閑話 クルスとレディ
――王都近郊。
王女付きの執事であるクルスと、謎の貴族令嬢は特に問題もなく王都を出ることができた。
認識阻害の術式のおかげか、あるいは商会長であるガルの顔が広かったおかげか。それはクルスには分からない。
ほっと一息ついてからクルスは馬車から顔を出し、御者席にいるガルに問いかけた。
「商会長。王太子からの呼び出しがあったのでしょう? 王都から出て良かったのですか?」
王女付きの執事であれば王族に対する礼儀は叩き込まれているはず。だというのに『王太子』と呼び捨てにしてしまうクルスだった。是非も無し。
そんな彼の態度がおかしいのかガルはククッと笑いながら答える。
「なぁに、気にするな。どうせ金を貸してくれって話だろうからな」
「金……。王太子はそんなにお金がないのですか?」
「そりゃないだろうさ。金庫番はこの馬車を使って逃がしてやったんだから。ははっ、宝物庫の前で歯がみするあのバカの姿が目に浮かぶようだぜ!」
「き、金庫番を……?」
王城の金庫番はクルスでも誰かは知らない。誘拐や脅迫などの被害を防ぐため非公開となっているためだ。普段は別の役人として城で働いているはずだ。
金庫番を逃がしたのは国王陛下だろうが、となるとこのガルという男は王女殿下だけではなく国王陛下からも厚い信頼を得ていることになる。いや、そもそも国王陛下はこのような事態を予測して金庫番を逃がしていたとでも……?
(……あの国王陛下だしなぁ)
納得するしかないクルスだった。
なので気になるのは別の点だ。
「いや、金庫番がいなくて、この国は大丈夫なのですか?」
「もう今年の予算は各所に配分済みだからな。今年中は平気だろう。ま、逆に言うとアレは来年の予算編成までは持たないというのが陛下の判断だ」
「はぁ……」
なんだかとんでもないことになっているなと苦笑するしかないクルスだった。
「それで王太子は商会に金の無心を……」
「おうよ。どうせ王室予算を気前よく使いすぎたんだな。さすがに王太子から頼まれちゃあ金を貸すしかないが、そうなると国王陛下がお戻りになったとき『ガルタス商会の商会長は反逆者に資金援助していた!』と周りの貴族共から批判されるからな。そのときに『商会長は不在だったため、副商会長が勝手な判断を』と言い訳ができる状況にしておかなきゃいけねぇのさ」
「……それは、副商会長が責任を負わなければならないのでは?」
「だが、俺が出て行ってしまうと商会そのものが取りつぶしになるかもしれねぇからな。副商会長には責任を負わせて一旦はクビにしなきゃいけねぇが、それで話は収まる。そういう風に話は付いている。あとはほとぼりが冷めた頃に栄転させてやればいい」
「はぁ」
副商会長以上の栄転とは? と疑問に思うクルスだが、口にはしなかった。クルスには商人の栄転がどういうものか理解できないだろうからだ。
まったくややこしいことになっているなとクルスがため息をつくと、
「いや、まったくややこしいことになっているね」
まるでクルスの心を読んだかのように苦笑する貴族令嬢だった。
ガルは御者席で馬を操っているので、馬車の中にいるのはクルスとご令嬢だけだ。ここは暇つぶしも兼ねて会話をするべきなのだろうが……問題は、クルスがまだご令嬢の名前を思い出せていないことだ。
何と呼ぶべきか。『ご令嬢』というのは仰々しすぎる気がするし……。
悩んだクルスは一番当たり障りのないものを使うことにした。
「レディはこれからどこに向かうのですか?」
「……あははっ! レディか! それはいい! 気に入ったよクルスさん!」
なぜか涙を流すほどに笑うレディであった。クルスとしては何か間違ったかなと不安になってしまう。
「いや、いや、高位貴族の娘をレディと呼ぶのは何の問題もないよ。でも、レディか。なんだかクルスさんからそう呼ばれると笑えてくるね」
「なぜ?」
「なぜって、そりゃあ……真面目くさった人間が、真面目な顔で『レディ』って。く、くく……」
「…………」
笑われるのは心外なクルスだが、誰もが振り返る美少女が相手だと怒る気も失せてしまうのが不思議だった。
「……レディはずいぶんと貴族らしくない口調ですね?」
笑われた意趣返しも兼ねて、そんなことを口にするクルスだった。
「ははは、よく言われるよ。まぁそれは趣味の影響が少し出てしまっているのかもしれないね」
「…………」
いや『少し』どころじゃないだろう。というツッコミは飲み込んだクルスだ。
「趣味、ですか?」
「うん。演劇鑑賞が趣味でねぇ。少々わざとらしいというか、演技っぽい口調になっているかもしれないね」
いや『少々』どころじゃないだろうという以下略。
「私の兄はよく物語を語ってくれてね。たぶん自作のものだったが、お姉様と毎回楽しみにしていたんだ。その影響で私もお姉様も演劇が大好きになってしまったのさ! まぁそのおかげでお義姉様含め色々な人と仲良くなれたし、感謝しているさ」
まるで演劇のように。左手を胸に当て右手を掲げるレディであった。
そんな彼女をちょっと白けた目で見るクルス。
彼からの冷たい視線に気づいたのかレディがコホンと咳払いを。
「おっと失礼。どこに向かうか、だったよね? ちょっと魔の森へ行こうと思っているんだ」
「……魔の森ですか?」
クルスが今向かおうとしている場所。近衛騎士団のアークがいるであろう場所。……彼の性格からして、追放されたご令嬢方を放っておけるはずがない。今も魔の森でご令嬢たちと行動を共にしているはずだ。
(しかし、魔の森に?)
強力な魔物が跋扈し、騎士団が戦闘訓練に使うような場所。さらにはドラゴンまでいるという噂もある。……というよりも、ドラゴンがまだ出てくるかもしれないから『元勇者』の率いる近衛師団が定期的に訓練をして、観測をしていたのだ。
ドラゴンの有無はともかく、貴族令嬢がわざわざ向かうような場所だとは思えない。
「なぜ、魔の森に?」
「そうだねぇ」
なぜだか、にやりと笑うレディ。
「――とにかく女性に甘い男性がいてね」
「はぁ?」
「これが男だったら、たとえ実の弟だろうが「自分で何とかしろよ」と放り出すような鬼畜なのだけど……困っている女性がいたら利益度外視で助けてくれる。そんな『女たらし』がいるんだよ」
「…………」
女性に甘い。
利益度外視で助けてくれる。
女たらし。
アーク殿のことだな、と確信してしまうクルスだった。それだけアークの『女たらし』は有名なのだ。
そしてきっと。このレディもたらされていて……。
…………。
なぜだろう?
なぜか、面白くないクルスだった。
「恋人なのですか?」
少しぶっきらぼうな問いかけをしてしまうクルス。
恋人が十人はいる、というのがアークにまつわるもっぱらの噂だった。
「……ふふっ、恋人。恋人か」
何がおかしいのかクククッと笑うレディ。
「恋人にするのはあり得ないね」
「あり得ない?」
「当然。……そもそも、あんな風に誰であろうが無自覚に落としてしまう男性の恋人になるなんて……私はもっと、私を一途に愛してくれる人がいいかな」
「はぁ……」
散々な言われ方に少し可哀想になっていると、レディが『にんまり』と小悪魔のような笑みを向けてきた。
わざわざクルスの隣まで移動してきて、もたれかかるような体勢で問いかけてくる。
「――クルスさんは、どうかな?」
「どう、とは?」
「鈍いなぁ」
さらにククッと笑うレディであった。




