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不機嫌な姫君に捧げる薔薇の花  作者: 江本マシメサ
第七章【番外編】

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【薔薇の貴公子と秘密の花園】

 仕事を終え、終業後の報告会も済ませて、本日は解散となる。外が雨なので訓練は出来ない状態だ。

 隊員達も早く帰れるのが嬉しいようで、表情も晴れ晴れとしていた。


 ーーただ、一人の騎士を除いて。


 トリス・イエロウ。

 二十歳の騎士で、伯爵家の三男。確か三ヶ月前に結婚をしたばかりの新婚さんだ。

 新婚三ヶ月目といえば幸せに満ちて、奥さまが待つ家に帰りたくて仕方がない時期だが、彼の表情は世界の終わりを迎えたかのような絶望的な顔をしている。

 一体どうしたものかと思って、ふらふらとさ迷い歩くトリスの肩を叩く。


「トリス、お前具合でも悪いのか?」

「え?」

「よく見れば顔色も悪いし、足取りも怪しいから気になったんだ」

「……いえ、具合が悪い訳では」

「……」


 具合が悪い訳では無いとすれば、悩み事だろう。おそらくは寝不足か何かで、顔面も蒼白になっているのかもしれない。


「ちょっとこっちに来い」

「!?」


 普段使わない会議室にトリスを引っ張って行き、椅子に座らせる。

 悩み事があれば吐かせてやって楽にしてやるのも仕事のうちだ。おまけにこいつは騎士隊の中でも大人しい方で、あまりお喋りでは無い。同じ位の親衛隊の奴らの中には、口の固くて相談出来るような隊員も居ないだろうと判断をして勝手に連れて来てしまった。


「あの……隊長?」

「何か悩み事があるんだろう?」

「え?……そ、それは」


 個人的な事情はなかなか他人には相談し難い。しかしながら、深刻な顔を隠し切れない程悩んでいるのならば、答えが出なくとも一旦吐き出してしまえば楽になるものだ。


「悩み事は言っただけでも楽になるぞ」

「……い、いえ、家庭の事情ですし」

「いいから言えよ」

「……」


 上から目線で命令をすれば、トリスは躊躇いを見せつつも、話し始めた。


 年若い騎士が抱えた家庭の事情という悩みは、結婚して三ヶ月目になる自らの奥方の浮気だった。


「ーー週に一度、王宮で行われるお茶会に妻は参加をしていたのですが、最近新しく出来たサロンにも通っていて…その、そこの部屋の主は男性なのです」

「……そうか」


 今まで嫌々出かけていた貴族のご婦人との集まりを、ここ一ヶ月ほどは嬉々として出かけるようになっているらしい。そして帰りには必ず一輪の薔薇の花を持って帰って来て、嬉しそうに花瓶に挿して眺めているとか。


「妻とは家と家の繋がりの為に結婚をしたということになっていますが、彼女のことは昔から好意を抱いていて、父親に頼み込んでやっと妻に迎えることが出来たのです。だから…他の男に奪われたのが悔しくって」

「……」


 いや、奥さんに正直に気持ちを伝えろよ、と思ったが、坊ちゃんなので変な自尊心が邪魔をして言えないのだろう。まあ、伝えた所で奥さんがその浮気相手に夢中なら意味も無いが。それに政略結婚をしている貴族は愛人を抱える者も多いと聞く。なので特別に珍しい話でも無かった。この件に関してはご愁傷様でしたと言うしかない。


「一度、妻とその男が一緒に歩いているのを見た事があるんです。その時の悔しさと言ったら!!」

「…お、おう。大変だったな」

「……」


 トリスはその男に詰め寄ることもせずに、物影に隠れて奥歯を噛み締めていたという。


 ……いやいや、自分の奥さんなんだから、悔しがってないで奪い返しに行けばいいものの。騎士の名折れとはこういうことを言うのかもしれない。それともご家庭の事情なので、騎士という職業は持ち込んではいけないのか。


「ーーその時見た男は、とても綺麗な顔をしていました」


 トリスだって綺麗な顔はしている。が、その男は、目の前で情けなくうな垂れる騎士よりも容姿が整っていたのかもしれない。


「輝くような金色の髪に、棲んだ青空のような瞳。背は普通位で、動作の一つ一つが洗練されていて、妻の肩を抱き寄せて歩くその姿は実に手馴れた様子でした」

「え?」


 その男の特徴は誰かを彷彿とさせていた。

 

 ……まさか、そんな訳ないだろう。あいつ、あいつは……。


「名前は、妻が寝言でラウ…なんとかと言っていたような」

「!!」


 ーーラ ウ ル ス 、 今 度 も お 前 か ! !


 そいつは女だから!! 浮気でも無い!!

 何故貴族の奥方をサロンに呼び出しているかは謎だが、一先ずトリスの妻が不貞行為をしていなかった事に一安心をする。


 しかし、もしかしたら人違いならぬ、ラウ違いもあると思って、その事実は伏せておいた。


 トリスの肩を叩いて、一度しっかり奥さんと話し合ってみて、勇気があれば気持ちを伝えてみろと助言をする。


 トリスも今夜ゆっくり気持ちを整理してから、奥方と話し合いをすることを約束した。


◇◇◇


 トリスと別れ、城の片隅にある王族に近しい貴族のサロンが開かれている場所へ向かう。

 そこの管理者にイエロウ家の奥方が通っているサロンはあるかと訊ねたら、予想を斜めに行く回答が返って来た。


「ーーああ、【薔薇の貴公子】様のサロンですね」

「ば、薔薇の…?」

「ええ。そこに通うご婦人方は皆その貴公子様に夢中なんですよ。そのお方は金髪碧眼で、まるで王子様のような容姿をしているのです」

「……」

「週に一度開かれるお茶会で、確か明日のお昼前にも開催が予定されています。ーーお婦人方からは【薔薇の貴公子様と秘密の花園】と呼ばれていて、大変人気のある集まりなんです。ああ、でも公爵家が主催をしているものなので、怪しいものではありませんよ」

「……アリガトウ、ゴザイマシタ」


 …間違いない。

 トリスの奥さんが夢中になっているのはラウルスだ。

 全くあいつは何をしているのか。


 翌日、パライバ殿下の許しを貰って、【薔薇の貴公子様と秘密の花園】に潜入を試みることにした。


 昨日管理人から教えてもらった部屋の前には、騎士のような格好をした兄ちゃんが立っている。なんだか見覚えのある顔なので、おそらくは公爵家の護衛の者なのだろう。どのようにして声を掛けようかと考えていたら向こうから挨拶をしてきた。


「こんにちは、イグニス・パルウァエ様。お久しぶりです」

「……どうも」


 どうやら向こうもこちらを知っていたらしい。

 とりあえずラウルスが中に居るか確認してみれば、案の定、居るとのこと。

 呼び出してきてくれないか? と願い出れば、扉の中に居た仕着せを着た女性を呼び出して、ラウルスの所に向かわせてくれたようだ。

 ……なんというか、その扉のすぐ中でお茶会をしている訳では無いようで、どんな空間が広がっているのか気になってしまった。


「お待たせいたしました。パルウァエ様、どうぞ中へ」

「へ?」

「中でラウルス様がお待ちです」

「……」


 ど、どうして中に案内されるのか。こっちに来いって言ったのに。

 こちらの返事も聞かずに侍女さんが早足でスタスタと部屋の中に進んで行ったので、黙って付いて行くしかなかった。


 案内されたのは、部屋の中から庭に出た所にある大きな温室だ。ここで【薔薇の貴公子】様はお待ちらしい。

 硝子貼りの扉が開かれ、迷路のような観葉植物の苗の間をすり抜けた先には、せ返るほどの薔薇の花が咲き乱れている。そこに居たのは一つのテーブルを囲んで座る十人ほどのご婦人方と、中心に座っていたのは間違いも無く、ラウルス本人だった。

 案内をしてくれた侍女さんは会釈をして居なくなる。

 その場に居た女性たちからの視線を一気に受けて、思わずたじろいでしまった。


「……」

「イグニス!!」


 ラウルスが大股で近付いて来たので、そのまま腕を取って外に連れ出そうとしたら、そのまま抱きしめられてしまった。


「ーーうっ」

「心の友よ!! しばらく会っていなかったから、元気だったかと心配していたよ」


 ラウルスと出会って早二十年。

 初めて奴の喜びの抱擁を受けてしまった。いつもなら避けれたのに、こちらも接触を図ろうとしていたので、反応が遅れてしまったのだ。


「この……離しやがれ、馬鹿力が!」

「元気そうで安心をした」

「いいから、離せと!!」


 思った以上に力強く拘束をされていて、なかなか腕を振りほどくことは出来ない。力任せにすれば簡単に離れることも可能だが、周囲はお上品な女性ばかりだったので、手荒なことはしたくなかった。

 それにしてもラウルスの奴、今日はエラい高い踵の靴を履いてやがる。ただでさえ身長差があるのに。……この野郎、後で覚えておけよ。


 ラウルスを引き離し、話があると言おうとすれば、いつの間にか用意されていた椅子を勧められる。


「皆に紹介をしよう。私の二十年来の大親友であるイグニス・パルウァエだ」

「……」

「イグニス、お嬢さん方に挨拶を」

「……ドウモ、ハジメマシテ」


 いきなり割り入って非難視線を受けると構えていたが、予想外の反応が返って来た。


「きゃあ! 騎士様よ! はじめて近くで見たわ!」

「…え?」

「その服は親衛隊ね。かっこいいわあ」

「…はあ」

「パルウァエ様はおいくつなの?」

「……三十二になります」

「お菓子は食べる?」

「…いえ」


 何だろうか、この歓迎的な雰囲気は。

 それにしても何の集まりかは謎だ。年齢も上はフェーミナ様位の女性から、年端も行かない少女も居て、異次元としか表現しようが無い。


「それにしても二十年間もお付き合いがあるなんて素晴らしいですわ」

「…まあ、はい」

「ラウルス様、ご親友様とのご関係を一言で表すとしたら、何が当てはまるのでしょうか?」

「……」

「そうだな。……イグニスとの二十年は、長いようで短かった。……言葉に出来ないよ」


 ラウルスの言葉を聞いてご婦人方は黄色い声をあげる。


「とても深い仲、ということですね」

「ああ、そうだな」

「……素敵」

「……」


 ……いやいや、ただの腐れ縁だから。

 ラウルスの筋肉の詰まった脳内からいい言葉が思いつかなくて、苦し紛れに言っただけなのに、女性達の頬は赤く染まっていて恍惚とした表情で残念な貴公子様ラウルスを見つめている。


「ーーそういえばイグニスよ。話とは何だ?」

「それは」


 今ここでしてもいい話題では無いことは明らかだったが、逆にいい機会かもしれないとも思った。


「ここに、トリス・イエロウの奥様は居ますか?」

「え!?」


 ラウルスの隣に陣取っていた女性が肩を震わせて反応を示す。どうやら彼女がトリスの奥さんらしい。


「あ、あの、トリス・イエロウの妻は私ですが…もしかして夫と一緒の部隊の方ですか?」

「はい。実はトリスに相談をされて…」


 トリスの名前を出した途端に奥さんの表情が曇る。気にも留めない相手なら、あのような顔をする訳が無いことを確認する。

 男が女性との仲をこじらせるのは、見栄を張って格好つけたり、正直に話をしなかったりするのが原因だ。なのでトリスには悪いと思ったが、ここで正直に事情を話させて貰った。


「実は、トリスが酷く落ち込んでいて話を聞けば、奥方が週に一度一輪の薔薇を持ってお茶会から嬉しそうに帰って来る姿を何度か確認したと」

「!!」


 普通の騎士なら奥さんが昼間どういうことをしているか把握出来ないだろう。しかし親衛隊は夜勤があるので、昼間家に居る場合も多い。それが仇となって、発覚をしてしまったという訳だ。


「お、夫は浮気を疑っているのでしょうか?」

「……ラウルスのことを男だと思っているようです」

「!!」


 浮気を疑っているのか、という問いかけに対してはっきりと肯定は出来なかった。しかしラウルス云々という話は浮気を疑っているのと一緒だな、と言ってから気が付く。


「……夫は何と言っていましたか?」

「勘違いを正したいと」

「勘違い?」

「はい」


 これ以上の言葉は俺の口からは言えない。トリス自身がきちんと言葉にして伝えなければいけないことだ。


 トリスの奥さんの顔を見たが、先ほど同様に暗い表情をしている。


「私たちは、家の繁栄の為に結婚をしました。そこに愛はありません。ーー多分、興味の無い玩具を、他人に突然奪われたように思って、悔しがっているだけだと思います」

「そんなことはありません。トリスと一度話をして見て下さい」

「……」


 やはりトリスの野郎がきちんと話をしていなかっただけではないか!!

 全く、こんなに可愛い奥さんを貰っておきながら気持ちをきちんと伝えていなかったなんて。


 敢えて言わなくても分かるだろう、という考えを持っている男は多い。

 まあ、分からなくもない。男同士の付き合いだとわざわざ口に出さずともあいつは分かっている、などという部分も確かにある。


「アンジェリナ、やはり君の勘違いだったじゃないか」

「ラウルス様…しかし」

「今日の夜は主人とゆっくり話をするといい」

「……」

「私は夫と月に一度しか会えない。好きな人が毎日帰ってくるアンジェリナが羨ましいく思うよ」

「!! ……は、はい、そう、ですね」


 かの男装の変人が結婚をしていたという事実をすっかり忘れていたので、ラウルスの口から出て来た【夫】という言葉に驚いてしまった。


 それはそうと、トリスの問題はこんな感じでいいだろう。後はあいつが男を見せるかが問題だが。


「ーーそれでは私はこれで」

「え!?」

「嫌だわ騎士様、お話はこれからでしょう?」

「良かったらパルウァエ様の恋物語も聞かせて下さいな」

「いえ、き、今日は仕事が」

「緑の騎士服はパライバの親衛隊ね。ーー息子には私から言っておくわ」

「!?」


 結局、ご婦人方は逃がしてくれずに、そのまま最後まで付き合う事となった。


 というか、この場にパライバ殿下の母君が居たなんて知らなかった。


 --ラウルスよ、本当に後で覚えていろよ。


◇◇◇


「ーー今日は美しく着飾った君との時間を過ごせて嬉しかったよ。また、今度」

「はい。ラウルス様」

「……」


 ラウルスはお茶会に参加したご婦人方に、一輪の薔薇を渡して別れを惜しんでいる。

 このラウルスのたらし的な行為がことの発端となった訳だが、自覚はあるのだろうかと睨みつけた。

 こちらの視線に気が付いたラウルスはふっと息を吐いて、女性が見惚れるような微笑を浮かべる。


「イグニス、今日は会えて嬉しかった。良かったらまた来てくれ。皆も喜ぶ」

「もう来ねえよ」

「いじわるを言わないでくれ」

「……」


 そしてあろう事か、ラウルスは残っていた薔薇の花をこちらへと差し出して来た。


「ーー愛を込めて君に贈ろう」

「馬鹿か!!」


 そのまま薔薇の花は受け取らずに、きびすを返して仕事に戻る。

 戻った執務室にはパライバ殿下の母君が居て、先ほど感じた緊張感が蘇ってしまった。


 翌日、トリスは晴れやかな顔で出勤をして来て、奥さんに気持ちを伝えることが出来たとお礼を言われた。


 この日から、男女のいざこざにはなるべく頭を突っ込まないようにしようという決まりが自分の中で出来てしまった。


 【薔薇の貴公子と秘密の花園】完

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