【イグニスの故郷へ】
見渡す限りの野山と広大な青空のみが存在するど田舎、それが自分が育ったサンテラ村だ。
地図にも載ったり載らなかったりするような小さな農村だが、幸いな事に山の中に大迷宮があるので、村の中は年中冒険者で溢れ、収入には困っていないという。
そんな絵に描いたような田舎の村に降り立ったのは、銀髪の美女に長身の渋い紳士という場違いな二人だ。
「お父様!! 道も知らない癖にさっさと一人で先に行かないで頂けるかしら!?」
「……」
「嫌だわ。お年を召して耳も遠くなってしまったのね」
「……お前は、もう少し柔らかい物言いを出来ないのか。よく嫁に行けたものだと不思議に思うな」
「な、なんですって!?」
「……」
フロースとお義父様は移動中もずっとこんな感じだった。
二人の仲がこのように悪いなんて聞いていなかったので、とても驚いたし、現在進行形で困惑もしている。俺なんかが喧嘩の仲裁に入っていいものかと。
何故この三人で自分が生まれ育った村に来ているかといえば、フロースとお義父様がうちの両親に挨拶をしたいと言って来たからだった。
村の中は農作物の収穫期のようで、皆忙しそうにしている。
この村には冒険者が出入りするので、見慣れぬ格好をしたフロースやお義父様を振り返る者は居ない。
最も、二人とも帽子を被っていて、目立つ容姿や髪色が見えないからだろうが。
「ーーあ」
「どうしたの?」
「いや、弟が居て」
「彼処の畑に居る背の高い男の子?」
こちらが頷くのを確認する否や、フロースは挨拶でもするつもりなのか、長いスカートの裾を持って、畑仕事をする弟の元へ走り出してしまった。
「ーー!! ま、待って、危ない!!」
村の畦道は綺麗に整備されていない。突然沼地になっていたり、草むらの中に穴が空いていたりして大変危険なのだ。
「フロース!」
「!!」
追い付いて、そのまま抱き上げる。
今の状態で畑なんかに入ったら、危ないし真っ白なワンピースを汚してしまうと思ったからだ。
「あれ、兄貴かーー!?」
弟がこちらに気が付いて駆けて来る。
ミーキル・パルウァエ。
末の弟で、両親から受け継いだ畑で農業を営んでいる。
安全な場所にフロースを下ろしている間に、
ミーキルが目の前までやって来た。
「兄貴、来るの今日だったのか」
「ああ、母さんから聞いて無かったのか?」
「そのうち来るとしか聞いて無かったからさ」
「……」
相変わらずうちの母親は大雑把に生きているようだ。きちんと手紙で今日来る事を書いていたが、多分家に行ったら、俺達の訪問を驚くに違いない。
「フロース、弟のミーキルだ」
フロースは帽子を脱いでミーキルに微笑み掛けながら、自己紹介をしていたが、弟の顔は凍り付いていた。
このような超絶美人は見たことが無いだろから仕方が無い事だろうが。
しかしながら、弟はとんでも無い思い違いをしていたのだ。
「……絶対、だ、騙されている」
「は?」
「兄貴、これは美人局だ」
「お前、何を言っているんだ?」
「だ、だって、半年前にマシアル爺さんのおじさんの所にど偉い美人が来たんだ。それで、村のみんなで祝福をしていたんだけど、数日後に怖い男の人が来て、その人の奥さんだったみたいで、女性に手を出した賠償として金品を奪われてしまったんだ」
「……」
ミーキルの言う美人局とはアレだ。男が妻や情婦に他の男を誘惑させて、最終的に「俺の女に手を出しやがって!」と脅し、金品での解決を要求する、タチの悪い奴等の事を言う。
「イグニス、この子は何を言っているの?」
「いや、多分勘違いを…」
「兄貴!! 目を醒ますんだ!! 金品を巻き上げられる前に、ってうわああああ!!」
ミーキルは俺達の背後を見て、腰を抜かしてしまった。何が現れたんだと振り向けば、お義父様がこちらに追い付いたようで、こちらの様子を伺っているだけだった。
恐らく馬鹿な弟はお義父様の事を、美人局をしている強面の男と勘違いしたのだろう。
「ミーキル、落ち着いて聞け。俺は騙されていないし、後ろに居る御方はフロースの親父さんだ」
「お、お父さん?」
「そうだ」
「ーーこんな、夢みたいに綺麗な人が兄貴の奥さんだなんて、嘘に決まっている……」
「……」
結局いくら説明をしても信じてくれず、疑った態度を崩さないミーキルをその場に残して、今度は姉の居る宿屋へと移動した。
「まあ、イグニスじゃない! いきなり帰って来てどうしたの? もしかして騎士はクビになったの?」
「……」
母親は姉貴にも俺が来る事を伝えて居なかったらしく、酷い言葉で迎えてくれた。それに加えてあまりにもいつも通りなので、結婚についても知らないのかもしれない。
「後ろのお嬢さんはお客さんなの?」
「いや、違う。姉貴は俺が結婚した事を聞いていたか?」
「はあ!? い、いつの間に!! ……じゃあ後ろに居る美人さんは」
「はじめまして、妻のフロースです」
「!!」
姉貴は驚き過ぎて言葉を失っている。ちなみにお義父様には、外で待っていると言われてしまった。確かにフロースと揃って現れたら、弟と同じように腰を抜かしてしまうかもしれない。
「イ、イグニス、あんた、騙されているんじゃ…」
「そんな訳あるかよ!!」
俺とフロースの見た目が釣り合っていないから、このように勘違いをされてしまうのだろう。
「騙されて無いってんなら、全財産をこのお嬢さんに貢いで結婚をしてもらったとか?」
「……違う」
姉貴もこちらが何を言っても、信じる気は無いみたいだ。
フロースも先程から首を傾げていた。失礼な家族で本当に申し訳ないと思っている。
村から離れた場所にある実家には、馬車を借りて行く事となった。
フロースは帽子を手に持ったまま、御者台に座る俺の隣に腰掛け、変わらない森の景色を珍しげに眺めている。
村で借りて来た馬車は農作物を運ぶ為の物で、お義父様は屋根も席もない荷台に座っている。
「綺麗な所ね」
「何も無いけどな」
「そんな事無いわよ」
フロースはこの田舎の風景を褒め称え、綺麗だと言ってくれた。つまらない場所と言われるのではと、心配していたので一人安堵をする。
それにしても、フロースやお義父様はお尻は痛く無いのか気になってしまった。恐らく座席の無い馬車に乗るのは初めてだろうから、負担に感じているかもしれない。
まあ、痛く無いか聞いた所で、解決策がある訳ではないが。自分に出来る事と言えば、暫しの我慢を心の中で祈るばかりだった。
到着した久し振りの実家は、以前と変わらない佇まいをしていた。外で草刈りをしていた母親はこちらを見て大層驚き、連れて来たフロースを見て更に驚いていた。
「イ、イグニス、あんた、騙されて…」
「そのネタはもういいからッ!!」
家の中に居た父親も他の家族同様の反応を示したが、そこは省略をさせて頂く。
◇◇◇
居間でお義父様を前に、顔面を青く染め上げる程の緊張をする両親を置き去りにして、フロースを連れて、長年嫁を連れて来いとうるさかった爺さんの部屋へと移動をする。
「爺さん、入るぞ」
返事は無いが勝手に入る事にした。
「あら、お休みになっているわ」
「大丈夫」
寝台の上で眠る爺さんに声を掛けると、目を醒した。母親にそろそろ起こしてくれと頼まれていたのだ。
目を醒ました爺さんは、寝台の傍に居たフロースを見るなり手を合わせて、何故か拝み出した。
「爺さん、何をして…」
「とうとうお迎えが来なすった」
「はあ!?」
「見たことも無いような綺麗な女神様だあ…」
「……」
爺さんはフロースを天界から舞い降りた美しい女神様だと思っているのだろう。
……そう思う気持ちは分からなくも無いがな。
「爺さん、この人は俺の嫁であるフロースさんだ」
「この娘さんは地上に舞い降りた美しき女神様じゃないのか!? しかもいつの間にかイグ坊まで帰って来とるし、それに、よ、嫁ちゃんだと!!」
ガバリと起き上がった爺さんは、俺とフロースの顔を見比べて、驚嘆の声をあげていた。
「フロースさん、と言ったかな? いやあ、驚いたなあ! あの照れ屋なイグ坊がこんな別嬪ちゃんを連れて来るなんて」
爺さんの下らない話をフロースは嫌な顔をひとつも見せないで聞いてくれている。なんて優しい人なんだと、嬉しくなった。
「それにしてもイグ坊よ、少し揉み込み方が足りないんじゃないのかい?」
「は?」
何の話かと聞き返そうとすれば、爺さんの視線は有らぬ方向にあった。
その注視された先とはフロースの……。
「イグ坊の嫁ちゃんの乳の話だよお」
「!! な、何言ってるんだよ、爺さん!!」
こんのエロジジイはフロースの前で一体何を言い出すのか!
全く信じられない。
「嫁ちゃんの乳を大きくする方法は…」
爺さんがまた要らぬ話を始めたので、フロースの両耳を塞ごうとしたが、するりと目の前からすり抜けて居なくなってしまった。
そんな彼女は爺さんの手を掴んで、真面目な顔で驚愕の一言を申していた。
「ーーお義祖父様!! そのお話、詳しく!!」
「……」
フロースよ、エロい爺さんの話なんか聞かなくてもいいから。それに胸なんか大きくしようと努力しなくても全く問題は無い。
そのままの君が好きだよ。
◇◇◇
そんな感じで、二日間にも及ぶ滞在は終わった。
それにしても、家族全員の反応は酷いものだった。二度とフロースを連れて来るものか!! と思っていたか、彼女は気にしていなかったようで、また来たいと言ってくれた。
本当に良い奥さんを貰ったものだと、改めて感動をしてしまった。
【イグニスの故郷へ】完。




