閑話 『ヒロイン』アリス・2
――アーク・ガルフォード。
その名を呟き、自分でも気づかぬうちに頬を赤く染めるアリス。
向こうは覚えていないかもしれないが、何度か言葉を交わしたことがある。
その結果として得られた結論は――彼は、違うということ。
ゲーム上の『アーク』は悪役令嬢シャルロットに惚れ込み、彼女のために様々な悪事に手を染める、悪役騎士。
しかし、彼は違った。
シャルロットとは『異母弟の婚約者』以上の関わりを持っていなかったし、悪事にも手を染めていなかった。むしろ王女殿下の護衛を任されるほど卓越した剣の腕を持ち、第一騎士団長候補になったことすらある。……若さが原因で選ばれることはなかったが。
何よりも『女たらし』であるという事実が、シャルロット一筋だったゲームの彼とは乖離していた。
「……アーク様」
さらに言えば。
アークは、やはり違っていた。
王太子を含めた男子たちは誰もが『ヒロイン』の美貌に心奪われ、冷静さを失っていたというのに。分別ある大人ですらアリスに見とれていたというのに。――どんな男性でも、その気になれば落とせるという確信を抱けたというのに。アークだけは、違っていた。
アリスを見ても平然としていて。アリスが話しかけても動揺せず。かといって『王太子とその取り巻きたちを次々に落とす悪女』という風に見るわけでもなく。ただ、ただ、騎士として、他のご令嬢と同じように接してくれたのだ。平等に。踏み込みすぎず。疎ましく思うことなく。
それがどれだけ嬉しかったか……。
どれだけ特別なことだったか……。
だからこそ。
ゲームとはまるで違う。他の男とはまるで違う彼だからこそ――
「――アーク様に、賭けるしかない」
彼ならば、この状況から救い出してくれるかもしれない。ギロチンという『運命』から逃れさせてくれるかもしれない。
ゲームでは魔の森で死んだはずの彼も、生き残っているはずだ。だってゲームよりも真面目に騎士をやっていて、王女殿下の護衛に選ばれるほど強く、第一騎士団長候補にすらなったのだ。きっと生きて帰って来てくれるはず。
(どうやって接触するべきか……。あぁ! 他の人が誤解するような『悪女』だったらすぐに名案が思い浮かぶのに!)
なぜだか知らないが、アリスの評価はべらぼうに高かった。
なぜだかエリザベスたちを追放した黒幕だと思われているし、なぜだか王太子のクーデターを裏で操っていることになっているし、なぜだか近衛騎士団長の追放やら王女殿下の嫁入りやらもすべてアリスのせいにされてきた。
「そんなわけ! ないでしょうが! んなことできるなら自分を救うわーっ!」
アリスが絶叫すると――部屋のドアが、開けられた。
まさか、とアリスは思う。部屋の鍵はちゃんと閉めたはずだと。
まさか、とアリスは思う。もしかしたら、アークが助けに来てくれたのではないかと。
あり得ない、と頭で理解しながらも、心はどうしても高まってしまう。
そして、振り向いたアリスの視線の先にいたのは――
――白い、美女。
ゲームで見覚えがあった。
「シルシュう!? なんでシルシュがぁ!? まだゲームでの登場時期じゃないですよねぇ!?」
ベッドから飛び上がり、尻から着地。そのままずりずりと後ずさり……ベッドから落ちてしまうアリスだった。
神代竜・シルシュ。
一作目ではアリスを気に入り、何かと助けてくれたというのに……。続編では一度も助けてくれなかった薄情者。
……いや、『どうせ続編のシナリオライターが存在を忘れてたんだろ』というのがファンの共通認識だったのだが。その辺も続編の評価を落とす一因だった。
そんなシルシュは心底おかしそうに喉を鳴らした。
『ほぉ、中々に面白い反応……。じゃが、アークほどではないな』
「……アーク様?」
ベッドの陰に身を隠しながら顔だけ出すアリス。
『ふ~む、まさかこんな狭い王宮に、ここまで面白い人間が二人もおるとはな』
「狭い? 面白い? 二人も?」
この王宮は途轍もなく広いし、アリスはそこまで面白くないはずだし、もう一人とは一体誰なのだろうか?
アリスがその疑問を口にすることはできなかった。いつの間にか目の前に移動してきたシルシュが、アリスを小脇に抱えたからだ。
『よしよし、こんな面白い小娘はアークに見せてやらんといかんな』
「は、はぃい!?」
なんですかそれ見世物扱いですか!? と、ツッコミを入れる前にシルシュは窓を開け放ち――跳んだ。ドラゴン形態になるわけでもなく。背中から翼を生やすでもなく。ただ、純粋なる脚力だけで空を飛んでみせた。
小脇に抱えられたままのアリスはたまったものではない。
突然すぎる浮遊感に、目も開けられないほどの強風。しかも自分を抱えているのは続編であっさりと見捨ててくれたシルシュだ。生きた心地など、しなかった。
「ぎゃあぁあああぁあっ!? たすけてぇえぇええっ!! アーク様ぁあああぁああああっ!!」
その『ヒロイン』らしからぬ絶叫に城内の幾人かが空を見上げ……。「アリス嬢が攫われた」と大騒動になってしまうのだった。




