第8話 昨日の俺 VS 今日の俺
嫁に貰ってもいいくらい――なんて篠崎さんに言ったってことか!? 昨日で初対面のはずの相手にそんなこと言ったのかよ!?
「えっと……昨日の僕、そんなこと言ったんですか?」
「お、覚えてないのか? 私に、あれだけ……」
まずい、篠崎さんがまた泣きそうになってる!
「いえいえいえ! ちょっ、ちょっと確認しただけですって!」
「なっ、ならいいんだが」
これはジリ貧だな……。なんとか誤魔化したけど、このままでは篠崎さんが勘違いしたままになってしまう。いや、勘違いさせたのは俺の方なんだけど!
とにかくだ、俺はゆうべ酒の勢いでとんでもないことを口走っていたらしい。「嫁に貰ってもいいくらい」なんて言ったってことは、それ以外にも相当いろいろ言ってそうだけど。
冷や汗が出てきた。何を言ったのかは分からんが、とりあえず確認したいことがある。ここは正直に聞いてしまおう。
「すいません、昨日の自分は結構酔っていたみたいで」
「ああ、そうだったと思う」
「ちょっと記憶があいまいな部分があるんですが、何か篠崎さんに失礼なことを言ってなかったですか?」
「失礼? そんなことは言われなかった。むしろ、その……紳士的だった」
篠崎さんはきゅうりを口に運びながら、静かに答えた。あぶねえ。礼節を重んじることを大切にしてきて良かった、と今更になって小学校の道徳の授業に感謝してみる。
だがしかし、状況は何一つ好転していない。嫁に貰っても、とか言っていたくらいだから、俺は――要するに、篠崎さんを口説いていたらしい。酔っぱらって女の子に絡むとか、自分がそんな大人になるとは想像もしたくなかった!
でもよく考えれば、篠崎さんはそんな酔っ払いをまた飲みに誘ってきたってことだもんな。少なくとも悪い印象は与えていないようだけど。
「ちょっとお聞きしたいんですけど」
「なんだ?」
「昨日の話って、その……篠崎さんは、どう思ったんですか?」
「なっ!!!?」
「ちょっ、篠崎さん!?」
篠崎さんの手から割り箸が滑り、カランと音がして床に落ちていった。
「あっ、拾いますので~」
近くを歩いていた店員がそれを拾い、去っていく。その間――篠崎さんは目を真ん丸に見開いたまま、凍り付いたように固まっていた。そんなに聞かれたくなかったことなのか?
「大丈夫ですか?」
「……」
どんどん篠崎さんの顔が赤くなっていく。本日何回目だろう。ウーロン茶しか飲んでないのにな、なんて冗談を考えていると――また店員がやってきた。
「刺身盛り合わせになりま~す!」
「あっ、ありがとうございます……でかっ!」
この値段でこの舟盛り!? マグロに、ホタテに……その他もろもろの刺身。しかも新鮮そうで生臭さはまったくない。この店に来るたびに刺身盛り合わせに驚いている気がする。
「あのっ、その話は後でいいですから。お刺身、食べましょうよ」
「そそそ、そうだな。すまない」
めっちゃ動揺しとる。なんて考えつつ、俺はテーブルの端っこに置いてあった小皿に醤油をさして、新しい割り箸と一緒に渡してあげた。
「どうぞ、使ってください」
「ありがとう。……やけに大盛りだな!?」
あっ、やっぱり驚いてる! ちょっと可愛い。
「この店はそうなんですよ。でも美味しいからペロッといけます」
「そうか。では失礼して、早速」
篠崎さんはマグロの刺身を箸でとって、醬油につけた。その上にわさびを……って、そんなに載せて大丈夫か!?
「あの、わさび――」
「んんっ!?」
「だ、大丈夫ですか!?」
口を閉じた篠崎さんが目を見開いていた。そりゃそんだけわさび食べたら辛いって!
「ほらっ、ウーロン茶飲んでください!」
「す、すまない! ごほっ、ごほっ……」
なんとか飲み込んだ後、ウーロン茶を飲んでほっと息をつく篠崎さん。その目には涙が浮かんでいるけど……多分、さっきと理由は違うと思う。
「あんなにわさび載せたら辛いですって」
「すまない、普段わさびは食べないんだ」
「えっ、じゃあどうして」
「あっ」
しまった、といった感じで口を覆う篠崎さん。何か変なことを言ったのかな? わさびを食べないからって何が問題なんだろう。俺だっていまだに山椒が苦手なのに!
「えっと……その……」
また篠崎さんが口ごもる。男勝りな口調とは裏腹に、仕草はむしろ女の子らしい。わさびを食べたら生クリームの味がしたって感じ? いや、そんなのあり得ないか――
「き、君に子どもだと思われたくなかったんだ」
「えっ?」
「君に、その……相手してもらえるような、大人になりたくて」
「じゃあ、それでわさびを?」
「……」
篠崎さんは少し涙ぐんで、静かに頷いた。……可愛すぎない? わさびを食べたら大人って思ってるうえに、俺に大人扱いされたくてわさびを食べたってこと?
「ぷっ……あっはっは!」
「な、何がおかしいんだ!?」
「いや、おかしくなんてないです! むしろ嬉しいんですよ」
「嬉しい?」
思わず吹き出してしまうと、篠崎さんは困惑した様子でこちらを見てきた。そうかそうか。この人が俺に何を思っているのかは分からない。だけど、俺がこの人に対して思ったことが一つある。
「不快に思われたら申し訳ないんですけど」
「なななな、なんだ!?」
「篠崎さんは素敵な女性だな、なんて思っただけです」
「!!!?!?」
思ったことを口にしてみると、篠崎さんの顔が爆発しそうなくらい紅潮していた。
ちょっと強引なところも、ちょっと背伸びしたがりなところも、それを表面的には覆い隠しているところも。全てが可愛らしくて、俺なんかと飲んでいるのが勿体ないと思うくらいだ。
「あの、篠崎さん?」
「今度は何だ!?」
「食べましょうよ、せっかくのお刺身ですから」
「そっ、そうだな! すまない、いただこう!」
俺が促すと、篠崎さんは再び箸を動かした。今度はわさびをつけず、存分に味わっているようだ。やれやれ、何よりだな。
しかし肝心のことは解決していない。昨日の俺が何を言ったのか、それを探る必要は依然としてある。だから――
「篠崎さん」
「なんふぁ?」
「あっ、食べながらでいいんで。この後、少しお話しませんか?」
「?」
首をかしげる篠崎さん。そう、今の俺たちに必要なことはただ一つ。
「改めて、お互いのことを知りましょう」




