閑話 フリオラと
「――おや」
近衛騎士団の副団長……現在は王太子によって団長に任命された美女・フリオラは小さく声を上げた。
王宮の廊下。向こう側から歩いてくるのが何かと話題の美少女だったからだ。
聖女候補であり、巷では『ヒロイン』と噂されるアリス・ライン男爵令嬢。
相変わらず、途轍もない美少女だ。
柔らかにカールした金色の髪。シミ一つない白磁のような肌。艶やかで血色いい唇……。
お人形さんのような。絵画のような。――天使のような。そんな、可愛らしいとしか表現できない少女だ。
なるほどこれなら王太子や側近たちの心を奪っても不思議ではないが……それだけではない。彼女の恐ろしさはその立ち回りにあるのだ。
公爵令嬢であり王太子の婚約者でもあったエリザベスから聖女候補の座を奪って見せた手腕。
恋敵のエリザベスを冤罪で貶め、『エリザベス派』の少女たちと共に魔の森へと追放してしまった謀略。
さらにいえば、王太子が権力掌握する上で最大の障害となっていた近衛騎士団長ライラをあっさりと王都から引き剥がし、その後は追放までしてしまった。何の抵抗もされることなく、だ。
もちろんそれに関してはフリオラの説得というか様子見の判断も大きく影響したのだが……。それすらもアリスの手のひらの上と思えてきてしまう。
(いったい何が目的なのか……)
フリオラとしては目の前の少女から不気味さしか感じることができない。
彼女がしているのはあくまで暗躍。自分から権力を得ようとしている形跡はない。まさかこのまま王太子が国を治められると考えているわけではないだろうが……。
(傀儡化か。国家運営に教会勢力を引き込むつもりか……)
アリスの考えはまるで読めないフリオラだが、珍しく取り巻きがいない今、やるべきことは一つだ。
近衛騎士団に敵意はないと伝えること。
それはもちろん国王陛下の復帰やライラたちの帰還まで時間を稼ぐという意味合いが大きいのだが……もう一つ理由があった。
そもそも、フリオラは普段から某騎士団長に書類仕事を丸投げされて忙しかったのに、今では騎士団長としての仕事と、不満を高める近衛騎士団員を宥めることまでやっているのだ。完全なるキャパオーバー。この上アリスとの敵対などできるはずがない。
(あー、団長。早くアークさんを引っ張って帰って来てくれないでしょうか……)
そう願ってやまないフリオラだが、残念ながらライラにそんなつもりは一切ない。
とにかく。今は目の前の不気味な女だ。
「これはこれはアリス様。このようなところでお目にかかれますとは」
少し大げさなフリオラに対して、アリスは柔らかく微笑んでみせた。
「まぁ、フリオラ様。ごきげんよう」
なんとも優雅な一礼をしてみせるアリス。
王太子は普段から『貴族らしくないアリスの素朴さに惚れたのだ!』みたいなことをほざいているが……どこを見ているのやら。アリスの礼儀作法は高位貴族に匹敵するではないか。
「いや、私なぞの名を覚えてくださっていたとは、光栄の極みでございます」
「ふふ、近衛騎士団長の名前を覚えないわけにはいきませんわ」
柔らかく、花がほころんだかのように笑うアリス。なにやら背景がキラキラと光っているように思えるのは気のせいだろうか?
(いや、何を馬鹿な。人が光を発するはずがない)
心の中で頭を横に振るフリオラだが、あるいは『聖女』であれば――などと考えてしまう。
このままでは飲まれるな。そう判断したフリオラは本題に入ることにした。
「アリス様。何かお困りごとがありましたら、ぜひ近衛騎士団――いいえ、私めにご相談ください」
「……どういうことでしょう?」
「貴女が王妃となられるならば、近衛師団は王家に対する変わらぬ忠誠を誓うとお約束いたしましょう」
「…………」
困ったように微笑むアリス。だが、この女がこの程度の展開を見抜けぬはずがない。むしろ心の中では「想定通り」とほくそ笑んでいるはず。そう確信するフリオラは畳みかけることにした。
「ソフィー様が神聖アルベニア帝国に嫁ぐ以上、王太子殿下の即位を邪魔する者はおられません。ならば、他の誰に仕えることができましょうか?」
お前が裏で動き、嫁がせることに成功した――とは、口にしない。そんなことにわざわざ言及して不機嫌にさせる必要はないからだ。
「――まぁ、頼もしいですわ」
両手のひらを合わせ、小さく首を傾けるアリス。たったそれだけ。たったそれだけの動作なのに、フリオラは一瞬心奪われてしまった。
(なんという、魔性の女か)
自分は元よりアリスを警戒していた。
そして何より、同性であった。
この二つの条件があったからこそフリオラは戻ってくることができた。そうでなければ心奪われたまま、いいように扱われてしまうことだろう。
(なるほど、王太子たちが骨抜きにされるわけだ)
心底恐ろしくなったフリオラは丁重な挨拶をしてから騎士団の詰め所に戻った。




