閑話 助けて!
戦況はクルスが想像していたよりも良好だった。
ゴブリンの集中攻撃によって窓の一つが破られてしまったが、男たちが集団で槍を振るったことで易々と撃退することができたのだ。
最初の勢いが削がれたせいかゴブリンたちの攻撃は散発的となり、二階からの矢や破られた窓の前に陣取っての迎撃で問題なく対処できていた。
この状況は、レディの作戦ももちろんだが、それを実行してみせた村人の働きも大きかった。たとえばこれが素人の集まりであったならここまで上手くは行かなかっただろう。魔の森に近いこともあって村人も戦闘訓練を受けていたようだ。
(そうでなければ一度目の襲撃も撃退できないか)
あるいは魔物を狩って、それを食料としているのかもしれない。
ただし、あまり期待しすぎるのも禁物だ。一度目の襲撃時に多くの怪我人が出ているし……元々の食糧事情が悪いのか、多くの村人が痩せ細っているためだ。今は戦闘時における興奮によって傷の痛みや疲労を忘れているようだが、いつまで続くものか……。
そんなことを考えながらクルスは自らの手を握ったり広げたりしてみた。魔力の残りを確かめるときに彼がよくする癖だ。
(魔力の残りは半分ほどか……。ゴブリンもだいぶ数が減ったようだし、何とかなるはず)
ゴブリンの多くは女性たちが二階から放つ矢によって足止めされていたし、遊撃に出たレディが丁度いいタイミングで斬り込んでくれるので、ゴブリンの戦力分断もできていた。
「……やぁ、クルス君も無事なようだね」
と、そんなことを考えていたせいか。全身をゴブリンの返り血で濡らしたレディが窓から建物の中に入ってきた。
普通の人間ならゾッとする見た目となっているが、なぜだかクルスは安心感すら抱いてしまう。
「お疲れ様です。おケガは? あればすぐに治療しますから」
クルスの治癒では『すぐに』治るわけではないが、レディもわざわざそんなことには突っ込まない。
「大丈夫。これは全部返り血さ。ただ、体力の問題があるからね。ここらで一旦休憩としよう」
「そうしてください」
身体強化を使えば常人を遥かに超えた身体能力を得ることができるが、その分筋肉などに大きな負担が掛かる。休めるときに休んだ方がいい。
『ゲゲッ!』
『ゲゲッ!』
性懲りもなくゴブリンたちが突撃してくるが、二階からの矢でその数を減らされ、窓を乗り越えようとしたところを狙われ槍で突かれていく。戦いが始まってから何度も繰り返された光景だ。
そう、何度も……。
「――妙だね」
村人から差し出された水を飲みながらレディが首をかしげる。
「妙、とは?」
「いくらゴブリンでも、単調すぎる。これだけの損耗があれば襲撃を諦めるか、他の手を考えるはず。だというのにこうまで力押しを続けるなんて――まるで、誰かからそうするように命令されているようじゃないかい?」
「命令……?」
冒険者でもないクルスにはさほどの知識はないが、ゴブリンの上位種にはホブゴブリンというものがいるというのは知っている。ゴブリンを指揮する存在で、普通のゴブリンが人間の子供程度の身長なのに対し、ホブゴブリンは人間の男性よりも大柄なのだという。
「まさか、ホブゴブリンというものがいる可能性が?」
「うん、これだけの群れなのだからむしろ指揮官役がいない方がおかしい――」
レディがそこまで口にしたところで、
『――オォオオオォオオオォオオッ!』
石造りの詰め所すらも揺るがすような。人々の腹の奥底から恐怖を呼び起こすような鳴き声が村に響き渡った。
「……ホブゴブリン、なら、まだマシかな?」
レディが額に一筋の冷や汗を流す。
破られた窓からクルスが外を確認すると――そこにいたのは、巨大なるゴブリンであった。
ゴブリンは人間の子供程度。
ホブゴブリンでも成人男性より大柄といったところ。
しかし、咆吼をしたゴブリンはさらに大きく、二階建ての建物の屋根に達するほどであった。
見上げるほどの敵、というのはそれだけで恐怖を感じるものだ。それがゴブリンらしからぬ筋骨隆々な肉体であればなおのこと。
顔つきは確かにゴブリン。だというのに強者の風格すら漂わせている。クルスをして、高位貴族や王族を前にしたときと同じような威圧を感じてしまうほどに。
そんな重圧を受けてレディが小さく唸った。
「……これは、キングゴブリンというものかな?」
「キング、ですか?」
「うん。長い年月を掛けレベルを上げ続けたゴブリンはホブゴブリンとなり、その中でもさらにレベルを上げ続けた者はゴブリンを統べる王――キングゴブリンになるという。ギルドではそれを『進化』と呼んでいるよ」
「進化、ですか」
あまり聞き馴染みのない言葉だ。王宮の御用学者が王女ソフィーにそんな話をしていたような気がするが……。
クルスが詳細を思い出す余裕はなかった。飛来する矢をその分厚い皮膚で弾きながらキングゴブリンが建物に接近。拳を振り上げ――建物を破壊し始めたのだから。
石造りの、防衛施設として活用することを想定した詰め所が易々と破壊されていく。棍棒ですらない、拳によって。
「おいおい! 素手かい!? ずいぶんと腕白じゃないか!」
驚愕の声を上げつつもレディが腰の剣を抜く。
いやいや、とクルスは即座に止めに入った。
「あんなデカいのと戦うつもりですか!?」
「本気では戦わないよ。皆が逃げる時間を稼ぐだけで。そもそも『キング』系の魔物は最低でもAランクパーティーを複数動員して討伐しろとされているんだ。ソロのAランク冒険者じゃ戦いにすらならないよ」
淀みなく答えるレディの態度に、クルスは察した。時間を稼ぐためならかなりの無茶をするつもりだろうな、と。
これが貴族としての義務というものか。
あるいは、レディが単に甘いだけか。
どちらにせよ、クルスの答えは決まっていた。
「――雷撃!」
キングゴブリンの目を狙い、攻撃魔法を放つ。
クルスとしてはこれで目を潰せればと思っていたのだが……どういう理屈か、キングゴブリンには傷一つついていなかった。魔法無効系のスキルか……いやそんなのは伝説でしか聞いたことがないから、初級魔法を無効化できる耐性持ちか……。
クルスに検討している暇はない。「クルス君!?」というレディの声すら置き去りにし、崩れた壁から外へと飛び出す。
「こっちだ!」
牽制にもう一発魔法を放ちながらクルスは建物とは逆方向に走っていく。なぜならあの建物には多くのケガ人が収容されているからだ。逃げるにしても、まずはキングゴブリンを建物から引き離し、避難の時間を稼がなければ――
『――ゲゲッ!』
まだ生き残りがいたのだろう。いつの間にかクルスのすぐ近くにいたゴブリンが棍棒を振り上げる。
取り回しのしやすい杖とはいえ、キングゴブリンを狙っていたものをすぐにゴブリンに向け、魔法を放てるほどではない。思わずクルスが目を閉じたところで、
「キミも意外と無茶をするね!」
身体強化を使って追いついたらしいレディが、一振りでゴブリンの首を刎ねる。
生暖かく、生臭い血液がクルスに降りかかるが、気にしている場合ではない。
「レディにだけは言われたくありませんね!」
「違いない!」
血まみれとなった二人が並んで駆ける。
まるで反省した様子のないレディに一言言ってやりたいクルスだが、今はキングゴブリンへの対応を優先させた。
走りながらクルスが振り返るが……キングゴブリンは、その場を動いていなかった。まるで王とは自らの足で獲物を追う必要がないと言わんばかりに。
「ちっ」
あまり離れては、キングゴブリンは建物を襲い始めるだろう。仕方なしにクルスとレディは一旦離れた建物付近に戻るハメになった。
「さて、『キング』のお手並み拝見といこうか」
レディが一歩踏み込み、キングゴブリンに剣を振るった。
対するキングは、無手。
握りしめた拳でレディの剣を殴り、弾き返す。
「――っ! 硬いっ!」
指どころか皮膚すらも剣で斬れないことに驚愕するレディだが、それで諦める彼女ではない。キングの拳を避けつつ、隙を見て腕や胴体を切りつけていく。
しかし、剣筋の痕は残るが、出血する様子すらない。
「――雷撃!」
レディが一旦離れたタイミングを見計らってクルスが雷撃をお見舞いする。だが、やはりキングには効果がないようだ。
「……これは参った」
レディが大きく後方に跳ね、クルスのすぐ近くに着地する。
キングゴブリンは引き付けることができている。
だが、生き残ったゴブリンたちは建物の襲撃を続けていた。クルスとレディの援護がなく、壁も崩された今、村人だけでどれだけ耐えられるか……。
「……クルス君。私が時間を稼ぐから、一番強い攻撃魔法を使ってくれないかな?」
レディの提案に、クルスが自らの手を握ったり開いたりする。
「……もう魔力の残りが少ないですから、中級攻撃魔法となってしまいますが」
「まぁ、やってみるしかないよね。もし効果が薄くても隙ができるだろうし」
言うが早いか、レディはキングに向けて突撃した。
まったくもって危なっかしい女性だが、クルスも今回ばかりは人のことを言えそうになかった。
魔力の残りからして、放てるのは中級魔法。
だがそれは、魔力欠乏症の危険水準を考えた上での話だ。
危険水準を無視し、残った魔力をギリギリまで使用すれば、上級魔法も一発だけ放つことができる。
無論、その後は魔力欠乏症で倒れたり死亡する危険性も高いが……言っている場合ではない。
淑女が命を賭けて戦っているのだ。
自分だけ安全圏にいる男など、紳士ではない。
深呼吸。
体内の魔力をかき集めながら、視線は戦い続けるレディから外さない。
さすがはAランク冒険者だけあって、レディはキングゴブリンの攻撃を全て避けていたし、時折反撃もしていた。
だが、やはり硬い。
鉄剣で斬れぬ皮膚などクルスの常識外の存在だ。鱗や毛皮で皮膚を覆っているならとにかく……。
だが。
いくら皮膚が分厚かろうとも、上級攻撃魔法であれば貫けるはずだ。
「――神威象りたる天の光よ」
上級雷魔法の呪文を唱え始めると、クルスの中から急激に魔力が抜けていった。
急激な魔力の消費により倒れそうになるクルスだが、もはや彼の身体は彼の制御下にない。上級攻撃魔法を放つための、魔法発動装置。すでに彼の身体はそのようになっているのだ。
「――すべてを焼き尽くす神々の怒りよ」
暗雲が立ちこめる。
夜の闇の中にあってもハッキリと分かるほどの雷雲だ。
気圧が急激に下降し、雷雲から雨が降りしきる。
「――世界を照らす光で以て、世界を害する邪悪を討て」
クルスに残された魔力はそのほとんどが雷雲の中に吸い込まれた。
術式は成立し。
必要な魔力も注ぎ込んだ。
ならばあとは、最後の一小節を唱えるのみ。
「――|雷よ、我が敵を討ち果たせ《トニトルニアス》!」
閃光。
雷鳴。
視覚と聴覚が奪われ、さらには呼吸が困難になるほどの衝撃。―― 一撃必殺。人間に当たれば跡形も残らないほど。それこそが上級攻撃魔法である。
だが、しかし。
『――オォオオォオオオオッ!』
上級攻撃魔法を受けたというのに、キングゴブリンは、なおも生きていた。
表皮が真っ黒に焦げながら。
割れるほどに歯を食いしばりながら。
『――オォオオォオオォオオォォオオオオォオオッ!』
それでもなお、膝すら突かずに立ち続けたのは『王』たる者の誇りがゆえか。
キングゴブリンが落雷の衝撃から回復し切れていない今。今こそが攻撃の好機であった。
しかし、クルスも、レディも、それをしなかった。
クルスは魔力欠乏症によって身体を支えることすらできずに倒れてしまい。
レディは、そんなクルスを支えるため彼に駆け寄ってしまったがために。
『オォオッ! オォオオォオオッ!』
キングゴブリンが叫ぶ。今なお降り続ける雨の中。咆吼によって雷鳴すら晴らさんとするかのように。自らの覇気で天気すら操らんとするかのように。
「……これが、『王』か……」
あまりにも規格外な存在を前にして、レディが少し震えながら呟いた。
「くっ……レディ……逃げて、ください……」
息も絶え絶えにクルスが言うが、無理な話だ。ここで彼を見捨てられるような人間は、そもそも見ず知らずの村を救おうとは思わないのだから。
逃げるわけにはいかない。
さりとて、死にたくもない。
事ここに至って、レディは一つの決断をした。
「……よし、わかった。奥の手を使おう」
「奥の手、とは?」
「あまり使いたくはなかったのだけどね。私は死にたくないし、クルス君にも死んで欲しくない。――だから、やるしかないんだ」
「…………」
まるで具体性のない話だ。レディが何をしようとしているのか、クルスには微塵も理解できない。
なのに。
「よく、分かりませんが……レディの判断を、信じます」
「……ありがとう」
レディの頷きと共にキングゴブリンが咆吼した。まさか自己回復手段を持っているのか、先ほどよりも皮膚の焦げ具合が軽くなっている気がする。
ゴブリンを従える力に、膂力、さらには回復力……。まるで勝ち筋の見えない相手だ。
だというのに。
レディは勝利を確信していた。
不敵に笑い、大きく息を吸い込んでから――彼女は力一杯叫んだ。
「――うわぁ! もう無理だぁ! やっぱりお兄様がいないとダメだぁ!」
その唐突すぎる発言にクルスが目を丸くする中。レディはさらに叫んだ。
「可愛い妹を助けて! お兄様ぁ!」
兄。
つまりは、レディという少女の、兄だ。
半分しか血の繋がらない妹の願いがまさか聞こえたわけでもないだろうが。
バリバリバリっと。
キングゴブリンの背後の空間が――ひび割れた。




