26
翌日の試合は順番が遅かったので昨日より遅めに家を出た。美味しそうな食事があったので、朝食は摂らずに会場に向かう。
相変わらず待機部屋は閑散としていた。参加者のオッサン達はどこで暇を潰しているのか。
予定よりも遅くなってしまったので、早めにお隣にある食事のある部屋に行き、腹ごしらえをする事にした。
長机の上には二十種類ほどの料理が並べられており、好きな料理を好きなだけ皿に取る仕組みになっている。給仕担当は昨日と同じ兄ちゃんだ。どうやら皿に取ってくれるらしく、どの位食べるのかと笑顔で聞いて来た。満腹になると眠くなったり、動けなくなってしまうので、少な目に装って貰うようにお願いする。
丸い皿の上には鳥肉と白豆と赤茄子を水分が無くなるまで煮込んだものに、蕩けるチーズに香辛料を振った肉、カリカリに焼かれた燻製肉に、バターの上から花の蜜をかけた平たいパンが二つ盛られている。それに飲み物とサラダとスープも持ってきてくれた。
席について暢気に食事をしているのは自分だけで、この部屋には誰も近寄らない。大方貴族のご家庭にはこのような食事が常に用意出来るような人手と食料が揃っているのだろう。
静かな空間の中で食事を終え、暇な給仕の兄ちゃんがデザートはどうですか?と聞きに来たので、果物の乗ったケーキをついつい余分に戴いてしまった。
何だか食べ過ぎたかもしれない…。すっかり重くなってしまった胃を摩りつつ、待機部屋まで戻る。近くにあった長椅子に座ろうとしていたら、黒い影と鉢合わせになった。
「あれ、昨日の…」
目の前に居る背の高い、黒尽くめで仮面を付けているという怪しい男は、昨日知り合った名前も知らないお方で、何故か一言も喋ろうとはせず、身振り手振りでの意思の疎通を図ろうとするちょっと変わった若者だ。
「……」
「あ、どうぞ、お座りになって下さい」
自分の椅子では無いが、動く様子も無かったので勧めてみた。仮面の若者はお辞儀をすると椅子の端に座る。自分もその隣に座った。
「お兄さんも勝ったんですね」
重々しく頷く仮面の若者。出場に関して余り乗り気では無いようだ。彼も上司に無理矢理出ろと言われたのだろうか。
ふと周囲を見渡せば、先ほどよりも人が増えたように感じる。しかしどこを見てもオッサン・オッサンで、フロース様の兄君らしき人の姿は無い。ユースティティア家の一族は驚くほどの美形なので、その血縁である公爵様も大層お綺麗な顔をしているのだろうと勝手に予測している。
隣に居る兄ちゃんは公爵様を会場で見かけただろうか?聞いてみたい気もしたが、意思の疎通があまり取れていないので意味が無いと思って止めた。よくよく考えれば、公爵様が一般の参加者と一緒の待機部屋に案内される訳がないかと捜索を諦める。きっと上等な一人部屋を準備されているに違いない。会えたとしても何を話していいか分からないので、偶然の出会いに期待をする事にした。
程無くして出番が近いと案内係のお姉さんに呼ばれたので、仮面さんとはここでお別れになった。
今日も何とか勝ち上がり、三日目の戦いに進める切符を手に入れた。本日の予定はこれで終わりだが、昨日勝ったことを報告に行ったらパライバ殿下に、こちらの勝負の行方は書面で届いているので、王宮まで報告に来る必要は無いと言われてしまったので、勝利の喜びを分かち合う相手も居ないまま帰宅をする事となる。
三日目も仮面の兄ちゃんは勝ち残っていて、この日は人が沢山待機部屋に人が居たので、二人で大人しく筆談をした。
ところがどっこい、周囲からの訝しげな視線を感じて、俺達は一体何をしているのだと我にかえる。
この兄ちゃんはかなり面白い人で、つい夢中になって筆談をしていたようだ。
試合が始まるからと別れたあとで、未だに名前を聞いていないことに気が付くが、この日以降待機部屋で会う機会は無かった。
◇◇◇
そんなこんなで予選の五日間、奇跡的に勝ち残ることが出来た。
その日の夜は大雨だった。この御前武道会は雨天決行という無茶な決まりがある。出来れば雨の降る中で戦いたくはない。決して濡れるのが嫌だという訳では無く、雨が降ると何故か眠気に襲われるのだ。
真っ暗な空に明日は晴れますようにと祈りを込め、寝るには少し早い時間だったが、特にすることも無かったので寝台の上に転がった。
翌日は素晴らしい晴天が広がっていた。が、最悪なことに地面は昨日の雨で泥濘となって、足元が不安定になっている。お陰で馬車も早く走れないようで、鈍足での運行となっているようだ。闘技場の地面も同様に濡れているのだろう。空が晴れただけでも感謝すべきなのかもしれないが、途端に憂鬱になる。
なんとか時間をかけて闘技場までたどり着く事が出来た。本日は最終日とあって、会場の熱気と人の数が前日の五日間の中で一番多い気がする。
待機部屋でそんなに待たないうちに開会式が始まると声が掛かった。
最終日は個人に一部屋割り当てられ、軽食も準備されていたが、緊張の為か食欲も失せている。自分も案外繊細なのだな、という新しい発見があった。
移動する間、もしかして魔術師団が会場の泥濘を綺麗にしてくれているのでは!?と微かな期待をしていたが、予想通りの雨に濡れてべっちゃべっちゃな会場へ案内された。
本選に残った五十名の騎士が現れた途端に、割れるような拍手と声援に包まれる。周りに居る騎士は近衛騎士団の総隊長や、隊員、遠征部隊で見たことのある奴も居れば、親衛隊の紳士の会の会員も何名か残っていた。その中でも長身で黒尽くめの仮面の兄ちゃんは目立っていて、すぐに見つけ出せた。出来れば対戦したくない相手の一人でもある。
貴賓席には真ん中には国王陛下が座り、その隣には王妃様が座っている。そして予選には居なかった王族も本選には観覧に来ていた。
なんと陛下の隣ではフロース様が微笑みながら観衆へ手を振っている。実の娘を座らせずに、何故フロース様があのような場所にいるのかは謎だ。
…なんだかさっきからフロース様と目が合っているような気がするのは思い過ごしだろうか。手を振るフロース様の視線は観客の方ではなく、参加者達にある。だんだんと表情が強張っているのも気のせいだろう。
フロース様からは一旦目を離し、第二貴賓席の方を見る。隣の一家はすぐに発見できた。可哀想な事に宰相様の隣で旦那さんと奥さんが顔面蒼白状態でいるようだ。アセスは元気良くこちらに向かって手を振っている。目が合うと立ち上がって両手で手を振り始め、両親に行動を諌められていた。その様子を見て噴き出しそうになるが、何とか耐える。
国王陛下の開会宣言の後、精霊教会の司祭によって一回目の試合の組み合わせが発表された。
「第七遠征師団所属、メイリー・ノースウッド!」
いきなり知り合いの名前が挙げられ、緊張が走る。メイリー・ノースウッドが所属する第七師団は俺とラウルスが在籍していた部隊だ。メイリーは第七師団の副隊長で、遠征部隊時代にお世話になった騎士の一人だった。一番注目の集まる第一試合とは絶望的にツイて無いなと同情の念を送る。
そしてメイリーの対戦相手も発表されるようだ。
「――対するは第七親衛隊所属、イグニス・パルウァエ!」
「……」
…絶望的にツイていない人物がここにも居たようだ。
観客達の期待も高まる中、俺はメイリーと睨み合っていた。
メイリー・ノースウッド。四十五歳・バツイチの独身。娘さんは美少女だが、本人は大柄で顔面は髭だらけの強面だ。訓練中、実戦中共に何度ぶっ飛ばされたか分からない。飴と鞭の使い分けが得意で、理想的な上司とは彼のような人を言うのだろう。
「何だ、しばらく合わないうちにまた若返ったのか?」
「……」
「おうい。聞こえているかえ? イグルスよお」
「若返っていません。もう三十一です。それと俺の名前はイグニスです。ラウルスと混じっています」
「うはは、そりゃ悪かった! 相方はどうした? 領主やってんだっけ?」
「今は王都に来ていますよ」
「そうかい! まあ、詳しい話は後でだな」
「ですね」
こんな粗野な言動や形をしているが、元々は伯爵家のお坊ちゃんなのだ。親衛隊に居るオッサン騎士と同じ生き物とは思えない程の荒々しさを体現している。
「両者、構え!!」
審判からの試合の始まりを告げる声が掛かった。
「この大会で優勝したらよお、母ちゃんが復縁してくれるって言ってるんだよ」
「知りませんよ、そんな個人的な事情」
「まあまあ。--大人しく負けてくれや!!」
メイリーの叫びと共に、砲身の先端から試合開始を合図する爆音が空へ放たれる。
泥の地面を先に蹴ったのはメイリーだ。大きな体からは想像も出来ないほどの速さで迫り、咆哮と共に剣を振り上げる。相手方の懐に跳び込んで豪快に斬り倒す技は、メイリーの得意な戦術の一つだ。何度も受けてきた攻撃手段だったので冷静に見極め、体を低く取って勢いを削ぎ落とすような格好を取り、向かってきた一撃を剣の峰で斬り落とす。
「チッ、一番の決め手だったんだが、効かねえか」
「何度もこの技でぶっ飛ばされましたから」
「ふうむ。そうかあ」
泥濘んだ足元は普段足場の悪い場所で戦い慣れているメイリーにとっては、不利な条件でも何でも無かった。
「今日母ちゃん来てるんだよお、頼むよ」
「知りませんよ」
このような軽口を叩いてはいるが、先ほどから押されている。剣を一撃受ける度に柄を握る手がジンジンと痺れるような感覚に苛まれていた。
――長引けば負ける。
直感的に感じていたので、距離が開いた隙にこちらから仕掛ける。片手で剣を握り、走りながら剣の平に刻まれた呪文をなぞると、剣身が烈火の如く色付く。
これは一日に一回しか使えない特別な魔術で、剣に直接刻んだ呪文に自らの魔力を流し込み、炎の力を付加させる技だ。剣は魔力によって強化され、魔術の力によって触れただけで鉄をも溶かす業火を生み出す。
これは以前ラウルスから貰った剣で、魔技工士をしている奴の叔父が作った作品だという。ちょっとした魔剣の一種だと言っていたが、実際に魔力を流して使ったのは今日が初めてだ。
泥濘んだ泥を抉って燃える剣を振り上げれば、地面を伝って炎がメイリーに向かって行く。メイリーは突如として現れた炎を斬りつけようと泥ごと大地を抉ったが、振り落とした勢いのままに空に向かって火柱が上がる。
時間切れのようで、剣から赤みが引いていったが、十分なほどに役に立ってくれた。
空高く上がった火柱を斬りつけ、視界が開いた瞬間に一気にメイリーの懐に潜り込み、間合いを詰めて踏み込んだ力を利用して相手の剣を巻き落す。メイリーの剣はくるくると宙を舞って地面に突き刺さった。
「――お前、そりゃ反則だわ」
「魔術は反則では無いですよ」
「くそ~~!! なんてこったあ!! そんなもん隠していたなんて、卑怯だぞ~~!!」
なんとか禁じ手を使いつつも勝つ事が出来た。剣術で戦うことを誉れとする騎士としては微妙にセコイ勝利かも知れないが、勝ちは勝ちだ。この一戦だけでも勝利を掴み取りたかったのだ。
貴賓席に居るアセスを見れば、席の前でぴょんぴょんと跳ね回り、喜びを全身で表していた。こちらから手を振れば、元気良く振り返してくれる。
…ちなみにフロース様の方は怖くて一度も見られなかった。




