一方的なラブロマンス
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──一方的なラブロマンス
ルドヴィカとヴラドが接触していたとき、エーレンフリートも敵と遭遇していた。
「この臭い……」
濃いバラの花の香り。
エーレンフリートはこの臭いの主を知っている。
「いるのか、カミラ!」
エーレンフリートが虚空に向けてそう叫んだ。
「ちゃんと覚えててくれたのねえ、私の香水のこと」
エーレンフリートの前に黒い霧が立ち込め、それが人の形を成す。
「カミラ。王都を騒がせている吸血鬼とは貴様のことか」
「私だけじゃないわよお。ヴラドも一緒。ヴラドは今頃魔王様の相手かしら。まあ、私は興味がないからどうでもいいわあ」
エーレンフリートが問い詰めるのに、カミラが間延びした口調でそう返した。
「それよりもエーレン。また昔みたいな生活に戻りましょうよお。人間どもの血を啜って、いっぱい愛し合って、毎日毎日が素敵な日々に戻りましょうよお。ああ、愛しい、愛しい、愛しいエーレン。私のエーレン。私のエーレン。さあ、私の胸に飛び込んできてえ。愛し合いましょうよう!」
カミラは薬物中毒患者のように目をぐるぐるとさせながらゆらりゆらりとエーレンフリートに向けて迫ってくる。
「ヴラドとつるむような女に興味などない」
「私だってヴラドなんかに興味はないわよお。でも彼が言うんだもの。エーレンは魔王を僭称する小娘に騙されているってえ。だったら、そんな小娘死んでしまうべきじゃないかしらあ、そうよお、そうよお。私のエーレンを奪った小娘なんて八つ裂きになって、血の一滴も残さず吸い尽くされて、そして死んでしまえばいいんだわあ」
「フン。自分を客観視できない女だな。貴様には何の魅力もない。ただの始祖吸血鬼のひとりに過ぎない。だが、あのお方は特別だ。誰よりも強く、誰よりも崇高で、誰よりも真っすぐな方だ。うせろ、カミラ。貴様は殺す価値もない」
カミラの言葉をエーレンフリートは切り捨てた。
「魅力がない? 私に魅力がない? この私に魅力がない? なんでそんなことをいうのエーレン。昔のあなたはそうじゃなかったわあ……。私のことを誰よりもよく理解してくれていた。私の気持ちを理解してくれていた。それなのにそんなことを言うようになったのはやっぱりあの小娘のせいなのねえ……!」
そう告げてカミラがエーレンフリートを真っすぐ見つめる。狂気じみた目で。
「許せない、許せない、許せない、許せない! エーレンは私のものよお! 誰かに渡したりするものですかあ! エーレン! あなたが正気に戻るまで私が見守ってあげるわあ! 手足を切り落として、かつてのあなたに戻るのを見守ってあげるわあ!」
「やるつもりか、カミラ。だが、貴様では私には敵わないぞ」
エーレンフリートも焦っていた。
ヴラドが別行動をしており、ルドヴィカに接触した可能性があるのだ。そうであるならば、一刻も早く自分の主を助けに行かねばならない。
「そうかしらあ? 魔剣“狂気皇帝”」
カミラが取り出したのは真っ黒な刃をした長剣だった。その黒い刃は波打っており、見るものに不安感を抱かせた。
「いいだろう。ここで死ぬがいい、カミラ。魔剣“処刑者の女王”」
エーレンフリートも己の黒書武器を抜く。
「行くぞ、カミラ!」
「さあ、愛し合いましょう、エーレン!」
ふたりの吸血鬼が駆け、空気が大きく振動する。
激しい金属音が連続して響き、目に見えない速度で両者が攻撃を繰り広げる。
「エーレン、エーレン、エーレン、エーレン、エーレンッ!」
そして、その攻撃が行われる度にカミラの狂気が増していく。
「甘い」
だが、そんなカミラの攻撃は隙が生じるものだった。
エーレンフリートはカミラの一瞬の隙を突いて、魔剣“処刑者の女王”を突き出す。それはカミラの脇腹を貫き、エーレンフリートにカミラの有している力を与える。
──そのはずであった。
「ぐうっ……」
攻撃を放った側のエーレンフリートが苦しみ始め、カミラから距離を取る。
「この黒書武器魔剣“狂気皇帝”はあ……」
カミラが口の端から涎を垂らしながら告げる。
「使用者に狂気を与えるのと引き換えに絶大な威力を発揮するのよお。私の体に狂気が蓄積されていくのお……。エーレンの黒書武器である、魔剣“処刑者の女王”は対象から力を吸い取るけれど、一緒に狂気も吸い取っちゃう……」
カミラがそう告げて低く笑った。
「私たちって相性抜群よねえ? エーレンが私を攻撃すればするほど、私とエーレンは同じ世界に落ちていくんだからあ!」
「ちいっ!」
確かにエーレンフリートの魔剣“処刑者の女王”は敵の力を吸収する。だが、狂気まで吸い取ってしまうとはエーレンフリートにとっても予想外であった。これでは迂闊に攻撃が仕掛けられない。
だが、攻撃しなければカミラを止められない。エーレンフリートは迅速にカミラを排除して、主であるルドヴィカを助けに行かなくてはならないのだ。こんなところでカミラに足止めされているわけにはいかないのである。
「どこまで正気でいられるか……」
エーレンフリートは自分が正気を維持できることに賭けて、魔剣“処刑者の女王”での攻撃を続けた。
カミラの動きは次第に統率が取れず、滅茶苦茶なものになっていっている。だが、それでエーレンフリートが隙を突けたとしても、エーレンフリートに狂気が蓄積される。
「エーレン、エーレン、エーレン。あんな泥棒猫のことなどどうでもいいじゃないのお。私たちだけで愛し合いましょうよう。私たち相性抜群だし、きっと上手くいくわあ。昔みたいにただただ愛し合いましょうよう……!」
「黙れ! 貴様の狂気に付き合うつもりはない!」
だが、次第にカミラの狂気がエーレンフリートにも伝染してくる。
今は強い精神力で狂気を押し殺しているが、いつまでもつのか分からない。
「昔は愛し合っていたじゃない、エーレン。私たち最高のパートナーだったじゃない。それなのにどうしちゃったの、エーレン。あんなどうでもいい小娘に執着してえ。ルドヴィカ、ルドヴィカ、ルドヴィカ、ルドヴィカア!」
カミラの表情が激怒に染まる。
「あんな小娘! あんあ小娘! あんな小娘! 私のエーレンをっ! 私のエーレンなのにっ! 許せない、許せない、許せない、許せない!」
カミラが叫ぶ。
「エーレン? 私たちはまだやり直せるわよお。もうあの小娘がヴラドが始末しているはずだから。だから、エーレンは私だけ見てて? 私だけを愛して? 私だけを好きだと言って? 他には何も必要ないから」
「フン。陛下に比べたら、貴様など道端のゴミクズにも劣る」
まだ自分は正気だ。正気のはずだ。
だが、心の中で歪みが生じ始めているのをエーレンフリートは感じていた。
ルドヴィカに対する執着ともつかないものが生み出されつつあるのだ。これまでは敬愛し、付き従う主であったものが、その形を変貌させている。その血を吸い、接吻を交わし、抱き合いたいという衝動が生まれつつあった。
間違いなくこれはカミラの魔剣“狂気皇帝”による効果だ。
そうであるはずだ。これが自分の本心というはずではない。
「エーレン、エーレン、エーレン、エーレン。どうして分かってくれないの? あなたにとって最良のパートナーは私しかいないのよお。あんな悪魔のなりそこないじゃなくて、同じ始祖吸血鬼である私たちこそが愛し合うべき。そうでしょう?」
「黙れ、黙れ、黙れ! 私が愛するのは陛下だけだ! 私が愛するのは陛下おひとりだ! 貴様のようなあばずれではなくっ!」
再び剣戟が始まる。
カミラはもはやでたらめに魔剣“狂気皇帝”を振り回しており、エーレンフリートの方ももはや隙を突けるような精神状態になかった。彼の魔剣“処刑者の女王”がカミラの体を裂き、その血を吸い取る度にエーレンフリートの精神状態が乱れていく。
このままでは完全に狂ってしまう……!
エーレンフリートの焦りは攻撃になって現れ、彼の体にさらなる狂気が蓄積する。
「死ね! 死ね! 死ね! 死ね、あばずれ!」
「愛してるわあ、エーレン!」
エーレンフリートの瞳にも狂気の色が滲み始める。
エーレンフリートは自分の精神の限界を悟った。これ以上、、魔剣“処刑者の女王”を使うならば、完全にカミラの狂気に飲み込まれる。
だが、相手は狂っていても始祖吸血鬼だ。この程度の攻撃で倒せる相手ではない。
何か手を打たなければ。何か手を打たなければこのまま敗北する。
「本当に私のことを愛しているか、カミラ」
「もちろんよお。どこまでも深く愛しているわあ、エーレン」
エーレンフリートが告げるのに、カミラが狂った笑みを浮かべてそう返す。
「そうか。では、してやらなければならないことがあるな」
エーレンフリートはそう告げて、魔剣“処刑者の女王”を地面に突き刺した。
「来い、カミラ。貴様の愛を確かめてやる」
エーレンフリートはそう告げて両手を広げた。
「ああ。ああ。ああ。思い直してくれたのねえ、エーレン! その両手で私を抱きしめてくれるのねえ、エーレン! 嬉しいわあ! とても嬉しいわあ! あなたの抱擁が受けられるのは何年ぶりのことかしらあ!」
カミラはそう告げて魔剣“狂気皇帝”を握りしめたまま、エーレンフリートの方に向かっていった。
一歩、一歩とカミラがエーレンフリートに近づいていく。
そして、カミラがその身をエーレンフリートに預けようとしたときだ。
カミラの背中からエーレンフリートの右腕が突き出した。
そのエーレンフリートの手はカミラの心臓を握っている。
「悪いが、私が愛するのは陛下だけだ。私は陛下を愛している。陛下の全てを愛している。私は陛下のために生き、陛下とともに歩み、陛下とともに最後を迎える」
エーレンフリートはカミラの顔を見てそう告げた。
「分かっていたわあ。あなたがこうするってことはあ。でも、でも、でも、少しぐらい夢を見たって良かったじゃない……」
カミラがエーレンフリートを抱きしめる。
「あなたの胸の中で死ねるなんて幸せだわ、エーレン」
そして、カミラはそのまま灰になっていった。
「さらばだ、カミラ。かつて愛した女よ」
エーレンフリートはその灰に向けてそう呟いた。
「急がなければ。陛下が!」
そして、エーレンフリートは都市の通りを走り出す。
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