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不機嫌な姫君に捧げる薔薇の花  作者: 江本マシメサ
第七章【番外編】

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【聖夜にて】

 雪の降る街中はいつもより人通りが多く、皆大きな荷物を抱えていた。


 本日は降誕祭プレセピオ

 聖夜とも呼ばれるどこぞの神の誕生を祝う祭りで、いにしえの時代に召喚された異世界人が広めたとされる催しごとだ。

 しかしながら、ルティーナの国民はその神を信仰している訳では無く、ご馳走を囲んで贈り物をお世話になった人へと手渡すという習慣のみが広がっている。

 また、降誕祭プレセピオを広めたのは、この時季の品物全般の需要が落ち込むことを嘆いた商人が協力をして国民に認知させたとも言われていたが、その真相は定かではない。


◇◇◇


 ユースティティア公爵家の居間には嫁に行ったフロースが訪問していた。何やら持ち込んで来た包み紙をラウルスとアルゲオに差し出している所だった。


「フロース、これは?」

「前にラウルスとお父様が聖夜の日に孤児院に行くって聞いていたから、用意しておいたのよ」

「??」


 アルゲオは訝しげに娘から受け取った紙袋の中身を取り出し、その品を眺めながら更に眉間の皺を深めた。


「なんだこれは」

「可愛いでしょう?」

「……」


 中から出て来たのは熊の被り物だった。

 ふわふわの茶色い布で作られた熊はとても可愛いらしく、クリっとした円らな瞳と、むにっとした口元が魅力的な被り物だ。


「ランドマルクに居た時、お父様ったら顔が怖いから子供達に泣かれてしまったでしょう? だから、これで顔を隠して行けばいいんじゃないかしら? と思って作ったのよ」

「お前は暇人か」

「な、何よ! 忙しい家事の合間を縫って作ったのにその言い方は!?」

「フ、フロース、落ち着いて、アルゲオも可愛くない物言いは止めるんだ。ーーさ、さて、私には何の被り物を作ってくれたのかな?」


 ラウルスは一触即発の雰囲気となってしまった親子を宥めつつ、自分が貰った紙袋を開封した。


「……」

「それも可愛いでしょう?」

「……」


 ラウルスの手の中にあるのは、三角形のたれ耳のついたカチューシャだ。

 熊の被り物よりも若干手抜きなカチューシャを手に、ラウルスはフロースの顔を見る。


「フロース。どうして私のは被り物じゃないんだ?」

「だってラウルスは犬顔だから、被り物は必要ないと思ったのよ」

「い、犬顔だとッ!?」

「ええ。ラウルスは犬っぽい顔をしているわ。それにあなた、子供受けがいいでしょう? 顔を全て覆う物は必要ないわ」

「そ、そうか?」

「……」

「貴族であるお父様やラウルスは、聖夜でも寄付が出来ないのだから、せめて子供達が喜ぶような姿で行けばいいと思ったのよ」

「…そうだな」


 貴族の慈善事業である孤児院への寄付は月に金貨六枚と国の方針で定められていた。それ以上のお金や品物を贈ることは禁じられているという。 


「それじゃあ私も忙しいから」

「ああ、わざわざありがとう、フロース」

「気にしないで。お父様、必ずその被り物を被ってから行ってよね」

「……」

「返事は!?」

「分かったから帰れ」

「なんですって!?」

「フロースもアルゲオも喧嘩は止すんだ!!」


 再び不穏な空気を漂わせる親子の間にラウルスは割り込んで、その場の鎮静化を図った。


◇◇◇


 ラウルスとアルゲオはフロースが帰ってしばらく経った後、二人で孤児院に向かった。

 馬車の外の景色を見て、孤児院が近くなったことを察知したラウルスは、アルゲオにフロースから貰った熊の被り物を無言で被せる。


 アルゲオもまた、ラウルスにされるがままになっていた。


 熊の被り物を被ったアルゲオからは普段の威厳がかき消され、気安い雰囲気すら漂わせている。

 ラウルスも、これは子供達も受け入れてくれるかもしれない、と可愛い熊の頭となったアルゲオを眺めながら思った。


 馬車が停まり、馬が嘶くと、その声を聞いた子供達が建物の中から飛び出てくる。

 いつも手ぶらでやって来るラウルスを、孤児院の子供達は毎回歓迎をしてくれた。


 ラウルスは馬車から降りて、一週間振りの再会の喜びを子供達の抱擁で受け止める。


 そして、後から出てきたアルゲオを見て、子供達はーー


「ク、クマたんだーー!!」

「クマたん!!」

「クマたん可愛いー」


 フロースの目論見通り、アルゲオは子供達に受け入れられていた。

 傍に寄ってきた子供達の頭を撫でているアルゲオの姿を見て、ラウルスはほっと胸を撫で下ろす。


 小さな子供達の世話をアルゲオに任せて、ラウルスは聖夜の晩餐の準備を手伝いに行った。


◇◇◇


 アルゲオが連れて来られたのは、子供達が遊ぶ部屋だった。


「クマたん何して遊ぶー?」

「クマたん可愛いねえ」

「……」


 このように子供に囲まれるという事が初めてなアルゲオは、どうしていいのか分からずに、話しかけられた言葉に対して頷いたり、子供を抱き上げて高い高いをしたりなどをして何とか誤魔化していた。


 ――しかしながら、窮地はすぐに訪れる。


「クマたん絵本読んでー」

「絵本―」


 床に座って手渡された一冊の本を開くと、子供達は手を叩いて、物語が始まるのを今か今かと楽しみにしている。


「……」


 このフロースお手製の熊の被り物は意外な程に視界ははっきりしている。が、問題は別の所にあった。


「……」


 アルゲオは目一杯本を遠ざけてみたが、どう頑張っても文字が霞んで見えない。


 この時、自らの老眼をアルゲオは心の奥底から恨んだ。


 ――子供達のキラキラとした視線が眩しい。


 このような眼差しで見られるのは初めてだった。


 一人目の子供、レグルスは大抵アルゲオの顔を見るなり泣き叫んでいた。

 二人目の子供、フロースはいつも、「お父様のお顔は怖いから、あんまり好きではないわ」などと可愛くないことばかり言っていた。


 実子にすら懐かれた事がないのに、熊の被り物のお陰で子供達からの信頼を得ることが出来ているのだ。

 

 アルゲオは目の前の子供達の期待に応えようと、絵から内容を想像して、絵本の読み聞かせを開始した。


◇◇◇


 厨房で堅い木の実をすり潰すという仕事を任され、なんとかやり終えたラウルスは、アルゲオと子供達が気になって、様子を窺いに来ていた。


 子供部屋の取っ手を捻ろうとしたその時、甲高い叫び声が中から聞こえて来る。


「ひえええええん」

「いやあああああ」

「わあああああん」

「……」


 扉を開くとそこは泣き喚く子供と微動だにしないアルゲオの姿があった。


「ど、どうしてこうなった!?」


 ラウルスは頭を抱える。


「ひいいいいんん!! --ク、クマたんの声、怖いよおおお」

「な、なるほど」


 座り込んだアルゲオの手には絵本が握られていた。恐らく読み聞かせをして、アルゲオの低い声が、可愛い見た目の熊と合っていなかったから、子供達からしたら怖かったのだな、とラウルスは考える。


「皆、こっちにおいで」


 ラウルスは床に膝を付いて、子供達に優しい声で語りかける。


「お姉ちゃんと一緒に居間へ行って、椴木もみのきに飾りつけをしよう!」

「…?」

「…??」

「ううん?」


 何故だか子供達の反応は鈍い。


「お姉ちゃん?」

「お姉ちゃんはどこ?」

「…ねーちゃ??」

「……」


 子供達は一生懸命部屋の中を見渡したが、ラウルスの言う【お姉ちゃん】は見つからなかった。


「――ハッ!!」


 ラウルスは自分の服装を思い出す。

 シャツに赤いベスト、黒いズボンにブーツ。加えて化粧気の無い顔に、短い髪。

 ラウルスは自分に全くお姉ちゃん要素が無い事に今更ながら気が付いてしまった。


 何とかこの場を誤魔化す為に、懐の中に仕舞い込んでいたフロースからの贈り物を取り出して、三角耳の付いたカチューシャを頭に装着をした。


「――さあ、子供達よ!! ワンワンと一緒に居間へ行って椴木もみのきの飾りつけをしよう!!」

「わ、わんわん!!」

「わんわんだーー!!」

「わんわん! わんわん!」


 ラウルスは近くに居た子供二人を両腕に抱きかかえ、居間へと移動をした。


◇◇◇


 椴木もみのきの飾りつけを終え、机の上にはご馳走が並べられた状態になっていた。ラウルスはそろそろお暇しようと、院長先生に声を掛ける。


「あら、食事はされていかれないんですか?」

「ええ、その、クマたんが置き去りにされているので」

「??」



 今も子供部屋に一人で居るクマたんの事を思うと、ワンワンはとても可哀想に思った。早く迎えに行かないと、一人で泣いているかもしれない。


 事情を知らない院長は首を傾げていたが、ラウルスはアルゲオの事で頭がいっぱいだった。


「あれー? わんわん帰るの?」

「あ、ああ」

「クマたんはどこに行ったのー?」

「クマたんはーー森に帰った」

「森?」

「そうだ。私も森に帰るとしよう」


 ――上手く纏まった。


 ラウルスはそう思いながら、アルゲオの待つ部屋へと急いで、傷心のクマたんと一緒に帰宅をした。


◇◇◇


 一方のパルウァエ家ではーー。


 机には繊細な刺繍がなされたテーブルクロスが敷かれ、その上に聖夜のご馳走が並べられている。

 

 イグニスにとっては、今回が初めての聖夜だった。


 生まれ育った山奥の村では降誕祭は伝わっておらず、王都に来るまで存在を知らなかった位だ。


 それに今までの騎士生活の中でイグニスは、聖夜当日に勤務を代わってくれと同僚から言われて代わったり、予め仕事が組まれていたりと、縁の遠いものだったのだ。


 ここ一ヶ月ほどは仕事が忙しく、帰宅するのも深夜だったのでまともにフロースとも話をしていなかったが、今日は早く帰ってもいいと言われたので、こうして二人っきりの聖夜を過ごす事が出来た。


 そしてポケットに忍ばせていた綺麗に包まれた箱をフロースに差し出すと、驚いた表情で見つめ返される。


「これ、私に?」

「ああ」

「あ、ありがとう。開けて見てもいいかしら?」


 イグニスは勿論と頷く。


 この贈り物は先日パライバ殿下の奥方を訪ねてきた宝石商から買い取った品だ。


 奥方の護衛任務中に、ふと目に付いた首飾りがフロースに似合いそうだと思い、休憩時間に偶然その商人とすれ違ったので、駄目もとで売ってくれないかと話を持ちかけたのだ。


 幸い銀貨数枚で買えるお値段の首飾りだったので、使わないで貯めていたお小遣いで購入出来た贈り物だった。


「――綺麗」


 フロースは突然の贈り物を頬を染めながら見つめている。

 

 イグニスが買ったのは、銀のチェーンに小さな赤い宝石が付いた首飾りだ。


「ねえ、これ、付けてくれる?」


 フロースはイグニスに首飾りを手渡して、背中を向けた。

 結っていない銀の髪を手で掴んで持ち上げ、首周りを露わにする。


(――こ、これは)


 本日のフロースの服装は、肩部分が折り返しになっているセーターに、長いスカートというシンプルな装いだった。

 が、フロースの両肩は剥き出し状態になっており、それに加えてぴったりと体の線に沿っているデザインのセーターなので、腰のくびれまでハッキリと分かってしまうような悩ましい服装だ。


 そんな状態で、白い肩と首筋を無防備に晒されたイグニスは、撫で回したいという欲求を必死に抑え、震える手で首飾りの金具を取ろうと奮闘していた。


「大丈夫?」

「お、おう。もうちょっとで外れそう…」


 ――ご馳走が、目の前に、ご馳走が。


 勿論それは机の上のものではなく、目の前のーー。


 ふつふつと湧き上がる淫らな妄想を、自らの唇をきつく噛んで我慢をして、フロースの首に触れないようにしながら、なんとか任務を遂行した。


 いつの間にかイグニスの口の中は、血の味が広がっているのに今更ながら気が付く。


「ふふ、ありがとう。――どうかしら?」

「と、とっても 似合っていて か、可愛い…」


 その言葉を聞いて、フロースはイグニスの腕にぎゅっと抱きついて来た。再びイグニスは唇を噛む力を強める。


 その後、イグニスもフロースから贈り物を貰った。茶色い毛糸で作られた手編みのセーターだった。


 手作りの品は嬉しかったが、イグニスが今すぐに欲しいのはーー。


「さあ、食事にしましょうか。飲みものは何にする? お酒? それとも紅茶を淹れましょうか?」

「――水で」

「は?」


 ついでに正気を取り戻す為に頭の上からぶっ掛けて欲しかったが、言える訳も無かった。


 こうして我慢の連続というイグニスの煩悩にまみれた聖夜は過ぎていく。


 【聖夜にて】完。


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