第3章 プロローグ アホの子たち
「――おのれ! ガイラークめ! 何様のつもりだ!」
リーフアルト王国。
つまりはアークたちが住まう国のアホ――いや、王太子カルスは怒りに肩をふるわせていた。
原因は、神聖アルベニア帝国の皇帝・ガイラークからの親書だ。
奴らは先日の戦の敗因がこちらにあると難癖を付け、攻め滅ぼされたくなければカルスの妹を寄越せと言ってきたのだ。
カルスの妹。
つまりは王女ソフィーのことだ。
怒りに燃えるカルス。
ソフィーを軟禁するほどのアホであろうとも、実の妹のことを心配している――というよりは、同盟国であり同格であるはずの神聖アルベニア帝国からの上から目線が不満なのだろう。
「しかし、無視するわけにもいきません」
側近の一人が冷や汗を流しながらカルスを宥めようとする。リーフアルト王国もそれなりの軍事力を有しており、神聖アルベニア帝国を相手にしても簡単に負けることはない。……はずだった。
しかし今は状況が悪い。
国民からの人気が高かった国王を軟禁したことで王太子に対する支持率は低いし、貴族連中も高位貴族であればあるほど王太子と距離を置こうとしている。
そして何より、戦力の要であった近衛騎士団長ライラを、他ならぬ王太子が追放してしまったのだ。
もし神聖アルベニア帝国と戦になれば国民の不満が一気に爆発する可能性があるし、貴族の多くも非協力的な態度を取るだろう。
無茶な戦争をするよりは、ソフィーを差し出して平和を維持する。それが『賢い選択』というものであるはずだった。
だが、今のカルスの様子ではそう簡単にソフィーを差し出さないだろう。妹のためではなく、自らのプライドを守るために。
どうやって説得したものかと側近たちが頭を悩ませていると、
「――では」
小さく手を上げて発言の許可を取ったのは『ヒロイン』であり聖女候補でもあるアリス・ライン男爵令嬢。
相変わらず、途轍もない美少女だ。
柔らかにカールした金色の髪。シミ一つない白磁のような肌。艶やかで血色いい唇……。
お人形さんのような。絵画のような。――天使のような。そんな、可愛らしいとしか表現できない少女だ。
「私が代わりに神聖アルベニア帝国に向かう。というのはいかがでしょう?」
「な、なに!?」
あまりにも予想外の提案に突拍子のない声を上げるカルス。そしてほとんどの側近たち――アリスに心奪われた男たちの間にも動揺が走る。
ただ、一人。
宰相の息子だけが「にやり」と笑う。彼女の考えを理解できるのは自分だけだという優越感に浸るように。
「なるほど」
わざとらしく靴の音を鳴らしながら宰相の息子が一歩前に出る。
「殿下は妹君を嫁に出すのがご不満な様子。ならば代役を立てなければなりませんが……そうなると、我が国で代わりになりそうな人物はアリス嬢くらいのものでしょうなぁ」
「な、なぜだ!? なぜそうなる!?」
「……まずはその美貌。そして聖女としての力。たしかに家格こそ男爵令嬢と低めではありますが、聖女としての能力はそれをひっくり返すに余りあります。いざとなれば殿下か陛下と養子縁組をして――」
「ならん! 許さん! アリスをあの好色男の元へ送るだと!? そんなこと、天が許しても俺が許さん! ――ソフィーを嫁に出すぞ! 準備をさせろ!」
「はっ!」
「すぐに準備をさせます!」
アリスを守るという使命感に燃えているのか、側近たちは我先にと動き出す。
そんな彼らの動きを尻目に、宰相の息子は素直に舌を巻いていた。
(まさか、自分自身を利用して殿下の決意を促すとは……)
先ほど彼はあぁ言ったが、いくらアリスとはいえ、とてもではないが王女の代わりが務まるものではない。聖女最有力とはいえ、まだしょせんは候補。しかも男爵令嬢でしかないのだから。幼い頃から王女としての教育を施されてきた、特級の血筋を持つソフィーと比べられるものではない。
そんなことは理解しながらも、カルスの決意を促すため、ああいう発言をしたに違いない。自分と妹を天秤に掛けたとき、自分を選ぶに違いないと確信しながら。
(王宮にはまだまだ反抗的な人間が多いが、王女殿下はその筆頭。殿下も実の妹は『処分』しにくいだろうし、他の人間が担ぎ上げる可能性も高かった)
そんなソフィーを排除しつつ、神聖アルベニア帝国との平和も確保する。
もちろんソフィーがあることないこと吹き込んで帝国を動かす可能性もあるが……今の帝国に、実際に軍を動かす余力はない。そしてソフィーを差し出せばあの皇帝も満足し、しばらく我が国に対する敵意を治めるだろう。
その間にカルスによる統治を盤石なものにして、軍事力を強化。さらにはレイナイン連合王国をはじめとした帝国に反抗する国家との同盟を進める……。そう、ソフィー1人を差し出すことで、最も貴重な『時間』を得ることができるのだ。
(さすが……さすがはアリス嬢だ……っ!)
全身に走るゾクゾクとしたものに酔いしれながら、宰相の息子は熱い視線をアリスに向けるのだった。




