第20話 肉が多すぎる
最初のスペアリブが来てからというもの、次々に店員が新たな肉を持って来てくれるのだが――
「お待たせしました、こちらイチボです!」
「ありがとう」
「ありがとうございます……うっぷ」
多すぎねえか!? さっきから俺の皿に肉の塊が溜まっていく一方なんだけど!?
「イチボとは何だろうか?」
「う、牛のお尻だと思いますよ……うっぷ」
「怜は物知りだな、流石だ」
いま褒められてもまったく嬉しくないっ! っていうかなんで夏織さんは飄々としてるんだ!?
「怜、食べないのか? ソースが足りないのか?」
「あっ、ありがとうございます……」
夏織さん、そんなに皿にソースを足されても困ります! というか冷静に考えてビールなんか飲まなきゃよかった! 炭酸で腹パンパンだわ!
俺が苦しんでいる一方で、夏織さんは器用にナイフで肉を切り分けて、フォークを使って口に運んでいた。華麗、とも言えるほど優雅な所作。やはりお嬢様なんだということを実感させられる。
「うん、美味いぞ! イチボは気に入った!」
しっかり噛んでから、目を丸くして口元を抑える夏織さん。いや、美味いことは間違いないんだよな。こんなにたくさんの肉に囲まれて、すごく幸せそうだ。可愛い。
さっきまでの夏織さんは……随分と積極的だった。別に嫌だったわけじゃない。こんな美人に迫られて嫌な男などいないっ!
けど、どこか違和感もあった。いつもと違う自分を装って、無理をしているような感じ。いま目の前で肉を頬張る夏織さんは、俺の知っている夏織さんで安心する。……それにしても、よく食べるな。
「夏織さん、よくそんなに食べられますね」
「? 別に、普通だろう。高校の頃はもっと食べていた」
「何か運動でも?」
「ああ、ずっと弓道をしていたんだ」
へえー、弓道か。弓道に食トレが必要なのかは知らないけど、とにかく運動部ってことはたしかなわけだな。それなら納得かも。
「怜、もしかしてお腹がいっぱいなのか?」
「いえ、大丈夫です! 食べますから」
「そ、そうか」
夏織さんはじっと俺の皿を見つめていた。……俺の腹を心配しているんじゃなくて、単純に食べ足りないだけじゃないだろうな。
とにかく、少しでも食べ進めるとするか。ソースをかけて味変して、さっそくイチボを……
「おっ」
口に含んでみると、たしかに美味しい。柔らかくて、ほのかにしみ出る肉汁にうまみが濃縮されている。夏織さんがあんなに目を輝かせていた理由が分かるってもんだな。
「ん」
「どうかしました?」
夏織さんが俺の顔を見つめていた。じっと一点を見て……何か顔についているのかな?
「ほっぺにソースがついているぞ」
「え、本当ですか?」
顔に何かついてますか、で本当についていることってあるんだな。とにかく拭かないと、紙ナプキンは――
「じっとしてろ、怜!」
「!?」
何!? 虫でも仕留めるの夏織さん!? ……なんて思っているうちに、柔らかな指が俺の頬を撫でた。
「ほら、ついていただろう?」
「ほ、本当ですね」
夏織さんはソースのついた指を見せてくれた。……いや、疑ってはないんだけど! 蚊を叩くわけじゃないんだからさ!
「……」
「夏織さん?」
指をじっと見て、何かを考えている夏織さん。ちょっと……待ってくれよ。まさか舐めるんじゃないだろうな? 恋人がよくやるアレをするつもりじゃないだろうな?
「怜」
「はいっ!?」
「恋人なら、こういう時に指を舐めると聞いたのだが……」
「誰から聞いたんですか!?」
「舐めていいだろうか?」
やけに真剣な表情でこっちを見ないでください! なんでこういう時に限って真面目な顔なの!? もっとこう、頬を赤らめるとかあるんじゃないのか!?
「そんなこと確認しないでくださ――」
慌てて止めようとした、刹那。
「は~い、拭いときますね~」
「「!?」」
横から現れた店員が――手に持ったお手拭きで、夏織さんの指を拭ってしまった。俺たちは呆気に取られて、互いの目を見つめ合ってしまう。……そんなのアリか!?
「怜」
「は、はい?」
今度は何だ!?
「この店は……愉快だな」
真面目な顔で言い放つ夏織さん。この光景は……シュールとしか言いようがない。まあ、実際に愉快な店ではある。
そういや、そもそも白兎はどうしてシュラスコを勧めてきたんだろう。そりゃ面白い店ではあるけど、他にも選択肢はいくらでもある。
「夏織さん、白兎さんはどうしてこの店を勧めてきたんですか?」
「ああ、それは……君に肉を食べて欲しかったからだ」
「ん、どういうことです?」
俺に肉を食べて欲しいって、何のことだろう? なんて思っていると、夏織さんは首をかしげて――一言。
「桜は、怜に元気になってほしいそうだ」
「へっ?」
「怜が元気になれば、後は全部うまくいくって。どういう意味なんだろうな?」
夏織さんは疑問符を浮かべながら、ウーロン茶を口に含む。……あの女、夏織さんに何を吹き込みやがったんだ!?
「えっと……」
「どうした?」
「このお肉、食べませんか?」
「いいのか!? じゃあ、早速いただこう!」
俺の皿に残っていた肉を差し出すと、夏織さんは再び目を輝かせていた。俺は苦笑いを浮かべながら、この後について頭を悩ませていた――




