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居酒屋で記憶をなくしてから、大学の美少女からやたらと飲みに誘われるようになった件について  作者: 古野ジョン


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第47話 寄り道

 タクシーの後部座席にて、トランクに車椅子を積みに行った運転手さんが戻ってくるのを待つ。今日の朝十時、運転手さんが車椅子と共に部屋まで迎えに来てくれた。それに乗ってマンションの下まで向かい、タクシーに乗り換えたというわけだ。


 車椅子を、なんて話を聞いていたから、てっきり介護タクシーでも来るのかと思っていたけど……普通の車両だ。ちょっと歩くだけなら可能だから、別に問題はないけど。


「お待たせしました」


 ドアの開く音が聞こえると、運転手さんが乗り込んできた。五十代くらいに見えるし、ベテランの人なのかな。父親が懇意にしているタクシー会社って聞いたから、特別に配慮してもらったのかもしれない。


「それでは出発いたします。ご自宅でよろしかったですね?」


 ルームミラーを調整しながら、運転手さんが俺に尋ねてきた。「ご自宅」の住所が伝わっているあたり、本当にうちの父親はお得意様なんだな。……って、今はその話じゃない。俺にはもっと重要な用事がある。


「お願いします。ところで、どの道を通りますか?」

「ええと……西道路を抜けまして、東北道で古川まで向かう予定でございます」

「45号線を通っていただけませんか?」

「45号線? 下道ということでしたら、もっと近いルートが……」

「いえ、45号でお願いします。寄りたいところがあるんです」

「と、申しますと?」


 今の俺は歩くことすらままならない状態。会えば驚かせるかもしれないし、不安にさせてしまうかもしれない。それでも、あんなデートの終わり方をして……夏織さんに直接会わないまま実家に帰るのは気が引ける。だから――


「松島を通っていただけますか」


 自分なりに、精一杯やろうと思ったのだ。


***


「夏織ー、こっちこっちー!」


 坂道の先に立つ桜が、こちらに向かって大きく手を振っていた。靴紐を結び直していた私は、再び身体を起こして歩き出す。松島海岸という駅に着いてから、木々に囲まれた道をずっと歩きっぱなしだ。今日は朝から曇っていて、空気もジメジメとしている。


「桜、私たちはどこに向かっているんだ?」

「展望台! すっごく景色が良いんだって!」

「桜、松島に来たことがあるのか?」

「いや、ないけど……。と、友達に教えてもらったの!」


 桜は慌てたような素振りを見せた。昨日の夜、急に桜から「松島に行かないか」と誘いを受けた。怜と行く約束をしていたから、どうするか迷ったが……桜なりに私を励まそうとしてくれているのだと思って、誘いに乗った。


 だが、今日の桜はなんだか挙動不審だ。一緒に出掛けると、いつもは「いんすたばえ」の店とか流行りの喫茶店とかに行くことが多いのだが。こんな山道を歩いて展望台に行くなど、あまり桜らしくない行動に思える。


「桜、今日はどうしたんだ?」

「えっ!?」

「誘ってくれたのは嬉しいが、行先が松島というのは桜らしくないと思ったんだ」

「べっ、別にいいじゃん! せっかく宮城に住んでるんだから、一回くらい行ってみたかったの!」


 桜はそっぽを向いてしまった。たしかに、私も同じようなことを思っていたから……別に不自然ではないか。いや、桜はせっかく私のために誘ってくれたんだ。変に勘ぐるのも失礼な話だし、やめておこう。


 そういえば、今日は土曜日か。怜は週末に実家に帰ると言っていたな。水族館に一緒に行ってからちょうど一週間が経ったのか。……まさか、あれから一度も会えないとは思わなかった。


「ねえ、夏織?」

「なっ、なんだ!?」

「ぼーっとしてたから。怜くんのこと考えてたでしょー?」

「何を言う!? 私は、私は……!」

「好きって認めたんだから観念しなさいって!」


 近くを歩く桜がけらけらと笑う。恋をする人間がこんなに弱いということは、怜を好きになるまで知らなかった。


 もちろん怜が体調を崩していることは理解している。……理解しているつもりなのに、彼に会いたいという気持ちを止めることが出来ない。あと一か月も会えないなんて、私にはとても耐えられない気がする。


 怜は実家に帰っても私のことを忘れないでいてくれるだろうか。彼もまた、私に会いたいと思ってくれているのだろうか。他人の気持ちなど知る手段もないのに、それでも怜の気持ちを知りたいと思う自分がいた。


 君はどこにいて、何を思う? 怜、どうか教えてくれないか。そして、恋を知らなかった私を導いてくれないだろうか。随分と自分勝手な願いだが、怜が応えてくれるならそれ以上は望まない。


「夏織」

「ん?」


 山道を登り終え、公園のような開けた場所に着くと、桜が私の名を呼んできた。しばらく黙り込んでいたが……呟くようにして、桜が言葉を紡ぐ。


「……怜くんのこと、信じてあげてね」

「怜? なんで、怜が――」

「あ~、私お手洗い行ってくる! 夏織っ、先に展望台登ってて!」

「さ、桜?」

「ほらっ、すぐそこだから先に行ってってば! じゃあねっ!」


 桜は展望台の方向を指さした後、トイレと書かれた方向に走り去ってしまった。一瞬の出来事だったから、桜を追いかけることすら出来なかった。


 展望台の方を見てみる。どうやら緩い坂道みたいだな。ここで待っていてもいいが……桜が先に行けと言っていたからな。はぐれても困るし、展望台で待つとしようか。


 一人、坂道に足を踏み入れる。夏らしく木々が生い茂っていて、先の様子はあまり見えない。少しずつ、少しずつ坂を登っていく。


 おお、だんだん松島の景色が見え始めた。海に島々が浮かぶ様はまるで絵画のようだ。あいにくの曇り空だが、やはり松尾芭蕉が感動したというだけはあって綺麗だ。


 ……桜には申し訳ないけれど、正直に言えば怜と一緒に見たかった。こんな景色を二人で眺めることが出来れば、どんなに幸せなことだっただろう――


「おや?」


 展望台に先客がいるようだ。車椅子に乗った男の人。背格好は若者に見えるが……夏だというのに長袖を着ているのか。その人は座ったままでじっと景色を眺めている。


 ……ふと、想い人の面影を見た気がした。髪型や体格がどことなく怜に似ている。共に松島に行きたかったと思うがあまり、幻影を見ているのかもしれないな。


 怜への想いばかり心に浮かんで、なんとなく恥ずかしくなってしまった。自分の頬をかきながら、展望台の中央へと向かっていく。怜は体調が悪くて実家に帰るんだ。こんな場所にいるはずが――


「お待ちしていました」

「……馬鹿な」


 思わず自分の目を疑った。私の足音に気づき、車椅子に乗ったままこちらに振り向いたその男。少しこけた頬を緩ませ、私に微笑む。何度も夢に見た笑顔だった。


 ずっと会いたかった。恋焦がれるという言葉を知るには十分すぎる一週間だった。もう二度と会えないかもしれないと泣いた日もあった。それでも――


「お久しぶりです、夏織さん」


 私の好きな人は、私に会いに来てくれたのだ。

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