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不機嫌な姫君に捧げる薔薇の花  作者: 江本マシメサ
第七章【番外編】

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【間男と修羅場】

 閑静な住宅街にあるパルウァエ邸に一人の訪問者が現れる。名をラウルスと言う、背の高い女性だ。

 彼女は似合う服が無いからと、男性用の衣装を纏い、今日も出掛けていた。

 ラウルスは親友の家の扉を叩き、奥方が出てくるのを静かに待つ。


「……?」


 しかし、いくら待てども扉は開かない。買い物にでも出掛けているのかと馬小屋の方へ回ったが、銀色の馬は居たので、家の中に居る事には間違い無い様だった。


 ふと、近くにあった窓を覗けば、厨房にある椅子に座った奥方の姿がある。机に突っ伏すようにしていて、眠っているようにも見えた。


(フロース、やはり居たのか)


 慣れない生活で疲れているのだろうかとラウルスは心配する。


「お兄ちゃん、何をしているの?」

「お姉ちゃんだ!!」

「……おに、お姉ちゃん、ここで何をしているの?」

「覗きだ!!」

「……」


 ラウルスは突然現れた少年に見向きもせずに覗きを続けている。

 少年は目の前に居る不審者らしき【自称お姉ちゃん】をじっと見つめていた。


「ーーねえ、お…お姉ちゃん、はイグニス兄ちゃんのお友達でしょう?」

「ああ、そうだ。よく知っていたね」

「何度か家に手紙を運びに来ていたでしょう? それに兄ちゃんとお話をしている所も何度か見た事があるよ」


 金色の髪に空色の目をしたラウルスは覚えやすい特徴を持っており、尚且つ見目麗しいので近所の奥様の噂になっていた。少年の母親も熱を上げていたので、気になって近づいた所だった。


 無遠慮に見つめる少年の存在を全く気にしないで覗きをしていたラウルスだったが、室内に変化が起こって声をあげる。  


「ああっ!!」

「お、お兄ちゃん、どうしたの?」

「な、鍋が噴き溢れている!! それに焦げたような匂いが!! フロース、起きてくれ、フロース!!」


 窓を叩いて異変を知らせるが、眠り姫は目覚めない。ラウルスは家の周りをぐるりと回ったが、二階も含めて鍵が空いてそうな箇所は見受けられなかった。


「お兄ちゃん、これ勝手口の鍵!!」

「少年、君はどうしてこんなものを!?」

「理由は後で、早く中に」

「わ、分かった!」


 ラウルスは茶色い髪の少年から、厨房へと繋がる勝手口の鍵を受け取って、家の中へと侵入する。

 厨房の中は既に黒い煙で充満しており、竈の火は水を掛けて消し、窓を開いて換気を促した。

 

「……ん?」


 この時になって、ようやく眠り姫は目を醒ます。


「……え?」

「フロース、大丈夫か!?」

「な、なに、これ?」

「鍋を焦がしていたんだ」

「ラ、ラウルス!?」


 いきなり現れたラウルスを不思議そうに見上げ、ゆっくりと状況を理解していく。


「鍋が、焦げた?」

「ああ、それよりもここから出よう。少しだけ煙臭い」

「嘘っ!!」


 フロースは焦げた鍋の前まで駆け寄り、中の酷い様を覗いては嘆く。


「や、やだ!! どうしよう!!」

「フロース?」

「今から作り直していたら、イグニスの帰宅に間に合わないわ!!」

「いやいや、そんな事よりも……」

「そんな事って何よ!! ああっ、どうすればいいの、何か、急いで作らなきゃ」

「ま、待ってくれ、フロース!! 落ち着いて」


 ラウルスは錯乱状態になっていたフロースを落ち着かせようと、体を引き寄せて抱き締めた。


「ラウルス、どうしよう!! 夕食が」

「お、落ち着つくんだ、まず、椅子に座って」


 ラウルスはフロースの背中を撫で、落ち着くように諭す。


「も、もう少しでイグニスが帰って来るわ」

「そうだな、夕食は外に食べに」

「嫌よ!!」

「う、そうか……こ、困ったな」


 依然としてフロースを抱き締めたまま、ラウルスはどうすればいいのかを考えていた。イグニスの帰りを待って公爵家で食事をすればいいが、フロースは嫌がりそうだなと、先程の反応を思い出しながら一人悩む。


 とりあえず、一度椅子に座って貰ってから考えようとラウルスは思っていたが、開きかけた口は勝手口の扉が開いた事により遮られた。


「ーー何だ? 焦げ臭い」

「イ、イグニス!?」


 厨房の中に入って来たのは、職場より帰宅をした家主でもあるイグニス・パルウァエだった。どうやら馬を小屋へ引いていたら、厨房より焦げた匂いがしたので、勝手口を覗いたようだ。


「ラウルス、お前何をやってるんだ?」


 焦げた匂いを不審に思って勝手口より入ってみれば、自らの奥方を抱き締める親友の姿があった。これは誰がどう見ても不可解な場面だと勘違いをしてしまう。


「私は…その…」

「ラウルス、お前…間男みたいだな」

「ち、違う!! 今日はこっそりフロースの様子を見て帰るつもりだったんだ!! 決して部屋に上がり込んで、話すつもりなど…」


 しどろもどろと不毛な言い訳をしているうちにフロースは抱き締められていた腕から離れ、ラウルスの背中に隠れてるように回り込む。


 イグニスは台所の焦げ付いた鍋を見て、何となくではあるが状況を理解した。


「フロース、夕食は外に食べに行こう」

「……嫌」

「家事は無理しないでくれ。出来ない日もあっていい。だから今日はーー」

「外で食べるのは嫌!」

「フロース…」


 ラウルスの背後に隠れたまま、外食は嫌だとフロースは言い、駄々を捏ねた子供のような態度を崩さない。

 

「フロース、イグニスは仕事をして、疲れた状態で帰って来ている。あまり困らせてはいけないよ」

「だって、嫌なの」


 フロースはラウルスの上着を皺になりそうな程にぎゅっと握り締め、消え入りそうな声で呟く。


「……他の人の作った食事をイグニスに食べて欲しく無いのよ」

「お、おお…!!」

「……」


 フロースの熱烈な愛に感動をしたラウルスは、感嘆の声を上げる。


「……分かった。いくらでも待てるから、また作ってくれるか?」

「い、いいの?」

「ああ」

「ありがとう、イグニス。少しだけ待っていてね」


 フロースはラウルスから離れて、エプロンを付けて食材の入った箱を探り始める。イグニスは久しぶりに会った親友の肩を叩いて、迷惑を掛けたと視線で謝罪を表す。ラウルスも首を振って、大丈夫だという無言の返事を示した。


 料理が出来ない二人はフロースの邪魔にならないように厨房から出て、居間に移動をする。


「ラウルス、夕食を食べてから帰るか?」

「いや、フロースを一目見て帰るつもりだったから、今日はこのままおいとまさせて頂くよ」

「そうか」


 会話が途切れた後、顎に手を当てて、思案をするような格好をするラウルスをイグニスは胡乱うろんな表情で眺める。恐らくこちらが思い付かないような突飛な事を考えているのだろうなと想像をしていた。


「今日は色々と勉強になった」

「は?」

「夫婦のあり方について学ばせて貰ったよ」


 ラウルスは一年半前に結婚をしていた。夫である人とは別々の場所で暮らし、会えるのも月に一度だけなので、妻としてどう接すればいいか悩んでいたことを打ち明ける。


「私もフロースを見習って、可愛い事を言って甘えてみたいと思っている」

「……」

「…? どうかしたのか?」

「いや、ちょっと気持ち悪いなって思って」

「し、失礼だな、君は!!」


 結婚してからもラウルスの外見や内面に変化は表れなかった。そんな親友が夫に甘える姿を想像して、イグニスはあり得ない事態だと、笑いを堪えているのを隠す為に口許を押さえる。


「イグニス、何を笑っているんだ!!」

「笑ってねえよ」

「だったら口許にある手を退けてみろ! 今すぐにだ!」


 ラウルスはイグニスに詰め寄り、口に添えてあった手を退かそうと、掴んだ手首に力を加えて位置をずらそうと頑張る。


「ぐ…なんて力なんだ!」

「その言葉をそのまま返すぞ。この馬鹿力の持ち主が」


 イグニスはラウルスの手を払う事を諦め、後方へ逃げようと足を一歩下げた。


「ーーう、うわ!!」

「!?」


 運が悪い事に、一歩引いた先にあった敷物で足を滑らせて、一瞬にしてイグニスは均衡を崩してしまう。

 後方へと倒れそうになったイグニスは、咄嗟にラウルスの上着を掴んだが、突然の事で足腰に力が入っておらず、結局彼女も一緒になって転倒をしてしまった。


いってえっ!!」

「ぐうっ!!」

「ーーねえ、何!? 今の音、は…、え?」


 居間から聞こえて来た物音に驚いたフロースが、重なり合って倒れているラウルスとイグニスを見て、顔を歪めた。


「一体、二人で何をしていたの?」

「ーーち、違う!!」

「え?」

「誤解だ、フロース!! 私とイグニスはじゃれ合っていただけだ」


 イグニスの上から飛び起きたラウルスは、誤解を解こうと必死にこれまでの経緯をフロースに説明する。


「あなた達はいつもそんな風に遊んでいるの?」

「ち、違う!! 今日は偶然で、その…」

「どうしてお友達を偶然押し倒すような状況になるのかしら?」

「い、いや、私が押し倒したのではなく、イグニスが…」

「イグニスが!?」

「!?」


 フロースは床の上に胡座をかいていた夫の顔をジロリと睨み付けて、ラウルスにしたような尋問を始める。


「……敷物で足を滑らせて、体の均等を取るためにラウルスの上着を掴んだら、一緒に倒れてしまっただけだ」

「本当に?」

「本当だ。それにラウルスの事を女性として見た事は一度も無い」

「そ、そういう事だ。だから安心をしてくれ」

「まあ! そうだったのね。あなた達の友情を疑って悪かったわ」

「……うむ。誤解が解けたようで、良かった」

「……」


 こうしてラウルスは夕食の完成を見届けて、自宅へと帰って行った。


 親友との全力の絡みで疲れ果てていたイグニスだったが、愛する妻の手料理が体の疲労感を癒してくれたという。


 【間男と修羅場】完。


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