第29話 背伸び
さっきの場所を後にして、大小様々な水槽のあるエリアにやってきた。いろいろな魚が展示されていて、見ているだけでも楽しめる。
「結構混んでいるんだな」
「ですね」
さっきは気がつかなかったけど、思ったよりも人が多いな。ガラスにかぶりつくようにして魚を見ている子どもたちと、親と思われる大人たち。俺と夏織さんはその隙間から覗き見ている感じだ。
「夏織さん、見えます?」
「大丈夫だ」
そっと背伸びをする夏織さんの足元を見てみる。スニーカーを履いているんだな。別に厚底ってわけでもないのに、やっぱりこの人は背が高い。
「あっ」
「ん?」
夏織さんが小さく声をあげた。その視線の先には一組の親子連れ。一、二歳くらいの男の子が、父親と思しき人に肩車されている。なかなか平和的光景だな。
「れ、怜」
「なんですか?」
「やっぱり、人が邪魔で見えないのだが……」
「?」
何が言いたいんだろう? わざとらしく背伸びをしたり、きょろきょろしたりする夏織さん。見えないなら、もっと前に進ませてもらうか。
「夏織さん、見えないならもっと前行きます?」
「そっ、そうじゃなくてだな!」
「?」
「その、見えるように手伝ってほしいというか……えっと……」
手伝うって何だ? やっぱりもっと前に行かせてほしいってこと? 遠慮して割り込みにくいのかな。
「大丈夫ですか? 別に、声かけて割り込ませてもらえば――」
「だ、だから! ああいう風に――」
夏織さんは改めて例の親子連れに視線を向けた。……えっと? 俺に肩車をしろと仰っているのですか、夏織さん?
「あの、夏織さん」
「なんだ? 準備はいつでもいいぞ」
「そうじゃなくてですね!」
身構えるな夏織さん! なぜ俺の肩に乗る姿勢をとっているんだ!?
「天井に頭ぶつけますよ!?」
「別に、私がしゃがめば問題ないだろう?」
「っていうか肩車なんかしたら周りの邪魔ですから!」
「しかし、見えないのだから仕方あるまい」
「とにかく駄目ですって! 肩車は!」
「だ、駄目なのか……」
そんなに露骨にしょぼくれないで! なんか俺が悪いみたいになってる!
「あー、あの人女の子泣かせてる」
「ひどい男~」
どこのギャルどもですか誤解しているのは!? っていうか泣かせてはないし! しょぼんってさせてるだけだし!
「そうか……私は肩車してもらえないのか……」
いやなんでそんなに落ち込んでるのさ!? 女の子ってそんなに肩車に憧れがあるものなの!? 野郎には分からない話なのかな! ……もう知らん!
「夏織さん!」
「れ、怜!?」
居ても立っても居られず、夏織さんの手を掴んで人ごみを抜け出す。ちょっと暗くて人の目が少ない場所。ここだ、ここしかない!
「ど、どうしたんだ怜!?」
戸惑う夏織さん。よく考えれば、この人に「攻められた」ことはあっても「攻めた」ことはあまりなかった気がする。だったら――
「さあ、乗ってください夏織さん!」
「……へっ?」
「乗らないんですか夏織さん!? 肩車しないんですか!?」
「や、その……」
さっきまではあれだけ乗り気だったのに、夏織さんはもじもじとするばかりで、急に黙り込んでしまった。可愛い。
「は、恥ずかしいじゃないか……」
夏織さんが完全にそっぽを向いてしまったので、俺は再び立ち上がった。さてさて、さっきよりさらに混んできたからな。そろそろ出るとしようか。……けど、その前に。
「夏織さん」
「ふぇっ?」
普段の凛とした夏織さんからは想像もつかない、不意を突かれたような声。さらに追い打ちをかけるように――一言。
「夏織さんって、可愛いですね」
「……そ、そんなことを軽率に言うものではない!」
むっと頬を膨らませて、夏織さんが俺のことを軽く小突いた。ああ、本当に可愛いな。こんな夏織さんとデートしているなんて――それだけでも、俺は幸せ者だなあ。
背中をぽこぽこと叩かれながら、ゆっくりと歩き出した俺であった。




