。

《辰兄――ッ! やめろ――――ッッッ!》

 芳音の知る赤木と同じ、だけど少しだけ若さの混じった声。それが芳音の代弁のように絞り出された。そしてその叫びは一瞬にして、一発の銃声に掻き消された。

 途端、芳音は頭痛に見舞われ、視界が暗転した。




 遠くで泣き声がする。小さな女の子の声。

《芳音、ねえ、お願い。目を開けて》

 ずっとずっと遠い昔、望を庇って桜の木から落ちたとき、同じ感覚を味わった。真っ白な闇の中、小さく仄かにともる淡い桃色の光。それを目指して芳音は走った。あのころの自分は、まだ小学校にもなっていない、小さな小さな男の子だった。

《のん!》

 ありったけの声を張り上げた。今出せる芳音の声はあのころと違い、望と区別がつかなくなるほど高くてか細い、頼りないものではない。きっと望に届く。そんな根拠のない自信があった。

《どこ! もっと呼んで! すぐに行く!》

 真っ白な世界の中、芳音は駆け出した。泣き声を頼りに、ともる薄紅の光を目印に。

《芳音、ずっと一緒って約束したよッ。のんはここだよ! 芳音、お返事してッ》

 脳しんとうを起こしたとき、芳音は望の呼ぶ声ですぐに意識を取り戻せた。望を泣かせたらいけない、その一心で声に向かって走っていたあのころ。夢の中でも妙にリアルで、息苦しさよりも望の泣く声に自分まで泣きそうになった。

 十数年の歳月を経て、今また走っている。あのときよりも、もっとずっと泣かせたくなくて、何度もつまずきそうになるほど一心不乱で走っていた。

《のん、どこ! 呼んで! 呼んだら絶対に分かるから!》

《芳音ッ!》

「私、ここッ!!」

 ふたつの声が重なった。ひとつは懐かしい思い出の中にだけある幼い声。もうひとつの声は、耳によく馴染んだ、今の望が紡ぐアルトの利いた声――。


「芳音ッ」

 目覚めると、泣き顔が間近にあった。

「のん……ごめん」

 芳音が目を開けたのを見とめたかと思うと、その泣き顔は一瞬にして見えなくなった。その代わり、しっとりとした湿り気が芳音の頬を淡く濡らした。

「どうして芳音が謝るのよ……急に倒れるから、アイツが何かしたのかと思った」

 しゃくりあげてそう零す望の頭を撫でながら状況を確認する。どれくらい時間が経ったのかは解らないが、芳音はソファに寝かされていた。ガラス製の天板だった応接テーブルには、軽くひびが入っている。しがみつく望を抱きかかえたまま、ゆっくりと上半身だけを起こした。ロウテーブルを挟んだ向こうのソファでは、風間が頭を抱えて唸っていた。芳音が身を沈めていたソファの後ろでは、穂高と零がデスクを挟んで睨み合っていた。

「風間が“ノーコンは返上した”と大見得を切ったから芳音に接触するのを許したはずだ。貴様らが人の信用や恩を仇で返す輩とは思わなかった。俺の目も随分とザルになったものだな」

「あからさまな皮肉はやめてください。彼がここまでオープンなキャラクターだなんて思いもしなかったんです。年齢的にはあり得ません。想定外のアクシデントだと何回説明したら解るんですか」

「あり得ない? さっきの弁解に追加されたな。聞く耳くらいは持ってやる」

「二十歳近くもなれば、自己崩壊から自分を守るために意識を階層化するのが普通です。もちろん本人の無意識であり、成長過程とも言えますが。彼の場合はその階層があまりにも薄くて、軽く表層に触れるだけのはずがダイブしてしまった、というか」

「解るように話せ。つまみ出すぞ」

「キレないでください。死にはしませんよ。風間も不可抗力で芳音くんに侵入されたようなものです。《能力》の副作用が出る予定ではなかったのですから、相身互いということで水に流してくださいませんか」

「人の子を卒倒させておいて、その言い草か」

(……日本語ってことしかわかんねえ……)

 ただ、こちらから見える穂高の形相から察するに、心配をさせたのは間違いない。真っ向から対立している零の度胸にも驚かされたが、今自分がすべきことは驚いて呆けていることではない。それだけはすぐに理解した。

「のん、大丈夫だから、もう泣かないで。それよりも」

 しがみついたままの望にそう伝え、そっと彼女を引き剥がした。

「多分、あの人たちしか知らない辰巳のことを知ってる。それを知りたいから、ホタをなんとかしないと」

「まだ信用するつもりなの?」

 と問い詰める望の口調がかなり尖っている。相変わらず心配が怒りという形でしか出せない望に苦笑を返した。

「悪い人たちじゃないのは確かだよ……多分」

「多分、って」

 埒が明かないので、芳音の方から目を逸らして押し問答を中断させた。

 卒倒している間に見たアレがなんなのかはまったく解らないものの、彼らが辰巳の最期を目の当たりにしていた人物だということだけには確信があった。

「ホタ、心配掛けてごめん。どこもなんともないから、話を本題に戻させて」

 ソファの背もたれから身を乗り出す。

「よく解らないけど、今、夢の中で帝都ホテルに赤木さんがいる光景を見た。俺、そんなの知らなかった。だからさっきのことについて、ちゃんと納得のいく説明をこの人たちから聞きたい。だから話をこっちに戻させて」

 芳音の主張で喧騒が治まり、ふたり同時に芳音の方へ目を向けた。

「芳音、どこかしんどいところはないんか」

 席を立って近づく穂高の表情は、昔芳音が泣き言を言うたびに見せてくれたものと同じものを漂わせている。それが芳音に苦笑を浮かばせた。

「もう五歳や六歳のころの俺じゃないからヘーキだよ。それより、この人たちの素性をホタは知ってるんでしょう? 教えてよ」

 迷うように黙り込んだ穂高に代わり、背にしていた元凶の人物が「改めて自己紹介」という言い方で正体を明かした。

「今はGINの通称で似非占い師とも霊媒者とも呼ばれてる、中国国籍の日本人」

 見た目以上に奇天烈な自己紹介をしながら、ようやく風間もソファから身を起こす。

「死者生者問わずに思念を読むことが出来る、メッセンジャーみたいなモノ」

 と語った風間の物言いが、どこか腐ったような口調だったからか、零がソファへ戻って彼の隣へ腰を下ろすとき、困ったような笑みを浮かべた。それに合わせて穂高も芳音の傍らに座る望の隣へ腰を落ち着ける。

「表向きは、催眠治療を得意分野とする臨床心理士。その方が非科学的な肩書きよりも人が納得しやすいみたいだから。その前には冴えない探偵稼業をしてて、それ以前は」

 そこまで語ると、自嘲に見える笑みを浮かべていた風間の表情が苦々しく曇った。

「零と警視庁に籍を置いていた元デカ。二十年前の藤澤会幹部銃乱射事件当時、零と俺とで現場に突入した」

 上司だった高木警視正からの極秘指令で、SITの目を盗んで海藤辰巳を保護するよう指示されていた。彼がそう言ったとき、ひどく苦しげに表情をゆがめた。

「辰巳は生きながらえることを望んではいなかった。望んでいない人間を保護するのが、本当に正しいことなのか。待っているキミのお母さんを思えば助けるべきだろう、でもそれが本当にキミのお母さんにとってもよいことなのかどうか、とか。いろんなことに対して迷っているうちに、事態が進んでしまった。なまじっかこんな《能力》があったせいで辰巳の思念を読めてしまったから、全てが後手後手になっちまった。結果的にキミを長い間思い煩わせる事態を招いてしまったことについては、本当に申し訳ないと思ってる」

 風間――GINは真摯な面持ちで一気にそこまで言い終えると、ようやくポケットをまさぐって、常備薬らしいPTPシートを取り出した。望が素早く席を立ち、社長室を出て行った。ほどなくグラスを手に戻ったかと思うと、無言でGINに差し出した。

「ありがと。感情はさておき、すべきと判断したことをするってところは、キミのお母さんとよく似ているね」

 GINは意味ありげな言葉を口にしながら、懐かしげな瞳で望を見つめた。

「お母さんを知っているの?」

 途端に不快をあらわにした望の表情から読み取ったのか、それとも彼の言うところの《能力》が感知したからなのか、GINは少し慌てた口調で簡単に補足した。

「ああ、翠さんとね。当時克美さんを訪ねたときに彼女と会わせてもらえなかったのは、翠さんが克美さんに辰巳の死を伝えるわけにはいかないと俺らをとめたから。そのときに、一度だけ直接話をした」

 GINはそう言って、ちらりと穂高を見遣った。芳音がそれに釣られて穂高に目で仔細を尋ねると、彼はひどく不快げに顔をしかめた。

「折を見て芳音に話すつもりでいた。まだ時期尚早だと判断していただけだ」

 饒舌とさえ言える東言葉が穂高の緊張を表していた。

「なんかいっぱい隠し事をしているみたいだね。俺、当事者のはずなのに」

 少しおどけた口調で批難する。言い換えれば今ここにいる面々は、もう時期尚早を返上してくれたからこそ集ってくれたのだ。自分はそれをちゃんと解っていると伝えたかったから、わざとそんな言い方をした。

 それもまた、GINにはお見通しなのだろうか。彼はほっとしたように表情を崩し、

「そうだな。キミが親父さんの追っかけをしてたのは、誰も教えてくれないからなんだろう?」

 としたり顔で芳音に笑い掛けた。そう言われると内心カチンと来たものの、それを顔や態度には出せなかった。どうせ全部読まれているのではないか。彼の特異な“何か”が芳音にそういう意味での警戒を強いていた。

 芳音の無言を肯定と捉えたのか、GINは

「安西さんが心配をして、キミが日本帝都ホテルに赴いたことをこっちにも知らせてくれたんだ。昨日ホテルに立ち寄ってみたよ。お陰であいつがまだあそこにいると知った」

 と、GINはどこまで本気で話しているのか解らない奇妙な説明をした。

「いる、って……あいつって、まさか」

 十ヶ月前に見た血生臭い幻覚を思い出す。リアリティのあり過ぎる映像と、狂気に満ちた横顔を思い出す。そして幻覚が途切れる刹那の手前で見た横顔がこちらを向いた瞬間、確かに名を呼ばれた。その存在を、その表情を、嫌でも鮮烈に思い出す。


 ――芳音?


「父さんの“何か”が、あの広間にいる、ってこと、ですか?」

 何か、としか表現のしようがなかった。冷静に考えれば笑ってしまいそうな、霊魂だとか魂だとかはどうにもバカバカしくて、口にするのがはばかられた。意識の残りかすとか、残留思念、と言えばまだ格好がつくのだろうか。

 冷静な理性や分析と、直感の訴えて来る感覚が、芳音の中でせめぎ合う。その狭間で混乱し始めた芳音にいびつな笑みが浮かんだ。GINは穏やかな笑みを宿したまま、そんな芳音から目を逸らさずに少しだけ蛇足めいた自分の心情を補足した。

「こういう眉唾の話って笑う人が多いし、それが当たり前だから」

 そう語った一瞬だけ、GINの面に翳りが宿る。

「そういう意味では自信がなかったけれど、キミが信じてくれそうな子なんで助かったよ。ありがとな」

 彼は翳っていた表情にわずかばかりの明るさを取り戻して、芳音にそんな礼を述べた。そして

「んじゃ、一緒に日本帝都ホテルに行こうか」

 と、まるで「ちょっとランチにでも」というような軽い口調で芳音を誘った。

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