第7話 昨晩の記憶
待っている人、という言葉で全てが繋がった。俺は一人で飲んでいたはずなのに、どうして篠崎さんが「ゆうべはとても楽しかった」と言ったのか。その答えが徐々に導き出されていく。……まずい、まずいぞ。
「……あの、今さら申し訳ないんですが」
「なんだ?」
「僕って、ゆうべあなたと飲んでいたんですよね?」
「何を言っている? 最初からそう言っているではないか」
「ですよね~……」
やっぱり俺、篠崎さんと飲んでいたみたいだなあ……。思わず、文字通り頭を抱えて俯いてしまう。
待っている人がいる、というのは飲み会のときに俺が仲間内でよく使うフレーズなのだ。明日は朝から講義があるから帰る、というのを「待っている人(すなわち一限の教員)がいる」というふうに言い換えただけの言葉遊び。
「どうかしたのか?」
「い、いえ! なんでもないです」
篠崎さんは心配そうに俺の顔を見ていた。まずい、とにかく説明しなければ。
落ち着こう、いったん状況を整理しよう。俺はドタキャンされた腹いせに酒を飲みまくって、記憶を失うほど酔っぱらっていた。どういうわけか篠崎さんがその場にいて、一緒に飲んだ。
そして恐らく、酔っぱらっていた俺はつい癖で「待っている人がいる」という意味深なフレーズを残してその場を去った。その言葉が気になったから、篠崎さんが恋人の有無なんかを聞いてきた――というわけか。
ここで極めて重要な問題がある。ゆうべの俺は……|篠崎さんに何を言ったんだ《・・・・・・・・・・・・》?
ものすごくまずいのだが、俺は本当にゆうべのことを覚えていない。篠崎さんのような美人と会ったことすら忘れていたのだから、会話の中身など頭に残っているはずもないのだ。……とりあえず「待っている人」の話をするか。
「えっと、まず『待っている人』のことなんですけど」
「あ、ああ」
篠崎さんは再び姿勢を正し、こちらの話に耳を傾けていた。すごく背筋が伸びてるな、などと思ったがそれどころではない!
「説明しにくいんですが……それって、僕が飲み仲間によく使う言葉なんですよ」
「ん? どういうことだ?」
「隠語――というのは変ですね、言葉遊びとでも思ってください。要するに、その言葉に変な意味はなくて、僕を自宅で待つ人は残念ながら存在しないということです」
「そ、そうなのか? そうか、昨日からずっと気になっていたんだ。恋人か細君が君を待っているのではないかと」
「いえいえ! そんなわけないです!」
慌てて手を振って否定する。まずひとつ誤解を解くことに成功したわけだが――肝心の話がまだだ。まずい、本当にまずい。いったい、俺はこの美人に何を言ったんだ?
「きゅうりの漬物、お待たせしました~」
「あっ、ありがとうございます」
おっと、ちょうど良いところに。輪切りになったきゅうりの載った皿が、店員によってトレーから下ろされる。
「と、とりあえずつまみましょうよ! お箸どうぞ」
「すまない、感謝する」
端っこに置かれたケースから割り箸を取り出して、取り皿と一緒に篠崎さんに手渡した。よしよし、とりあえずきゅうりで時間を稼ごう。食べている間に、なんとか昨日のことを思い出して――
「き、君は料理の出来る女性の方が好みなんだろうか?」
「……へっ?」
箸を運ぶ手を止めて、篠崎さんが問いかけてきた。もじもじと口ごもっており、また顔を赤くしている。……今度は何の話だろう?
「酒肴を作るのは不得手なんだが……それでもいいだろうか?」
「ちょっ、ちょっと何の話ですか?」
待て待て待て待て、何の話をしている!? 女性の好み? それがいったい――
「『嫁に貰ってもいいくらい』と私に言ったのは、君ではないか……」
「!!!!??!!?」
なんでなんでなんで!? 昨日の俺、本当に何を言ったんだ……!?
無い記憶を辿る俺と、頬を赤らめてちらちらとこちらを見る篠崎さん。ああ、助けてくれ。誰か、このカオスな空間の意味を――俺に教えてくれ!!




