兄妹
「――おいおい? こんなところで何してんだ?」
どういう理屈かはまるで分からない。
しかし、空間を裂いて登場したのは、レディアナ・ガルフォード侯爵令嬢の兄、アーク・ガルフォードであった。
相も変わらずの悪人面。
しかし、その中身が甘すぎるくらい甘いことをレディアナは知っていた。……女性限定ではあるが。
キングゴブリンがいるというのに。まるで雑魚には興味がないとばかりにキングゴブリンの横を通り過ぎ、レディアナの元に歩いてくるアーク。
一見すると隙だらけ。
しかし、あのキングゴブリンが動けないところを見ると、レベルが高い者には分かるのだろう。――目の前の相手が、尋常ではないことが。
「ったく、俺が心配することでもないかもしれないが、そろそろ結婚相手を見つける歳だろ? なのにそんな血まみれになって……」
「あぁ、大丈夫だよ。狙っている男性には粉をかけているからね」
「……良さげな男性、だぁ?」
アークの視線がレディアナからクルスへと移される。
ちなみに余談ではあるが。
今のクルスは魔力欠乏症で倒れており――レディアナに膝枕をされていた。もちろん彼女が自らクルスの頭を膝に乗せたのだ。
「…………」
アークからすれば(母親が違うとはいえ)実の妹から膝枕されている男性というのは見逃しがたいものがあり。しかもその男は、レディアナが狙っているのだという。
「よしボコるか」
「ダメだよ、ダメダメ。今のクルス君はものすっごく頑張って、ものすっごく格好良く私を助けてくれたんだから」
「はぁん、レディを助けるとは中々……クルス? もしかして、王女殿下の専属執事の?」
「うん、そうなるね」
「そういやこんな顔をしていたな……。執事服を着ていなかったから気づかなかったぜ」
「男の顔に興味がないだけじゃなくて?」
「それもあるがなぁ。じゃなくて、なんでクルスまでこんなところに?」
「それはね――」
レディがこれまでの経緯を説明しようとしたところで、
『――オォオオオォオオォオオッ!』
キングゴブリンの咆吼が夜の村に響き渡った。
しかし、先ほどとはまるで違う。
これまでは獲物をいたぶるような余裕があったというのに、今は勇気を奮い立たせているかのような。
「……さっきも気になったが、なんだあれ? ずいぶんデカいが、ゴブリンキングってヤツか?」
「キングゴブリンだね」
「どっちでもいいさ。ったく、今は借り物のナマクラしかないんだが……お、そうだ。レディ、ちょっと剣を貸してくれ。ラックのよりはマシだろう」
「……お兄様は平気で剣を借りるけどね? 普通はそんなことできないんだよ? 他の人の剣では長さも握りも重量配分も全部違うのだから――」
「そんな言い訳をしているからいつまで経っても強くなれないんだぞ?」
「お兄様がバケモノなだけだと思うけど……」
心底呆れつつ自らの剣を渡すレディ。Aランク冒険者に相応しい一品ではあるが、結局はキングゴブリンの分厚い皮膚に通らなかった剣でもある。
そんな剣を、アークは軽い調子で二、三度振るった。
「よし、いけるな」
「……やっぱりおかしいよお兄様」
レディが呆れ果てているとキングゴブリンが突進してきた。先ほどまでは自分から獲物に近づこうともしなかったのに。
獲物と狩人の逆転。キングゴブリンの行動がそれを如実に物語っていた。
『――オォオオォオオッ!』
キングゴブリンが拳を振り上げ、アークに向けて振り下ろす。
「フッ!」
レディが何とか避けていた一撃に、アークは剣を合わせた。
しかし、剣身で受け止めるようなことはしない。
流すように。
滑らすように。
キングゴブリンの拳を、アークは剣で受け流した。
『オォオオォオオォオオッ!?』
キングゴブリンが絶叫する。滑らせた剣身が、キングゴブリンの指の皮膚を切り裂いたのだ。
指を落とすまでは行かなかったものの、レディと同じ剣を使いながらもキングゴブリンに傷を付けてみせた。――明らかなレベルの差だ。
「……また強くなってる」
もはや本日何度目の呆れか。レディは目の前で戦う兄を見てため息をつくしかなかった。自分と同じ剣を使いながらもキングゴブリンに手傷を負わせたことももちろんだが、なによりのあの滑らせるような技。あんなものは以前のアークも、アークの師匠であるライラも使っていなかったはずだ。
「ほぉ、硬いな」
アークが感嘆の声を上げるが、そんな皮膚を易々と切り裂いているのがアークである。どちらがバケモノであるかなど考えるまでもないだろう。
「師匠なら首を落とせるんだろうが――まっ、いいさ。それが無理なら失血死するまで切り刻んでやるよ」
まるで演劇に出てくる悪役のように嗤いながら。アークは剣を構え直した。




