届いた手。そして溢れそうな。
私にはあまり、似てないな。今回のカケラは。
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十数メートル吹き飛んだその巨体が地面でうねる。痛みにもがいているようだ。まだ再生が完全ではなかったのだろう。その体は所々がゲル状に爛れ落ちている。
ヤツの巨体を吹き飛ばした数千の木の根たちは巻き戻しされた映像のように、みるみるうちに地面に戻っていく。
残るのは木の根が開けたボコボコの穴だけだ。
耳の化け物がその四本の足で再び立ち上がろうとして、そのままがくりと崩れた。
ヤツにとっても賭けだったのだろうか。自らの身体が万全ではないだろう状態での奇襲は、なんなく樹心限界により防がれた。
「流石、ニン…… いえ、やるわね日本人」
彼女が瞳を爛々と輝かせながらゆっくりとした口調で話しかけてきた。まるで興奮を押し殺しているかのように。
俺は、適当に返事を濁す。
いや、なんだよ今の?
力が、力が爆発したみたいだ。初めて乗る大排気量の車で軽くアクセルを踏んだつもりが想像以上にスピードを出しすぎてしまった時のような、圧倒的な力の容量。
これが、あの声が言った拝領の効果なのか?
だとするのなら、俺が今まで扱っていたこの木の根を操る力、樹心限界はその真価の半分も扱えていなかった。灰色の荒地や、大森林で力を使っていた時よりも遥かに、力が馴染んでいる。
しかも、力を使った時の脱力感がまるでない。むしろ調子が良くなっているような…… 息が軽く、視界がクリアになった気がする。ズレていた何かが徐々に合ってきているような、とにかくこの感覚は今までにない。
これが、特別。これが凡そから外れるという事なのか。
自然に俺は唇が笑顔の形に歪んでいることに気付いた。
何でも出来る。今なら、今の俺ならば出来ない事はない。そんな万能感が身体に満ち満ちている。
負けるわけがない! あの化け物が相手だろうとなんだろうと、こんな力があるのなら負けるわけがない。
今度こそ、今度こそあの化け物の命に届く。いや届かせる。
この、俺の力と、目の前の英雄の力を合わせれば
耳を、狩れる。
その為にニンジャやらニンポーやらはもう、仕方ないがこの際どうでもいい。このまま勘違いしてくれている方が思い通りに進みそうだ。明らかに彼女の態度が軟化している。
「なあ、今の力についてなんだがーー」
バッと目の前に突き付けられた手のひらにより俺の言葉は遮られた。言葉に詰まったそんな俺の様子を見て彼女はゆっくり、ゆっくりと力強く頷いた。
「大丈夫よ。誰にも言わないわ。正体がバレたニンジャはトウリョウに処分されちゃうしね。アタシは大丈夫だから」
ウフフと笑い出さんばかりの様子だ。何が彼女のツボに触れたのかは分からない。
でも、今なら。
俺は咳払いしつつ彼女に話しかけた。
「なあ、聞いてくれ。指定探索者」
彼女の碧眼を見つめる。見慣れたのだろうか? あの圧倒されそうな大いなるものをその碧眼から感じなくなっていた。
彼女が黙ってこちらを見つめる。聞いてくれるのだろう。
「頼む、俺も、俺も一緒に戦わせてくれ。今の俺は、戦う事が出来るんだ」
彼女はじぃとこちらを見つめている。俺は言葉を続ける。
「アンタが一緒なら、52番目の星が一緒なら今度こそあの耳の化け物を狩れる、倒せるんだ」
彼女が静かに、瞬きを一度。
「……死ぬかもしれないわ。日本人、あなた死ぬってどういう事が本当に分かってる?」
彼女が、静かに呟いた。早朝の湖畔に浮かぶ水紋のようなつぶやき。
「終わるの。あなたが今まで積み上げてきたもの。感じたもの、手にしたもの、大切なもの。それら全てが一斉に終わるのよ。もう二度と戻らない、本当に取り返しのつかないことなの」
幼子に言い聞かせるような声色で彼女は話す。やはり、彼女はいい奴なのだろう。
「アンタの言う通りだ。死んだら終わりだ。何もかもが、簡単に、それこそ呆気なく終わる。そこに何の意味もなくとも、人は簡単に死んでしまう」
瞼の奥に、耳の犠牲になった二人の顔が思い浮かぶ。彼らの死に意味があろうとなかろうと、その最期は幸せなものではなかった。
「それが分かってるなら……」
「だが」
彼女の言葉を遮る。
「俺はまだ生きている。生きているんだ。まだ死んじゃあいない。生きている人間が、生きる事が出来ている人間が、アレを何とかしなくちゃならない」
俺たちの目の前で、ほんの十メートル程先で、耳の化け物の身体から水音が、ボコりと鳴った。深海のヘドロが弾けたようなその不快な水音は、その時が近い事を示している。
「俺は、生きて帰る。アレを殺して、生きる。それにはアンタの力が必要なんだ。俺一人じゃあ勝てない」
「凡人の力ではダメだった。湧いた奇跡でもダメだった。兵士でもダメだった。怪物でもダメだった、そして、英雄でもダメだった」
「だが、英雄と凡人と奇跡ならどうだ? まだこれは試していない。試す価値はあるはずだ」
「それに、アンタだってわかってるはずだ。一人じゃあ死ぬと。武器もなく、体力を消耗したアンタだけじゃあ死ぬと」
彼女の目つきが再び鋭くなる。機嫌を損ねたかも知れない。
「アタシの為って言う気なのかしら」
忍者熱が一気に冷めた。
言葉に温度があるとしたらこれはきっと氷点下だろう。だが、もうビビってる時間はない。
彼女に上っ面の言葉は必要ない。
思い出せ。俺の原点を、何も出来ないのはもう嫌だろう?
「違う。いいか、よく聞いてくれ。俺は今から割と最低な事を言うぞ」
肺が膨らむ。
「俺の為だ。俺は俺の為にアレを倒したい。今日という最悪の一日の原因であるアレをぶっ殺してやりたい。あんな恐ろしいのが生きている事が許せない、俺は、俺の安心の為に、俺の人生の幸せの為にヤツを殺す」
ふうん、と彼女が呟いた。少しだけ、機嫌が治ったようにも見える。
「そうね、それは賛成。でもだったらそれはあなたがしなくてもいいはず、アタシがあの耳の化け物を殺してもいいんじゃないの?」
彼女が静かな口調で俺に問う。その問いに対する答えを俺は持っている。
「いいや、それじゃあダメだ。アンタを置いていかないのも俺の為だ。誰かを犠牲にして生きるのが、ダサいってのもある、あるがそれだけじゃあない」
「へえ、理由を聞かせてくれる?」
「ああ、もちろん。簡単だ、アンタを置いて生き残った後が怖い!」
彼女の碧い瞳がおおきく開かれた。ぱちり、ぱちりと二度瞬きをする。
もう知らねえ、いいたいこと全部言ってやる。
「アンタは超有名人だ。どう考えてもアンタの偉業は教科書に載る! むしろ、もう載ってるだろ! そんな世界の英雄、文字通りのスターを見殺しにしておめおめ帰れるわけないだろうが! 」
「社会的に死ぬわ! 日本人の世間体に対する信仰なめんなよ!」
息継ぎもなしに、叫ぶ。まだだ。まだ持てよ、俺の肺。
「だから、 俺はこのままじゃあ救われないんだ! 頼むよ、俺を救ってくれ。俺と一緒に戦うことで俺を救ってくれ。」
「頼む、この通りだ」
腰を直角に曲げてお辞儀をする。染み付いた癖はなかなか抜ける事はない。
十秒か、二十秒か、それ以上か。時間の感覚が吹き飛んだ中、俺は頭を下げ続けていた。
手刀が再び飛んでくることはなかった。沈黙だけが降り積もり、おれの後頭部に堆積していく。
ダメか……?
おれはぐっと目を瞑り、もう一度彼女を説得しようと頭を上げーー
「はああああ……。日本人は皆、謙虚で物分かりがいいって聞いてたけど、国民性の話とかってホント、あてにならないものね」
彼女の呆れたような声が聞こえた。呆れた、でもそれでいて今まで聞いた彼女の声の中で一番暖かな声。
「顔を上げてちょうだい、日本人。あなたの勝ちよ。いいわ、今度こそ本当に、戦いましょう、二人でね」
顔を上げる、そこには眉尻を下げて怪訝そうな、それでいて少し、ほんの少しだけ嬉しそうな彼女の顔と、差し伸ばされた右手があった。その手は柔らかく開かれていて手刀の形ではなく、握手の形をしていて。
「この手を握る前にもう一度よく考えて、日本人。握れば最後、あなたはもうこの戦いから逃げることはーー」
がっちり。彼女が言い切る前に、おれは差し伸ばされた手を掴む。柔らかく、それでいて一定の硬さを持つその手は戦う人間の手のひらだ。
あのとき、掴めなかった手を今度こそやっと掴む事が出来た。
掴んだ手をパッと離し、俺は足元に置いてあった黒い端末を拾い上げる。
彼女に向かって、それを差し出す。ぱちりと彼女がそれを受け取り、ポケットに収める。
彼女の顔が、くしゃりと笑顔に。今度こそ彼女が笑った。
花が目の前で咲いたのかと思った。
「ホント、あなた変わってるわね」
そんな彼女の言葉に何かを返そうとして。
ボゴオリ、ゲオア。
不快な水音。トイレが逆流したような、誰かが目の前で嘔吐したような。そんな音が大草原を濡らすように響き渡る。
俺たちはその音の方向を向く。
倒れ伏している耳の化け物。その場から動いてはいない。
だが、その身体からまた無数の腕が生えていて、それはすでに伸びている、
真上に伸びたそれは、隕石群のように一直線に俺たちの方へ迫っていた。
水音をならせながら。
「避けて!」
彼女がまた俺の方へ、また庇うように。彼女の手には槍はない。あの腕を弾く事は出来ない。
だが、俺の心を占めていたのは焦りでも恐怖でもない。
酔いにより茹る脳みその中に、重い毒ガスのように充満していたのは。
今。
今、
今、とてもいいところだったんだけどよおおおおお。
「クソ耳があああああ!!」
叫。
怒り。
それらをマスターキーとして、俺の力が、腕の奇跡が発動する。それは木を毟り、木を尖らせ、木を征服する物語の再現にして拡大解釈。その力の前に木は平服し、頭を垂れる。
足元から無数の木の根が一直線に伸びる。迎撃ミサイルのように伸びた木の根は複雑、それでいて機械的な軌道を描きながら、降りかかる無数の耳の腕を、捉え、貫き、あるいは搦めとり。
その悉くを打ち払った。
「さっきから、いいところで邪魔してきやがって。貴様のそういうところが昔から気にいらなかったのだ!」
怒り。俺の脳みそが、心が怒りで染まる。あまりにも強いこの感情はまるで、俺一人の感情ではないようにも感じた。
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