閑話 戦い
――夜。
ゴブリンたちは再び村を襲撃しようとしていた。
最初の襲撃で予想以上の反撃があり、ゴブリン側も大きな損害を受けていたが……二度目の襲撃も予定通り実行された。人間側にも多大な被害があったはずだし、それになにより――
『ゲゲッ』
昨夜の襲撃時に埋め立てた水堀を通り、ゴブリンたちが村へと再侵入する。
村の様子は静かであった。
闇を照らす篝火がない。
待ち伏せしやすい水路での迎撃がない。
そして何より、水路の上にこんな『通り道』が残ったままなのだから、人間共は村を捨てて逃げたのかもしれないなとゴブリンは判断した。
敵が逃げたかもしれないと判断することができる。
だが、罠かもしれないとは思い至らない。
最下級のゴブリンとは、その程度の知能しか有していなかった。
そうしてゴブリンの先遣隊が完全に水路を渡りきり、村に入ったところで――
『ゲゲッ!?』
先頭を歩いていたゴブリンの断末魔。
すぐ後ろを歩いていたゴブリンの顔に生暖かい液体がかかり、その足が何かを蹴った。
すぐ前にいたはずの、仲間の首だ。
――敵襲。
仲間の鮮血を乱雑に拭ったゴブリンが棍棒を握りしめたところで――彼もまた、首を刎ねられていた。
『ゲゲッ!』
事態に気づいたゴブリンが警告の鳴き声を上げる。すると、そのゴブリンの頭部目掛けて雷が走った。
自然の雷ではないだろう。
ならば魔法使いかとゴブリンたちは理解する。
この村に魔法使いなどいなかったはずだ。
魔法使いがいるなら不利。
ゴブリンにもそれくらい判断できる頭はある。
ここで普通なら一旦撤退していたことだろう。
だが、先遣隊は迷うことなく先に進んだ。雷の発生地点にこそ魔法使いはいるだろうと判断して。
そして彼らの夜目が魔法使いらしき男を捉えた。
『ゲゲッ!』
『ゲゲッ!』
単純な瞬発力であれば、人間よりゴブリンの方が勝る。呪文詠唱にかかり切りとなっている魔法使い相手なら尚更だ。
先頭の一匹か二匹は犠牲になるかもしれないが、後に続くゴブリンが魔法使いを蹂躙する。ゴブリンの戦いとは、そういうものであった。
魔法使いに向けて迷うことなく突撃したゴブリンたちが棍棒の間合いにまで接近したところで、
「――キミたちの弱点は、一つのことしか考えられないことだね」
意識の外にあった攻撃により、一匹のゴブリンの足が切り払われ、続けての斬撃で別のゴブリンが絶命する。
「よし」
一息ついた少女――レディが最初の斬撃で足を薙いだゴブリンにトドメを刺した。
そしてすぐさま剣を鞘に収め、騎士団の詰め所として使われていた建物に向かって走り出す。
「先遣隊は倒した! クルス君! 撤退するよ!」
「はい!」
すぐにクルスも追いつき、二人並んで詰め所を目指す。
「はははっ! 初めての連携にしては上手くやれたじゃないか! もう結婚するしかないんじゃないかな!?」
「あなたは何を言っているんです!? ……じゃなくて、撤退で良かったのですか!? まだあの場でゴブリンを狩っても――」
「そんなことができるのは『バケモノ』くらいのものさ! いいかい? 先遣隊をあんなにあっさりと倒せたのは奇襲が成功したからだよ。警戒しているゴブリン相手じゃそうもいかない。囲まれて嬲り殺しにされるのがオチさ」
「ははぁ、そんなものですか」
オチ、とは演劇用語だったかなと少し場違いなことを考えてしまうクルスだ。そういえばレディは演劇が好きだと言っていたな、とも。
騎士団の詰め所。
その窓からは村の若者たちが顔を出していた。
「冒険者様! 首尾は!?」
「10匹くらい倒したかな!」
「さすがです! 早く中へ! 鎧戸を閉じます!」
「任せたよ!」
レディとクルスが建物の中に駆け込むのとほぼ同時、玄関の扉が閉められた。
さすがは騎士団の詰め所として作られただけはあり、玄関ドアは重厚な鉄製だし、窓の鎧戸もすべて木製鉄板張りだった。もちろん内側から閂で固定することができるので、かなりの防御力を期待できるだろう。
「――女子供は弓の準備を! 当たらなくてもいい! ゴブリンの足を止めてくれれば!」
手早くレディが指示を飛ばす。正直言えば事前にまったく同じ打ち合わせはしてあったのだが、こういうのは何度でも確認するのがいいとレディは経験で知っていた。
「はい!」
「男たちは槍を! 建物に入ってきたゴブリンを突き刺してくれ! 大丈夫! ゴブリンの棍棒より槍の方が長い!」
「おう!」
「クルス君は槍を避けて接近してくるゴブリンを狙い撃って欲しい!」
「分かりました。……レディは遊撃ですね?」
「うん。好き勝手に暴れさせてもらうよ。私はその方がやりやすいからね」
「……あまり無茶はしないでくださいね?」
「……ふふ、心配してもらえるのも嬉しいものだね。昔からなぜか心配されるより呆れられることが多くて」
「あぁ……」
納得するしかないクルスだった。
「いやクルス君。『あぁ……』とはどういう意味かな?」
「そのままの意味ですよ。さて、二階に上がりますか」
窓の鎧戸も閉めてしまったので、一階から外の様子を確認することはできない。ちょっと不満げなレディを伴ってクルスは二階へと移動した。
二階の壁には窓の他に『狭間』が開けられていた。これは細長い形をした穴であり、建物の中から弓を安全に射るためのものだ。
その狭間の前にはすでに弓を手にした女性たちが待機していた。魔の森に近い村なだけあって、弓を使える女も多いらしい。
そして、一階では鎧戸で閉め切られていた窓も、二階はまだ開け放たれていた。
ゴブリンたちの瞬発力がいくら高くても、いきなり二階の窓から侵入することはできない。だからこそ防御よりも見通しを優先した結果だ。
「――来たわ!」
窓から外の様子を見つめていた女性が、少し緊迫した声を上げた。詰め所の周囲では焚き火台の上で焚き火が行われていたので、人間でも少し離れた場所まで見通すことができる。
やって来たゴブリンは、50ほどいるだろうか? 暗がりと恐怖のせいで実際より過大に見積もっている可能性もあるが……。
普段から王城に勤務しているクルスではこのような『群れ』を相手に戦ったことはない。
しかし、Aランク冒険者であるレディや、魔の森付近で生まれ育った村の女たちは落ち着き払っていた。
「――矢を射かけろ!」
指揮官らしき女性の号令と共に、狭間から次々に矢が射かけられた。どうやら普段から矢を作り貯め込んでいたらしい。
弓矢であれば中型の魔物だって倒すことができる。この村だけではなく、この世界の村ではごくごく一般的に行われていることだった。
雨のように。
とまではいかないが、人間であれば進むのを躊躇するほどの矢が降り注ぐ中。しかしゴブリンたちは歩みを止めなかった。おそらくは人間から奪った盾で身を隠しながら、ゆっくりと、しかし着実に建物へと進んでくる。
そしてゴブリンの先頭が窓へと取り付き、鎧戸に棍棒を叩きつけ始めたところで、
「――じゃあ、そろそろ遊撃してくるかな」
言うが早いか、レディは窓から飛び降りてしまった。建物の二階から。迷うことなく。ロープすら使わずに。
身体強化を使っているのだろうが、それでも肝が冷える光景だ。クルスが慌てて窓に取り付くと――レディは着地と同時、ゴブリンを一匹切り伏せたらしい。
空から敵が降ってくるとは思わなかったのか、ゴブリンたちの間に動揺が広がる。それが落ち着く前にレディは数匹のゴブリンの首を落とし、さっさと村の方へ逃げてしまった。
ゴブリンの群れが二手に分かれ、十匹程度がレディを追う。そんな隙だらけのゴブリンの頭を撃ち抜きつつ、クルスはレディの行動力に呆れるしかなかった。




